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思いがけない提案

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 婚姻式に向けて私の生活の中に髪や肌の手入れの時間が組み込まれた。実家でやるか婚家でやるかは婚家次第で、夫人教育のために婚家に居を移した場合は婚家ですることが多い。ちなみにお義姉様は実家でされたわ。これはギーゼン伯爵が結婚するまでは実家にとのお考えの持ち主だったからで、より裕福な方で行う場合もある。花嫁をいかに磨き着飾らせるかは両家の評判にも関わってくるので重要なのよね。

 婚姻式まで残り十日となると屋敷の中も式の準備で慌ただしく感じられるようになった頃、ヴォルフ様の執務室に呼ばれた。部屋に入ってソファにかけるヴォルフ様を見て少しだけ驚いたわ。朝食時に比べて髪が短くなっていた。

「どうかしたか?」
「いえ、髪を切られたのですね」

 対面に腰かけながらそう告げると、直ぐにティオがお茶を出してくれた。ヴォルフ様の髪は茶を煮詰めたような黒ではなくどこか青みがかっていて、それは日に当たらないとわからない。前髪はいつも後ろに撫でつけられ、サイドも耳や襟足が隠れるかどうかの長さだけど、今日はそれらが出るくらいに短くなってすっきりした印象だわ。お陰で一層冷たさが強調されているけれど、慣れたせいか怖いとは思わない。それどころか素敵に見えてしまう。

「式が近いからな。少しは見た目を気にしろと言われた」
「そうでしたか。お似合いです」

 きっとティオたちが進言してくれたのね。婚姻式を尊重して下さっていると思っていいのかしら。楽しみにして下さっているといいのだけど……

「クラウスが王都に戻っている」

 告げられた言葉に浮足立っていた気持ちがしぼんでしまったわ。領地から逃げたクラウス様がこの王都に戻ってきているなんて。奇しくも姉も今王都に戻って来たばかり。もしかして連絡を取り合う……は無理よね。姉の帰都は知らされていないし、滞在する別邸は騎士が厳重に守っているもの。

「そこで相談だ。姉を使ってクラウスをおびき寄せようかと考えている」
「姉を使って?」
「あの男は王家も追っているが中々捕まらなくて困っていたところだ。姉が王都にいると知れば接触してくるかもしれない」

 それは姉を囮にってことよね。だけど……

「姉のことは内密にしていますよね。そんなことをしたら……」
「妹の結婚を祝うために極秘に戻っていると噂を流す」

 なるほど、それなら筋は通るし極秘にと言われれば却って興味を引くかもしれないわね。別邸なら警備も緩いだろうと油断するかもしれないし。

「あの家を我が家が所有していると知る者は少ない。相手もガウス家の別邸だと思い込むだろう」
「そうですか。姉を利用していたクラウス様ならまた姉を、と?」
「ああ、子がいるなら姉が自分を必要としていると考えるかもしれん。姉に害が及ぶようなことはしない」

 ヴォルフ様の部下の監視の下でなら姉も安全でしょうね。姉を別邸に入れたのはクラウス様のことがあったからなのね。確かに実家では統制が取れないから危ないし、囮にするのはもっと難しいわ。それに……クラウス様も我が子がいるとなれば無体なことはなさらない筈。それに万が一のことが起きても……困ることはないわね。

「わかりましたわ」

 姉のことは気がかりだけど出来ることならさっさと捕まえてほしい。このままじゃ外に出るのもままならないもの。

「だったら……私が姉のお見舞いに行くのはどうでしょう? それなら……」
「さすがにそう言う訳にはいかん。お前は婚姻式が近いのだぞ? 怪我をしたらどうする気だ?」
「でも、このままでは婚姻式も危うくありませんか? そこで狙われるよりは先に片を付けてしまった方が……」

 クラウス様の狙いがヴォルフ様なら、もしかしたら婚姻式を狙うかもしれないわ。ゾルガー家は基本的に夜会も茶会も開かないから家に侵入する機会が殆どないもの。多くの人が参加する婚姻式。紛れ込もうと思えば可能ではないかしら。私ならチャンスだと考えるわ。

「なるほど……」

 ヴォルフ様が顎に手を当てて考え込まれたわ。そんなお姿も絵になるわね。一筋だけほつれて下りた前髪が色っぽくすら感じるわ。って、私ったらこんな時に何を考えているのかしら。

「わかった」
「え?」

 変なことを考えているところにそう言われて思わず声が出てしまったわ。危なかった……心を読めたりしないわよね?

「お前が姉に会いに行くと噂を流そう。だが行くのはお前ではない」
「え?」
「お前に似せた者だ」
「ですが……」
「心配するな。訓練を受けている者に変装させる。姉に会いたいなら婚姻後にしろ。今危険を冒す必要はない」
「わかりましたわ」

 仰る通りだから行きたいとは言えないわね。周りに迷惑をかけてしまうもの。

「それにしてもクラウス様は何がしたいのでしょうか」
「さぁな。俺ならさっさと国を出ていくがな」

 確かにその通りだと思うわ。その方が国内にいるより安全だもの。逃亡した以上見つかれば処刑だから。クラウス様がわざわざ危険な王都に戻ってくる理由がわからないわ。

「ヴォルフ様を……狙っているのでしょうか?」
「そうかもしれない。あれは昔から何かと突っかかって来ていた」
「どうしてです? なにか意見の相違が?」
「さぁ。俺が気に食わないと言われたことはあるが……理由までは知らん」

 理由がわからないのは厄介ね。そりゃあ彼なりの理由があるのかもしれないけれど、はっきり言わないのなら逆恨みの可能性もありそう。私がハリマン様の婚約者だというだけで嫌がらせを受けたように。でもそれを考えても仕方ないわね。本人にしかわからないもの。クラウス様のことはヴォルフ様にお任せするしかないわね。私の出る幕はなさそうだし。だったら……

「ヴォルフ様、実家に戻ってはいけませんか?」
「実家にか?」

 珍しく声に驚きが滲んだわ。そんなに意外なことだったかしら。

「ええ。最後に話をしたいと思いまして。両親とも兄とも」

 別に話さなくても構わないし、結婚後にこの屋敷に呼んで話を聞いてもいいのだけど、一度くらい正面から向かい合ってみようと思った。他家では絶対に本音を言わないでしょうから帰るしかない。夫人教育を受けても婚姻前に実家に戻って家族水入らずで過ごすのはよくあることだし、どうせなら婚姻前に実家のことは片付けてしまいたい。お義姉様ともゆっくり話したいし。

「実りのある話が出来るとは限らないだろう?」
「それでもですわ。私なりに実家とけじめを付けたいのです」

 母にも聞きたいことがある。父や姉、兄のことをどう思っているか直に聞いてみたいのよね。それに兄の様子も知りたい。お義姉様は兄と話してみると言っていたけれど、それがどうなったのかもこの目で確かめたい。あの案を実行しないで済むならそれに越したことはないもの。思っていることを説明するとヴォルフ様が考え込まれた。

「わかった。だが式まで日がない。実家に戻るのは明後日から一泊だけにしろ」
「ありがとうございます」

 日帰りかと思ったけれど一泊出来るなら有り難いわ。その分護衛の方には迷惑をかけてしまうけれど、今後実家に戻ることはないような気がするから許してほしい。

 あの家は両親と兄姉は仲が良くて私だけが異質な存在なのだとずっと思って来たけれど、最近の出来事を思うと決してそうではなかったように見えるわ。両親の仲の良さも両親と姉の関係も、兄の立場も私が今まで感じてきたものと違っていた。それを見極めたい。

 それにどうして私があんなにもぞんざいに扱われていたのかも。もしかしたら私は両親の子ではないのかもしれないと思ったこともあったわ。それがまさか姉の方だったなんて思いもしなかったけれど。これまで両親の本音を聞くのを避けていた。もし実子ではないと言われたら……との恐怖もあって問い質せなかったけれど、今はそうだと言われても構わない。ゾルガー家の人たちがいてくれるもの。




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