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ウエディングドレス

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 来た時よりも晴れやかな笑みを浮かべて帰っていったお義姉様。安堵の中に僅かな痛みが芽生えたけれど何も知らず誰かが何とかしてくれると思っているのだろう兄の顔が浮かんで腹立たしくなる。私やお義姉様にこんな決断をさせたことが許し難い。お陰で罪悪感がわいてこないのは幸いかしら。

「お義姉様には申し訳ないことをしてしまったわ」

 兄が真っ当だったら背負わなくてもいい業を背負わせてしまった。それにこれから我が家が大変なことになるのは避けられない。詐欺だって補償などないから相応の損失は免れないし、それを立て直すためにお義姉様はきっと大変な思いをされるわ。

「でも、若奥様はやる気でいらっしゃいましたよ」
「そうね。まさか建て直しを手伝いたいと仰るとは思わなかったわ」

 ヴォルフ様も手を貸して下さるけれど、我が家の建て直しはかなりの難事業になるはず。それを手伝いたいと仰って下さったのは嬉しいけれど簡単ではない。でも気持ちはわからなくもないわ。私もお義姉様の立場だったらそう望んだでしょうから。

「お義姉様も男性に生まれていたら、兄なんかよりもずっと優秀な当主になったでしょうにね」

 性別が逆だったらそれなりにいい夫婦になったかもしれない。もっとも頭の悪い女性にお義姉様が惹かれるとは思わないけれど。それでも政略結婚なのだからと割り切って兄を上手く転がしたでしょうね。それくらいの器量はおありだもの。お茶を口に含んだその時、部屋の扉が叩かれた。

「イルーゼ様、旦那様がお茶を一緒にと仰っていますが……」

 現れたのはヴォルフ様の執事のブレンだった。今日は朝からお出かけでお昼も姿がなかったけれどお戻りになっていたのね。直ぐに喜んでと答えると案内いたしますというので彼の後についていった。

 向かった先はヴォルフ様の執務室だった。執務机の反対側にあるソファには既にヴォルフ様が坐っていて、ティオがお茶の準備を始めていた。

「お戻りだったのですね。お出迎え出来ず申し訳ございません」
「いや、来客中だったのだから仕方がない。気にするな」

 無表情なところも最近は気にならなくなってしまった。ヴォルフ様が言葉通り気にしていないことも、私のことを気にかけてくれていることもわかっているから。もっともこれはティオが教えてくれたからだけど。

「兄嫁はどうだった?」

 ティオがお茶を淹れて下がるとそう尋ねてきた。お義姉様のことを気にかけて下さって、わざわざその為に時間を割いて下さったのだと思うと嬉しくなる。

「はい、賛成して下さいました」
「そうか」

 私が望みヴォルフ様が考えて下さった計画はこれでいつでも実行出来る。非情かもしれないけれどお義姉様と領民のためだと思えば仕方のないこと。嫡男の座に胡坐をかいてきた兄の自己責任だもの。そりゃああの両親のせいと言えばそれまでだけど、これまでに何度もお義姉様が忠告して下さって自分を顧みる機会はあったわ。それを無下にしたのは兄自身だもの。だからもういいわよね。

「実行は婚姻式が終わってからだ」
「はい、わかっていますわ」

婚姻式の前となると式の延期の可能性も出てくるから、それを避けるためにも式の後に実行することになっていた。その準備も整っている。それまでに兄が目を覚ませばいいのだけど。お義姉様がもう一度だけ機会をと仰るから婚姻式までは待つ予定。お姉様のためにも目を覚ましてほしいけれど……期待は出来ない。お義姉様もそれはわかっていらっしゃるでしょうけど縁あって夫婦になったのだからと言って下さった。全く兄には勿体なさ過ぎるわ。

「父親の子のことを母親は知っているのか?」
「いえ、まだだと思います。多分、婚姻式が終わるまでは言わないかと」

 父はまだカリーナとの子のことを母には伝えていないようだった。婚姻式前に余計な揉めごとを起こしたくないからでしょうね。父にも理性があったというよりも面倒事を避けたかっただけでしょうけど。婚姻式が終わった後も忙しそうだわ。

 カリーナのことは病気の母の容態が悪化したとの知らせに動転し、届を出すのも忘れて駆けつけたことにして休職扱いになっている。子のことを知っているのはバナンとカリーナと仲のいい侍女くらいで、その侍女は今別邸でカリーナの世話をして貰っている。

「仕立て屋から連絡があった。明日ドレスが届くだろう」
「ドレスが? 本当ですか?」
「ああ」
「嬉しい。楽しみですわ」

 ウエディングドレスが出来上がったのね。式まで一月を切ったからそろそろだとは思っていたけれど。

「気になることがあったら遠慮せずに言え。一生に一度のことだからな」
「ありがとうございます」

 感情がないと言いながらも婚姻式が女性にとって大事な催しだってことは理解なさってるし寄り添おうとして下さっている。本当に寄り添える感情がないのかしらと思ってしまうほどかけられる言葉は気遣いを感じさせるものだった。 

 それに気になることなんかきっとないわよ。これまでのドレスだって全部想像以上に素晴らしいものだったもの。強いて言うなら私の体型だわ。サイズが変わらないように気を付けているけれど、ここの食事が美味しくて食べ過ぎてしまうのよ。ティオに頼んでもう少し量を減らして貰った方がよさそうね。特にお菓子は危険だわ。



 翌日、時間通りに仕立て屋がやって来た。仕立て屋の主はアードラー夫人といって今王都では一番人気のデザイナー。ガウス伯爵家では相手をして貰えないほどの人気ぶりだけどゾルガー家は別格だった。何せアードラー夫人を援助しているのがゾルガー家だったから。ヴォルフ様ご自身は流行に興味がないけれど、才能のある職人への援助は惜しまないのだとか。そのため才能のある人は挙ってその才能をゾルガー家に認めて貰おうと捧げるという。その積み重ねがこの家を支えているのでしょうね。

「まぁ、素敵ですわ、イルーゼ様!!」

 年齢を感じさせない若々しい笑顔を浮かべアードラー夫人が両手を合わせて歓喜の声を上げた。艶やかな黒髪を優雅に結い上げた夫人は流行を取り入れたドレスを身に纏い自身もまるでモデルのよう。そんな彼女が手掛けたドレスに側に控える侍女たちも目を輝かせているけれど、確かに身にまとったドレスはこれまでに見たこともないほどに素敵な品だったわ。

「イルーゼ様はスタイルがよろしいからよく映えますわね」
「そうかしら?」
「ええ、最近の婚姻式でこれほどのドレスをお召しになった方はいらっしゃいませんわ!」

 アードラー夫人にとってもこのドレスはデザインも質も出来上がりも別格だという。確かにいくらかかっているのかと思うほどに豪奢だわ。それでいて品もあり花嫁の清楚さも感じさせる。私自身が大人っぽい顔立ちの上に出るところが出ている体型だから清楚さとは縁遠いのだけど、それは肌の露出を抑えたデザインでカバーされているように見える。それに合わせた宝飾品も身に着けるのが怖いくらいに立派で傷つけたりしないかと緊張してしまうわ。

「あとはこちらで微調整をさせていただきますわ。イルーゼ様、どうか体型は維持して下さいますよう、お願いいたします」
「わかったわ……」

 それが一番の難問なのだけど……式までは気を付けないとね。太るのもダメだけど痩せてもダメだなんて……これって痩せるよりもずっと大変じゃないかしら? 

 運ぶだけでもドレスが皴になったり傷ついたりするので、最後の調整はここでするという。婚姻式は領地の屋敷でする家もあるけれど、上位貴族は参加者の都合を優先して王都の屋敷で行うのが一般的。私の場合もこのゾルガー邸で行う予定になっているわ。

 大抵の花嫁は婚姻式の前から婚家に住んで夫人教育を受けるし、それでなくても式の一、二日前に花嫁が婚家に入って準備を始めるのよね。私も一月を切った頃から髪や肌の手入れが始まっている。早過ぎるんじゃないかしらと思うけれどこれが普通なのよね。



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