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義姉との懇談

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 母と姉、お義姉様が王都に到着したのはちょうど婚姻式まで一月を切ったその日だった。安定期に入ったとは言え妊娠中の姉を気遣い、通常三日かかる行程を五日かけたその旅は雨に遭うこともなく予定通りに王都に着いた。ゾルガー家の騎士が護衛を担ってくれたおかげで何一つ問題は起きなかったと聞く。

 ガウス家に到着したのは母とお義姉様の二人で、姉はヴォルフ様が用意して下さった王都の別邸に直接入ることになった。母は実家でしばらく様子を見た方がいいと主張したけれど、姉は領地に残したことになっている。姿を見られては面倒だとヴォルフ様が却下されたわ。さすがに母も異議を唱えることが出来ず、不満を露わにしながらも従うしかなかった。

 一方の姉は特に抵抗もせずに別邸に入ったと聞いた。実家から付いてきた侍女一人を連れ、今は淡々と過ごしているという。少し意外にも思ったけれど妊娠していることが世間に知られれば姉の名は地に落ちる。少しは自重する必要性を理解したのだと思いたいわ。せめて子が生まれるまでは大人しくしていて欲しい。



 それから三日後、私はゾルガー邸でお義姉様を迎えていた。南棟のサロンに案内したお義姉様は以前と変わらぬ意志の強さを感じさせる茶の瞳を輝かせながら室内を見渡していた。

「お久しぶりですわ、お義姉様」
「イルーゼ様、すっかり見違えたわ。なんて綺麗になったの!!」

 兄の前では淑女の体を崩すことがないお義姉様が満面の笑みを向けてくれた。彼女は両親や兄姉の私への態度に憤ってくれて何かと助け船を出してくれていた人。そのせいで両親や兄との関係がぎくしゃくしたため私のことは気にしなくていいと言ったけれど、お義姉様は筋の通らないことは出来ないと言って事ある毎に味方をしてくれた。

 ご実家のギーセン伯爵家は家格も地位も資産も上だし、結婚祝いだと言って我が家に援助をして下さったから、両親も兄も表立って文句を言うことは出来なかった。それにギーセン伯爵も兄君の小伯爵も王宮にお勤めなのよね。事業をする上でお二人の口添えは必須だから兄もお義姉様を無下には出来なかった。

「これまで兄や母達の監視をありがとうございました」
「ふふっ、いいのよ。放っておいたら私にまで泥が飛んでくるもの。首根っこを押さえつけておくのも仕事の内よ」

 そう言って笑い返されたけれど、お義姉様は聡明な上に強かさもお持ちだから兄に対してのらりくらりと躱しながら上手く転がして下さっていた。

「でも、ごめんなさいね。ワインの件、私も気付かなくて……」
「お義姉様のせいではありませんわ。頭をお上げ下さい」

 緩いウェーブがかかった髪を揺らして頭を下げるのを慌てて止めた。実際お義姉様のせいではないもの。兄は「女は男の仕事に口を出すな」というタイプだからお義姉様には何も話していなかったでしょうから。そんなお義姉様がこの事態を知ったのは領邸の使用人から相談を受けたから。そこで慌てて状況を調べたお義姉様が兄を問い詰め、兄は渋々詐欺に遭ったことを白状したのだ。

「お義姉様のせいではありませんわ。それにこの件はヴォルフ様も動いて下さっています。悪いようにはなさらないかと……」

 それでも全面的に協力して下さるわけではないから大丈夫だとは言い切れなかった。でも問題はそれじゃない。今日話をしたかったのはもっと先を見据えたことだから。それはお義姉様の人生を大きく変えるものになるのは間違いなく、その為には彼女の意向を聞いておきたかった。

「全ては兄の浅慮の結果ですわ。それこそ廃嫡になってもおかしくないほどの失態ですもの」
「やっぱりゾルガー侯爵様はそうお考えなのね」

 そう言うと憂いを浮かばせながら小さく息を吐いた。厳しいギーゼン伯爵ならそうなさっていたでしょうね。

「さすがにあの兄に領民の命を預けるのは不安しかありませんもの。そこは父もあまり変わりませんが。このままでは先は長くないでしょう」

 お義姉様は答えない。きっと同じように思っていらっしゃるからでしょうね。

「お義姉様は離婚して実家に戻られる道もございますわ。お子もいらっしゃいませんし、今なら泥船から逃げ出すことをギーセン伯爵様も良しとして下さるでしょう」

 我が家はこのままでは没落して爵位返上か、遠縁から優秀な養子を迎えて王家の管理下で再建を目指すのことになりそう。それくらいまずい状況に陥っている。

「そこまででしたのね」

 お義姉様はため息をついて目を伏せた。想像以上に事態は悪化していると理解して下さったのね。実際兄のことだけではなく父の子のこともあるわ。父はまだ兄や母にカリーナとの子のことは話していないらしい。父なりに私の婚姻式が終わるまではと思っていると聞いたわ。確かに今それを母に知られたら大変な騒ぎになるでしょうし。

「お義姉様には申し訳なく思っていますわ。兄をあんな風に育てたのは両親ですし、父もあのように頼りなく今回の事態ではオロオロするばかり。具体的な対応策の一つも出てきませんでした」

 お義姉様は答えず先を促すようにじっと私を見た。

「お義姉様にはあの兄を見限って実家に帰る選択肢もございます。もしそれを願うのならヴォルフ様も口添えして下さると仰っています。次の縁談でもお力になると」
「それは過分なお申し出ね。では私が残ると言ったら?」
「残るのですか?」

 この状況で残る選択肢があるとは思わなかったわ。聡明なお義姉様ならいい条件での再婚話もあるでしょうし、そうした方が今よりもマシな人生になるでしょうに。

「ふふっ、私が残ると言って驚いた?」
「ええ。それはもう……」

 泥船に残りたがるほどお義姉様が兄に愛情があったとは思えないもの。

「確かに実家に帰りたいけれど、父は頑固な面があるから出戻りを許してくれるかわからないわ」
「でもそれは我が家に非が……」
「それでもよ。父は考えが古いもの。何もせずに逃げ出したのかと責められそう」

 寂しそうな笑顔を浮かべてお茶を口に含むと美味しいわねと目尻を下げた。

「お義姉様……」
「イルーゼ様。私は帰るつもりはないの」
「ですが……」
「私にとって実家は息苦しい場所だったわ。父も兄たちも優秀なせいか間違いを許さない、そんな空気が強かったの。とても気を使ったし何度も潰れそうになったわ。あの人たちは自分たちが優秀なせいか出来ない者の気持ちがわからないのよね」

 それは我が家とはまた別の意味で居心地が悪そうに思えたわ。我が家はその対極とも言えるけれど。

「だから帰りたくない。出戻った私は失敗作として蔑まれるでしょうから」

 理不尽だと思うけれど貴族の家にはよくある話でもある。ギーゼン伯爵家でなくても出戻った女を夫に愛想を尽かされる出来損ないと見る風潮は今でも確かに残っているもの。でも、そうであるならば……

「お義姉様、一つ提案がございますの」
「提案?」
「ええ。お義姉様がこの家に残りながら兄を排除する方法です」

 父と兄二人ともと思ったけれど、そうなるとこの家を支える者がいなくなってしまう。だから兄よりも少しは道理を理解している父はこのまま残して、まずは兄だけを排除しようと私は考えていた。もしお義姉様が協力してくれればそれはより確実性が上がるわ。

「ふふっ、それは侯爵様のお考え?」
「そうでもありますが、私が望んだものでもあります。お義姉様のお手は煩わせませんわ。ですが、これからの我が家をお願いするのでご苦労をおかけするとは思いますが……」
「それは今よりも悪い状況になるってこと?」
「それもお義姉様次第ですわ。私だったら悪くない話だと思いますが……」

 私ならそうだとしてもお義姉様は良しとしないかもしれない。だからまずは話を聞いてみたかった。

「いいわ、話してくれる?」
「聞いたら後戻りできなくなるかもしれませんわよ?」
「まぁ、それを聞いたら益々聞きたくなったわ」

 そう言って笑ったお義姉様の表情は晴れやかなものに変わっていた。



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