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ヴォルフ様の訪問

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 父の身支度を終えた頃、ヴォルフ様が我が家にいらっしゃった。私はほぼ毎日ゾルガー邸に通っているけれど、ヴォルフ様が我が家に来るのは久しぶりだわ。父は引き籠ったせいで以前にもまして横幅が増え、日に当たらなかったせいか肌も白くなって不健康さに磨きがかかっていた。しかもヴォルフ様の訪問と聞いて顔色を悪くしたものだから一層不健康さが際立ったわ。

「ガウス伯爵、具合が悪かったのか?」

 応接室に入ったヴォルフ様の第一声は父の体調を気遣うものだった。これはヴォルフ様の癖のようなもので会った相手の様子を観察して、具合が悪そうに感じると直ぐに労わる言葉をかけるのだとか。

 ティオにヴォルフ様はお優しいですねと言ったら、旦那様は人の気持ちがわからないので、顔色が悪かったり表情に陰りを感じたりしたら気遣う言葉をかけるようにしているのだと教えてくれた。相手を気遣うというよりも、具合が悪いと交渉事でいい成果を得られないので、最初に確かめて具合が悪い場合は日を改めるのだと。

 ただ、表情も変えずに仰るものだから、言われた相手は自己管理が出来ていないと暗に責められていると感じるらしいわ。その後は指摘されないよう体調に気を付けるようになったのだとか。

「い、いえっ! 大丈夫です!」

 父は顔を引きつらせて声まで裏返っていた。そんなに怯えるなんで何か後ろ暗いことがあるのかと疑いたくなるわよ。そう言えばアルビーナ様から我が家のワインについて聞かれたのよね。父に聞いても何も言わないからヴォルフ様にお任せしたけれど、もしかして今日の訪問の目的はそれなのかしら。

 ヴォルフ様は二人掛けのソファに座り、その横に私を座らせた。父はそんな私に苦い表情を浮かべたけれど何も言わずに反対側に座った。

「そ、それで侯爵様、本日はどのようなご用件で……」

 バナンがお茶を淹れて下がると父がヴォルフ様に声をかけた。バナンの方が落ち着いていてよっぽど当主らしく見えるわ。

 太ったせいか以前よりも汗かきになった父はしきりにハンカチで顔を拭いていた。気が小さいにしてももう少ししゃきっとしてほしいわ。姉がフレディ様の婚約者になってから三年以上経っていて、その間付き合いもあったでしょうに。

「ガウス産のワインの件だ。最近流通が極端に減って王宮への納品も滞っている。こちらで調べたところ取り扱う商会が代わっていた。どういうことか説明して貰おうか」
「……は?」

 途端に目を丸くして口まで開いたまま固まってしまったわ。商会を代えていたのに気付かなかったの? 事業のことは何も言わないから知らなかったわ。まぁ、それを知っているのはこの屋敷の中でも父とバナンくらいでしょうけど。実務は領地の兄に任せているから兄が何かしたってこと?

「しょ、商会を変更など、私は許した覚えは……!」
「前の商会に確認を取っている。半年前に取引を終えたいと連絡があったと。急すぎて困ると半年かけて少しずつ量を減らしてくれるように頼み合意したが、三月前から殆ど納入されなくなっていると言っている。どういうことだ?」
「……」

 父は声も出せないほどに狼狽えていた。バナンに縋るような目を向けたけれどバナンは静かに首を左右に振った。父が知らないなら彼が知るわけないのに。

「伯爵が知らないということは息子の独断か?」
「……お、恐らくは……し、至急、呼び出しを……」
「こっちに来たら直ぐに息子を連れて来るように。このままでは共同事業も考え直さねばならない」
「か、かしこまりました」

 声を震わせて振り絞るように父が答えた。兄がこちらに来ると思うと気が重くなったわ。また嫌味を言われるのかしら。だったら近付かないのが一番よね。

「話は変わるが伯爵」
「は、はい?」
「子が出来たというのは本当か?」
「あ”……」

 ヴォルフ様の言葉に室内が凍り付いたわ。でもこの話はまだしていなかったわよ。どこで知って……ってご存じでも不思議はないわね。騎士団が見つけたのならヴォルフ様にも報告が行ってもおかしくないわ。我が家にはザーラたちもいるし……

「もし本当に貴殿の子ならイルーゼの弟妹、俺にとっては義弟妹になる。気にかけるのは当然だろう?」
「……」
「もしそうなら早急に保護するように。イルーゼが狙われているならその子も安全とは言い切れない」
「イ、イルーゼ、が……狙われ……?」
「俺の妻にと望む女もその親も多い。現に先日我が家に刺客が入り込んだ。油断しているとこの家にも侵入するぞ」
「ひっ……!!」

 喉の奥で悲鳴を上げた父は今にも倒れそうなほどに顔色が悪くなった。小心なのに危機意識が薄いんだから……どうしてこの家にザーラたちゾルガー家の護衛が入っているのか考えなかったのかしら?

「そこで相談だ」
「な、何でございましょう?」
「さすがにこれ以上ガウス家にうちの者を入れるわけにはいかないだろう。そこでイルーゼを我が家で保護したい。馬車での移動中が一番危険だからな。婚姻式まで残り僅かだ。この時期なら夫人教育のため婚家に入ることも少なくない。ちょうどいい頃合いだと思うのだが」
「そ、それは仰る通りに! 何でしたら今日からでも!」

 父が即答したわ。これ以上ヴォルフ様の機嫌を損ねたくなかったからだとは思うけれど、今日からって、犬や猫の子じゃないんだから……いえ、父にとっての私の存在ってその程度なのかもしれないけれど……

「さすがに今日一日で準備するのは無理があるだろう。十日後でどうか?」
「お、仰せの通りに! はい!」

 ダメだわ、父はすっかり気が動転しているわ。今なら爵位を渡せと言っても頷きそう。大丈夫かしら? ずっと早く家を出たいと思っていたけれどこんな様子じゃ不安になってくるわ。

「浮かない顔だな。如何した?」
「いえ……私がいなくなった後が心配で……」

 バナンたちは頑張ってくれているけれど私がいなくなったらどうなるのか。父は自業自得だと思えるけれど、使用人たちが心配だった。ロッテは連れていくけれどデリカやギード、エマを連れて行く予定はないからだ。彼らはここに残ってこの家の様子を知らせて貰うことになっていたから。

「いっそ縁を切った方がこの家にはいいかもしれんな」
「こ、侯爵様っ?!」
「伯爵、我が家との繋がりに胡坐をかき過ぎていないか? 人を頼らねば立てないような家と縁続きになる必要性を俺は感じない。今回の件、自力でどうにか出来ないのなら共同事業は解消する」
「こ、侯爵様っ……!!」
「次に会う時時は事態が収拾に向かっていることを望む」
「……!!」

 そう言うとヴォルフ様は席を立った。これで話は終わりだという意味だ。

「イルーゼはどうする? 俺は帰るが一緒に来るか?」

 父をどうにかしなきゃと思っていたけれど……これは手を貸すなという意味かしら? 父が聞き入れるかはわからないけれど何か手伝えることがあればと思っていたけれど……

「はい、同乗させて頂きます」

 ここは離れた方がいいのでしょうね。確かに父は姉とフレディ様の婚約が決まってからは事業や領地経営に興味を失って兄に任せるようになってしまった。それが今回の事態を引き起こしたとも言える。いくら任せたと言っても父が責任者なのには変わりない。任せきりにせずにちゃんと目を光らせておくべきだったのだから。




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