上 下
79 / 184

目覚めた父

しおりを挟む
 父が目覚めたのはその日の午後、夕方近くになってからだった。起きた途端に気分が悪いと言って嘔吐したため侍医が安静を命じて話を聞けなかった。頭を打った影響かもしれないと言われれば仕方がないわ。父と話が出来たのはその翌日だった。

「お父様、気分はいかがですか?」
「……イルーゼ、か……」

 私の名が直ぐに出てきたのなら記憶は大丈夫そうね。会話も出来ているわ。細かいことは侍医に確かめてもらうことになるけれど、あまり心配する必要はなさそうに見える。顔色が悪くて気分が悪そうなのは二日酔いだと侍医も言っているしこれは自業自得だわ。全くいい迷惑よね。

「イ、イルーゼ……み、見たのか?」

 視線を彷徨わせてそれだけを尋ねてきた。絵のことを言っているのね。私だって見たくて見たわけじゃないわよ。出来れば知らずに嫁ぎたかったわ。

「ご心配なく。誰にも言ったりしませんから」

 そう言うとあからさまに安どの表情を浮かべた。こんなこと人様に言えるわけないじゃないの。まぁ、ヴォルフ様や副団長様には見られたけれどそこは言う必要はないわよね。ザーラからも報告が上がっているでしょうし。私から言っていないから嘘は言っていないわよ。

「それでお父様、どうして怪我をされたのですか?」
「…………ない……」
「はい?」
「覚えていないと言ったのだ」
「はぁ?」

 尊大にそう答えられて思わず睨みつけてしまったわ。ヴォルフ様たちの手を煩わせたのに覚えていないですって? しかもその態度……! 周りに心配をかけたのだから少しは悪いと思ったらどうなのよ。

「なんだその眼は? 父が大怪我を負ったのに少しは心配したらどうだ?」

 大怪我って言うほどじゃなかったわよ。本気でそう思っているのだから質が悪いわ。

「そうですわね、大変な大怪我でしたわ。ヴォルフ様だけでなく騎士団の副団長様にまでご足労いただきましたものね」
「……な……!」

 思いっきり嫌味を利かせてそう言ってやったら顔を青くしたわ。当主が怪我をして倒れていたのだから当然でしょうに。全くどれだけ自分の立場に自覚がないのかしら? 

「本当に覚えていらっしゃらないのですか? 騎士団も動いて下さっていますのよ。ここで虚偽の申告をなさったらどうなるか、ご理解された上での発言ですわね?」
「……と、当然だろう! なぜ嘘を言う必要がある?」

 怪しいわ。こんな風に居丈高にものを言う時は疚しいことがある時なのよね。カリーナのことを聞いてみようかしら? でももし覚えていたら騎士団が来るまでに言い訳を考えるかもしれないわね。それはあまり喜ばしくないわ。

「わかりましたわ。先生も暫く安静にと仰っていますから無理はなさいませんよう」
「わかった。そう言えばカリーナはどうした? さっきから姿が見えんが」

 黙っていようと思ったけれど向こうから言って来たわね。そんな風に言うってことは彼女に襲われた自覚はないのかしら? 黙っていても彼女は父の専属、いないと言っても理由を聞かれれば答えないわけにはいかないわね。バナンもザーラもいるし、嘘を言えば二人なら気づいてくれるわよね。

「彼女でしたら、お父様が倒れたあの晩から行方がわかりませんわ」
「なんだって?! どうして彼女が……」
「知りたいのはこちらの方ですわ。あの晩、お父様に何があったか知っている可能性があるから話を聞きたいのにどこにもいないんですもの。バナンだけでなく侍女頭や同僚の侍女も何も聞いていないそうですし」
「カリーナが……」

 信じられないと言わんばかりの父の表情からは彼女への悪感情は見られないわね。本当に何もなかったってこと? それともお酒のせいで覚えていないだけ? 父のことだから無自覚に彼女を傷つけて恨まれていた可能性は……あるかもしれないけれど、この様子では何とも言えないわね。

「お父様、彼女と何かありましたの? 彼女の行き先について何か心当たりはありませんか?」

 知っているなら話してほしいわ。騎士団も探しているけれどまだ見つからないもの。

「な、何もない! わしは気分が悪い! 後にしろ!」

 ヴォルフ様のためにも少しでも何か聞き出したいと思ったのだけど、父はそう言うとシーツを被って背を向けてしまったわ。急にどうしたのかしら? 何か心当たりでもあった、のでしょうね。
 でもその後は何度話しかけても返事がなかった。バナンと顔を見合わせたけれど首を左右に振られてしまったわ。こうなっては意固地になって何も言わないってことね。あの絵のことも聞きたかったけれどこの様子では難しそうね。

「わかりましたわ。近々騎士が話を聞きに来られると思います。我が家のためにも捜査に協力をお願いしますわ」

 当てこすりになってしまったけれど少しは釘を刺しておく必要はあるわよね。既に騎士が捜査を始めて手がかかっているのよ。自分の気持ちだけで協力を拒むなんて当主として許されない。それを理解してくれるといいのだけど……
 部屋に戻ってからヴォルフ様に父が目覚めたこととその時の様子を報告したけれど、申し訳なくて頭が痛いわ。あの変わりようは何かあるのでしょうけれど、私たちが聞いても答えそうにないわ。ヴォルフ様と副団長様だったら話すかしら?

 翌日には騎士が話を聞きに父の元を訪れたけれど、その時には父は自室ではなく客間で対応していた。あの絵を人に見られたくなかったようね。私もあれ以降は部屋に入れて貰えず話も出来ていないもの。立ち合いたかったけれどそれは父に拒まれたわ。
 姉のことも聞きたいのに何かと理由を付けて父は私との接触を避けるからどうしようもなかった。部屋に行っても寝たふりをしているのか返事もしないのだから嫌になるわ。子どもじゃあるまいし。そう思うけれどこういう人なのよね。ため息しか出ないわ。

 三日経っても父と話出来なかった。カリーナの行方も未だにわからない。私にはこれ以上手の打ちようもないわね。父の記憶にも問題はなく、急に容体が悪化する可能性は低いと言われて侍医も帰ってしまったわ。
 結局姉のことも聞けずじまいだったけれど、よく考えたら父もあの手紙以上のことは知らないでしょうね。ヴォルフ様は姉に護衛という名の監視を付けていたからあちらの方が詳しいかもしれない。今度ゾルガー邸に行ったら聞いてみよう。



 ゾルガー家の夫人教育を再開出来たのは怪我を負ってから五日目のことだった。屋敷を訪れると直ぐにヴォルフ様に呼ばれたわ。父のことを直接お話したかったから有り難い。それ以上に今回もたくさん助けて頂いたもの、お礼も言いたいわ。
 執務室に向かうとヴォルフ様はソファに案内してくれて私の報告をじっと聞いてくれた。あまり実のある話がなかったのが申し訳ないわ。

「大したことはしていないから気にするな。伯爵のことも理解している。お前は十分にやった」
「……ありがとうございます」

 まさか褒められるとは思わなかったわ。実際今回は私は何もしていないもの。やったことと言えば使用人たちから聞いた話をまとめて報告したくらいで。

「姉のことは心配いらない。こちらで対処しよう。生まれた子供も無下には扱わない」
「大丈夫でしょうか?」
「ああ。赤子に罪はないからな」

 そんな風に言って下さるなんて、やっぱりヴォルフ様はお優しいと思うわ。私は厄介な子をどうすべきかと考えたけれど修道院に預けるくらいしか思いつかなかった。ヴォルフ様がそう仰るのならあの子にとって悪い話にはならないわよね。

「伯爵の怪我も騎士団と話をした上で酔った上での怪我として処理することになった」
「カリーナのことは……」
「可能性はあるが伯爵は覚えていないと言うし、侍女が伯爵を害する動機も現時点では使用人の間からも出て来ていない。怪我の程度も軽いし、伯爵と伯爵家の名誉のためにもその方がいいだろう」
「よろしいのですか?」
「何かあってもどうとでも対処出来る。心配するな」
「はい」

 それは有難いお申し出だったわ。対外的にも襲われたとなれば余計な憶測を呼んで面白おかしく噂されるわ。しかも今は姉の妊娠も判明したばかり。これ以上の醜聞は避けたいもの。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

えっ、これってバッドエンドですか!?

黄昏くれの
恋愛
ここはプラッツェン王立学園。 卒業パーティというめでたい日に突然王子による婚約破棄が宣言される。 あれ、なんだかこれ見覚えがあるような。もしかしてオレ、乙女ゲームの攻略対象の一人になってる!? しかし悪役令嬢も後ろで庇われている少女もなんだが様子がおかしくて・・・? よくある転生、婚約破棄モノ、単発です。

監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されたやり直し令嬢は立派な魔女を目指します!

古森きり
ファンタジー
幼くして隣国に嫁いだ侯爵令嬢、ディーヴィア・ルージェー。 24時間片時も一人きりにならない隣国の王家文化に疲れ果て、その挙句に「王家の財産を私情で使い果たした」と濡れ衣を賭けられ処刑されてしまった。 しかし処刑の直後、ディーヴィアにやり直す機会を与えるという魔女の声。 目を開けると隣国に嫁ぐ五年前――7歳の頃の姿に若返っていた。 あんな生活二度と嫌! 私は立派な魔女になります! カクヨム、小説家になろう、アルファポリス、ベリカフェに掲載しています。

魔力を封印された女の解呪はまぐわいでした※独身編※

Lynx🐈‍⬛
恋愛
村の外れにひっそりと住む女が居た。 彼女は両親も居らず、薬草を摘み、薬を作る薬師として、細々と暮らし、村や近隣の街に出向き、薬を売っていた。 名はリアナ。 リアナは不思議な女で、幼い時の記憶が無く、両親の顔さえも分からない。 ただ、名だけ覚えていて、住んでいる家も本当に自分の家かさえも分からないまま、身を潜めて暮らしていた。 それは、リアナの身体から僅かながら溢れる魔力をひた隠していなければならない、とリアナの本心が警告をしていたからだった。 この生活を10年続けた22歳の時、少しずつリアナを取り巻く環境が変わりつつあって−−− *Hシーンには♡が付きます *二部作です 独身編の後に新婚編があります *話の内容により、終盤にも新しいキャラも出て来る事になるので、独身編と新婚編に分けました

捨てられ令嬢の恋

白雪みなと
恋愛
「お前なんかいらない」と言われてしまった子爵令嬢のルーナ。途方に暮れていたところに、大嫌いな男爵家の嫡男であるグラスが声を掛けてきてーー。

ヒロインが迫ってくるのですが俺は悪役令嬢が好きなので迷惑です!

さらさ
恋愛
俺は妹が大好きだった小説の世界に転生したようだ。しかも、主人公の相手の王子とか・・・俺はそんな位置いらねー! 何故なら、俺は婚約破棄される悪役令嬢の子が本命だから! あ、でも、俺が婚約破棄するんじゃん! 俺は絶対にしないよ! だから、小説の中での主人公ちゃん、ごめんなさい。俺はあなたを好きになれません。 っていう王子様が主人公の甘々勘違い恋愛モノです。

水しか操れない無能と言われて虐げられてきた令嬢に転生していたようです。ところで皆さん。人体の殆どが水分から出来ているって知ってました?

ラララキヲ
ファンタジー
 わたくしは出来損ない。  誰もが5属性の魔力を持って生まれてくるこの世界で、水の魔力だけしか持っていなかった欠陥品。  それでも、そんなわたくしでも侯爵家の血と伯爵家の血を引いている『血だけは価値のある女』。  水の魔力しかないわたくしは皆から無能と呼ばれた。平民さえもわたくしの事を馬鹿にする。  そんなわたくしでも期待されている事がある。  それは『子を生むこと』。  血は良いのだから次はまともな者が生まれてくるだろう、と期待されている。わたくしにはそれしか価値がないから……  政略結婚で決められた婚約者。  そんな婚約者と親しくする御令嬢。二人が愛し合っているのならわたくしはむしろ邪魔だと思い、わたくしは父に相談した。  婚約者の為にもわたくしが身を引くべきではないかと……  しかし……──  そんなわたくしはある日突然……本当に突然、前世の記憶を思い出した。  前世の記憶、前世の知識……  わたくしの頭は霧が晴れたかのように世界が突然広がった……  水魔法しか使えない出来損ない……  でも水は使える……  水……水分……液体…………  あら? なんだかなんでもできる気がするわ……?  そしてわたくしは、前世の雑な知識でわたくしを虐げた人たちに仕返しを始める……──   【※女性蔑視な発言が多々出てきますので嫌な方は注意して下さい】 【※知識の無い者がフワッとした知識で書いてますので『これは違う!』が許せない人は読まない方が良いです】 【※ファンタジーに現実を引き合いに出してあれこれ考えてしまう人にも合わないと思います】 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるよ! ◇なろうにも上げてます。

あなたが幸せになれるなら婚約破棄を受け入れます

神村結美
恋愛
貴族の子息令嬢が通うエスポワール学園の入学式。 アイリス・コルベール公爵令嬢は、前世の記憶を思い出した。 そして、前世で大好きだった乙女ゲーム『マ・シェリ〜運命の出逢い〜』に登場する悪役令嬢に転生している事に気付く。 エスポワール学園の生徒会長であり、ヴィクトール国第一王子であるジェラルド・アルベール・ヴィクトールはアイリスの婚約者であり、『マ・シェリ』でのメイン攻略対象。 ゲームのシナリオでは、一年後、ジェラルドが卒業する日の夜会にて、婚約破棄を言い渡され、ジェラルドが心惹かれたヒロインであるアンナ・バジュー男爵令嬢を虐めた罪で国外追放されるーーそんな未来は嫌だっ! でも、愛するジェラルド様の幸せのためなら……

偽りの婚姻

迷い人
ファンタジー
ルーペンス国とその南国に位置する国々との長きに渡る戦争が終わりをつげ、終戦協定が結ばれた祝いの席。 終戦の祝賀会の場で『パーシヴァル・フォン・ヘルムート伯爵』は、10年前に結婚して以来1度も会話をしていない妻『シヴィル』を、祝賀会の会場で探していた。 夫が多大な功績をたてた場で、祝わぬ妻などいるはずがない。 パーシヴァルは妻を探す。 妻の実家から受けた援助を返済し、離婚を申し立てるために。 だが、妻と思っていた相手との間に、婚姻の事実はなかった。 婚姻の事実がないのなら、借金を返す相手がいないのなら、自由になればいいという者もいるが、パーシヴァルは妻と思っていた女性シヴィルを探しそして思いを伝えようとしたのだが……

処理中です...