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再確認?

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 ランベルツ侯爵家の夜会は思いがけない展開で幕を下りた。
 翌日、夫人教育は休みだと言われて自宅でロッテやザーラたちとのんびり過ごそうと思ったら、何故かマルガの毒物講座になっていたのには驚いたわ。マルガは薬に詳しいのだけどそれと同じくらいに毒にも詳しかった。前夜の夜会で毒虫が使われたので、ちょうどいいとその毒虫の死骸を使っての勉強会だったわ。

 使われた毒虫は小指ほどの長さとその半分ほどの細い体で足がたくさんあった。私、虫は大丈夫な方だと思っていたけれど、足が多いのはダメだってこの時気付いたわ。身近に虫以外に毒がある生き物は珍しくないと言われれば虫以外の生き物も苦手になりそうな予感。何を見ても毒があるかもしれないと疑ってしまいそう。

 それにしても……令嬢が毒虫を囲んで毒に関する説明を受けるのは普通のことなのかしら? 今までそんな話聞いたこともないわよ。でもマルガ曰く、ヴォルフ様の妻になれば命を狙われる可能性が高くなるから知っておいて損はないとのこと。ロッテはかなり引いていたけれど、ザーラはなるほど……と納得した様子で後学のためにと熱心にマルガの話を聞いていた。

 その毒虫は刺されたら腫れてかなり痛むらしい。解毒剤があれば一晩で済むけれど、ないと三日ほどは痛みで眠れないのだとか。しかも何匹も刺されたら死ぬこともあると言われてゾッとしたわ。

「あの時って……何匹もいたわよね?」
「はい、五匹確認しています」
「五匹……」

 それってリシェル様は私を殺す気だったってことよね。そこまで恨まれていたのだと一瞬息をするのも忘れたわ。危険な立場だと理解していると思っていたけれど、実際に狙われたらそれがただの思い込みだったと気付いた。今まで家族に冷遇されてはいたけれど命の危険を感じたことはなかった。これまでに経験したことのない恐怖は冷たく全身を覆った。

「リシェル様たちはどうなるのかしらね」

 リシェル様は近衛騎士に連れて行かれ、取り巻きたちもその後やって来た騎士たちに連れていかれた。人数にして二十人ほどかしら? その後どうなったのかはまだ何も聞いていない。

「取り調べが本格的になるのはこれらかですわ。いずれ旦那様が教えてくださるでしょう」
「それもそうね」

 確かに昨日の今日だもの、取り調べが始まったばかりよね。数日でどうにかなる話じゃない。詳細がわかればそのうちヴォルフ様が教えて下さるはず。

「ねぇ、マルガ。もっと色々教えてくれる?」

 これくらいで動揺していてはダメね。もっと知識を付けて自分を守れるようにしなきゃ。

「もちろんですわ、イルーゼ様」

 今日のマルガは普段の大人しい雰囲気とは一転し、よく話をして生き生きして見えたけれど、今までにない晴れやかな笑顔で協力を約束してくれた。



 翌日ゾルガー邸に着いた私を待っていたのはヴォルフ様だった。いつもの執務室に案内されてソファに座るように促された。直ぐにティオがお茶を淹れてくれて、テーブルには色とりどりのお菓子も並べられた。向かい側にヴォルフ様が座ったけれど、お菓子とヴォルフ様の構図は何とも言えないものだったわ。普段使いの衣装が暗い濃緑のせいか明るい色のお菓子が余計に際立った。

「婚約を白紙にするか?」

 色の対比に気を取られていた私に投げられた言葉に、一瞬何のことかと思ってしまった。婚約を白紙にするって……お菓子で上向きになっていた気分が一気に冷え込んだ。何か粗相をしたかしら? やっぱり姉の麻薬中毒は看過出来ないってこと? それは仕方がないと思っていたけれど、それを否定したのはヴォルフ様だったのに。なぜ今になって……

「死を身近に感じて怖かっただろう?」

 それは確かにあったわ。今まで嫌がらせは受けても死を意識することなんかなかったもの。

「俺の妻になれば死ぬまで狙われるかもしれない。今なら恐怖を理由にすればこちらの責で白紙に出来る」

 無表情のまま淡々と告げられた言葉。事実を告げているだけなのに感情が感じられないから酷く突き放されているような気がするけれどそれは事実じゃないと知っている。その証拠は目の前のお菓子たち。今なら白紙に出来るとヴォルフ様なりに気遣って下さっているのだ。もう式まで三月を切っているのに、そうなった時の慰謝料も求めないと。

「いいえ、大丈夫です」

 そんな風に言われたら断れないわ。情が移ってしまったのかしら。その目に熱なんか少しもないけれど、ヴォルフ様なりの気遣いを喜んでいる自分がいるわ。こんな風にして貰えるのは凄く心地が良くて泣きたくなる。両親からも気遣われたことがなかったからかもしれない。

「私ではゾルガー家の夫人が務まらないと仰るのなら辞退いたします。でも、そうでなければ私を妻にして下さい」

 必要として下さるのなら、ここにいてもいいと仰って下さるならここにいたいわ。

「務まらないということはない。子を産むのがお前の役目。それ以外は好きにすればいいと言ったのは俺だ」
「だったら、どうかこのままで」
「いいのか? 明日死ぬかもしれんぞ?」
「だったら尚のこと、後悔しない道を選んで死にたいです」

 仮に父の選んだ相手と結婚して長生きしても、それは私の欲しい未来じゃないわ。この家に、この人に嫁ぎたいと望んだのは私だもの。だったら明日死んでもきっと後悔なんかしない。その意を込めてじっとヴォルフ様の目を見た。何の感情も感じさせないけれど、我が国ではあまりよく思われない瞳の色だけど、凄く綺麗だと思う。

「わかった。だったら好きにしろ」
「ありがとうございます」

 ヴォルフ様の好きにしろは「勝手にしろ。だが俺は関与しない」じゃない。「私の望むようにしていい」という意味なのよ。そう教えてくれたのは長年この屋敷に勤めるティオとスージーだった。仮に私が今、とんでもなく豪華なドレスを注文してもヴォルフ様は何も言わないと教えてくれたわ。そんなことを言われたら増長しそうだと言ったら、そんな人には好きにしろとは仰いませんからと言われた。信用されていると思っていいのよね。

「これから出かける。昼には戻るからそれまでここで好きに過ごせばいい」
「ええ? よろしいのですか?」
「構わん。菓子が食べきれないならフレディを呼べ。あれは甘い物が好きだからな」
「ありがとうございます」

 そう言うとヴォルフ様はブレンを伴って出かけてしまったけど、当主がいないのにここで自由にと言われても困るわね。ティオも同じように感じたらしく、向かいの部屋に移動しましょうと提案してくれた。助かったわ、主がいない部屋でなんて寛げないもの。

「さすがに食べきれないわね」

 ティオと困惑しながらお菓子を眺めたけれど、それで量が減るはずもない。フレディ様を呼んでくれて午前の休憩の時間に来てくれたわ。

「これはまた……叔父上……」

 テーブルの上に並んだお菓子にフレディ様も目を丸くした後、呆れた様に小さく笑った。

「叔父上はイルーゼ嬢が心配だったようですね」
「そうでしょうか」
「はは。俺にだってこんなに菓子を用意してくれたことはありませんよ」
「まぁ、それはフレディ様がお菓子ばかり召し上がって食事をなさらなかったからですよ」
「スージー! そんな昔のことを言わないでくれよ」

 スージーの指摘にフレディ様が眉を下げた。ふふっ、フレディ様はスージーに頭が上がらないのね。でも食事が食べられないならお菓子を控えるのも仕方ないわ。何だか親子のような気安だわ。そう言えばフレディ様はお母様のことも覚えていないのよね。だったらスージーが母親代わりだったのかしら。仲がいいのは羨ましいわ。私は母も乳母も姉寄りだったから。



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