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灰銀猫

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王女の目的と結果

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 取り巻きがリシェル様を擁護する声が会場まで届いたのか、バルコニーの窓からは会場内の視線がこちらに向いているのが見えたわ。確かに今のヴォルフ様の態度は不敬ととられても仕方がないかもしれない。辺境伯に嫁ぐ前の今はまだ王族に籍を置いているのだから。

「フェルマー小伯爵、お静かに」
「で、ですがリシェル様」
「招待状も持たずに押しかけたのは私です。無礼は承知ですわ」

 ゆったりと話す様は気品があってフェルマー小伯爵は不満げな表情を浮かべながらもそれ以上は何も言わなかった。

「今日はこれをイルーゼ様にお渡ししたくて参りましたの。フィリーナ様のお忘れ物ですわ」
「姉の?」

 急に姉の名が出て驚く私をよそにリシェル様が取り出したのは手のひらほどの大きさの箱だった。忘れ物って何かしら。サロンで忘れていったもの? 本人は何も言っていなかったけれど……あの時は薬のせいでそれどころじゃなかったわね。

「ええ。以前サロンでお忘れになったものですわ。大切な物のようでしたので直接お渡ししたほうがいいかと思いまして」
「そうですか……ありがとうございます」

 わざわざこれを届けるために王女であるリシェル様がここまで? 不思議に思いながらも蓋を開けようとしたその時。蓋を叩き落とされた。

「……え?」

 何が起きたのかわからないままヴォルフ様を見上げると視線は床に向けられていた。表情が険しい。追った先には床を這う細長い生き物が見えて、次の瞬間それらはアベルの剣で貫かれた。数は……三つ……いえ、四つかしら?

「あの……」

 何が起きているのか理解が追い付かない。あれは姉の忘れ物ではなかったの?

「……虫だ」
「え?」

 ヴォルフ様の呟きは直ぐには頭に入ってこなかった。ドクムシって……

「触れただけでも皮膚がかぶれ、刺されると激しい痛みを伴い最悪死に至るものだ。暗殺者の中には好んで使う者もいる」
「暗殺……?」

 突然降って湧いた恐怖に思考が止まった。あれは姉の忘れものじゃなかったの? それじゃ姉が私を?

「どういうことだ?」

 地の底を這うようなヴォルフ様の冷たく厳しい声と視線はリシェル様に向けられていた。向けられた本人は数歩下がったところで酷く戸惑いの色を浮かべていた。

「そ、そんな……違うわ! 中に入れたのはブローチです! 虫なんて知らないわ!」

 悲鳴のような声を上げる姿はリシェル様にとっても想定外だったと物語っていた。でもブローチなどどこにも見当たらない。どういうこと?

「話は後で聞く。アベル、ザーラ、王女を拘束しろ。マルガは毒虫の回収を」
「「「はっ」」」

 ヴォルフ様の命令に三人は直ぐに動いた。アベルとザーラはリシェル様の腕を掴んだけれど、リシェル様は呆然としているのか抵抗しなかった。マルガは屈んで床で絶命している虫を細い何かで挟んで箱に入れ始めた。

「ランベルツ侯爵、王女を騎士に渡すまで部屋に軟禁する。部屋の用意を頼む」
「わ、わかった。直ぐに用意しよう」

 ランベルツ侯爵が従えてきた使用人に話しかけるのが見えた。直ぐに使用人が二人飛び出していった。

「ヴォルフ様、違いますわ! 信じて下さい! 私が渡そうと思ったのは本当にブローチで……」

 ようやく我に返ったリシェル様が焦りを露わにしてヴォルフ様に向かって無実を訴えた。その様子は嘘をついているようには見えないわ。でも毒虫を持ち込んだのはリシェル様なのよ。

「仮にそうだとしても箱に入っていたのは人を殺せる毒虫だ。しかも五匹となれば冗談で済む話ではない。今日のことは箝口令を敷くから大人しくしろ。否やというのであれば国王代行権を行使するしかなくなる」
「こ、国王代行権……」
「代行権だと?」

 その言葉にリシェル様だけでなくその場にいた皆が息を呑んだ。国王代行権とは王太子殿下と五侯爵家の当主だけが持つもので、当主の判断で国王並みの力を行使出来るものだと言われているわ。それを覆せるのは国王陛下と王太子殿下、他の五侯爵家の七人の内四人が反対した場合のみ。有事でもない限り発動されるなんて滅多にないことでここ暫くは聞いたこともない。

「お、横暴ですぞ、ゾルガー侯爵!!」

 立っていられなくなったのかその場に崩れ落ちそうになったリシェル様を支えたのはレナーテ様だった。その隣にはフェルマー小伯爵がヴォルフ様に厳しい視線を向けていた。

「フェルマー小伯爵、控えろ!」

 叱咤したのはランベルツ侯爵だった。

「ランベルツ侯爵、しかし……!」
「ゾルガー侯爵が国王代行権を行使するほどのことだと判断したのだ。その意味を理解していないのか?」

 ランベルツ侯爵が厳しい口調でフェルマー小伯爵を窘めた。

「で、ですが……」
「これ以上言うなら、私も五侯爵家の当主として君を拘束せねばならない」
「その通りだね」
「……っ!」

 ランベルツ侯爵に続いたのは新たに現れたのはエルマ様のお父様のベルトラム侯爵だった。ゾルガー侯爵が国王代行権を行使した場合、他の四侯爵家は自身の立場を明確にするのが我が国の決まり。つまりランベルツ、ベルトラムの二家はヴォルフ様に付くと表明したも同じ。

「王と王太子は王女に対し、俺に近付くなと命じている」

 ヴォルフ様の言葉にフェルマー小伯爵以外の取り巻きたちが短い悲鳴を上げた。それはつまり陛下も王太子殿下もヴォルフ様側にいると言うこと。これで七者中四者がヴォルフ様側になったわ。ミュンターやアルトナーが異を唱えても覆すことは難しいわね。

「リシェル様、どうかお静かに。代行権を使われれば御身は嫌疑が晴れるまで罪人扱いになります。私としてはそれは避けたい。手荒な真似をしないよう私がお守りします。ご自身の潔白を主張されるのであれば尚のこと今は大人しく従って下さい」

 年長者らしい落ち着きのある声でリシェル様に声をかけたのはベルトラム侯爵だった。穏健派でリシェル様の祖母である王太后様の甥であり、国王陛下のいとこに当たられる侯爵は五侯爵当主の中でも最もリシェル様に近しい方でもある。その方に言われてはリシェル様も抵抗しなかった。ベルトラム侯爵と駆けつけたランベルツ家の騎士らと共にリシェル様が会場を後にした。

 程なくして近衛騎士がやって来てリシェル様は彼らに守られながら王宮へと戻った。さすがに夜会を続ける雰囲気ではなくなってしまったため、そのままお開きになってしまった。せっかくのランベルツ侯爵の誕生を祝う夜会なのに台無しにしてしまったわ。私のせいではないにしても申し訳ない気持ちになった。

「イルーゼのせいではない。気にするな」
「はい……」

 そうは言われても気になってしまうわ。馬車の中はヴォルフ様と二人きりでヴォフル様も目を閉じて黙り込んでしまわれた。馬車の外の夜闇を眺めながら、あったことを整理してみた。

 リシェル様の様子では何も知らなかったように見えた。演技をしているとは思えなかったし、わざわざ人目の多い夜会で自分が不利になるような騒ぎを起こすとは思えない。そこまで愚かな人ではない筈よ。

 だったらブローチが入った箱を誰かが毒虫を入れたそれと入れ替えたってことになるわ。そうなると標的は私よね。虫の数が多かったのは確実に殺すためか、周りの人を巻き添えにするためだったのか。ヴォルフ様は暗殺者がよく使うと仰っていたから、仕掛けたのはその道の人ってこと? だったらこれが最後とは限らないわね。

 それとも……これはあまり可能性が高くないけれど、犯人の狙いはリシェル様を陥れること、もないとは言い切れないわよね。それなら夜会で騒ぎを起こすのも納得だもの。人の目が多ければ多いほどいいわね。

 犯人の狙いは私なのかリシェル様なのか……もしかして両方もありかしら? わからないわ……

「心配するな。お前の守りは固めてある」

 黙り込んでしまったのはショックを受けているせいだと思われたのかしら。確かにショックだったけれどまだ実感がないのか恐怖は感じていない。今感じているのは何もわからないのが一番恐ろしいということだった。




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