あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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気が進まない報告

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 両親の願いも虚しく姉から薬物中毒の症状が出てしまった。外に行こうと騒ぐたびに医師を呼んで薬で落ち着かせているけれど、薬が切れると暴言を吐いたり泣き出したりで酷く不安定だった。元から気に入らないと大声を出していたけれど、泣くことはなかったからそれが異質に見える。麻薬なんて我が家には無関係だと思っていただけにショックだった。

「どうしたらいいんだ……」

 娘が麻薬中毒だと知れたら醜聞もいいところだ。父は青い顔で執務室の中を歩き回るばかりだし、母は自室に籠って泣き続けているという。医師は薬への依存は軽くはないが酷くもないので、時間をかけれ治まるだろうと言った。一度麻薬の味を知ると再び手を出す可能性が高いから目が離せない、出来れば領地で見張りをつけて暮らした方がいいとも。
 こうなってはハリマン様との結婚は難しいと思うのだけど、父はどうするとも言わずに頭を抱えているだけだった。私はそんな父を眺めながら急速に心が冷えていくのを感じた。ヴォルフ様との婚約が絶望的になったからだ。

「どうにも、ならないわね……」

 いくら考えても我が家有責での婚約解消の未来しか見えなかった。今姉を領地に隔離すれば世間には病気として隠し切れるかもしれない。それでもヴォルフ様に隠し切れるとは思えなかった。黙っていてもすぐに知られてしまうだろう。もしかしたらもう知られているかもしれない……そう思った私はヴォルフ様に正直に打ち明けることにした。誠意を示すためにも向こうから言われる前に言うべきよね。もしかしたら姉を治す方法もご存じかもしれないし。



 一晩寝ずに考えたけれど、答えは変わらなかった。話さずにやり過ごせないかと思ったけれど、それは酷く不誠実でヴォルフ様への裏切りに思えたから。話してしまえば終わりだとわかっても、それ以上に軽蔑に満ちた目で見られる方が耐えられそうになかった。

 いつも通りのゾルガー邸への道のりも、今日はこれまでになく重苦しい気分だった。屋敷に着くと出迎えてくれたアベルにヴォルフ様との面会をお願いした。胸と目の奥が痛んだけれど強く目を瞑ってそれをやり過ごした。

 いつ呼ばれるかとの緊張感で夫人教育は殆ど頭に残らなかった。待つ時間は途方もなく長いようで短く、キリキリと胃が痛んだ。この授業も今日が最後かと思うとどうしようもない虚しさと情けなさで泣きたくなったけれど、奥歯を噛みしめてそれに耐えた。

 呼ばれたのは午前中の授業が終わる少し前だった。待つ苦しさに精神が限界だったけれど、これから起きることへの不安に変わっただけで苦しいことに変わりがなかった。お怒りになるだろうか。好きにしてもいいと言って下さったのに、こんな結果になったことが情けなく申し訳なく、いっそ逃げ出してしまいたくなる衝動に必死に耐えた。

「それで話とは?」

 執務室に入るといつも通りのヴォルフ様だった。変わってしまった自分との落差に胸が軋んだけれど、話さないわけにはいかない。既にご存じかもしれないし、それなら私が何を言いたいか既に察していらっしゃるかもしれないもの。

「実は……」

 半ば自棄気味で姉のことを話した。リシェル様のお茶会に行ってから様子がおかしくなったこと、ハリマン様とは破局して今はクラウス様と懇意らしいこと、最近帰りが遅く昨夜は酔って帰ったこと、朝目が覚めると騒いで大変だったこと、医師に診せたら薬物を常用されていると言われたことなどを。泣きそうになるから感情を殺してただ事実だけを並べた。

「そうか」

 帰ってきた言葉はそれだけだった。きっと呆れられているだろうし、婚約の白紙も含めて今後のことをお考えだろう。慰謝料はどれくらいになるかしら。高価なドレスなども頂いたから相当な額になる……払えなければ爵位も領地も手放すことも考えなきゃいけない。

「申し訳ございませんでした。こうなったのも姉を諫めず好きにさせていた私たちの責任です。婚約のことも含めて今後のことはヴォルフ様にお任せします」

 そう言って深く頭を下げた。残念とか悲しいとか情けないとか、色んな感情が入り乱れて身体の奥からせり上がって来る。ここで泣く権利なんて私にはない。組んだ手に爪を立てて泣きそうになる自分を叱咤した。ようやく姉と両親から離れられると思ったのに、その機会が今目の前で消えつつある。自業自得なら納得も出来るのに……でも、このまま婚約を続けてもヴォルフ様に何の利もない。私の納得など必要ないのだと自分に言い聞かせた。

「いい医者を知っている。明日にでも向かわせる」
「い、医師を?」
「薬物に詳しい医者だ。両親には領地へ送る準備をするように言え。その後のことは医師の見立てを聞いてから決める。今日はもういい。帰って父親に伝えろ」
「あ、ありがとうございます」

 怒鳴られるのも覚悟していたけれど、ヴォルフ様の様子に変わりはなかった。きっとご存じだったのでしょうね。だったら私から話をしてよかったのよね。まさか医師を紹介して下さるとは思わなかったけれど。それはゾルガー家のためかもしれないけれど、両親も頼りにならないだけに何かをして下さることが無性に嬉しかった。




 家に帰ると姉が暴れているのか屋敷の中はざわついていた。侍医が滞在してくださっているのが有難い。父に話があると家令のバナンに声をかけた。

「お嬢様……旦那様は部屋に籠られていらっしゃいまして……」
「まさか出てこないと?」
「……はい」

 何をやっているのよ! 怒りが一気に湧いてきたわ。そもそも父が姉を野放しにして来たからこうなっているのに! 聞けば母は母で未だに部屋に籠って泣いているのだとか。鬱陶しいからそっちには近づきたくないわ。私が母の愚痴を聞くなんて冗談じゃないもの。

「お父様の部屋に行くわ」
「……お嬢様、こんなことを申し上げるのは差し出がましいですが、どうかよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げられたけれど、父を諫めるのは乳兄弟のバナンの役目でもあった筈よ。どうして私がと思わなくもないけれど、動かなきゃ何も始まらないわ。全くどうして私がこんなことをしなきゃいけないのかしら……!

「お父様、イルーゼです」

 部屋の前には侍女が立っていた。父の様子を見張っているのかしら。扉を叩いたけれど返事がない。繰り返しても室内からは物音ひとつしなかった。

「バナン、本当にお父様は中に?」
「そのはずでございます」

 バナンが侍女に目配せすると頷いたので扉からは出ていないってことよね。

「お父様、入りますわよ! よろしいですね?!」

 ここで騒いでも何も進まないわ。断りはいれたからいいわよね。バナンに視線を向けると頷いて扉を開けた。室内はカーテンも開けていないのか薄暗く、そして臭かった。

「この臭い……」

 濃いアルコール臭に父の様子が手に取るように分かった。そうかもしれないと思っていたけれど、酒に逃げたのね。案の定居間のソファでだらしなく寝ている父の姿があった。テーブルの上には空になった酒瓶が何本かと、中途半端に残った瓶が残っていた。グラスは床に転がり、中に入っていた酒も零れたままになっていた。全く、家長のくせに酒に逃げるなんて信じられないわ。

「お父様!! 目を覚まして下さいまし!!」

 近くまで歩み寄って声をかけたけれど、父は酔っているせいか目を覚まさなかった。いびきをかいているから生きてはいるのよね。何度呼び掛けても目を覚ます気配がない。時間が勿体ないわね。

「バナン、バケツに水を入れて持って来て!」

 頼むと侍女がすぐさまバケツに水を並々と注いで持ってきた。私はそれを手に取ると、思いっきり父に中身をぶちまけた。




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