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訪問

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 それから三日後、私はロッテと共に家紋のない馬車に揺られていた。この訪問を家族に知られたくなかったのよ。手持ちのドレスの中でも一番品がよくて落ち着いて見えるものを選んだ。この体型のせいで身持ちが悪いように見られてしまうのが悔しいわね。好きでこうなったわけじゃないのに。

「お嬢様、本当に向かわれるのですか?」

 さすがのロッテも不安そうに両手を握っている。彼女には私の計画を話してあるから不安なのね。気持ちはわかるわ。私もそうだもの。

「行くわ。もう決めたの。これ以上お姉様やハリマン様にいいようにされたくないもの」
「でも、このことが旦那様に知れたら……」

 珍しく不安そうな目を向けてくるロッテに私の心も揺れてしまうわ。

「大丈夫よ。もし知られたとしても叱られるだけよ。私だって大事な政略の駒なんだから」
「ですが……」
「このままでいるよりもずっと家のためになるはずだもの。きっと大丈夫よ」

 笑みを向けても戸惑いが伝わってきた。確かに無謀かもしれないわね。これから会う方が私の提案に乗ってくれるかはわからないし、逆に怒りを買う可能性もある。それでもこのままなんて嫌なのよ。現状をひっくり返すだけの力があって、私が会いに行ける最上位の相手がこれから訪ねる方。上手くいかなかったら潔く諦めるわ。

 目的の場所は高い塀に囲まれ、歴史を感じさせる重厚な屋敷が建っていた。我が家の倍以上はあるかしら。屋敷というよりも城といった方がいいかもしれない。小国なら王宮でも十分に通じそうよ。それだけで緊張感が増すわ。

「お待ちしておりました。家令のティオと申します」

 出迎えてくれたのは茶と白が半々の髪を持つ壮年の男性だった。温和そう似見えるけれど姿勢がよくて凛としているわ。さすがこの家を任されるだけあるわね。

「ガウス伯爵家のイルーゼです。訪問を受け入れて下さった閣下に感謝いたします」

 姿勢を正して出来るだけ丁寧に礼をした。少しのミスも許されないのよ。

「こちらこそお待たせして申し訳ございませんでした。さ、どうぞこちらへ」

 彼に案内されて屋敷に足を踏み入れると言い知れぬ圧を感じた。細部まで掃除が行き届いていて、それだけでこの屋敷がいかに統制が取れているかを教えてくれるわ。

「申し訳ございません、旦那様は大変忙しいお方です。執務室に案内するように仰せつかっております。どうかご容赦ください」
「いえ、お会い下さるだけで十分です」

 前を歩くティオはそう言うけれど少しも申し訳なさそうに見えない。私などに応接室を使う価値はないということね。仕方がないわ、私は何の力もない小娘だもの。それでも時間を取って下さっただけでもましね、断られるかと思っていたから。
 それほどの方と交渉だなんて今になって怖くなってきた……歩きながら色んな感情が渦巻いて息苦しくなってくる。今から会う相手への緊張、上手く話が出来るだろうかとの恐怖、失敗したら後がないとの焦燥。他にも姉やハリマン様、両親たちへの怒りや悔しさ、失望や虚しさなどが次々湧き上がってきた。ああ、お陰で強気になれたかもしれない。ここまで来たらやるべきことをやるだけよ。

「こちらになります。旦那様、私です。ガウス伯爵令嬢をお連れしました」

 ティオがノックしてそう告げると、中から低く入れと言う声が聞こえた。騎士がドアを開けてくれて、ティオに続いて室内に足を踏み入れた。緊張し過ぎて足がもつれそう。ここで転ぶわけにはいかないわ、私の人生がかかっているのだから。前で組んでいる手が汗をかいているのに気付いた。自分の弱さを握りつぶすように手に力を込めた。

 執務室は深緑を基調とした重厚な色合いで統一されていた。全てが重々しくて豪奢でそれだけで威圧されてしまいそう。部屋の左側には厳めしい大きな執務机があり、その上にはたくさんの書類が載っていた。
 そしてその先には、これまでに会った誰よりも存在感のある人物が書類に視線を向けていた。ただそれだけなのに見上げるような感覚を覚える。大柄ではあるけれどお座りになっているし、私もそれなりに背があるから私の目線の方が上なのに。気弱な令嬢だったら震え上がって倒れてしまうかもしれないわね。自分は気が強い方だと思っていたけれど、それでも逃げ出したくなるもの。

「閣下、この度はお時間を取って頂きありがとうございます」

 執務机の前まで進み声が震えないようにお腹に力を込めて礼を述べると、ようやく視線をこちらに向けた。ゾルガー侯爵ウォルフ様。我が国の筆頭侯爵家の当主で貴族を取りまとめる方。国王陛下ですらその動向を常に気にかけ、決して粗雑には扱わない。他国からは裏の国王とも言われると聞くわ。
 こんなに近くでお会いしたのは初めてね。これまでも遠くから拝見したことはあったけれど、甥の婚約者の妹などでは近付くのも難しい方。姉がよく恐ろしいと零していた通り、眼光が険しくて眉間の皴も深く睨まれているよう。ううん、きっと内心では仕事の邪魔をしたとご不快に思われているのかもしれない。侯爵は大変お忙しい方で夜会なども王家のものでないと出ないと言われているもの。広大な侯爵領、貴族家の取りまとめに王家への対応。それだけのことをお一人でこなされているのだから当然ね。

「このような場で失礼する。ガウス伯爵令嬢。何用だ?」

 少しも悪いとは思われていない態度だけど気にしてもしょうがない。他の方も同じような態度かもしれないし。意を決して胸を張った。

「既にご存じかもしれませんが、両親とシリングス公爵が婚約者の交換を願っております。ゾルガー侯爵令息には私を、シリングス公爵令息には姉をと」

 早口にならないよう、いつもよりもゆっくり話すように心がけた。それでも気持ちが急いてしまって段々早くなってしまったけれど。

「ああ、そのことか」

 興味なさそうな声が返ってきた。驚かないなら既にご存じだったのね。父たちが既に打診したのかしら。三日もあれば手紙くらいは送れるわよね。

「それで?」
「フレディ様の婚約者になれることは光栄なことです。ですが私はそれを望んでおりません」

 書類を持つ手が止まった。どうやら私の言葉が意外だったらしい。国内一の侯爵家の嫡男を望まないなんて普通ならあり得ないわよね。

「ほう。ではシリングスの息子を望むか?」

 書類を机に置くと、身体と視線をこちらに向けた。鮮やかな新緑を思わせる瞳が私を捕らえる。猟師に狙いを定められた兎はこんな気分なのかしら。その視線の強さに一歩下がりたくなるのを何とか踏みとどまる。

「シリングス公爵令息に何ら思い入れはありません。彼は……最初から姉を想っていましたから」

 微かに眉を顰めたけれど、何も仰らなかった。何となく話を続けろと言われている様に思うけれどいいのかしら? でもせっかくの機会だもの、言いたいことは言った方がいいわね。

「姉とシリングス公爵令息が婚約することに何も思うところはありませんし、想い合っているのならそれに越したことはないと思っています」

 侯爵様の表情は変わらない。ただじっと観察するように私を見てくるだけ。

「何を望む?」

 驚いたわ、その言葉を下さるなんて。私の話に乗って下さるのかしら? だったら遠慮しなくてもいいわよね。

「私を、侯爵様の妻にして下さい」






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