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閑話:専属侍女の憂い◆

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「どうしよう、ロッテ。もしかして考えが甘かったかしら?」

 ソファでクッションを抱きしめながら不安を漏らしたイルーゼお嬢様。その様子は年相応の愛らしいご令嬢だった。例え男性の視線を集める女性らしいお身体とつり目で大人っぽい顔立ちだったとしても。ご両親や兄姉様方から身持ちが悪い女に見えるから地味にしろ、目立つなと言われていようとも、実際は卒業前の未成年。しかも他のご令嬢方よりもずっと純で初心でいらっしゃる。それだけにフィリーネお嬢様に余計に腹が立った。

 フィリーネお嬢様は性格が悪い。それもかなり。儚げな外見も言動も全ては計算して作り上げたものだ。貴族の令嬢としてはそれくらい出来なくてどうするかと思わなくもないけれど、実の妹の婚約者に手を出す節操のなさと腐った倫理観はどうかと思う。あの女のせいで私の大切なイルーゼお嬢様が必要以上に貶められているのも許し難い。

 私がこの屋敷に奉公に上がったのは四年前。実家の男爵家が破産し、貴族として生きていけなくなったから。その時に伝手で紹介されたのがこのガウス伯爵家だった。社交界で評判のフィリーネお嬢様の家だと喜んだけれど、それが幻想だと気付くのに一日もかからなかった。

 年が近いとフィリーネお嬢様の侍女になったけれど、一日で交代させられたからだ。

 専属侍女になって直ぐに交代させられるのは大変不名誉なことだ。何か大きな失敗をして外されるのなら納得も出来るけれど、フィリーネお嬢様は私の表情が変わらず気持ち悪いと、たったそれだけのことだった。
 確かに私は子供の頃から表情が変わらなかった。それでも両親はそれも個性だし、愛敬を振りまくばかりなのも問題だと言って、私は私なりにやればいいのだと言ってくれた。
 そんな両親の気持ちが嬉しくて、私だって笑顔の練習を鏡の前でやった時期もある。でも、無理に笑おうとすると緊張してしまって益々怖い顔になってしまうのだ。あの時は凄くショックだった。その時のことを再び思い出して無表情で悲しんでいる私に気付いてくれたのは、まだ十四歳のイルーゼ様だった。

「無理に笑う必要なんかないわ。私はロッテの凛とした表情、好きよ」

 そう言って私の侍女にして欲しいと旦那様に掛け合って下さったイルーゼ様。その時から私はイルーゼ様をお守りしようと心に誓った。雇い主は旦那様だけど、私の真心を捧げるのはイルーゼ様お一人だ。

 そんなイルーゼ様は、成長すると女性らしくお育ちになった。今の社交界は何故かフィリーネお嬢様のような子どもっぽく見える女性が持て囃されている。男性もそうだ。人気の俳優が女性的な男性のせいか、シリングス公爵令息のような男性が人気で、それに準ずるかのように女性も可愛らしさが重視された。それが加速して今では幼女のような可憐さが受けている。はっきり言って気持ち悪い。男性の自信のなさの表れだという人もいるが、全くその通りだと思う。

 そんなフィリーネお嬢様は正に春を謳歌している。化粧で今人気の顔を作り、男性に受ける子どもっぽい仕草も研究し尽くしているから、見た目だけなら十五、六くらいに見えるだろうか。あれで本当に十九かと疑いたくなるほどだ。
でも、もし見た目通りの内面なら妹の婚約者を誘惑なんかしないし、イルーゼ様が直ぐに睨んでくるから怖いなどと社交界で吹聴しない。怖いのはお前の本性だ! 何度そう叫びたくなったことか……!

「ねぇ、ロッテ。お姉様はハリマン様との婚約に頷くかしら?」

 奥噛みして怒りを押し殺していると、クッションを抱えたイルーゼ様にそう問われた。どう答えたらいいのかと迷ってしまう。あの女のことだ、そんなに単純にいくだろうかとの懸念が残る。

「……やっぱり、そうよね。簡単には行かないわよね……」

 私が答えられずにいると肯定と受け取られてしまった。でも、安易に大丈夫ですと申し上げられなかった。繰り返すがあの女だから。

「申し訳ございません。ですがフィリーネお嬢様ですので、私も楽観視は……」
「そうよね。ハリマン様よりもゾルガー様の方がずっと有益だもの」

 あの女の婚約者はゾルダー侯爵家の令息だ。年はイルーゼ様と同じであの女の一つ下。社交界にあまり出て来ず、ハリマン様のような美男子でもないしあの女を称賛もしない。それでも婚約を続けているのは、ゾルガー家の権力だ。

 ゾルガー侯爵家は我が国の筆頭侯爵家で、貴族の頂点に立つ家だ。豊潤な資産と王家をも動かす権力で、王家ですらその機嫌を常に気に掛ける。王を支えるとともに諫言する立場でもあり、百年ほど前には王を挿げ替えたこともある。

 一方のシリングス公爵家は実はあまり力がない。我が国では公爵家がむやみに増えるのを防ぐため公爵位は臣籍降下した王子が一代限りで名乗るのみ。その子の代には侯爵家、孫の代以降は伯爵家に落ちる。代々続く産業や交易で財を積み増す侯爵家に対し、王子の個人資産と王家からの下賜金を元に家を興す公爵家は、よほどの才覚がないと落ちぶれる一方なのだ。

「ベルツ伯爵夫人とレデナー伯爵夫人を巻き込んだけど、足りなかったかしら」
「普通はそれで十分でございますよ。ですが……」
「そうね。あのお二人はお母様と親しいし、お姉様が泣きつけば丸め込もうとなさるかもしれないわね……」

 クッションを抱きしめる力が増し、淡い眉が歪む。普通ならあれで十分だけど、この家ではあの女の言うことが優先されてしまう。それにこのことが広がればあの女の瑕疵となり、それは旦那様も望まれないだろう。

「ああ、もっと慎重に見極めるべきだったわ。卒業が近いからと焦ってしまったわね」

 はぁとため息をつく姿も色っぽく見える。あの女なんかよりもずっと艶っぽいと言うのに、イルーゼ様の魅力に気付いてくれる殿方はいないのか。私が男だったら絶対に焦がれただろうに。男爵家では手が届かないけれど。

「いやだわ、このままハリマン様と結婚だなんて。あの二人のことよ。知られた上咎められないとわかったら、結婚後も関係を続けそうだわ」

 悲しいことに否定出来なかった。あの女ならやるだろう。さすがに一線は越えないだろうがそれでも互いを高め合うことは出来るし、人目を忍ぶことで余計に燃え上がりそうだ。

「お姉様なら……私に会いに来たと言って逢瀬を続けそうよね」

 世間もそうだと思うだろう。社交界では心優しい姉と気難しい妹と言われているのだ。腹立たしいことに。ぶん殴ってやりたいことに。

「お姉様は絶対に私よりも格下に嫁ぐなんて拒否するでしょうし……」
「それは間違いないと思います」

 あの野心の塊のような女だ。あの手この手でお嬢様の邪魔をするのは目に見えていた。

「いっそゾルガー様から婚約を破棄して下さらないかしら。そうしたらお姉様はハリマン様を選ぶのに」
「でも、それではイルーゼ様の婚約が……イルーゼ様には何の瑕疵もありませんのに」

 そう、イルーゼ様には何の瑕疵もない。本当にない。これまであの二人にも旦那様にも苦言を呈していたのだ。やるべきことは既にやっている。

「ハリマン様とお姉様に侮られて一生を終えるなんてごめんよ。それくらいなら年が離れていようが見た目が美しくなかろうが、真っ当な思考の方の方がずっといいわ」

 見た目のせいで妖艶だの男好きだのと言われているイルーゼ様。でも外見に反して貞操観念は固く初心で潔癖ですらある。そして貴族としての誇りを大切にしているのだ。これは亡くなられたお祖母様の影響らしいけれど、奥様やフィリーネお嬢様には受け継がれなかった。残念過ぎる。

「イルーゼ様、何があっても私はイルーゼ様の味方です」

 そう言うと目を大きく見開いてから、ありがとうと目尻を下げた。こうしてみると年相応の愛らしさが際立つ。一介の侍女には旦那様やあの女を諫めることができない。何の力もないことがもどかしい。何が起きても私だけはイルーゼ様をお支えする。その決意をもう一度胸に刻み込んだ。



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