ファーストフラッシュ

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第三章 捨てる、捨てない

3-8

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 ゴールデンウイークの話題がテレビで出始める頃、賃貸冊子をテーブルに置いた。
 これが最後の日になるかもしれないと指先が冷たくなるようだった。

 前日に朝日堂で買ったクッキー。
 ケースケさんの休みに合わせてお休みを貰った。
 この冊子を出す直前にオレは、洗濯機を回し始めて、味付けした肉を冷蔵庫に入れた。
 やり途中をその場にたくさん置いておけば、今日すぐに出ていかなくても済むと思った。

「なんかいいとこあった?」
 冊子をパラパラ捲りケースケさんが言う。
 どこにもいいところなんてない。だって探してもいない。
 だから何処を捲ろうとも折り目なんかつけてはいない。
「特に……」
 探したけどなかったんです、暗に誤魔化した。
「まぁ急ぐことはねーよ。一人暮らしするなら買うモノもあるしそれも調べないといけないからな」
 ケースケさんはすぐにでも追い出そうとはしないようだった。
 でも未来に出ていくことは確定している。
「あの、まだここに居てもいいですか」
「いいよ」
 絞り出した言葉は軽く受け入れられた。
「ずっと見つからなかったらどうしよう」
 どうしよう、じゃない。
 探してもいないのにどうしようなんかじゃない。
「見つかるまでいればいいじゃん」
 何に問題があるのかと不思議がるようにケースケさんは言ってくれる。
「でもそしたら」
 どこにも行かなかったら、一人暮らしは始まらない。
 一人暮らしをして、自立して、大人になりたい。
「いつまで――、」
 いつまでいてもいい?
 でも離れたくない。
 オレはずっとケースケさんを忘れないけど、ケースケさんはきっと俺のことなんかすぐに忘れる。
 だけどそれはオレの一方的な願い。
 オレを忘れてほしくないっていう一方的な願いで、ケースケさんには関係のないこと。
「ここ取り壊されるって言っただろ? 明確な日取はまだ通達来てないけど、何年も先じゃないからなぁ。それまでに新しいとこ探さないと」
 ついて行けたらいいのに。

 うまいなぁとケースケさんは店長が作ったクッキーを食べる。
 店長が作る美味しいクッキー。
 オレには作れない、ケースケさんが好きな甘い物。
「ここ出て行くとしたら、ケースケさんは、」
 酸素が薄いみたいに、息が続かない。
「引っ越し手伝うから安心しろよ。ああ、休みの日に合わせてくれるとありがたいけど」
 オレが進めるようにしてくれる優しいケースケさん。
「オレが、出ていかないって言ったら、どうしますか」
「構わないけど。さっきも言ったじゃん。見つからないならそれはそれでここにいたらいい」
「見つからないじゃなくて、出ていきたくないって言ったら?」
 見つからなかった、仕方なかったという理由じゃなくて、オレが、自主的に嫌だと言ったら。
「ここでいいなら居ればいいよ」
 言わなかったっけ? とケースケさんは忘れた記憶を思い出すように言った。
「いいの?」
 ここにいたい。
「いいよ」
 ケースケさんと同じ家に住んでいたい。
「でも、一人暮らししないと。自立しないといけないから」
「んん、自立? もう仕事もしてるし十分だろ」
 でも、と言いかけてやめる。
 依子さんの代わりに少しだけ入っているバイト。
 押しかけた1年はしっかりやるつもりだけれど、それで生活していけるとは思わない。
 そう否定してしまえば、せっかくのチャンスが失われる気がした。
「お前は家のこともしてるし、働いてるし、ちゃんとやれてるよ」
 ケースケさんは優しくそう言ってくれる。
「オレ、なにしたらいい?」
 何をしたらオレはケースケさんに必要とされる?
「何って、えーと、何?」
 今は特に買い物頼むものも無いしなぁとケースケさんは身近なものに意識をやる。
 黙ってケースケさんを見るオレに、ああ、と何か気付いたようだった。
「またお前は遠慮してるのか。言っただろ、好きなことしろって」
 毎月渡すお給料を、毎月ケースケさんは要らないという。
 毎日作るごはんを毎度ケースケさんは美味しいという。
 遠慮してくれているのはケースケさんじゃないのかな。
「お前ひとり分くらいどうにかするから、安心しろよ」
 言ってから耳を赤くしたケースケさんに、その真意を理解できずにいた。
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