33 / 52
第三章 捨てる、捨てない
3-6
しおりを挟む
ケースケさんが買ってくれたコートを着る日は少なくなった。
それでもしまうにはまだ早い。
去年は暖かくなったと思ったら寒くなったから、まだ出しておけと言われた。
オレの誕生日は過ぎ、19歳になった。
去年はこの季節にケースケさんに初めて会ったのだと、ずいぶん昔のことのように思い出される。
去年から変わらない部屋は同じように暖かく、同じように日差しを取り込んでいる。
朝日堂で働き始めてから、ケースケさんがオレにスマホをくれた。
連絡が取れたほうが良いだろうと与えられたそれで、オレはこっそりケースケさんの写真を撮った。
ケースケさんのシフトは分かっていて、ケースケさんがオレのことを分かっている必要は無くて、入れてもらった連絡先が押されることは無かった。
使わない電話番号をオレは何度も口に出して覚えた。
この番号さえ覚えておけば、まだケースケさんに繋がっていられると信じた。
ネットに繋がるようになって、色んなレシピを調べられるようになった。
材料3つだけと書かれたお菓子のレシピ。
これなら作れるだろうかと目を通す。
お金がかかってしまうのは嫌だから、道具を新しく買いたくは無い。
ケーキ型もクッキー型も絞り袋も使わないのがいい。
家にあるものだけでどうか。
レシピを見て材料と過程と道具を見る。
これは作れないと消していくたびに、それだったらオレなんかが作るよりもやっぱり店長の作ったものを買ってきた方が良いという結論になってしまう。
店長はお店をやっているプロで、オレはそうじゃない。
オレがケースケさんにレベルを下げたものでさえやってあげたいと思うのは自分勝手な考えだ。
「雪、おーい」
「はい」
「なんかあった? 怖い顔してるけど」
ケースケさんが喜ぶことを探したい。
けど見つからない。
「何もないです」
何も見つからない。
「なぁ、ケーキ屋、どう?」
曖昧な聞き方。
「きついとかだったら、無理しないでやめろよ?」
「大丈夫です」
「お前は大丈夫しか言わねーけど、無理して倒れたら元も子もないからな」
倒れてしまったらケースケさんに迷惑がかかる。
店長にも依子さんにも迷惑がかかる。
「大丈夫です」
オレは病気にかかったことがない。
だから大丈夫。
店長は良い人だし、仕事は大変じゃない。
それに依子さんが色んな話をしてくれて面白い。
「雪、しんどいって言ってみて」
「え?」
「しんどい、辛い、無理って言ってみて」
何故そんなことを言わせるのかわからないけれど、ケースケさんに言われた通り、言葉を口にする。
「しんどい。辛い。無理」
ケースケさんは眉を少し上げて、そうそうと頷いた。
「なんかあったらちゃんと言えな」
まるで練習。
きっとオレはそれを口に出さなくてもやっていける。
こうしてこの人がオレを見ててくれるから。
それでもしまうにはまだ早い。
去年は暖かくなったと思ったら寒くなったから、まだ出しておけと言われた。
オレの誕生日は過ぎ、19歳になった。
去年はこの季節にケースケさんに初めて会ったのだと、ずいぶん昔のことのように思い出される。
去年から変わらない部屋は同じように暖かく、同じように日差しを取り込んでいる。
朝日堂で働き始めてから、ケースケさんがオレにスマホをくれた。
連絡が取れたほうが良いだろうと与えられたそれで、オレはこっそりケースケさんの写真を撮った。
ケースケさんのシフトは分かっていて、ケースケさんがオレのことを分かっている必要は無くて、入れてもらった連絡先が押されることは無かった。
使わない電話番号をオレは何度も口に出して覚えた。
この番号さえ覚えておけば、まだケースケさんに繋がっていられると信じた。
ネットに繋がるようになって、色んなレシピを調べられるようになった。
材料3つだけと書かれたお菓子のレシピ。
これなら作れるだろうかと目を通す。
お金がかかってしまうのは嫌だから、道具を新しく買いたくは無い。
ケーキ型もクッキー型も絞り袋も使わないのがいい。
家にあるものだけでどうか。
レシピを見て材料と過程と道具を見る。
これは作れないと消していくたびに、それだったらオレなんかが作るよりもやっぱり店長の作ったものを買ってきた方が良いという結論になってしまう。
店長はお店をやっているプロで、オレはそうじゃない。
オレがケースケさんにレベルを下げたものでさえやってあげたいと思うのは自分勝手な考えだ。
「雪、おーい」
「はい」
「なんかあった? 怖い顔してるけど」
ケースケさんが喜ぶことを探したい。
けど見つからない。
「何もないです」
何も見つからない。
「なぁ、ケーキ屋、どう?」
曖昧な聞き方。
「きついとかだったら、無理しないでやめろよ?」
「大丈夫です」
「お前は大丈夫しか言わねーけど、無理して倒れたら元も子もないからな」
倒れてしまったらケースケさんに迷惑がかかる。
店長にも依子さんにも迷惑がかかる。
「大丈夫です」
オレは病気にかかったことがない。
だから大丈夫。
店長は良い人だし、仕事は大変じゃない。
それに依子さんが色んな話をしてくれて面白い。
「雪、しんどいって言ってみて」
「え?」
「しんどい、辛い、無理って言ってみて」
何故そんなことを言わせるのかわからないけれど、ケースケさんに言われた通り、言葉を口にする。
「しんどい。辛い。無理」
ケースケさんは眉を少し上げて、そうそうと頷いた。
「なんかあったらちゃんと言えな」
まるで練習。
きっとオレはそれを口に出さなくてもやっていける。
こうしてこの人がオレを見ててくれるから。
1
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる