ファーストフラッシュ

紺色橙

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第一章 3か月

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 要らない・何でもいいという回答は想定済みで、服の黒か白かを選ばせる。
 靴を履かせどっちが楽かを決めさせる。
 買うことは決定なのだと繰り返し選択肢を狭めた。
 
 出かける時は俺の服を着させたが、それをそのまま使っていいと言っても着ないだろう。
 だから俺より小さく細いその体専用のものを買った。
 それならお前だけのものだと示すことができると思った。

「あーさみぃ」
 ナンバリングされた古い団地の古い建物は、断熱なんてものは無いのかもしれない。
 暖房のついていない部屋は外と全く同じ室温だ。
 桜の開花報告が出回る中で、再び雪が降るかもしれないと天気予報は言っていた。
「寒い外から帰ってきても寒いってのがなー」
 買ってきた袋をポイポイと部屋に放りガスファンヒーターをつける。
 部屋が温まるのを待ち、コートを着たまま買ってきたものを片付ける。
 パチパチと鋏でタグを切らせ、飯を冷蔵庫に入れた。
 
 さぁ寝るぞという段階になって、布団を買い忘れたことに気が付いた。
「悪い。忘れてた。布団はまた今度な。次の休みが明後日あったはずだから――」
 服を買ったのだからこいつが一人で買いに行くこともできるだろうが。
「要らないです。毛布もお借りしてますし」
「要らないつっても、今までみたいにここに二人だと狭いだろ」
「オレは床で寝ます」
 2つある部屋は両方とも畳の部屋だがそれにしたって。
 この数日はきちんとベッドで寝ていただろう、と思ってふと、いつも自分が起きた時には既にこいつが起きていたことに思い至った。
 俺は昼にバイトが入っていなければ昼過ぎに起きることが殆どだし、こいつが先に起きていることに何ら不自然さはなかったが、もしかして、ベッドにいなかったのか?
「入れ」
 近くに垂れ下がるその手を引けば見た目よりも細く、冷たかった。
 明らかに肉の無い骸骨そのもののようで、自分が何に触れたのかも危うくなる。
 落ちそうなほどベッドの隅にある体を中央まで引き寄せ毛布で包み、その上に更にしっかりと自分の布団をかけた。


 起きればやはりこいつは俺より先に起きていた。
 ちゃんと布団に入っていたのかも分からない。
「冷蔵庫に入ってる弁当温めて食えよ。暖房付けていくけど、寒かったら寝る時に使ってる毛布かぶっとけ」
「はい」
 これを食えと指定しておけばちゃんと食っている。
 でもいない間に暖房がつけられているのかはわからない。
 光熱費のかからない毛布なら、たぶん使うだろう。




***



 次の休みの日、嵩張る布団セットを抱えて歩く。
 ホームセンターが近くにあって良かった、天気が良くてよかったと抱える腕を変えつつ思った。
 替えのシーツはあいつに持たせた。
 自分のものだから持てと布団を押し付けようかとも思ったが、帰りが遅くなりそうでやめた。
 気温は14度。
 快晴。
 それなりの重さを抱えて歩けば少し汗ばんだ。

 こいつのために買ったものがもう一つある。
「お前いつも家で何もしてねーけど、今までは何して過ごしてたんだよ。趣味とか、なんか」
 こいつはスマホの一つも持っていなかったし、あの鞄の中身は空のまま。
 買い物行くなら持って行けとあの札束を机に置いているけれどそれが使われた形跡もない。
「絵を描いてました」
「絵? ならなんか買ってくか」
「要らないです。そんな、ちゃんと描いてたものじゃなくて」
「絵具とか色鉛筆? 油絵? 何使ってたんだよ」
「……鉛筆」
 ゲームをするでもなく外で走り回るでもなく、ただ静かに蹲って絵を描いている様が想像できた。
 家にあって使ってもいい数少ないものだったのだろうか。
 布団を買いに行く前に100円ショップに行き、鉛筆とスケッチブックを買った。
 大量に買ったわけじゃない。
 それでもひたすら恐縮する姿に、やはり哀れみを覚えた。

 その夜布団に入るまで、あいつはずっと絵を描いていた。
 俺はテレビを見ながらそれを横目に映すだけ。
 細い手首がこまめに動く。
 着ているのは先日買ったもの。
 手にした鉛筆は4本100円。
 敷かれた布団に入るとき、あいつはまた「すみません」と口にした。
 なぜあんなにも謝るのだろう。
 確かにこの家は俺の家だが、金は支払われているし迷惑もかけられていない。
 迷惑どころか、その存在がいるのかいないのかも怪しいほどなのに。
 ひたすら動く鉛筆、あまり使われない消しゴム。
 もう少し買ってやればよかったかと、閉じる瞼の裏で思った。
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