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「最近すっかり暑くなりましたね」
温かな食事と、気まずさのせいで体温が上がっている。
彼と初めに会ったのはまだ春だった。それから三か月は経つ。店内の空調はきいているけれど、夏真っ盛りのように冷やされているわけでもない。バロウの長袖シャツは捲られ、肘から手先までが見えている。時計やアクセサリーはしていない。
「暑いのは、どうですか」
「好きそうに見えますか」
「見えません」
彼は、僕の返事にわかっていたことだと笑う。
「でも僕はいつも店内にいるので、あんまり季節は関係ないんですよね。バロウさんの方が辛いんじゃないですか?」
「暑すぎると困りますね。でも季節としては好きですよ。海には行ってみたいとずっと昔から思っているんです。でも……多分おれ泳げないので」
「波打ち際で遊ぶのもいいと思いますよ」
多分ということは、泳いだことがないのだろう。僕だって海に行ったのなんか、記憶にないほど子供の頃だけだ。しかしそんな僕はまだしも、彼は海が似合いそうだ。
「獣人の方は体がしっかりしてますよね。だから薄着になってもかっこいいでしょうね」
言ってから、そんなことばかり考えているのかと思われやしないかと口を閉じた。
シャツから出た彼の腕は僕と比べて健康的で、それを目にしているからそんなことを言ってしまったのだ。僕がいつも、そんな、魅力的な体の人を見つめたり妄想しているわけではない……ない。
不躾ついでに気になることがある。彼はよく笑うしよく食べるけれど、どうにも口元を隠す癖があるように思う。彼は何を気にしているんだろうか。隣に並び歩いた時、僕の頭は彼の肩ほどにしか届かない。だから見上げる形になるのだけど、その時は隠す素振りなんてなかった。あの時、口元に不自然さは見当たらなかった気がする。
「獣人の方って辛い物とか苦手そうだなって勝手に思ってました」
香辛料のかかった肉は、お子様には食べさせられない程度には辛い。
「おれはこの程度なら平気ですね。もちろん辛いのが苦手って人もいると思いますよ」
僕もこれは美味しい範囲内だと思う。でもこれが物足りない人用に、鉄板の端にはおまけの香辛料が添えられていた。この店は、こういう万人受けするラインが上手なんだろう。
「今日はお休みですよね? わざわざこっちまで来ていただいて」
「そうです。いつもならこの時間は店にいますね。バロウさんは仕事終わりですよね? 獣人の方って早寝早起きだったりしますか?」
「おれは結構すぐ寝ます。朝も、そうですね。早いかな。目覚ましが鳴る前には起きられますよ」
「僕とは生活リズムが真逆ですね」
そんなに時間が経っていないことは分かっていたが、腕時計を見る。半個室のここでは、他の客の動きも分からないから時間の経過が分かりにくいかもしれない。魔力が足りない者でも使えるように開発されたライトは一定の光を放ち、空間を安定させている。オレンジ色の穏やかな光の下、酒でも入れば、異空間のように時間を忘れそうだ。でも僕は酒を飲んでおらず、時間感覚も狂っていない。やはり一時間も経過していなかった。
「お休みの時って何されてますか」
「家にいます。外に出る元気が無いので」
「散歩とかもせず?」
「買い物はしますよ。家の中ではちゃんと生きてます。洗濯したり、掃除したり。バロウさんはお出かけが多いですか?」
「そうですね……買い物ついでに散歩はしてると思います」
「やっぱり体動かすのが好きなんですね」
「おれは家でのんびりしてるのも好きですよ」
――そう返されて、ようやく気が付いた。僕が気付かずしていたことを、彼は直接ではなく指摘してくれたのだ。
「……ごめんなさい」
僕はずっと目の前の彼を『獣人』という属性でしか見ていなかった。バロウ・ストーンという個人として彼はずっと答えてくれていたのに。
謝る以外何が出来ようか。
「あの、前言撤回させてください」
「はぁ。何を」
「友達になりましょうってやつです」
「あー……はい」
「おれ、ソーマさんのこと好きになります。そういう目で、あなたを見ることを許してください」
「は?」
この流れでそうはならないだろう。僕は彼を、あなたを、全く見ていなかったというのに、どうしたら僕のことを好きになってもらえるだろうか。おかげでめちゃくちゃアホみたいな声が出てしまった。
顔を上げれば目の前の人は口角を上げて優しく、聖母のように優しく微笑んでいるものだから、開いた口が塞がらない。
「本当に申し訳ないと思ってます」
「冗談じゃないですよ。一つ言えるとしたら、ソーマさんがそうやって気付いて謝ってくれるような人だからです」
知っているか? ゴメンナサイと口から出すだけのことに、金も労力も掛からないんだ。そんな少ない文字数で今までやってきたことは撤回されないし変わらない。あなたが散々に決めつけられて、あなたという個人を無視されてきたことへの謝罪なんて、どうしたって足りないんだ。
「こういう店ならソーマさんも他人の目を気にせず話せるようですし、似たようなところ探しておきますね」
「あの、だからそれも、申し訳ない」
獣人と一緒にいる自分が他人からどう見られるのか。それを気にしていたことが、彼にばれている。
「大丈夫です。大体の人がそうでしたから」
「だからって」
「獣人に好かれるのは困りますか?」
「――っ」
ここで困ると言ってしまえば、それは本当に差別になるだろう。にこやかな彼は絶対にそれを分かっている。この18歳、可愛いペットと自分は同じようなものだと言いやがったくせに恐ろしい。
でも、困らないのだ。
好きですと言われたわけではないのに、可能性を示唆されただけで、ほだされてしまった。結婚相談所で同性愛者だと告白した意図通り、おそらく僕は、恋をする。
温かな食事と、気まずさのせいで体温が上がっている。
彼と初めに会ったのはまだ春だった。それから三か月は経つ。店内の空調はきいているけれど、夏真っ盛りのように冷やされているわけでもない。バロウの長袖シャツは捲られ、肘から手先までが見えている。時計やアクセサリーはしていない。
「暑いのは、どうですか」
「好きそうに見えますか」
「見えません」
彼は、僕の返事にわかっていたことだと笑う。
「でも僕はいつも店内にいるので、あんまり季節は関係ないんですよね。バロウさんの方が辛いんじゃないですか?」
「暑すぎると困りますね。でも季節としては好きですよ。海には行ってみたいとずっと昔から思っているんです。でも……多分おれ泳げないので」
「波打ち際で遊ぶのもいいと思いますよ」
多分ということは、泳いだことがないのだろう。僕だって海に行ったのなんか、記憶にないほど子供の頃だけだ。しかしそんな僕はまだしも、彼は海が似合いそうだ。
「獣人の方は体がしっかりしてますよね。だから薄着になってもかっこいいでしょうね」
言ってから、そんなことばかり考えているのかと思われやしないかと口を閉じた。
シャツから出た彼の腕は僕と比べて健康的で、それを目にしているからそんなことを言ってしまったのだ。僕がいつも、そんな、魅力的な体の人を見つめたり妄想しているわけではない……ない。
不躾ついでに気になることがある。彼はよく笑うしよく食べるけれど、どうにも口元を隠す癖があるように思う。彼は何を気にしているんだろうか。隣に並び歩いた時、僕の頭は彼の肩ほどにしか届かない。だから見上げる形になるのだけど、その時は隠す素振りなんてなかった。あの時、口元に不自然さは見当たらなかった気がする。
「獣人の方って辛い物とか苦手そうだなって勝手に思ってました」
香辛料のかかった肉は、お子様には食べさせられない程度には辛い。
「おれはこの程度なら平気ですね。もちろん辛いのが苦手って人もいると思いますよ」
僕もこれは美味しい範囲内だと思う。でもこれが物足りない人用に、鉄板の端にはおまけの香辛料が添えられていた。この店は、こういう万人受けするラインが上手なんだろう。
「今日はお休みですよね? わざわざこっちまで来ていただいて」
「そうです。いつもならこの時間は店にいますね。バロウさんは仕事終わりですよね? 獣人の方って早寝早起きだったりしますか?」
「おれは結構すぐ寝ます。朝も、そうですね。早いかな。目覚ましが鳴る前には起きられますよ」
「僕とは生活リズムが真逆ですね」
そんなに時間が経っていないことは分かっていたが、腕時計を見る。半個室のここでは、他の客の動きも分からないから時間の経過が分かりにくいかもしれない。魔力が足りない者でも使えるように開発されたライトは一定の光を放ち、空間を安定させている。オレンジ色の穏やかな光の下、酒でも入れば、異空間のように時間を忘れそうだ。でも僕は酒を飲んでおらず、時間感覚も狂っていない。やはり一時間も経過していなかった。
「お休みの時って何されてますか」
「家にいます。外に出る元気が無いので」
「散歩とかもせず?」
「買い物はしますよ。家の中ではちゃんと生きてます。洗濯したり、掃除したり。バロウさんはお出かけが多いですか?」
「そうですね……買い物ついでに散歩はしてると思います」
「やっぱり体動かすのが好きなんですね」
「おれは家でのんびりしてるのも好きですよ」
――そう返されて、ようやく気が付いた。僕が気付かずしていたことを、彼は直接ではなく指摘してくれたのだ。
「……ごめんなさい」
僕はずっと目の前の彼を『獣人』という属性でしか見ていなかった。バロウ・ストーンという個人として彼はずっと答えてくれていたのに。
謝る以外何が出来ようか。
「あの、前言撤回させてください」
「はぁ。何を」
「友達になりましょうってやつです」
「あー……はい」
「おれ、ソーマさんのこと好きになります。そういう目で、あなたを見ることを許してください」
「は?」
この流れでそうはならないだろう。僕は彼を、あなたを、全く見ていなかったというのに、どうしたら僕のことを好きになってもらえるだろうか。おかげでめちゃくちゃアホみたいな声が出てしまった。
顔を上げれば目の前の人は口角を上げて優しく、聖母のように優しく微笑んでいるものだから、開いた口が塞がらない。
「本当に申し訳ないと思ってます」
「冗談じゃないですよ。一つ言えるとしたら、ソーマさんがそうやって気付いて謝ってくれるような人だからです」
知っているか? ゴメンナサイと口から出すだけのことに、金も労力も掛からないんだ。そんな少ない文字数で今までやってきたことは撤回されないし変わらない。あなたが散々に決めつけられて、あなたという個人を無視されてきたことへの謝罪なんて、どうしたって足りないんだ。
「こういう店ならソーマさんも他人の目を気にせず話せるようですし、似たようなところ探しておきますね」
「あの、だからそれも、申し訳ない」
獣人と一緒にいる自分が他人からどう見られるのか。それを気にしていたことが、彼にばれている。
「大丈夫です。大体の人がそうでしたから」
「だからって」
「獣人に好かれるのは困りますか?」
「――っ」
ここで困ると言ってしまえば、それは本当に差別になるだろう。にこやかな彼は絶対にそれを分かっている。この18歳、可愛いペットと自分は同じようなものだと言いやがったくせに恐ろしい。
でも、困らないのだ。
好きですと言われたわけではないのに、可能性を示唆されただけで、ほだされてしまった。結婚相談所で同性愛者だと告白した意図通り、おそらく僕は、恋をする。
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