僕しかいない。

紺色橙

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8 きれいなもの

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-8- ムラサキ

 ひんやりとした澄んだ空気。ほのかに漂う金木犀の香り。入り込む街灯の明かり。
 灰色の頭に光が透けて紫味を帯びている。
 チカチカ音がしていた。彼のヘッドホンから漏れている音。パソコンも小さく唸りを上げ美しい風景を写し、電源ボタンの赤い光が壁に映る。
 綺麗だ、と思った。
 夜の光で紫に見える髪色も、黒く艷やかなヘッドホンも、パーカーに入った黄緑のラインも、閉じられた瞼の皮膚の薄さも、冷たい空気と柔らかな匂いの中の静けさも、音をなぞるかさついた何も発さない唇も、――綺麗だと思った。



 窓は閉じられている。
 あの一瞬の夢のように綺麗な薄明かりと同じ冷たい空気は流れ込んでいない。
 もしかしたら本当に夢だったのかも知れない。
 遮光カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいた。
 家主は床で毛布に包まっている。
 椅子に自分のジャケットを、パソコンデスクの上にはスマホを見つけ、ゆっくりと立ち上がる。要らないかと思いつつも床の主に借りていた布団をそっとかけた。
 時刻は6時47分。
 スマホにくっつくほど近くに置かれている満ちたコップに手を伸ばす。これはきっと彼が用意してくれた水だ。見苦しく酔った僕に彼は何度も水を勧めてくれたから。言われるままにちゃんと水は飲んだと思うけど、ここにいつ連れてきてもらったのかもわからない。

 昨晩は随分飲んでしまった。
 トークアプリで努さんに挨拶をし、心配の返信と昨晩の意識を擦り合わせる。徹夜したという努さんに聞くところによると結構飲んでしまったが吐くようなことにはなっていないようだ。うざく絡むなんてこともしていないらしい。現状迷惑はかけているけども。

 猫のように丸まっている彼を見下ろし、夜中の風景を思い出す。
 窓際の紫に見えた髪色は綺麗な灰色のまま。つけていたヘッドホンはデスク上に雑に置かれており、パソコンはスクリーンセーバーも動かず黒い画面を映している。
 床に寝るのは体が痛くなりそうだ。けど眠っている彼を起こすのはどうだろう。いつ眠ったのかもわからない彼は、朝にあまり強くないと話していた。

 友人の家にお邪魔することは時々ある。けれどここまで酔っ払って迷惑をかけ世話になったことは記憶の限りは、無い。
 奪ってしまったベッド。枕元の下に主張するように置いてある空のゴミ箱や、わざわざしまっていたのを出してきたのだろう彼の使っている毛布、僕に用意された水。
 すごく親切にされてしまった。
 二度しか会っていない僕を努さんに押し付けることもできたし捨て置くこともできただろう。
 けどそうはされなかった。

 送りつけていた些細なメッセージはちゃんと彼との間を繋いでくれていたようで、昨晩の藍染さんの態度は喫茶店で話していたときより随分柔らかくなっていた。
 視線を合わせるのが得意ではないのだろうと、最初から正面に座らなかったのも当たったと思う。

 髪色にこだわりがあるし似合う服を着ているからファッションならと思ったが、ブランドにはこだわりが無いようでそういった話題には乗ってこなかった。そもそもそっちにとても興味があるのなら努さんと積極的に話していたか。
 可愛いや面白いも一瞬にして消費されるもので長期的には役立たず、料理なんてもってのほか。
 そんな中、反応を示してくれたのがゲームだった。
 僕にはさっぱりわからないゲームを、どうやら彼はいくつかやっているらしかった。タイトルをコピーして動画を探し見たりもしたが、プレイヤーが一体何処を見て何をしているのかもわからない。
 わからないのなら、と昨晩はそれを使うことにした。
 幸いうちにはゲーム機がある。性能の良い後続機が出たからと誕生日プレゼント名目で友達がくれた中古品。あの時一緒にやろうと設定をしてもらったし、ソフトもいくつか貰ったが、僕ではなく友人が遊ぶために使われている。極稀にだが使われているから壊れてはいないはずだ。
 家への誘いは遠回しに断られてしまったが、絶対に嫌、という態度ではなかった。
 彼がそのように僕に対し優しさを見せてくれたことが嬉しかった。
 努さんがモデルの話を出した時に、チラとこちらを気にして見てくれたのも。

 彼を起こすわけでもなくぼんやりとベッドにあぐらをかく。
 目に入る物から彼のことを知ろうとする。
 直接見えるキッチン、敷物のないフローリング、シングルベッド。テーブルもないから人を招く予定はないのだろう。
 棚に並ぶファイルの中身を示す蛍光色のシール、グラデーションに並べられたペン、角の丸い銀色の目覚まし時計。どれもが少し特徴的な面を持っていた。
 モニターの奥のラックでは、黒目しか無い典型的な宇宙人の人形がブリキの機関車で運ばれていた。牛を抱いて、何故か花かんむりをつけている。
 こっちを見る黒い目は家主の代わりに僕を窺っているようだった。

「おはようございます」
 ふと視線を感じた。彼はまどろみの中じっと僕を見ている。
「あー、おはよ」
 かすれた声。毛布と布団が肩から落ちる。
「色々とご迷惑をおかけしまして……」
「別に」
 つ、と視線が僕から部屋の中へと移ると、ぐるり見渡し水を捉える。
「水飲んだんだな」
 それから彼はゆっくりと体勢を変えると、これまた猫のようにぐーっと伸びをした。
 彼も昨晩着替えなかったらしい、見覚えのある服を着ていた。 

 視線の移動を見て、僕が起きた時点で彼のことを起こしたほうが良かったかも知れないと思った。
 彼はきっとあまり『自分』を見られることを良しとしていない。
 パーソナルスペースが狭い人と広い人、入られる境界を明確に引いている人がいる。
 おそらく、彼はそうだ。
 だけど親切心でもって僕の迷惑は通ってしまった。僕が先に起きて彼の意識しないところで彼の範囲内を活動することはあまり良くなかったと思う。
 あくまでも勝手な想像上の話だけども。

「炭酸飲む?」
 いつ目覚めたのかとは問われなかった。
 彼はゆっくりと起き上がると自分にかかっていた布団と毛布を見やりベッドに投げ、キッチンに向かった。それについていく。
「お店で出してくれたやつですか?」
 使われていないキッチン。
「そう」
 彼が好きだと言っていた、喫茶店で出された強い炭酸。
「別に無理にとは言わねぇよ」
 そんなに顔に悩んでいるのが出ていただろうか。
 彼は笑った。
 目を合わせず少し下を向いて、歯を見せて、彼は笑った。
 喫茶店に居るときも見た。これはきっと彼の癖だ。
「少しだけください」
「少しな」
「少し」
 オウム返しのやり取りと、激しくパチパチ主張する泡。
「目が覚めるだろ」
 静かに閉じられる冷蔵庫。あくびをしながら彼は言う。
 僕は一気に、氷で薄まっていないそれを飲む。
 今度は僕を見て彼が笑った。
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