明日の朝を待っている

紺色橙

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13 幕開け

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 この集中力が他に回ればいいのになぁと、リョウさんのダンスを見ながら思う。あと一回と思っていたはずの動画再生は一回では終わるはずもなく、自分の好きな動きが予想通りの時間に予想通り行われるのをつぶさに見つめる。
 彼の踊りに熱狂していると、頭が空っぽになる気がする。余計なものはなく、虫眼鏡で光を集めるように一点集中。大学で授業を受けている時や電車で家に帰る時、スーパーで買い物をしている時なんかよりももっと世界が鮮明になる。リョウさんの輪郭が露わになって、音が雨粒のように跳ねて広がる。そんなものにどっぷり浸かっていれば、時間の概念がなくなってしまうのは仕方がないことだ。

 そうしていつも以上に頭をリョウさんでいっぱいにして布団に入り、朝を迎える。


 世の中はいつの間にか正月を迎え、近場の実家に半日だけ顔を出した。ちょうど姉が旦那さんと来ていたものだから、家のことを少し話もした。今のところ離婚予定はないようで、リョウさんを迎えるのに問題は無い。彼から返事は無いけれど、練習場として活用してもらえたら嬉しいと未だに考えている。

 久しぶりに会った祖母は明るい黄色のカーディガンに花柄のスカートをはいていて、年を感じさせなかった。それでも立ち上がるのは時間がかかり、ダイニングのテーブルに向かい合って長いこと話をした。ダイニングテーブルは立ち上がる時に手をつき体を支えられるからソファにいるよりも楽だという。
 昔からおれの話し相手はもっぱら祖母だった。反抗期の相手さえも、親ではなかったような気がする。両親はともに健在で仕事が大好きな人間だ。そしてやめたいならやめればいいし、やりたいのならなればいいと言い放つ人たちだった。言ってしまえば反抗しがいがなかったのだ。

 祖母に大きな画面でリョウさんが踊るのを見せた。arisaの後ろにいるあの曲を、クリスマスプレゼントのあの曲を。

「悲しそうに踊るのを見ているとこっちも悲しくなるし、恋愛の曲で相手を大事に思っているのがわかる表情も好き。それに、羽が生えてるみたいに軽いでしょ? すごいよね」
「そうね。いいわね」
「ずっとリョウさんを見てると、この人は本当にダンスが好きなんだなぁって思えてこっちも嬉しくなるんだよね」
「瑠偉はこの人が好きなのね」
「うん。好きだよ」

 リョウさん自身が、リョウさんのダンスを好きなままでいてほしい。それはおれが口に出すことではない。でも他の人に劣ってはいないし、リョウさんの魅力が存分にあり発揮されていると分かっていてほしい。もちろん他にダンス全国一位の人だっているだろうし、この世界で70年やっている人だっているだろう。でもそれの上や下ではなく、リョウさんはおれの中に存在している。

「リョウさんすごくいいよね」と同意を求めるおれに祖母は「いいわね」と繰り返してくれた。だからとっても満足して、おれは家を後にした。



 緒形タカヒロの曲はおれにとってはただのBGMである。でも聞き馴染んでおけばきっとコンサートでも楽しめると思い、そうしている。知らない曲を楽しむ自信はない。ついついリョウさんが映る動画を再生しそうになるけれど、それをしてしまうと駄目だということは身に染みている。

 忙しくなって夜の公園を訪れなくなったリョウさんは、そろそろ本番を迎えるための万全な体制を整えているんだろう。
 勉強をそこそこに、おれは彼の来ない公園を走る。絶対にいないステージを覗いて、そこに立つ。小さな円形ステージは演者を持たず観客も持たない。ここを本当にステージとして扱っているのは、それこそリョウさんだけなんじゃなかろうか。観客席となるはずの階段状の芝生は、子供が上り下りするだけの坂道だ。

 立ち止まり深呼吸すれば冷たい外気を取り込んで、走って上がった熱が急速に冷えていく。ドクドク体全体で鳴っていた心臓は耳の奥で鳴るに留まり、頭の中が白く落ちる気がする。
 人前に立つ緊張感はこれと似たようなものだろうか。万という単位の人を目の前にするリョウさんは、きっとおれ一人を前にする時と同じように踊るんだろう。体の中は覗けないけれど、きっと、違う心臓の音を響かせながらも同じものを出力する。いつも同じ感動を。


 すぅ、と息を吸った。
 一瞬とめて、冷たい空気に音すら死んでいるのを体感する。
 ふぅ、とため息のように吐けば、幕が上がる。
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