おぞましく愛おしい

紺色橙

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君に捧ぐ、色を注ぐ

2-4

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 12月31日午後1時。天気は晴れ。モスグリーンのハイネックセーターで首まで防寒して、水瀬は予定よりも早く家を出た。もし電車が遅延してしまったらどうしようと考えてのことだったが、まったく通常通りに運行している。何度かスマホを見て日付と時間の確認をし、電車から降りればわざとゆっくりと歩いた。約束に遅刻するのは良くないが、早すぎるのも良くはない。人様の家に行くのだし、相手の予定もあるだろう。
 急いた気持ちは抑えられない。道行く人にあの真っ白の髪がいないかと探しながら、邪魔にならぬよう道の端を進む。途中用もなくコンビニに寄り、用もなく店内をふらついて、時間を潰した後にいくつかの品を買った。
 約束時刻通りに坂本の家に行けば、にこりと笑顔で迎え入れられた。

「寒いねー」
 スリッパを裸足で引っ掻け歩く坂本は、独り言のように言った。温かなお茶を渡され、いつものようにリビングのソファに二人で座る。
 坂本はずっとにこにこと笑顔を絶やさず、水瀬を見ている。白い長袖、白い髪の毛。テレビもラジオも音楽もなく、繁華街から離れた家は喧噪も聞こえない。どんな顔で何を言えばいいのか迷い、水瀬は口を開いて、閉じた。

「なんかあったら言って」
「いえ……」

 部屋が暖かいからか、隣に座る坂本が温かいからか、突き刺すように冷たい冬の空の下よりも呼吸がしやすい。見つめられているのは気まずいけれど、沈黙が嫌なわけでもない。

「好きじゃないとさ、"染色"ってしちゃダメだと思う?」
「え? ――いいえ。染色そのものは、そういうのは関係ないのかなとは思います。不安定なキャンバスと不安定なペインターが安定を求めた結果結びつくというのなら、そうだろうなって。でも、俺個人としては、好きだからしてほしいとは思うので」

 脈絡のない問いに水瀬は素直に答えた。

「安定を求めて、それを俺があげられるんだったらいいなって。坂本さんに、他のキャンバスの人じゃなくて俺が」
「ああ、そっちか」

 坂本はまた独り言のように呟いた。それを聞き返す前に言われる。

「ベッド行こう」

 水瀬の体がびくりと跳ねた。



 服を着たままベッドに仰向けにされ、坂本はその左横に胡坐をかいた。力なく開いた手のひらに、そっと上から合わせられる。

「正直どうなるかわかんない。もし具合が悪くなるなら言って」
「具合……」
「ステイニングする時に、もしかしたら拒絶反応が出るかもしれない」

 考えてもみなかったことを心配されている。だから横になったのかと、水瀬は今日は服を脱いでいない自分を見た。

「じゃあ、始めるよ」

 ――あ。

 すぐに、今まで色を注いで貰っていた時とは、明らかに違う感覚が始まった。空いている右手がぴくぴくと動く。合わせられた左手から入ってくる色は、まるで体を這うようだった。蛇が巻き付いているような、べろりと長い舌に舐め上げられているような、背筋がぞわぞわする感じ。
 坂本はじっと水瀬を見下ろしている。にこりともせず、観察するように。
 指先から色が入り、指先から固まって行く気がする。触れた体温は感じられるのに、自分のものではないような。
 ぱちぱちと水瀬は瞬きをする。まだ目は動く。腕はもう動かない。体ももう、ベッドに縫い付けられているようだ。筋肉も脂肪も血液も神経も、すべて白く染め上げられて、作り変えられてしまったよう。
 部屋に空気は流れているのだろうか。音もせず、空気も止まっている気がする。寝室の電気は付いておらず、リビングの電気は直接見えない。ただ向こう側が明るいことだけが水瀬には分かる。窓の外だって、レースのカーテンの向こうは明るい。まだ昼だ。来てそう時間は経っていない。そのはずなのに、時間が随分と長いこと止まっている気がする。

 坂本はゆっくりと体を移動させ、水瀬の上に跨った。モスグリーンのセーターの下、腹に置かれた手は胸へと移動する。坂本はじっと水瀬の様子を見ていた。声も出さず、目もうっすらと開かれたままの水瀬はまるで死んでいるようだ。自分を丸ごと渡すように、坂本は色を移していく。水瀬の髪が白く染まる。睫毛が、眉毛が、爪が、そうして瞳さえも、ついには白くなってしまった。
 服から手を抜き、坂本はそっと両手で水瀬の頬に触れた。親指で撫で、瞼を閉じる。そうしてゆっくりと、見えない水瀬にキスをした。指先でその唇を開き、舌を割り込ませる。自分と同じ色に染まり切った髪を撫で、軽く握り、抱え込んだ。

 ぱっと目を開ければ眼前の坂本は笑っている。水瀬は体が動くようになったこと、そして作り変えられたかのように、自分に色が満ちていることを感じた。

「息吸って、吐いて。もっかい。そう」

 坂本に言われるがまま、水瀬は呼吸を繰り返す。体が動かないと感じていたが、呼吸さえも止まっていたのだろうか。その自覚はなかったが、坂本のしてくれたのは愛情のキスというよりも人工呼吸だったのかもしれない。

「色が、俺の中にあるのを感じる。外側じゃなくて、ちゃんと中にある」

 覗き込む坂本を通り越し天井を見つめ、水瀬は自身の変化を感じていた。
 すっかり外側を色で埋められて、ついには中まで埋まってしまったのだろう。先日のように体内を波打つものはなく、自分の中に芯がある。

「全部オレに染まってる」

 坂本は嬉しそうに言った。

「見てみな」

 水瀬の上から降り、ベッドの足元にあるクローゼットの引き戸を動かす。隙間がないほどに服が詰まっているから閉まらないのかと思われたそれは、スムーズにその姿を現した。
 ベッドで身を起こしその姿を現れた鏡に映す水瀬の後ろに座り、坂本は自分の色に染まった水瀬に抱き着いた。

「ああ、目の色なんかは一瞬で消えたな。残念だけど白なんかは残りにくいだろうから仕方ない」

 水瀬のセーターをめくりあげ、素肌に手を這わせる。

「けど髪は同じ。爪もしばらく残るかもね」

 水瀬は自分の変わりように、ただ坂本に身を任せていた。白い髪が揺れるのは、一人だけではない。自分のではない手がいつの間にか乳首に触れ、ひゅっと息を詰める。浮いた背中。逃げないようにと、絡まる腕の力が強まった。

「白いの嫌?」
「嫌じゃない」

 何度目かの質問と回答。耳を食まれ、舐められる。まるで先ほど色が這ったときのように、坂本の舌が水瀬の耳を舐めた。
 悩んでいた白髪は、もうどこにもない。すべて・・・白く塗られてしまったのだから、半分・・は消えてなくなっている。鏡越しに坂本と目が合い、笑われる。美容室にいる時とは違う、少し意地悪い顔をしている。今の自分は客ではないのかと、水瀬は満足感を覚えた。
 腹に巻き付いていた手がズボンの上から体を撫でる。染色の際に反応を見せていた自身を撫でられ、水瀬は声を出した。

「あ、」
「突然頭真っ白になってたら、会社の人びっくりするんじゃない?」

 坂本は手を止めず、ぬいぐるみを撫でるように服の上から水瀬を撫でる。

「そう、かも」
「ちゃんと答えられる? 染色しましたって」
「うん」

 すりすりと形を確かめるような指先が、かり、と引っ掻いた。

「んっ」

 支えられる背中。それに身を任せ、水瀬は甘い吐息を漏らす。寒くないようにと着ているセーターのせいで首元が汗ばんでいる。しっかりと抱きかかえられ、伝染する体温で熱は増す。 もっとして欲しいと言わんばかりに腰をくねらせれば、「可愛い」と囁かれた。
 ズボンの中に入り込んだ手が直に触れる。下腹部から鼠径部へかけてゆっくりとなぞり上げられ、ぞわぞわとした感覚が背筋を走った。色を貰った時に、とてもよく似ている。その手はためらいもなく、先ほどと同じように水瀬の形を確かめる。

「気持ちいい?」

 問われ、水瀬はこくこくと頷いた。耳元で笑う坂本の息も熱い。

「あっ……!」

 ぐりっと強く握られた自身。その刺激に水瀬は高い声を上げた。

「ここ好き?」
「す、き」
「じゃあいっぱい触ろう」

 ぐちゅ、という音を立てながら擦られる。先端からはだらしなく透明な液が流れていて、それを塗り広げるようにして坂本の手が激しく動いた。

「んっ……ああっ……」

 服の下ははっきりと見えないのに、何をされているかは明確に分かっている。鏡の中の水瀬は横を向き、自分から目をそらすように坂本に顔を擦り付けた。

「ねぇ、脱がせていい?」

 逃げるように落ちつつある体を引き寄せられ、頭の上でかけられた声に、水瀬はまたこくこくと頷く。
 坂本が自分と同じように興奮していることを、水瀬は感じ取っていた。染色した成果だろう。冗談で行われている行為でないことが分かる。自分とそう違わない気持ちでいてくれる安心感。
 すっかり汗をかいてしまった服を脱ぎ、坂本に手伝われながらズボンを下げる。鏡に映る全裸の人間は白く、アルビノを思い出させたが、色が入らないのではなくむしろ"白く染められている"のだ。

「見て、下の毛も白くなってる」

 面白そうに坂本が言った。水瀬は声に従い自分の下半身を見て、すっかり坂本の手の中で硬くなっている自身に恥ずかしくなり、唇をぎゅっと結んだ。けれど坂本はまた先ほどの続きを始める。右手の中指と人差し指の間に水瀬を挟み込み、軽く上下にしごいた。与える刺激の合間、水瀬の背中でもぞもぞと坂本が動く。左手だけで彼はその白い服を脱ぎ捨て、晒された肌から熱を放出した。

「興奮してる。暑くなってきた。男のに触りたいなんてこれっぽっちも思ったことないのに」

眼前の首筋にキスを繰り返しながら、坂本は鏡越しに水瀬を見る。

「触りたいって思う。水瀬さんが気持ちよくなってくれてるのがやたらと嬉しい」
「俺も、そうだよ」
「ほんと? だったらさ――」

 今まですぐ近くにあった坂本の声が急に遠くなった。代わりに水瀬自身の心臓の音が大きく響く。

「もっと深くまで、気持ちよくしていい?」

 耳を食むように囁かれた言葉。鏡の向こうの坂本と目が合う。顔の反対に掲げられた小さくて四角い無機物が、水瀬の頬を優しく引っ掻いた。



[終わり]
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