8 / 16
8 初恋
しおりを挟む
親がいるのに泣いてなんかいられない。上を向き、溜まってきた涙を零れないうちにティッシュで吸い取った。
顔を戻した時には、もう既読がついていた。そして画面に出たのは電話のマーク。今まで使ったことのない通話がAさんからきている。画面に表示されてから間があって、呼び出し音が鳴った。思ったよりも大きく響くそれを慌てて取った。
消せばよかったんじゃないか。少しの後悔をして、耳に当てることもできなかった。
『もしもし、イチくん?』
顔から離れたところにあるスマホから声がする。息を吸ってから返事をした。
『久しぶりだね。今大丈夫?』
「大丈夫です」
部屋の電気をつけないままベッドに座る。おいしょっと上って、膝を抱えた。自分の顔を膝に埋めるようにしてAさんの声を聴く。前と変わらない優しい声は機械を通すと少しだけ違う気もする。
『ずっと連絡がつかなかったから急で申し訳ないんだけど、今日は会えないかな』
会いたがってくれている。その言葉に胸が締め付けられ、聴覚だけが急速に発達したように集中した。会いたいと思うのに返せない。振られた自分がどんな顔をして会えばいいのか。Aさんはきっと今まで約束していたからと繰り返しの誘いをしてくれているだけなのに。
『無理かな』
「あ、の」
『イチくんの予定もあるだろうし、無理にとは言わないよ。そもそも夜だしね。若い子を連れまわすのだって――』
「そんなの全然」
『――会えない?』
自分より倍年上の人に初めての恋をした。
「会ったらまた、手を繋いでほしいって言うよ」
『勿論いいよ』
「だ、抱きしめて欲しいとも……」
恥ずかしくて声が小さくなった。顔が熱い。熱を持った耳でAさんの声を聴いている。
『イチくんが嫌じゃないのなら、いくらでも』
「Aさん」
『はい』
「Aさんが、好き」
告白を布団で隠した。頭だけ被り背中は出ているけれど、音は吸収されていった。
『イチくん、会いに行ってもいい? 5分だけでも顔を見て話がしたい』
告白を曖昧にされたような返事に動揺する。聞こえなかったのか、それとも聞こえた上で断ろうと思っているのか。
「あの、会わない。ごめんなさい」
お断りならこの場で良い。今すぐに終わりで良い。
『待って。私がイチくんを好きでも会ってくれない?』
言葉が認識されなかった。布団がずるりと頭から落ちる。「え?」と声が漏れた。
『両想いでもお別れしないとダメかな』
「両想い……」
俺はAさんが好き。一方的な片思い。両想いは、お互いに好き。
『とりあえず5分だけ会ってほしい。すぐに行くから』
ぷつりと切れた通話。時刻は20時10分。なんだかよくわからず頬を掻く。言われた言葉が上手く処理できない。でも、会いに来てくれるという。さらりと撫でたベッドのシーツ。ここは俺の家。今日は土曜日だから、Aさんが会いに来てくれる。
しばらく放心したように布団に座っていた。着替えなければと慌てて暗闇の中クローゼットを覗き、何も見えないじゃないかと電気をつけた。すぐに着替えて玄関に向かおうとして、まだ着くはずもないと自分を落ち着けた。
「もう少ししたら出かけてくる」
親に伝えたその声は、我ながら気持ち悪いほど浮かれていた。
通話が切れてから40分。まだ来ないだろうと思いつつもマンションを降りた。玄関先でスマホを握りしめて待つ。10分待たずとも曲がり角から現れた銀色の車に心臓が跳ねた。そのままドキドキと鼓動が高鳴る。窓を開けて顔を見せてくれたAさんに泣けるほど嬉しかった。大して周りも見ずに車に乗り込む。でもなんて言えばいいのか沢山思いがあり過ぎて俯いた。頭の中で言葉のパズルが組み立てられず、どうしようと焦りが出る。
「待たせてごめんね」
ゆっくりゆっくり走る車は、コンビニ裏のコインパーキングで止まった。看板が照らされるだけで薄暗い駐車場に車が停まる。
俺が俯く横でシートベルトを外したAさんに、イチくん、と呼ばれる。顔を上げれば、右手をそっと繋がれた。
「会えてよかった」
ほっとしたようにAさんが言う。心臓のドキドキが治まらず、頭がぼんやりする。酸素が足りないようだ。車内灯は明るく、Aさんの顔もはっきり見せた。
「あの、俺」
「うん」
あの、と繰り返し要らない言葉を吐きだす。俺のよりしっかりした手が触れている。冷たくはなく、凄く熱いわけでもない。
「俺、あの、男だけどAさんが好きみたいで、だから、だから……」
Aさんは俺を急かしはしなかった。どもるのを無言で待ってくれている。
「手繋いでほしいとか、抱きしめて欲しいとか思っちゃって」
「してもいい?」
繋がれた手に少しだけ力がこもる。伸びてきた腕に抱かれ、暖かさに息を吐いた。ここは眠くなる。安心する。座席の端まで近寄って、左手をAさんの肩にやった。もっとぴったりとくっつきたい。ここに座ったままでは足りない。
「もっと」
ぎゅっと力が込められる。横に並ぶ無理な体勢ではこれ以上どうにもならず、靴を足に引っかけ脱いで座席に上り膝をついた。この前Aさんがしてくれたように、もっと近くに行きたい。
「イチくん待って」
言われ背中から熱が離れていった。Aさんの手の行く先を見ると、座席の横で何かを操作した。がくんと運転席のシートが倒れる。ぺたりと後部座席に付くくらい倒れたシート。運転席と助手席の隙間に倒れそうになって慌てて離れる。
「こっちきて」
両手を開き俺を呼ぶAさんのもとに渡った。
運転席は当然一人分で出来ていて、狭いシートの上Aさんを押し倒すように抱き付いた。
「重い?」
「平気」
彼の体を跨ぎ上に座る俺は否定されているけれどきっと重い。でも離れたくなかった。
「Aさん、好き」
「私もイチくんが好き」
呟くようなそれに返事がもらえる。嬉しくて頭を擦りつけた。暖かいAさんの体温とぴったりくっつく。あのガーゼケットと同じ優しい洗剤の香りがシャツから漂う。
「好き」
次の返事は言葉ではなく、苦しいくらいに抱きしめられた。背中がつぶれ、ぐいと体を伸ばして胸から足まで沿うように体を重ねる。足がハンドルに当たった。
「重いよね」
「少し」
素直にAさんは認めて笑った。俺は華奢な女の子ではない。運動していないから筋肉もなくその分の重さはないけれど、それでも平均身長までは伸びた。全体重をかけるような重なりはどうしたって重い。
強く抱きしめてくれるAさんに、自分の体を支えるのを諦めて圧し掛かる。人の体の上はそんなに安定性があるわけではないけれど、安心する。手を繋いでいるだけよりもぴったりと満たされる。暖かくて、きっとこのままいたら眠ってしまうだろう。
「眠いの?」
髪を撫でられ頷く。
「このまま連れて帰りたい」
髪の中で囁くように言われた言葉に、熱が上がる。ぎゅうっと腕でAさんの体を挟み込んだ。
「連れてって」
遠くまで。できるならどこか遠く、Aさんと二人だけのところへ行きたかった。
顔を戻した時には、もう既読がついていた。そして画面に出たのは電話のマーク。今まで使ったことのない通話がAさんからきている。画面に表示されてから間があって、呼び出し音が鳴った。思ったよりも大きく響くそれを慌てて取った。
消せばよかったんじゃないか。少しの後悔をして、耳に当てることもできなかった。
『もしもし、イチくん?』
顔から離れたところにあるスマホから声がする。息を吸ってから返事をした。
『久しぶりだね。今大丈夫?』
「大丈夫です」
部屋の電気をつけないままベッドに座る。おいしょっと上って、膝を抱えた。自分の顔を膝に埋めるようにしてAさんの声を聴く。前と変わらない優しい声は機械を通すと少しだけ違う気もする。
『ずっと連絡がつかなかったから急で申し訳ないんだけど、今日は会えないかな』
会いたがってくれている。その言葉に胸が締め付けられ、聴覚だけが急速に発達したように集中した。会いたいと思うのに返せない。振られた自分がどんな顔をして会えばいいのか。Aさんはきっと今まで約束していたからと繰り返しの誘いをしてくれているだけなのに。
『無理かな』
「あ、の」
『イチくんの予定もあるだろうし、無理にとは言わないよ。そもそも夜だしね。若い子を連れまわすのだって――』
「そんなの全然」
『――会えない?』
自分より倍年上の人に初めての恋をした。
「会ったらまた、手を繋いでほしいって言うよ」
『勿論いいよ』
「だ、抱きしめて欲しいとも……」
恥ずかしくて声が小さくなった。顔が熱い。熱を持った耳でAさんの声を聴いている。
『イチくんが嫌じゃないのなら、いくらでも』
「Aさん」
『はい』
「Aさんが、好き」
告白を布団で隠した。頭だけ被り背中は出ているけれど、音は吸収されていった。
『イチくん、会いに行ってもいい? 5分だけでも顔を見て話がしたい』
告白を曖昧にされたような返事に動揺する。聞こえなかったのか、それとも聞こえた上で断ろうと思っているのか。
「あの、会わない。ごめんなさい」
お断りならこの場で良い。今すぐに終わりで良い。
『待って。私がイチくんを好きでも会ってくれない?』
言葉が認識されなかった。布団がずるりと頭から落ちる。「え?」と声が漏れた。
『両想いでもお別れしないとダメかな』
「両想い……」
俺はAさんが好き。一方的な片思い。両想いは、お互いに好き。
『とりあえず5分だけ会ってほしい。すぐに行くから』
ぷつりと切れた通話。時刻は20時10分。なんだかよくわからず頬を掻く。言われた言葉が上手く処理できない。でも、会いに来てくれるという。さらりと撫でたベッドのシーツ。ここは俺の家。今日は土曜日だから、Aさんが会いに来てくれる。
しばらく放心したように布団に座っていた。着替えなければと慌てて暗闇の中クローゼットを覗き、何も見えないじゃないかと電気をつけた。すぐに着替えて玄関に向かおうとして、まだ着くはずもないと自分を落ち着けた。
「もう少ししたら出かけてくる」
親に伝えたその声は、我ながら気持ち悪いほど浮かれていた。
通話が切れてから40分。まだ来ないだろうと思いつつもマンションを降りた。玄関先でスマホを握りしめて待つ。10分待たずとも曲がり角から現れた銀色の車に心臓が跳ねた。そのままドキドキと鼓動が高鳴る。窓を開けて顔を見せてくれたAさんに泣けるほど嬉しかった。大して周りも見ずに車に乗り込む。でもなんて言えばいいのか沢山思いがあり過ぎて俯いた。頭の中で言葉のパズルが組み立てられず、どうしようと焦りが出る。
「待たせてごめんね」
ゆっくりゆっくり走る車は、コンビニ裏のコインパーキングで止まった。看板が照らされるだけで薄暗い駐車場に車が停まる。
俺が俯く横でシートベルトを外したAさんに、イチくん、と呼ばれる。顔を上げれば、右手をそっと繋がれた。
「会えてよかった」
ほっとしたようにAさんが言う。心臓のドキドキが治まらず、頭がぼんやりする。酸素が足りないようだ。車内灯は明るく、Aさんの顔もはっきり見せた。
「あの、俺」
「うん」
あの、と繰り返し要らない言葉を吐きだす。俺のよりしっかりした手が触れている。冷たくはなく、凄く熱いわけでもない。
「俺、あの、男だけどAさんが好きみたいで、だから、だから……」
Aさんは俺を急かしはしなかった。どもるのを無言で待ってくれている。
「手繋いでほしいとか、抱きしめて欲しいとか思っちゃって」
「してもいい?」
繋がれた手に少しだけ力がこもる。伸びてきた腕に抱かれ、暖かさに息を吐いた。ここは眠くなる。安心する。座席の端まで近寄って、左手をAさんの肩にやった。もっとぴったりとくっつきたい。ここに座ったままでは足りない。
「もっと」
ぎゅっと力が込められる。横に並ぶ無理な体勢ではこれ以上どうにもならず、靴を足に引っかけ脱いで座席に上り膝をついた。この前Aさんがしてくれたように、もっと近くに行きたい。
「イチくん待って」
言われ背中から熱が離れていった。Aさんの手の行く先を見ると、座席の横で何かを操作した。がくんと運転席のシートが倒れる。ぺたりと後部座席に付くくらい倒れたシート。運転席と助手席の隙間に倒れそうになって慌てて離れる。
「こっちきて」
両手を開き俺を呼ぶAさんのもとに渡った。
運転席は当然一人分で出来ていて、狭いシートの上Aさんを押し倒すように抱き付いた。
「重い?」
「平気」
彼の体を跨ぎ上に座る俺は否定されているけれどきっと重い。でも離れたくなかった。
「Aさん、好き」
「私もイチくんが好き」
呟くようなそれに返事がもらえる。嬉しくて頭を擦りつけた。暖かいAさんの体温とぴったりくっつく。あのガーゼケットと同じ優しい洗剤の香りがシャツから漂う。
「好き」
次の返事は言葉ではなく、苦しいくらいに抱きしめられた。背中がつぶれ、ぐいと体を伸ばして胸から足まで沿うように体を重ねる。足がハンドルに当たった。
「重いよね」
「少し」
素直にAさんは認めて笑った。俺は華奢な女の子ではない。運動していないから筋肉もなくその分の重さはないけれど、それでも平均身長までは伸びた。全体重をかけるような重なりはどうしたって重い。
強く抱きしめてくれるAさんに、自分の体を支えるのを諦めて圧し掛かる。人の体の上はそんなに安定性があるわけではないけれど、安心する。手を繋いでいるだけよりもぴったりと満たされる。暖かくて、きっとこのままいたら眠ってしまうだろう。
「眠いの?」
髪を撫でられ頷く。
「このまま連れて帰りたい」
髪の中で囁くように言われた言葉に、熱が上がる。ぎゅうっと腕でAさんの体を挟み込んだ。
「連れてって」
遠くまで。できるならどこか遠く、Aさんと二人だけのところへ行きたかった。
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
「誕生日前日に世界が始まる」
悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です)
凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^
ほっこり読んでいただけたら♡
幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡
→書きたくなって番外編に少し続けました。


理香は俺のカノジョじゃねえ
中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。
創作BL)朱嶺くんはお嫁さんになりたい!
黑野羊
BL
──初恋の叔父さんと、二人暮らしすることになりました。
あらすじ)
朱嶺秋良は大学二年のある日、住んでいた安アパートが火事で消失し、父の従弟にあたる紺藤清詞の家にお世話になることになった。同性である男性が好きな秋良にとって、清詞は初恋の人。しかし清詞は女性と結婚していて、その奥さんを事故で亡くしている。男性が好きなことを隠しつつ、叶わない初恋に揺れながら、秋良は清詞との穏やかな日々を噛み締めるように過ごす。しかしそこへ、秋良の元恋人である男性が現れて──。
美形の男やもめ×可愛い系家事男子の、初恋・年の差BL

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
待っていたのは恋する季節
冴月希衣@商業BL販売中
BL
恋の芽吹きのきっかけは失恋?【癒し系なごみキャラ×強気モテメン】
「別れてほしいの」
「あー、はいはい。了解! 別れよう。じゃあな」
日高雪白。大手クレジットカード会社の営業企画部所属。二十二歳。
相手から告白されて付き合い始めたのに別れ話を切り出してくるのは必ず女性側から。彼なりに大事にしているつもりでも必ずその結末を迎える理不尽ルートだが、相手が罪悪感を抱かないよう、わざと冷たく返事をしている。
そんな雪白が傷心を愚痴る相手はたった一人。親友、小日向蒼海。
癒し系なごみキャラに強気モテメンが弱みを見せる時、親友同士の関係に思いがけない変化が……。
表紙は香月ららさん(@lala_kotubu)
◆本文、画像の無断転載禁止◆
Reproducing all or any part of the contents is prohibited without the author's permission.

視線の先
茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。
「セーラー服着た写真撮らせて?」
……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった
ハッピーエンド
他サイトにも公開しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる