上 下
26 / 30
【四章】魔王が望んだのは、少女との穏やかな日々

魔王サマと私の幸せ

しおりを挟む
 風で飛ばされたリスを追いかけようと、駆けだした私の背後から、また風が吹いた。
 なんとなく、普通の風じゃないような気がした。
 魔国にも風は吹くことはあるけど、こんなに強い風は初めてだったから。

「魔王サマ?」

 魔王サマが魔法を使っているのかなぁ?
 そう思って、振り返った。

 ……振り返った。その場所に、知らない人が居た。

 茶色の髪の男の人。
 森の中とおんなじみたいな、深い緑色の目だった。
 黒い服を着ていて……手には、細い短刀を持っていた。

「え?」
「へっ!?」

 「え?」って言ったのが私で、「へっ!?」って言ったのが男の人。
 男の人は、私が振り返るなんて、思っていなかったみたい。
 びっくりしたみたいに口を開けたまま、男の人は私に向かって、手に持っていた短剣を振り下ろした。
 あ、切られちゃうんだって、そう思った。

 剣で切られちゃったら痛いかなぁ?
 痛いよね。嫌だなぁ。
 死んじゃうかなぁ?
 私の体って、すっごく弱いから、死んじゃうかも。

「死んじゃったら、魔王サマに会えないかなぁ?」

 短剣が私の首元に迫る中、考えたのは魔王サマのことだった。
 魔王サマの笑った顔、もっともっと見たかったんだけどなぁ。

 迫る白刃に、諦めて……

「この人間は、傷つけたら駄目なの」

 ……諦めた、その瞬間。
 森の奥から雷が走って、男の手から短刀を弾き飛ばした。
 花の香りがする風がふわりと優しく吹き始めて、当たりを包んでいた暴風をかき消した。

「あれ? 死んでない」

 瞬きをしながら首を傾げた私と、短刀を弾き飛ばされて呆然とする男の間に、白い髪の精霊が現れる。
 小さな体と、透き通る羽が綺麗な女の子の精霊だった。
 多分、この前の朝、リスと喧嘩をしていた精霊の子。

「あなたも、簡単に死を受け入れないで欲しいの」

 妖精が私の近くにやって来た。
 ふわりと甘い花の香りがした。
 辺りに充満する風の香りと同じ匂いだった。
 多分、妖精が風をかき消してくれて、リスが雷魔法で守ってくれたのかな?

「助けてくれたのー? ありがとう」
「気にしないで良いの。あなたが死んじゃったら、魔王様が怒っちゃうから助けただけなの。魔王様が怒ったら、魔国なんて簡単に無くなっちゃうの」

 困ったように、精霊は眉をへにょりと下げて言った。
 魔王サマ、私が死んだら怒っちゃうのかな?
 何でだろう? でも、魔王サマが怒っちゃうのは嫌だなぁ。

 そんなことを考えていたら……

「君は、人間なのか?」

 ……私の前に立つ男の人。短剣を手に、私に向かってきていた人から問いかけられた。
 どうしてか、その人の顔面は蒼白だった。
 今にも倒れてしまいそうなくらい、顔色が悪いみたい。

「大丈夫?」
「……は?」
「具合、悪そうだから」

 私の言葉に、男は口を半分開いたまま固まった。
 そんな返しが来るなんて、予想もしていなかったという表情だった。
 あれ? もしかして私、変なことを言った?
 そういえば何て聞かれたんだっけ?
 あ、そっか。人間? って聞かれてたよね。

「私はねー、人間よ。魔法もほとんど使えない、ただの人間のアメリア。あなたは?」
「……魔法も、使えない人間」
「あなたも? あなたも、魔法が使えないの!?」
「あ、いや。俺は違う。俺は魔法が使える。名はトグルだ」
「なーんだ。トグルさんは魔法が使えるんだ。せっかく仲間が居たって思ったのにー!」

 男……改め、トグルは「す、すまない」と謝って、それから思い出したように「人間というのは本当か!?」と叫んだ。
 勢いのまま、トグルが私の肩を掴んだ。
 魔王サマの冷たい手のひらとは違う、熱いくらいの手のひらが、私の肩を強く握りしめる。

「何故人間が魔国に居る? どうして魔法も使えないのに、魔王の近くで生きている!?」

 続けざまに問いかけられて、私は「えーっと」と考える。
 私が魔国に居るのは、魔王サマの傍にいたいから。
 魔王サマの近くで生きてるのは、魔王サマが優しいから、かなぁ?

 私が答える前に、トグルは次の言葉を発した。

「君が現れてから、魔王と魔国はどんどん変わっている。俺の国は、今まで大人しかった魔王の変化を良しとしなかった。国から、正式に君の殺害命令が下っている。分かるか? ただの人間だろうが、関係がない。俺は君を、殺せと命令されているんだ」

 私の肩を掴むトグルの手が力強さを増した。
 ちょっとだけ痛くて、私は眉を顰めそうになるのを我慢した。

「今なら、俺が君を助けてあげられる。君を殺したことにして、君の故郷に戻してあげられる。俺と一緒に、来てくれないか」

 懇願されているような口調だった。
 私を見埋めるトグルの目は血走っていた。

 ここで私が頷かなかったら、トグルは私を殺そうとするんだって、なんとなく思った。
 だから、本当は。私は、頷かないといけないんだと思う。
 トグルは私に、頷いてほしかったんだと思う。
 けど……

「私は、魔国に居たいの。魔国で、魔王サマの傍に居たいのよ」

 ……私は、頷けなかった。
 私の望むことは、トグルの望みとは別のことだったから。

「殺しても良いよ? 魔王サマと離れて生きるくらいなら、ここで死んじゃうほうが、きっと幸せになれるから」

 私の言葉に、トグルは顔を歪めた。
 感情がぐちゃぐちゃになっちゃったみたいな、泣き出す前か、怒り出す前か、そんな表情だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令嬢は鳥籠の姫。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:447

美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:866pt お気に入り:2,791

転生ババァは見過ごせない!~元悪徳女帝の二周目ライフ~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,783pt お気に入り:13,504

【完結】攻略対象×ヒロイン聖女=悪役令嬢

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:578

白の皇国物語

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:220pt お気に入り:2,902

処理中です...