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“その日”の結末

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「ロキ、これを」

 アルシアに向かって頭を下げていたセルディナは、姿勢を正すと、ロキに一枚の紙切れを渡した。
 白く小さな紙には、「街へ戻って、魔物を退かせて来て頂戴。貴方達は自由になったと、皆に伝えて」と書かれていた。

 ロキは何故、セルディナ自身が魔物を止めないのか、セルディナがロキと共に行かないのか分からなくて。
 心配そうな視線を向けるロキに、セルディナは「大丈夫だから」と、口の動きだけで伝えた。

「お願い、ロキ。誰かが魔物みんなを止めないと」

 少しだけ眉尻を下げて、セルディナが言う。
 声なんて聞こえなくても、セルディナからの「お願い」というセリフは、何度も言われたものだったから、ロキにはしっかりと伝わってしまって。

「本当に、大丈夫ですか?」

 思わず尋ねたロキに、セルディナは普段のように笑った。

「ロキ、私ね。……………」

 小さく呟かれた言葉に、ロキは何を言われたのか分からなくて。

「行って」

 セルディナの手に背中を押されて、ロキはその場を立ち去った。
 最後に一度だけ、振り返った地下室の中。セルディナはアルシアの事を見つめていた。立ち去るロキの事を、見もせずに。







「ロキ、私ね。貴方を縛る鎖になりたくないの。自由に、幸せになって」






 ロキが部屋から去っていく足音を聞きながら、セルディナは顔を上げることが出来なかった。

 あの日。
 義母グラシアに毒を盛られて、死の淵をみたあの日から、セルディナはいつ死んでも良いと思って生きてきた。
 だって、セルディナが生きることを望む人なんて、居ない筈だから。

 けれど、どうしてか。
 ロキに助けられて、一緒に生きて。
 濃くて苦い、独特な風味のお茶を飲んで。
 死ぬまで自由になれないと思っていた、屋敷の塀を簡単に飛び越えて。

『ロキ、お願い』
『……セルディナ様の、お心のままに』

 仕方ない、とでも言うような表情で、いとも簡単にセルディナの手を取って。
 一人だったら、絶対に見る事なんて出来なかった世界に、ロキはセルディナを連れ出してくれた。

 暗い森の中でも、空に輝く星は美しかった。
 寒い雪の下でも、体温を分け合うと温かくて。
 風に乗って空を飛ぶことが気持ちいいなんて、知っている人間はきっと、セルディナだけ。

 いつ死んでも良いと思っていたのに、ロキと一緒に居ると楽しくて仕方なくて。

『なぁ、セナ!ギナンが酷いんだ!アタシの事を馬鹿だ阿保だって!』
『馬鹿じゃなかったら、どうして屋根の上で昼寝をして落ちかけてンだ!この阿保!』
『ふふっ、ダリアったら屋根の上で昼寝なんてしたの?楽しそうね。私もやってみようかしら』
『……ダリアさんもギナンさんも、セルディナ様に変な事を教えないで下さい』

 いつのまにか、自然に笑えている自分に、セルディナ自身も驚いた。
 ダリアもギナンも、ロキが居ないと出会うことも出来なかった人達で。
 皆と一緒に居ると、楽しくて、幸せで。
 本当はセルディナも、ずっと皆と一緒に居たかったのだけれど……。


 ―――私が居るとロキは、本当に自由になることが出来ないでしょう?


 心の中で呟いた言葉は、セルディナがずっと考えていた事だった。
 ロキは優しくて、セルディナの事を守ろうと、いつだって尽力してくれた。

『セルディナ様、食事は私が用意をします。他の人の持ってきた物は食べないで下さい』
『ロキは、どうしてそんなに優しくしてくれるの?』
『……私がそうしたいから、では駄目でしょうか?』

 もしも、魔物を自由にすることが出来たとしても、国を変えるような行為は、きっと罪に問われてしまう。
 セルディナが罪人になったとしても、きっとロキは助けてくれるだろう。

 たった一言、「助けて」と。
 「ここから連れ出して」と言えば、ロキはセルディナの手を掴んでくれると、セルディナは確信していた。
 
 ……だけど、そこから先は?
 この先もずっと、セルディナはロキに守ってもらって、ロキの重りになるのだろうか?

 それは、ロキの幸せの妨げにしかならない。
 セルディナは、ロキの……否、ロキやダリア、ギナンも皆、やっと自由になれるのに、その妨げになるのが嫌だった。




「セルディナ、良かったのか?」

 残された部屋の中で、アルシアが尋ねた。
 おかしな口調だった。まるで、本当は逃げて欲しいとでも言うかのように。

 きっとアルシアは、セルディナが逃げようとしても、止めないのだろう。
 その証拠に、アルシアはセルディナを拘束しようともせず。力が抜けてしまったかのように、地面に座り込んでセルディナを見つめていた。
 このまま、背後にある階段を駆け上がって逃げ出せば、そのまま逃れられるような気もした。

「……ええ、勿論です」

 だが、セルディナがそれを選ぶことは無かった。

「これが私の描いたハッピーエンドですから」

 そんな事を言って、本当に幸せそうに笑うセルディナのことを、アルシアは悲しい顔で見つめていた。
 自身の居なくなる世界を、幸せと称したセルディナに、掛ける言葉が見つからなくて。

 程なくして、ダリアの<幻影>に惑わされていたラルムが正気を取り戻して、兵士を連れて地下室へなだれ込んできた。
 兵士がセルディナの事を拘束し、牢へと連れていく。

「シア様、どうか魔物の……いえ、魔法使いの彼等の未来を、今より悲惨なものにしないで下さい」

 セルディナは、連れていかれる最後の瞬間まで魔物の事ばかりで。
 ……それが、アルシアがセルディナと交わした、最後の会話だった。
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