先見の聖女は、聖女であることを望まない。~幸せを願った幼馴染が、勇者になるのだけは想定外~

千 遊雲

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先見の聖女は、聖女であることを望まなかった

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この国には、聖女と呼ばれる存在がいる。
不思議な力を授かった特別な存在である彼女たちを崇拝する者は多い。

「聖女なんて、馬鹿みたい」

そんな聖女の一人、ケイトという名の黒髪の少女は、王城の一角にある自室の窓から空を眺めて呟いた。
肩ほどの長さで切り揃えられた、少しだけウェーブがかった髪が、風に吹かれてふわりと揺れる。

窓の外は綺麗な青空だった。雲一つない、鮮やかな水色。
その空の下ではケイトではない別の聖女が、町の人々に囲まれている。

「盾の聖女様、いつもありがとう!」
「聖女様のおかげで、魔物の襲撃から逃げられたんだよ!」
「私ね、大きくなったら聖女様になりたいの!」

口々に感謝の気持ちを告げる群衆と、それに対して少しだけ困ったような笑顔で答える聖女の姿。
平和な光景だった。それを見つめながら、ケイトは再び呟く。

「私は……聖女になんてなりたくなかったのに……」

唇を噛んで、ケイトは窓から離れた。
歩いて数歩の距離にあるベッドへ向かえば、シャラシャラと細い金属が擦れる音がする。
音の発生源は、ボスンと羽毛布団の山に飛び込んだケイトの細い足首。
そこには、まるで芸術品のように美しく細い鎖が付けられている。

――先見の聖女である、ケイトを縛り付ける足枷が。

「……聖女になりたい人が、この力を授かれば良かったのに」

吐き捨てるように言い放って、寝返りをうったケイトの足元から、再びシャラリと音がなった。


◇  ◆  ◇  


本来、聖女とは崇められ、称えられて。
先ほど見た子供のように、「聖女になりたい」と憧れるようなものなのかもしれない。

しかし、ケイトが聖女なんてものになりたいと望んだことは一度もなかった。
ただの一度も。そんな事を願った事は無かったのに。

「帰りたいな」

目を瞑れば、ケイトは今でも鮮明に思い出すことが出来る。
自分がただの「ケイト」で、まだ聖女なんてものではなかった幼少期に暮らしていた、自然が豊かな、小さくて平和な故郷の村のことを。

五枚の花弁が特徴的な白い花。
それが辺り一面に拡がっている丘を下ったところに、その村はあった。
数十人しか暮らしていないような、小さくて平和な村だった。

両親は幼い事に死んでしまったけれど、村の人々に助けられて、ケイトは幸せに暮らしていた。
決して裕福ではなかったけれど、確かに幸福な時を過ごせていたのだ。



……けれど。
そんな穏やかな幸せが、壊されたのは一瞬だった。



ケイトの幸せを壊したのは、たった一人の騎士だった。


「貴女は聖女としての素質があります。私と共に来て頂けますか?」


灰色の髪の騎士。彼は立派な大剣を持って、銀の鎧を着ていた。
村では剣も鎧も見た事なんてなかったから、ケイトは突然現れたその存在に、最初は呆気に取られることしかできなかった。

「先見の聖女様」

と、騎士の男に再び呼びかけられて、ケイトはその言葉が自分に向けられたものなのだと、遅れて気が付いた。
ケイトは騎士の姿を上から下まで眺めたけれど、格好をする知り合いもおらず、話しかけられるような理由も分からなくて、パチリと瞬きをする事しか出来なかった。

「せいじょ?」

「せいじょ?」と、「聖女」と変換することもできないままに呟いたケイトに、騎士の男は大きく頷いた。
拍子にガシャリと鎧が音を立てて、ケイトは体をビクリと竦ませてしまった。

「ええ。貴女には先見の力があると、当代の先見の聖女様が予言をしました。今は自覚が無くとも、いずれ力は発現されます」

怯えたようなケイトの様子に気が付かないのか、騎士の男は淡々と説明を始めた。
堅苦しい騎士の言葉を、ケイトは幼い頭で必死に考える。
しかし、理解は出来なくて。「せんけん?」と、再び騎士の言葉を繰り返した。

「言葉の通り、先を。未来を見ることが出来る力です。貴女の力は王国に必須故、拒否権は無いと思って頂きたい」

ケイトの疑問を解消して、騎士は一歩足を踏み出した。
再びガシャリと鎧が音を立てて。そうして縮まった一歩分の距離が、ケイトは何故か恐ろしく感じた。
理由は分からないけれど、逃げ出してしまいたいような、そんな感情を抱いた。

「聖女様?」

伺うようにケイトの事を呼びながら、騎士の手は大剣の柄に添えられていた。
まるで、それを抜くタイミングでも、考えているかのように。

――拒否権はない。

そう言った騎士の男は、もし、もしもケイトが「行きたくない」と言った場合。
その剣を使って、誰かを傷つける事もあるのだろうか……?

「……ッ!」

思わず後退りをしたケイトに向かって、騎士の男は剣の柄を掴んだまま手を伸ばした。
恐くて動けなくて、ケイトは身を竦めることしかできなくて……

「駄目だ!」

……叫んだのは、ケイトでも騎士でもなかった。
ケイトを守るため、叫びながら騎士の前に飛び出した一つの影があった。
ケイトよりは大きい、けれど騎士の半分程の背丈しかない少年の名前はコーダ。ケイトの幼馴染の少年だった。

「なんだお前! ケイトをどこに連れて行く気だ!」

走ってきたのか、コーダは呼吸を乱しながらも、怯えるケイトに気付いて笑みを浮かべた。騎士の男の笑みとは違う。ケイトを安心させる笑みだった。

「もう大丈夫だ、俺が絶対に守るからな」

小さな体で両手を広げ、ケイトを守らんとするコーダの姿を見て、騎士は僅かに口元を歪めた。
ほんのわずかに。けれどハッキリと、不快感を示すように。

「このように小さな村で、お前のように無力な子供が、先見の聖女様を守り切れるとでも思うのか?」
「守る! 俺が守って見せる!」
「己の無力さを知らぬとは、愚かな子供だ」

一瞬の事だった。
騎士の男が大剣を抜いて、その剣がコーダを切り飛ばしたのは。

本当に一瞬の出来事。
大剣とは思えない速度で振りぬかれた剣は、コーダの体を切裂いて、そのまま遠くの地面へと吹き飛ばした。
ケイトが「騎士が剣を抜いたのだ」と気が付いた時には、叩きつけられたコーダの体から流れた血が、地面を赤く染めていた。

本当に恐ろしい時には悲鳴なんて出ないのだと、ケイトはその時、初めて知った。
ケイトの喉から「ヒュッ」と、息を飲む音が鳴った。
「コーダ」と名前を呼んで駆け寄りたいのに、ケイトの体は石に変えられてしまったかのように、動くことが出来なくて……

「聖女様、私と共に来て下さりますね?」

……固まるケイトに向かって、騎士の男は再び手を伸ばした。
コーダの血が付いたままの手を。

騎士の差し出す左の手のひらには、切り傷があった。
右の手は、ポタポタと未だ血の滴る剣を握っていた。
恐怖で滲んだ涙が、ケイトの視界をぼやけさせる。

「行くな、ケイト。俺が……俺が、一生守るから……」

コーダの苦しそうな声が合図だったかのように、ケイトの視界がぐにゃりと歪んだ。


――目に映る景色が、変わって。


一瞬だけ見えたのは、切り傷の増えたコーダの姿だった。
地面に広がった血の量が、尋常ではなくて。

「……ああ、先見の聖女様のを邪魔するものだから、うっかり殺してしまった」

ぐったりと動かないコーダを前に、騎士の男が呟いた。
淡々と、感情など一切ないような声だった。

コーダは、ピクリとも動かなくて。
傷だらけで痛い筈なのに、呻き声一つ上げなくて。
「コーダ」と名前を呼びたかったのに、ケイトの体は動かなかった。
まるで、体が石にでもなってしまったかのように、ケイトの体は動かすことが出来なくて。

「さぁ、先見の聖女様。行きましょう」

泣きじゃくるケイトは、騎士の男に引きずられて連れ去られた。


――「ケイト!」と、名前を呼ぶ声で視界が戻って……


次にケイトが見たのは、泣き出しそうな顔でケイトの名前を呼ぶ、コーダの姿だった。

ケイトには何が起こったのか、分からなかった。
けれど幻覚を見たのだと言うには、あまりにもリアルな光景だった。
血の気を失い、真っ白な顔になっていたコーダの姿だけが、ケイトの瞼の裏に焼き付いていた。

「ケイト、行くな!」
「先見の聖女様、行きましょう」

ケイトに向かって伸ばされた手は二つ。
一つは優しいコーダの手。
もう一つは、コーダの血が付いた騎士の手。

騎士の言う「未来を見ることが出来る力」というものが、本当にケイトにあるのだとすれば……
先ほどの光景は……ピクリとも動かなかったコーダの姿は……

「行きます、騎士様と一緒に。だからもう、誰も傷つけないで」

ケイトの言葉に、コーダは大きく目を見開いて、それから「ケイト」と、傷ついたような声を発した。

本当はケイトだって、コーダの手を掴みたかった。
コーダと一緒に、小さな田舎の村で幸せに暮らしていたかった。

けれど、それが許されないのなら……
ケイトの望みが、許されないと言うのであれば……
せめてコーダには、生きていて欲しかった。

「ええ、もちろん」

ケイトの返事に、騎士は満足気に頷いた。
それからゆっくりと、血の滴る大剣を鞘に納めた。

「それでは、行きましょう。先見の聖女様」

頷いて、ケイトは振り返らずに故郷を後にした。

「ケイト! どうして! ケイト、行くな! ケイト!!!」

ケイトを呼ぶ、コーダの泣き出しそうな声も聞こえていたけれど。
振り返ったら、泣いていることがコーダにバレてしまうから。


――そうしてその日、ただの村娘だったケイトは、「先見の聖女」になった。


聖女になんてなりたくもなかったケイトだったけれど、故郷を守りたい、その一心で。
ケイトは聖女になることを選んだのだった。


◇  ◆  ◇  


「聖女なんて、馬鹿みたい」

他の聖女はどうだか分からないけれど、ケイトは聖女になることを望んだことは一度も無かった。
たったの一度も。

しかしそれでも、「先見の聖女」は重要だからと、強制的に王都の城まで連れてこられて。
逃げ出す事を許さないと、足首に鎖を付けられて。
ケイトの意思では出ていく事すら出来ない部屋の中に閉じ込められて。
それでもケイトは、聖女として尽力し続けた。

大好きだった故郷と、ケイトを守ろうとしてくれたコーダの幸せだけを願って。


……だと、言うのに。


「聖女様が困っている。離れてやってくれないか?」

窓の外で聞こえた声に、ケイトは大きく目を見開いた。
慌てて飛び起きて、鎖をシャラシャラと鳴らしながら窓へと向かった。
ヒラヒラと揺れるカーテンをかき分ける時間すらもどかしく、ケイトは両手でレースの布を掴んで、眼下の光景を見た。

「どう、して?」

青い空の下、一人の青年が聖女を庇うように立っていた。
白い髪に、金色の瞳。まるで太陽のような外見の青年は、忘れる筈もない、ケイトの幼馴染の姿だった。


「どうして、コーダがここに?」

居る筈のないコーダの姿に、ケイトは呆然とその名前を呼んだ。
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