48 / 56
第七章 カガニアへ
5 ミシュアルと対面
しおりを挟む
そこからはウィルエルの言葉はアレムがカガニア語へ翻訳し、クトゥフの言葉はジャドがネイバリー語に翻訳した。時折ジャドの言葉に不足があればアレムが補足した。こうして両国の間で濃密な会議を行うことができたのだった。
その夜は晩餐会が催された。王族と貴族が招かれ、総勢百名程度の人々が集っていた、アレムとウィルエルは揃いの紺色の麻を使った服を着ていた。アレムは首元が開いたデザイン、ウィルエルは襟が高いデザインになっている。カガニアの気候に合わせた風通しの良い素材だ。ズボンは二人とも白で、アレムはくるぶしに向かって細くなる九分丈、ウィルエルはストレートの十分丈と違いがある。他にも刺繍やアクセサリー、靴は各々に合わせて選ばれていた。
アレムはウィルエルの隣でグラスに注がれた果実入りの甘い水をちびちびと飲んでいた。ウィルエルやロイ達は固まって立っているが、カガニアの人達はなかなか話しかけてこない。ネイバリーのパーティーとは正反対だ。皆遠巻きにこちらを見てヒソヒソと話をしている。アレムはその方が気が楽だった。しかし、ミシュアルは確実にこの場に来るはずである。アレムはミシュアルが話しかけてこないことを祈った。
アレムはウィルエルに豆とスパイスをすり潰して揚げた料理を勧めようとした。カガニアの伝統料理だ。皿に手を伸ばしたその時、背後からふてぶてしい声が聞こえた。
「よお、いいご身分じゃねえか」
アレムはぴたりと手を止めゆっくりと振り返った。そこには予想通り、アレムが最も会いたくない男がいた。アレムとどことなく似た顔つきだが、くっきりとした目は少し吊り上がっている。アレムより長身だが、ウィルエルよりは若干背が低く筋肉質だ。銀色の短髪はウェーブしておりうなじは刈り上げてある。その男、ミシュアルは苦々しい顔でアレムを睨んでいた。
「随分可愛がられてるみたいだが、体を使ってたらし込んだのか? それしか出来ねえもんな」
ミシュアルはウィルエルには一瞥もくれずアレムに言い放った。ウィルエルは氷のような目つきでミシュアルを見ていた。アレムの体から血の気が引く。この男に体をいいようになぶられた記憶が蘇った。ミシュアルの声を聞くだけで、アレムは体が硬くなり、息苦しくなる。
「よくこんな傷だらけの中古品を可愛がれるな。ソイツはそういう趣味か?」
ロイとオドリックはテーブルにあった食事用のナイフを握りしめていた。
「ハッ! のこのこ戻ってきやがって。そんなに俺に会いたかったのかよ」
ミシュアルはアレムに近づくと肩に手を乗せてきた。声、態度、匂い、手のひらの温度。目の前にいるミシュアルの全てがアレムには苦痛だった。気分が悪く逃げ出したい。するとウィルエルが横からアレムの腰を抱き引き寄せた。ミシュアルの手が肩から滑り落ちる。ミシュアルはウィルエルを睨みつけた。
「躾がなっていないようだが、どこの子どもが紛れ込んだんだ?」
ウィルエルはネイバリー語でそう言った。ミシュアルは不快なことを言われたと感じ取ったようだ。
「……ほざけ。こんなお古で満足してくれるなら安上がりなもんだな。せいぜいカガニアの役に立てよ」
ミシュアルはウィルエルを睨んだまま、アレムの耳元で囁いた。遠巻きの人々は皆こちらの様子を伺っていた。アレムはこの場で喧嘩が始まったらどうしようかと思ったが、ミシュアルはウィルエルを一瞥するとその場を去っていった。不思議に思い周囲を見渡すと、クトゥフがミシュアルを睨みつけていた。日頃からミシュアルは問題行動が多いが、国民人気が高いため見逃されている部分がある。しかし国賓に失礼な態度を取るのは流石にクトゥフも見逃せないのだろう。ミシュアルが去るのに合わせて周囲もまたヒソヒソと雑談を再開した。
アレムはほっと小さく溜息をついた。ウィルエルを見ると、とても怒ったような顔つきでアレムを見ていたので驚いた。
「も、もうしわけありません! さっきのおとこはミシュアルといいます。おうぞく、です。わたしとは、ははおやちがいです。かれは……じゆうで、とてもしつれい……、もうしわけありませんでした」
必死にネイバリー語で説明を試みたが、アレムの口をウィルエルは手のひらで抑えた。
「アレムが謝る必要は無い。アレム、ひとつ聞きたいことがある」
ウィルエルはアレムの顔を覗き込むと手を退けた。アレムは何を聞かれるのかとどきりとした。
「アレムはあの男のことが好きか?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。憎むことはあっても、好意など微塵もない。アレムは必死に頭を振って否定した。
「ない……ないです! えーと……きら…………にがてです!」
流石に異母兄妹を嫌いと言い切るのは気が引けたので咄嗟に言い換えた。アレムがそう返事をすると、ウィルエルはにっこりと満面の笑みを浮かべた。アレムは困惑した。
「そうか、分かった」
先ほどまでの不機嫌さは全く感じない。アレムはウィルエルの怒りが治ったようでとりあえず安心した。
その後ミシュアルは姿を見せず、パーティーは周囲の人と当たり障りのない話をして終了した。
カガニアには二泊三日の滞在予定となっている。ウィルエルの予定があることと、カガニア側のあまり長居させたくない、という雰囲気を感じ取った結果だった。これは予め旅の前に鳥を使った往復書簡で決まっていた。
その日の夜はカガニア王宮内の客間に泊まった。アレムとウィルエルは同じ部屋だった。今日与えられた部屋はアレムが住んでいた納屋よりも遥かに立派だった。母がいなくなってから、カガニアでこのような立派な部屋で眠るのは初めてだった。けれど実際にベッドで横になると、アレムは全く寝付けなかった。湿った空気がじっとりとまとわりつき、久しぶりに会ったミシュアルの存在が脳裏から離れない。手を掴まれ、痣だらけになりながら襲われる自分の姿を思い浮かべてしまう。嫌な記憶がアレムの心を殴り続けた。
「…………レム……! ……アレム!」
声が聞こえてハッと目覚めると目の前にウィルエルの顔があった。
「大丈夫か? うなされていたけど……」
「だ……だいじょうぶです」
アレムはそう言ったが、ウィルエルは水を持ってきて飲ませてくれた。そして一緒に横になるとアレムの背中を撫でた。
「心配ない。ずっと私がそばにいるよ」
アレムの目からじわりと涙が溢れでた。それはアレムがずっと求めていたものだった。カガニアの小屋で一人ずっと耐え忍んだ夜。今、同じカガニアにいながらアレムはウィルエルの胸の中にいる。アレムの中の暗い記憶がウィルエルの胸に吸い取られていくようだった。目の前の人が大切で堪らない気持ちになった。アレムは啜り泣きながらウィルエルの胸にしがみついた。ウィルエルは何も言わず、ただ背中を撫で続けてくれた。
その夜は晩餐会が催された。王族と貴族が招かれ、総勢百名程度の人々が集っていた、アレムとウィルエルは揃いの紺色の麻を使った服を着ていた。アレムは首元が開いたデザイン、ウィルエルは襟が高いデザインになっている。カガニアの気候に合わせた風通しの良い素材だ。ズボンは二人とも白で、アレムはくるぶしに向かって細くなる九分丈、ウィルエルはストレートの十分丈と違いがある。他にも刺繍やアクセサリー、靴は各々に合わせて選ばれていた。
アレムはウィルエルの隣でグラスに注がれた果実入りの甘い水をちびちびと飲んでいた。ウィルエルやロイ達は固まって立っているが、カガニアの人達はなかなか話しかけてこない。ネイバリーのパーティーとは正反対だ。皆遠巻きにこちらを見てヒソヒソと話をしている。アレムはその方が気が楽だった。しかし、ミシュアルは確実にこの場に来るはずである。アレムはミシュアルが話しかけてこないことを祈った。
アレムはウィルエルに豆とスパイスをすり潰して揚げた料理を勧めようとした。カガニアの伝統料理だ。皿に手を伸ばしたその時、背後からふてぶてしい声が聞こえた。
「よお、いいご身分じゃねえか」
アレムはぴたりと手を止めゆっくりと振り返った。そこには予想通り、アレムが最も会いたくない男がいた。アレムとどことなく似た顔つきだが、くっきりとした目は少し吊り上がっている。アレムより長身だが、ウィルエルよりは若干背が低く筋肉質だ。銀色の短髪はウェーブしておりうなじは刈り上げてある。その男、ミシュアルは苦々しい顔でアレムを睨んでいた。
「随分可愛がられてるみたいだが、体を使ってたらし込んだのか? それしか出来ねえもんな」
ミシュアルはウィルエルには一瞥もくれずアレムに言い放った。ウィルエルは氷のような目つきでミシュアルを見ていた。アレムの体から血の気が引く。この男に体をいいようになぶられた記憶が蘇った。ミシュアルの声を聞くだけで、アレムは体が硬くなり、息苦しくなる。
「よくこんな傷だらけの中古品を可愛がれるな。ソイツはそういう趣味か?」
ロイとオドリックはテーブルにあった食事用のナイフを握りしめていた。
「ハッ! のこのこ戻ってきやがって。そんなに俺に会いたかったのかよ」
ミシュアルはアレムに近づくと肩に手を乗せてきた。声、態度、匂い、手のひらの温度。目の前にいるミシュアルの全てがアレムには苦痛だった。気分が悪く逃げ出したい。するとウィルエルが横からアレムの腰を抱き引き寄せた。ミシュアルの手が肩から滑り落ちる。ミシュアルはウィルエルを睨みつけた。
「躾がなっていないようだが、どこの子どもが紛れ込んだんだ?」
ウィルエルはネイバリー語でそう言った。ミシュアルは不快なことを言われたと感じ取ったようだ。
「……ほざけ。こんなお古で満足してくれるなら安上がりなもんだな。せいぜいカガニアの役に立てよ」
ミシュアルはウィルエルを睨んだまま、アレムの耳元で囁いた。遠巻きの人々は皆こちらの様子を伺っていた。アレムはこの場で喧嘩が始まったらどうしようかと思ったが、ミシュアルはウィルエルを一瞥するとその場を去っていった。不思議に思い周囲を見渡すと、クトゥフがミシュアルを睨みつけていた。日頃からミシュアルは問題行動が多いが、国民人気が高いため見逃されている部分がある。しかし国賓に失礼な態度を取るのは流石にクトゥフも見逃せないのだろう。ミシュアルが去るのに合わせて周囲もまたヒソヒソと雑談を再開した。
アレムはほっと小さく溜息をついた。ウィルエルを見ると、とても怒ったような顔つきでアレムを見ていたので驚いた。
「も、もうしわけありません! さっきのおとこはミシュアルといいます。おうぞく、です。わたしとは、ははおやちがいです。かれは……じゆうで、とてもしつれい……、もうしわけありませんでした」
必死にネイバリー語で説明を試みたが、アレムの口をウィルエルは手のひらで抑えた。
「アレムが謝る必要は無い。アレム、ひとつ聞きたいことがある」
ウィルエルはアレムの顔を覗き込むと手を退けた。アレムは何を聞かれるのかとどきりとした。
「アレムはあの男のことが好きか?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。憎むことはあっても、好意など微塵もない。アレムは必死に頭を振って否定した。
「ない……ないです! えーと……きら…………にがてです!」
流石に異母兄妹を嫌いと言い切るのは気が引けたので咄嗟に言い換えた。アレムがそう返事をすると、ウィルエルはにっこりと満面の笑みを浮かべた。アレムは困惑した。
「そうか、分かった」
先ほどまでの不機嫌さは全く感じない。アレムはウィルエルの怒りが治ったようでとりあえず安心した。
その後ミシュアルは姿を見せず、パーティーは周囲の人と当たり障りのない話をして終了した。
カガニアには二泊三日の滞在予定となっている。ウィルエルの予定があることと、カガニア側のあまり長居させたくない、という雰囲気を感じ取った結果だった。これは予め旅の前に鳥を使った往復書簡で決まっていた。
その日の夜はカガニア王宮内の客間に泊まった。アレムとウィルエルは同じ部屋だった。今日与えられた部屋はアレムが住んでいた納屋よりも遥かに立派だった。母がいなくなってから、カガニアでこのような立派な部屋で眠るのは初めてだった。けれど実際にベッドで横になると、アレムは全く寝付けなかった。湿った空気がじっとりとまとわりつき、久しぶりに会ったミシュアルの存在が脳裏から離れない。手を掴まれ、痣だらけになりながら襲われる自分の姿を思い浮かべてしまう。嫌な記憶がアレムの心を殴り続けた。
「…………レム……! ……アレム!」
声が聞こえてハッと目覚めると目の前にウィルエルの顔があった。
「大丈夫か? うなされていたけど……」
「だ……だいじょうぶです」
アレムはそう言ったが、ウィルエルは水を持ってきて飲ませてくれた。そして一緒に横になるとアレムの背中を撫でた。
「心配ない。ずっと私がそばにいるよ」
アレムの目からじわりと涙が溢れでた。それはアレムがずっと求めていたものだった。カガニアの小屋で一人ずっと耐え忍んだ夜。今、同じカガニアにいながらアレムはウィルエルの胸の中にいる。アレムの中の暗い記憶がウィルエルの胸に吸い取られていくようだった。目の前の人が大切で堪らない気持ちになった。アレムは啜り泣きながらウィルエルの胸にしがみついた。ウィルエルは何も言わず、ただ背中を撫で続けてくれた。
13
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
【完結】元魔王、今世では想い人を愛で倒したい!
N2O
BL
元魔王×元勇者一行の魔法使い
拗らせてる人と、猫かぶってる人のはなし。
Special thanks
illustration by ろ(x(旧Twitter) @OwfSHqfs9P56560)
※独自設定です。
※視点が変わる場合には、タイトルに◎を付けます。
今日も武器屋は閑古鳥
桜羽根ねね
BL
凡庸な町人、アルジュは武器屋の店主である。
代わり映えのない毎日を送っていた、そんなある日、艶やかな紅い髪に金色の瞳を持つ貴族が現れて──。
謎の美形貴族×平凡町人がメインで、脇カプも多数あります。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~
倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」
大陸を2つに分けた戦争は終結した。
終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。
一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。
互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。
純愛のお話です。
主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。
全3話完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる