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第二章 婚約生活の始まり

4 気まずい朝

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 翌朝、アレムは目覚めるとなぜかベッドにいた。薔薇のような匂いがする。目の前にはバスローブ。顔を上げるとそこには美しいウィルエルの寝顔があった。
「えっ!?」
 ウィルエルはアレムをしっかりと抱きしめていた。昨晩抜け出したはずなのに、夢だったのだろうか?
 しかしベッドサイドのテーブルの上には、居間から持ち込まれた燭台が置いてあった。
「な、なんで……?」
 アレムは混乱しながら再びウィルエルの腕から抜け出した。寝室から出ると、居間のテーブルの前にロイとオドリックがいた。
「◼︎◼︎◼︎!」
「◼︎◼︎◼︎」
 二人はアレムを見つけると挨拶と思われる言葉をかけてきた。ロイは大きな口でにっこり笑い、オドリックは静かに微笑んだ。
「あ、お、おはようございます」
 カガニア語で挨拶するとバスローブの前を慌てて押さえ、肌が見えないか確認した。きっとあとでこの二人も昨日の出来事を知るのだろう。まだ何も知らない二人が笑いかけてくれるのが苦しかった。
 逃げるように部屋へ滑り込むと、クローゼットが開かれ新しい服がかけてあった。そのブラウスとズボンをおそるおそる手に取ると、手触りでとても上等な物だと分かった。白い絹のブラウスは袖が手首に向かって大きく膨らみ、袖口で絞られている。スタンドカラーと身頃にはレースの模様が施されておりとても上品だ。青の細身のズボンは足首が見える丈で、裾が金の糸で縁取られている。アレムが身につけていたものと雰囲気が似ていた。
 ああ、こんな自分にこんな上等な物を……。今日で去るかもしれないのに。
 アレムは申し訳なく思ったが、無碍にするわけにもいかず用意されていた服に袖を通した。
 部屋を出るとテーブルに朝食が用意されていた。オドリックがティーポットからお茶を注いでいる。
「◼︎◼︎◼︎ ◼︎」「◼︎◼︎◼︎ ◼︎!」と二人が笑顔で何か口々に声をかけてくれたが、アレムは曖昧に微笑みを返した。おそらく、この服を着て正解だったようだ。
 船でもそうだったのだが、食事を用意してもらえるのはアレムには久々のことだった。カガニアにいた頃は王宮の下働きの人達の台所から残り物を分けてもらっていた。彼らはアレムが近づくと露骨に嫌そうな顔をするので、必要な分だけ少し貰うと大急ぎで立ち去っていた。パンやチーズ、ウインナーなどそのまま食べられる物がメインで、あとは王宮の森で育っている果物などを食べていた。アレムは城内の雑木林の片隅の物置で暮らしていた。年に数回父親に食事に呼ばれたとき以外は、朝も昼も夜も小さな物置でたった一人食事を取っていた。
 目の前の温かな食事と穏やかに迎えてくれる人達。きっと今日が最後になるだろう。それも仕方ない――。
 そう思い席に着こうとすると、ウィルエルが部屋から出てきた。アレムはびくりと体を固くした。ウィルエルはバスローブがはだけて胸元が露わになっている。オドリックとロイが挨拶し、ウィルエルはあくびをしながら返事した。アレムに視線を向けたので、何を言われるだろうと警戒していると、ウィルエルはどんどん近づいてきてアレムを正面から抱きしめた。
「!?」
 アレムが硬直していると、ウィルエルは迷いなくキスをしてきた。唇を離すと背中をぽんぽんと叩いてアレムから離れた。そのままテーブルに近づくと、立ったまま小さな赤い果実を摘んでひょいと口に放り込んだ。昨日の出来事など、ウィルエルにとっては取るに足りないことだったのだろうか。もしくはアレムに見切りをつけて今日で最後と割り切っているのだろうか。アレムはロイに勧められるまま席に着き、びくびくしながらお茶を飲んだ。
 ウィルエルは自室へ入るとあっという間に着替えを済ませて出てきた。軍服のようなかっちりとした碧いジャケットを着ている。腕にはパーティーのときに付けていた白い宝石が付いた腕輪を嵌めていた。さっきまでとは打って変わって気品ある色気が漂う。
 ウィルエルも席に着き、二人で食事を取った。ときどきウィルエルが話しかけてくれるが、アレムは言葉が分からないのでしどろもどろになってしまう。それでもウィルエルは気にした様子はなかった。アレムは「婚約は今日で終わりだ」などと言われていないことを祈った。
 食事を済ませるとウィルエルはオドリックに何かを指示した。オドリックは頷くと部屋を出て、しばらくすると戻ってきた。オドリックは白衣を着た白髪混じりの男性を連れてきていた。聴診器を首にかけ、黒い大きな皮のバッグを持ったその人物はどう見ても医師だ。混乱するアレムをよそに、ウィルエルはアレムの手を引き寝室へ連れて行った。医師も付いてくる。寝室の戸が閉められ、アレムはベッドに座らされた。わざわざ医者に見せるような傷ではないし、見られたくないと体を強張らせた。だが医師はアレムに声をかけ、慎重にアレムのシャツの裾を捲った。傷だらけの体が晒される。ウィルエルは傍で様子を見ていた。再び汚い体を見られ、アレムは下唇をギュッと噛み締めた。医師は傷にそっと触れると「◼︎◼︎ ◼︎?」と聞いてきた。ウィルエルが昨晩何度も聞いてきた言葉と同じに聞こえた。医師は今度は少し力を込めて傷を押さえ、また「◼︎◼︎ ◼︎?」と尋ねてくる。もしかして「痛い?」と聞いているのだろうか。恐る恐る首を横に振ってみると、ウィルエルが安堵の表情を見せた。医師はアレムの全身の傷を調べ、カルテに何か書き込んだ。それから傷がひどい数カ所には薬を塗ったり湿布を貼ったりしてくれた。アレムは親切にしてもらって感謝しなければと思う反面、汚い傷を見せた上に迷惑をかけて申し訳ないと思ってしまった。それにしても自分は追い出されないのだろうか、これは最後の親切なのだろうかと疑心暗鬼になった。
 ウィルエルが紙とペンを持ってきた。ベッドサイドのテーブルでさらさらと何か描き始める。文字ではないようだ。人の形を描き、そこに目と長い髪、それから体へ傷が描き込まれた。
「アレム」
 トントンと人型を指さして、ウィルエルが言った。これがアレムという意味だろう。そしてもうひとつ人型を描き込んだ。それはアレムの人型に向かって手を振り上げていて、アレムに危害を加えようとしているようだった。
「◼︎◼︎?」
 ウィルエルはその人型を指すとアレムに問いかけた。間違いなく、ウィルエルはアレムに暴行を加えた人物を聞き出そうとしている。冷や汗がアレムの背中を伝った。異母兄が犯人などど答えることは出来ない。とにかくことを荒立てたくない。アレムは顔を青くしてぶんぶんと顔を横に振った。ウィルエルはじっとアレムを見つめ、ノートを閉じた。
 ウィルエルと医師はしばらく話し込み、いくつかの薬をウィルエルが受け取っていた。そのときノックと共にドアが開き、オドリックがウィルエルを呼びにきた。ウィルエルはベッドに座ったままのアレムの額にキスをするとオドリックを連れて部屋から去って行った。医師もそれに続いて帰り、部屋にはアレムが一人残された。医師を呼ばれたということは、オドリックとロイも恐らく傷痕のことを知っているのだろう。それでも、治療しようとしてくれているので今すぐ婚約を破棄する予定はないのかもしれない。しかし自身の醜い姿を知られてしまったことがアレムは辛かった。
 しばらくその場に固まっていたが、ようやく俯いていた顔を上げると、ベッドの向かいの壁に飾ってある絵画が目に入った。ネイバリーの港の風景のようだ。空高くから俯瞰して海辺の街が描かれている。奥一面に海が広がり、右上に白い鳥が描かれていた。
 あの鳥、船から見た鳥だろうか……。
 船の上で沈んでいた気分を救ってくれた鳥を思い出した。もともと当たって砕ける覚悟だったじゃないかと思い直し、アレムは立ち上がり部屋を出た。
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