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第一章 ネイバリー国に来たアレム
5 まさかの通訳帰国
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パーティーはその後すぐお開きになり、アレムとジャドは別室に呼ばれていた。ほどなくしてウィルエルが先ほどの従者を連れて室内にやって来た。ウィルエルはソファに座るアレムの隣に密着して腰掛けた。ソファは十分な広さがあるのに、なぜそんなに密着するのかアレムには分からなかった。体をアレムの方に向けウィルエルは熱心に何かを伝えてくる。ソファの後ろに立っているジャドを見ると、不味いものを吐き出すような顔をしていた。一体何を言われているのか見当もつかない。それにしても距離が近く、しかも段々と詰め寄ってくる。アレムが少し下がるとウィルエルはそれ以上に近づいてきてしまう。母以外とこんなに体を密着させて話をしたことがないのでアレムはどきどきしてしまった。それにウィルエルはとてもいい匂いがする。
ウィルエルは話を止めると、ジャドを見つめた。通訳を促しているようだ。ジャドは逡巡の後口を開いた。
「……カガニアの資源がネイバリーにとっていかに魅力的かを語っておられる」
なんだ、そういう話だったのか、とアレムはほっとした。政治や宗教についての意見を求められたらどうしようかと思っていたのだ。こういった質問は答え方を間違えると関係が拗れかねない。そんな小難しい話をしている訳では無いと分かったが、ジャドはなぜかしかめ面をしていた。ウィルエルの言い方が気に入らなかったのだろうか。
ひとまず「ありがとうございます。恐縮です」と答えてジャドに通訳してもらう。その後はウィルエルではなく従者が話しだした。一区切りついてジャドが通訳してくれた内容はこうだった。
従者の名はオドリックといい、ウィルエル王子の側近として働いている。これから一年アレムは婚約者としてネイバリー城で過ごす。アレムにも当然婚約を辞退する権利はあるので、一年過ごして二人で結論を出して欲しい。婚約するにあたって、アレムに来てもらう形になっているので契約金がカガニアへ支払われる。
「破格の条件だ。お前に断る選択肢はないぞ!」
声を押し殺してジャドがアレムに凄んだ。
「分かってる……」
ふと夜の営みはどうなるのかと思ったが、そんなことは聞けるはずがない。ウィルエル王子は同性も相手にすると聞いた。そういう行為はあまりしたくないが、するとしても出来る限り先延ばししたいと願った。そもそもウィルエルがアレムに欲情しない可能性もあるのだから、夜についてはあまり考えないことにした。
「ちなみにわしは明日か明後日には帰るからな」
「え……、は……?」
ジャドが言い放った言葉にアレムは目を見開いた。元々一年間いてくれるとは思っていなかったが、まさかそんなに早いとは思っていなかった。
「でも僕は言葉が分からない……」
「そんなの現地にいたら嫌でも覚えるさ。自分でなんとかしろ。向こうに通訳を探してもらえないのか?」
アレムにネイバリーで通訳を探してくれと要求する勇気はない。
「せめてもう少し慣れるまでは……」
アレムの言葉を遮ってジャドは話を続けた。
「わしは長女の出産と次女の結婚式が迫ってるんだ。何と言われても残ることはできん。大臣からは婚約が決まれば帰国していいと言われてるしな」
「そんな……」
アレムとジャドの様子を見てウィルエルとオドリックが声をかけてきた。何を話しているか気になるのだろう。ジャドがネイバリー語で二人に返事をした。事情を話しているようだ。少し話し込むと、ジャドはアレムに内容を伝えた。
「ネイバリーでカガニア語を話せる人はほとんどいないらしい。一人心当たりはあるが、かなりの高齢で遠くの地方に住んでいるから、ネイバリー城に招くことはおそらく出来ないということだ」
つまり、ジャドが去った後アレムは言葉が通じないこの国で一人過ごさねばならないということだ。カガニアは国外に出る人がほとんどおらず、海外の情報を得ているのはごく一部の政治家が主だ。外国語を学ぶ人は極小数で、教材も非常に限られている。むしろ国外へ人を出さないよう、意図的に外国の文化を遮断しているのではないかとアレムは勘繰っている。王宮で放置されていたアレムは書庫にある書物から知識を得ていたが、ネイバリー語についての本は見たことがない。ジャドのように通訳が出来る人間はカガニアでは大変貴重なのだ。今回の婚約は国の一大事のはずだが、派遣した通訳をさっさと帰国させるとは――。カガニアはアレムに対しては徹底的に“節約”思考らしい。
「お前はほとんど喋らないし、別にいいだろう」
ジャドが意地悪くアレムに言い放った。アレムは元々無口な訳ではない。むしろ母がいたころはいろいろなことに興味津々で、いつも母を質問攻めにしては困らせていた。長い王宮での孤独な暮らしがアレムの口数を奪っていったのだ。しかしふとアレムはこう思った。
――確かに、カガニアにいるのと変わらないのかもしれない。
カガニアでは悪意のある言葉をぶつけられるばかりだったので、聞こえてくる声を遮断し無言を貫いた。ネイバリーはカガニアの資源には興味があるだろうが、アレム自身に興味があるわけでは無い。カガニアにいた頃と同じように、淡々と生活するだけだ。ウィルエルに気に入ってもらえる努力は必要かもしれないが、恋愛結婚ではないのだ。最低限の言葉はどうにかして覚えて、あとは嫌われないよう大人しく従順にしていれば大丈夫かもしれない。それにアレムが嘆いたところで通訳がやって来る訳ではない。アレムは息を吐いて気持ちを切り替えた。
「……分かりました。よろしくお願いします」
ジャドが短くウィルエルに伝えると、ウィルエルはぱっと笑顔を見せた。アレムは抱き寄せられたかと思うと、頬にキスをされた。
アレムとジャドが固まっている間にウィルエルは反対側の頬にもキスをして、ひらひらと手を振り部屋から去っていった。
「かーっ、キザというか軽いというか。誰にでもああなんだろう」
ジャドが気持ちを代弁してくれて、アレムはゆっくり頷いた。
「しょせんカガニアの資源目当ての婚約だが、飽きられないようしっかりやるんだぞ! ネイバリーにはカガニアの盾になってもらわんと困るからな」
婚約者というだけでも各国に対して大きな牽制になるだろう。
「あれだけ軽薄な王子なら、お前もお気に入りの一人になるくらいはできるだろう。よかったな」
そうだと助かるな……。アレムはそう思った。少なくとも嫌われている感じはしなかった。このまま、嫌われることなく一年を全うして結婚に持ち込めるだろうか。婚約については喜びよりも安堵の気持ちが大きい。しかし今後の生活については心配が尽きない。
このときのアレムは一年後の自分が全く想像できなかった。ぼんやりとウィルエルが去っていったドアを見つめていた。
ウィルエルは話を止めると、ジャドを見つめた。通訳を促しているようだ。ジャドは逡巡の後口を開いた。
「……カガニアの資源がネイバリーにとっていかに魅力的かを語っておられる」
なんだ、そういう話だったのか、とアレムはほっとした。政治や宗教についての意見を求められたらどうしようかと思っていたのだ。こういった質問は答え方を間違えると関係が拗れかねない。そんな小難しい話をしている訳では無いと分かったが、ジャドはなぜかしかめ面をしていた。ウィルエルの言い方が気に入らなかったのだろうか。
ひとまず「ありがとうございます。恐縮です」と答えてジャドに通訳してもらう。その後はウィルエルではなく従者が話しだした。一区切りついてジャドが通訳してくれた内容はこうだった。
従者の名はオドリックといい、ウィルエル王子の側近として働いている。これから一年アレムは婚約者としてネイバリー城で過ごす。アレムにも当然婚約を辞退する権利はあるので、一年過ごして二人で結論を出して欲しい。婚約するにあたって、アレムに来てもらう形になっているので契約金がカガニアへ支払われる。
「破格の条件だ。お前に断る選択肢はないぞ!」
声を押し殺してジャドがアレムに凄んだ。
「分かってる……」
ふと夜の営みはどうなるのかと思ったが、そんなことは聞けるはずがない。ウィルエル王子は同性も相手にすると聞いた。そういう行為はあまりしたくないが、するとしても出来る限り先延ばししたいと願った。そもそもウィルエルがアレムに欲情しない可能性もあるのだから、夜についてはあまり考えないことにした。
「ちなみにわしは明日か明後日には帰るからな」
「え……、は……?」
ジャドが言い放った言葉にアレムは目を見開いた。元々一年間いてくれるとは思っていなかったが、まさかそんなに早いとは思っていなかった。
「でも僕は言葉が分からない……」
「そんなの現地にいたら嫌でも覚えるさ。自分でなんとかしろ。向こうに通訳を探してもらえないのか?」
アレムにネイバリーで通訳を探してくれと要求する勇気はない。
「せめてもう少し慣れるまでは……」
アレムの言葉を遮ってジャドは話を続けた。
「わしは長女の出産と次女の結婚式が迫ってるんだ。何と言われても残ることはできん。大臣からは婚約が決まれば帰国していいと言われてるしな」
「そんな……」
アレムとジャドの様子を見てウィルエルとオドリックが声をかけてきた。何を話しているか気になるのだろう。ジャドがネイバリー語で二人に返事をした。事情を話しているようだ。少し話し込むと、ジャドはアレムに内容を伝えた。
「ネイバリーでカガニア語を話せる人はほとんどいないらしい。一人心当たりはあるが、かなりの高齢で遠くの地方に住んでいるから、ネイバリー城に招くことはおそらく出来ないということだ」
つまり、ジャドが去った後アレムは言葉が通じないこの国で一人過ごさねばならないということだ。カガニアは国外に出る人がほとんどおらず、海外の情報を得ているのはごく一部の政治家が主だ。外国語を学ぶ人は極小数で、教材も非常に限られている。むしろ国外へ人を出さないよう、意図的に外国の文化を遮断しているのではないかとアレムは勘繰っている。王宮で放置されていたアレムは書庫にある書物から知識を得ていたが、ネイバリー語についての本は見たことがない。ジャドのように通訳が出来る人間はカガニアでは大変貴重なのだ。今回の婚約は国の一大事のはずだが、派遣した通訳をさっさと帰国させるとは――。カガニアはアレムに対しては徹底的に“節約”思考らしい。
「お前はほとんど喋らないし、別にいいだろう」
ジャドが意地悪くアレムに言い放った。アレムは元々無口な訳ではない。むしろ母がいたころはいろいろなことに興味津々で、いつも母を質問攻めにしては困らせていた。長い王宮での孤独な暮らしがアレムの口数を奪っていったのだ。しかしふとアレムはこう思った。
――確かに、カガニアにいるのと変わらないのかもしれない。
カガニアでは悪意のある言葉をぶつけられるばかりだったので、聞こえてくる声を遮断し無言を貫いた。ネイバリーはカガニアの資源には興味があるだろうが、アレム自身に興味があるわけでは無い。カガニアにいた頃と同じように、淡々と生活するだけだ。ウィルエルに気に入ってもらえる努力は必要かもしれないが、恋愛結婚ではないのだ。最低限の言葉はどうにかして覚えて、あとは嫌われないよう大人しく従順にしていれば大丈夫かもしれない。それにアレムが嘆いたところで通訳がやって来る訳ではない。アレムは息を吐いて気持ちを切り替えた。
「……分かりました。よろしくお願いします」
ジャドが短くウィルエルに伝えると、ウィルエルはぱっと笑顔を見せた。アレムは抱き寄せられたかと思うと、頬にキスをされた。
アレムとジャドが固まっている間にウィルエルは反対側の頬にもキスをして、ひらひらと手を振り部屋から去っていった。
「かーっ、キザというか軽いというか。誰にでもああなんだろう」
ジャドが気持ちを代弁してくれて、アレムはゆっくり頷いた。
「しょせんカガニアの資源目当ての婚約だが、飽きられないようしっかりやるんだぞ! ネイバリーにはカガニアの盾になってもらわんと困るからな」
婚約者というだけでも各国に対して大きな牽制になるだろう。
「あれだけ軽薄な王子なら、お前もお気に入りの一人になるくらいはできるだろう。よかったな」
そうだと助かるな……。アレムはそう思った。少なくとも嫌われている感じはしなかった。このまま、嫌われることなく一年を全うして結婚に持ち込めるだろうか。婚約については喜びよりも安堵の気持ちが大きい。しかし今後の生活については心配が尽きない。
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