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エピローグ

その先

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 そしてまた週末が訪れた。
 今日は、今後のことをゆっくり話し合うため、昼間から亮弥くんがうちに来ている。
 軽くパスタのお昼ごはんを済ませて、PCで結婚指輪についてひととおり調べた後、私はコーヒーを淹れにキッチンへ行った。
 冷凍庫から取り出したコーヒーの粉をドリッパーにセットし、ケトルが沸騰を知らせるのを待つ。
「指輪とかつけたこと無いから、選び方がよくわかんないなぁ」
 部屋で引き続きPCに向かっていた亮弥くんが、両手を頭の上で組んでチェアーにもたれながら、半ば諦めたように言った。
「そういえば亮弥くんって、オシャレだけどアクセサリーはつけないよね」
「ぜんぜんオシャレじゃないし」
「あはは、そう?」
「俺は最低限の身だしなみだけがんばる派だから。アクセサリーみたいに、意識してアイテム増やす感じには、ちょっと踏み出せないって言うか……根暗だから……」
「アクセサリー必要ないよ、亮弥くんは。素材が輝いてるから」
 ケトルが鳴ったので、私はコンロの火を消した。
 注ぎ口を開けると、わっと水蒸気が吹き出す。
 そのお湯をドリップポットに少し移し、サーバー、マグカップへと順に移して温める。
 そこへ亮弥くんがやってきて、
「じゃあその輝く素材にキスして」
 と言うので、私は顔を上げてそっとキスをした。

「アクセサリーはともかく、やっぱり年を取るごとに見た目が衰えてる感はめっちゃあるんだよね……。優子さんはいつまでも綺麗ですごいよ」
「あはは、それは、私が年を取った後に出会ってるからそう思うだけだよ。昔から知ってたら、年取ったなって思うよ」
「昔も知ってるよ」
「亮弥くんが言う昔の私って、もう今の亮弥くんより年上だったからね。若さをなくした後だよ」
「若さをなくしてそれなら良すぎじゃん!」
「亮弥くんのほうが良すぎだって。そんな美貌でぜいたく言わないの」
 話しながら順調に抽出されていくコーヒーから、心を穏やかにする癒しの香りが漂う。
「だってさ……優子さん、俺が今より不細工になっても、同じように好きでいられる?」
 その質問を不思議に思って、再び顔を上げた。
 そこには「不細工」という言葉からはほど遠い、美術品のように完成された美しい顔があって、瞳に少しの不安を覗かせている。
 どうやら冗談ではないらしい。
 私が感じているような不安を、亮弥くんも感じている。
 それに気づいて少し驚いた。
 そんなことで気持ちが変わるなんてあり得ないのにな。
 そう思って、はっと気づく。
 亮弥くんの私に対する気持ちも、これと同じなんだと。

「亮弥くんの中身が変わってしまわない限り、亮弥くんの美しさは変わらないよ。外見が衰えても、美しさは衰えない。だから安心して年を取っていいよ」
「嫌いにならない?」
「もちろん。なるわけないよ」
 そう答えて頭をよしよしすると、亮弥くんはホッとしたように表情を緩めた。
「でも亮弥くんの顔も体型も好きだから、努力はしてくれたら嬉しいな」
 そう付け加えると、亮弥くんは心なしか嬉しそうに笑って、「努力します」と言った。

 ミニテーブルをベッドサイドに移動させてコーヒーを置き、ベッドの定位置に並んで座った。
 ここで二人でくつろいでいる時間は、何も特別なことがなくてもそれだけで私を幸せにしてくれる。
 のんびりとコーヒーを飲みながら、亮弥くんが話し始めた。
「引っ越しも本当は、優子さんの仕事が始まる前にできた方がいいよね……」
「そうだねぇ……。一応物件は早めに探しに行ってみる?」
「え、まじでそのスピード感でいいの?」
 自分で言い出しておきながら、亮弥くんはびっくりした顔でこちらを見る。
「実際、休みが合わなくなったら部屋探しも難しくなるし、時間がある時にできたら助かるなって気持ちはあるよ。ただ……」
 私は父の顔を思い浮かべた。
 さすがに四十の娘の同棲を反対するとも思えないけど、その先に結婚があると考えると、挨拶には行っておかないといけない気がする。
 それに、亮弥くんのご両親にだって……。
「それぞれの家に結婚のことを話してからの方が良い気がして……」
「やっぱりそうだよね……」
「特に亮弥くんのご両親には、ついこの間"先は決まってない"って言ったばかりだから、またお母さん悩ませちゃうかもしれなくて、ちょっと心配」
「うーん……。でも、母親は優子さんのこと気に入ってたぽかったから、なんとかなるんじゃないかな? 俺は、優子さんのお父さんの方が怖いけど……」
「あはは、私も怖い」
「ダメじゃん」

 私は飲みかけのカップをいったんテーブルに置いた。
 膝を少し倒して亮弥くんのほうを向く。
 いつ見ても美しい横顔は、それに気づいてこちらに視線を流し、口元に笑みを乗せる。
 私の瞳がカメラになって、この顔をそのまま写真に収められたらいいのにと、私はいつも思う。

「そういえばね、妹の彼氏がギター弾く人で、最近たまにライブやってるんだって」
「え、すごいじゃん」
「うん、それでね、一度亮弥くん連れて観においでよって言われてて……四人でごはんも食べたいって言ってたけど、どうする?」
「え、ホント? 行く」
 予想外の反応。
「ライブとか、初対面でごはんとか、大丈夫?」
「大丈夫。その彼氏さんって長年同棲してる人でしょ? お父さん対策聞きたいから、会ってくれるなら会いたい」
「そっか、たしかにあの子たちに先に相談するのはアリかも。じゃあ、それ先にアポ取ろうか。ライブはまた別途でも、いったんごはんだけでも良いし」
「うん、そうする」
 週末ごとに晶子達、青山家、片瀬家を回れれば、どうにか七月中に話はつくかもしれない。
 もし揉めたとしたら、入籍自体は同居開始よりも後で構わないわけだし……。

「それじゃ、指輪は後回しにして、挨拶周りと部屋探しを先にしようかな」
「あのさ……。優子さん、結婚式は特に考えてないの?」
 結婚式。正直なところ、あまり考えていなかった。というか、
「結婚式は、するとしても後回しかなぁって思ってたんだけど……。そんなにこだわりもないし、愛美ちゃん達のが終わってから考えてもいいかなって」
「あ、そっか。姉ちゃん達のが保留中なんだった」
「亮弥くんは早くしたい?」
「俺は……えっと俺は、優子さんに従うけど……」
 何を遠慮してるのかわからなくて首を傾げると、亮弥くんが言った。
「ほら、プロポーズの時、結婚以外は全部譲歩すると、宣言したので……」
「ああ!」
 そんなこと律儀に気にしてたんだと思って、なんだかかわいそうで、愛しくなった。
「それは、無しにしよう。私も亮弥くんの望みはできるだけ叶えてあげたいし」
「え、いいの?」
「もちろん。それに、私思ったんだけどね、二人の間のことは、亮弥くんの方が判断が正しいことが多い」
 そう言うと、亮弥くんは笑った。
「そうだっけ?」
「そうだよ。亮弥くんのおかげだから。今の私達があるのは。だから、これからも頼りにさせてください」
「マジで? 俺にも優子さんに頼ってもらえることがあったとは……」
「すごく頼りにしてるよ。本当に、ずっと心の支えだし。ありがとう。本当に……私の側にいてくれて……」
 伝えているうちに、急に感極まって、声が弱くなって、涙が……。

「あは……、なんだろ。最近涙もろくて……」
 慌てて涙を拭う。
 そんな私の頭を、亮弥くんが優しく撫でて、そのまま自分の肩に引き寄せた。
「いいじゃん。俺は逆に少し強くなったから、優子さんは泣いていいよ」
「そうなの?」
「うん、そんな気がする」
「ふふ……」
 私は亮弥くんにぎゅっと抱きついた。
 幸せすぎて、次々涙がこぼれてくる。
 こんな人を、どれほど渇望しただろう。
 今思うと、長く辛い人生だった。
 心の孤独は一生のものだと覚悟していた。
 でも、そうじゃなかった。
 もう、終わったんだ。

「優子さん」
 亮弥くんが私の顎に手を添えたので、私は顔を上げた。
「涙止める魔法かけてあげる」
「今泣いていいって言ったのに」
「そうだった」
 亮弥くんは笑いながら、頬の涙をキスで掬っていく。
 目を閉じて委ねると、唇が優しく触れるごとに心が凪いで、今度は緩やかな幸せが私を満たしていく。
 やがて唇へとたどり着いたキスは、涙の味がして、それはあっという間に舌の上に溶けてなくなった。
 
「結婚式は後でもいいけどさ」
 ベッドに寝転がって、それぞれスマホで賃貸情報を検索していたら、ふいに亮弥くんが言った。
「それだったら先に写真撮りたいんだけど……」
「写真?」
「結婚アルバムみたいなやつ、あるじゃん。ドレス着て、写真撮るの」
 亮弥くん、そんなことしたかったのか、と私は驚いた。
「そういうの、結婚式の時に一緒にできるんじゃないの?」
「そうだけど、優子さんが一日でも若いうちに撮ってあげたいの」
「え、私?」
 その言葉に、私はいよいよ驚いた。
「だって、優子さん、そういう自分が綺麗に写ってる写真無いんでしょ?」
「そうだけど……なんでそれを……」
 亮弥くんはたまに、私が言った覚えのないことを言う。
「ほんとにあの時のことだけキレイに覚えてないんだね」
「あの時って?」
「酔っ払って仲見世歩いた時」
「あ~、その時にそんなことまで言ってたの?」
「いろいろ優子さんの願望聞けて、俺には収穫だったけど」
 全く覚えてなくて、なんだかすごく恥ずかしい。
 お酒には気をつけよう。
「とにかくね、俺はそのアルバムだけは絶対に作りたいの。あの時にそうしようって決めたから。こんなに早くチャンスが来るとは思わなかったけど……」
 そんなこと思ってくれてたなんて、素直に嬉しい。
 今の容姿でどれだけのものが撮れるのか、心配ではあるけど。
「それならたしかに、一日でも早い方がいいかもね」
「え、じゃあ、撮ってくれる?」
「うん。ありがとう」
「ッしゃ!! じゃあさ、じゃあさ、俺いろいろフォトプラン調べてたんだけど……」

 亮弥くんはすぐに自分のスマホを操作して、私に画面を見せながら、いろんなフォトスタジオやアルバム制作のプランを、わかりやすく説明してくれた。
 それを聞きながら、よく調べてくれてるなぁと感動するとともに、本当に本当にこの人のことが大好きだと、深く実感する。
 この幸せを、この先ながくながく守っていけるように、亮弥くんの笑顔を守っていけるように、私のすべてをかけて尽くしていこう。
 そうすることを不安に思わないのは、亮弥くんがいつも、私の愛情を上回るほどのものを返してくれるから。
 私がこんなにバランスよく一緒にいられる人は、過去も未来もこの世界に一人だけだろう。
 その人と出会えた私は、とても幸運な人間だ。

 これまでとは何もかもが違う毎日が始まろうとしている。
 この年で全てを一新させることに、こんなにわくわくしている。
 四十歳。まだまだ残された時間は長い。
 自分の気持ちに最適化された人生という、最高のプレゼントを享受して、私は進む。
 心から愛おしい大切な人と、この先は二人で――。



<完>
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みんなの感想(2件)

松竹梅
2023.01.25 松竹梅
ネタバレ含む
天野アンジェラ
2023.01.26 天野アンジェラ

松竹梅さん、はじめまして!
コメントありがとうございます。

更新追いついてくださってるのですね、ありがとうございます…!
本当に難しいところですよね。優子がこれからどういう未来を求めていくのか、お楽しみに!
更新少しお待たせしてしまいますが、2月1日(水)からまたよろしくお願いいたします。

天野アンジェラ

解除
Jasmin
2023.01.05 Jasmin
ネタバレ含む
天野アンジェラ
2023.01.05 天野アンジェラ

Jasminさん、感想をありがとうございます。
なんか…凄い感想で…!どう返事すればいいか…!

まずは、お読みいただきありがとうございます。しかも3回も!?!?
デミルカ様とはだいぶ毛色が違いますが、楽しんでいただけたようでよかったです。

驚いた、というのは、「これだけの葛藤や苦しみを経ても、結局出た答えが『知ったところで何も変わらない、変えられない』というところ」…という意味で合ってますか?
いやぁ。そんなふうに受け止めていただけて、嬉しいですね。
優子にモデルがいるか否かは、言及しないでおきますが、「そういう人」がどんなふうに気づいていくかがすごく詳しく書いてあって、ひぇ~となってます。(語彙力どこいった)
生きづらさ、と括れば、おそらく同じような過程を踏んでいる人はたくさんいるのでしょう。
でも多くの人が共感するわかりやすい生きづらさは、もうたくさん溢れているので、その中でも私にしか書けないものを、という気持ちでこの話を書きました。

自分の特異性に気づいてしまって、それでも何を変えることもできないと知り、一人の道を選んだ優子が、亮弥というそのままの自分を丸ごと受け入れてくれる存在に出会いました。
でも、だからってやっぱりそうそう変われない。40歳まで生きてきた優子は、もう価値観が固まってしまっています。
そんな優子と、まだまだ若い亮弥の関係がこの先どうなっていくのか、どうぞお楽しみに!!!

本当に貴重なご感想を、ありがとうございます!

天野アンジェラ

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