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第16章

1 賭け①

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 拓海さんに連れられて、花束を抱えた優子さんの前に立った俺は、内心相当困惑していた。
 それは優子さんも同様なのが、暗黙のうちに伝わってきた。

「え、誰?」
「芸能人?」
 その場にいた女子達がこそこそと囁くのが耳に入る。
「芸能人じゃなくて、優子さんの彼氏!」
 俺はその言葉で、女子群に実華子さんがいるのに気づいた。
「えっ、片瀬ちゃん彼氏いたの!?」
 すかさず驚きの声を上げたオッサンを見て、あれが噂のパートナー秘書か、と理解する。
「ちょっと、実華ちゃん」
「いいじゃないですか、もう辞めたんだし~」
「え、ホントに優子さんの彼氏?」
「鬼イケメン」
「やば」
「めっちゃ若いじゃん」
「優子さんすごくない……?」
 その場はにわかに盛り上がり、収拾がつかなくなってしまった。

「ごめん。こんなつもりじゃ……」
 俺は小声で優子さんに謝った。
 待ち伏せしてはいたものの、まさかこんなに人がついて来るとは思わなかったのだ。
「そうだよね……」
 優子さんが返事をしてくれた。
 そのことに、一縷の望みを掴んだ思いがした。

「それじゃ、荷物は亮弥さんにお渡ししますね」
 拓海さんはそう言って、手に持っていたバッグや紙袋を俺に差し出した。
「あ、すみません、ありがとうございます」
 慌ててそれを受け取り、
「あ……俺、先にタクシー乗ってるから」
 別れを邪魔しないようにと思い、優子さんにそう告げた。
 そのまま行こうとしたけど、皆の視線を一身に受けて無言で去るのも失礼な気がして、
「えっと、優子さんがお世話になりました」
 と、その場の人達に謎の挨拶をして頭を下げてから歩き出した。
「え~! イケメンなのに礼儀正しい~!」
「かわいい~!」
「優子さんいいな~!」
 という声が後ろから耳に届いたので、すごく恥ずかしい気持ちになって急いでタクシーに乗り込んだ。

「あと一人来ます」
 運転手に伝えながら、後部座席を奥へと進む。
 優子さんがこの車に乗ってきてくれなかったらどうしよう……。
 そう不安になりながら、パリッとして冷ややかな白いシートカバーの上で、人質代わりの荷物をぎゅっと抱きしめて待った。
 やがて優子さんはちゃんとこちらに歩いてきて、皆に笑顔でお礼を言いながら隣の席に乗り込んだ。
「すみません、お待たせしました。浅草方面へ――吾妻橋を渡ってください」
 優子さんが運転手に告げると、タクシーは走り出した。

 久しぶりの優子さんの声。
 優しく漂う甘い香り。
 俺は今すぐにも抱きしめたい気持ちを抑えるのに必死だった。

 優子さん怒ってるかな。
 さすがに怒ってるだろうな。
 あんな別れ方をしておきながら、何も連絡しないまま三週間近くも経ってしまったし、予期せぬこととはいえ職場の人たちにバレてしまったのも絶対マズかった。
 この上こんなタクシーの中で、何もかも棚上げでいきなり抱きしめたら、決定的に嫌われる可能性がある。

「いつから待ってたの? 仕事は?」
 いつもよりも少しクールな声色だ。
「あ、今日は休みもらった。一応十時前から……、あ、近くのカフェで待機してて。姉に、優子さんが帰る前に連絡してほしいって頼んであって……」
「ああ、だから愛美ちゃんが」
「さっき連絡もらってカフェを出てきて、植え込みの陰になる場所で待ってたら、タクシー停めに来た拓海さんに見つかって……。でもあんなに人がいると思わなくて……ごめんなさい」
「ううん、こちらこそ長く待たせちゃってごめんね」
「いや、そんな……、俺が勝手に待ってただけだから」
 その後はなんとなく無言になってしまった。
 俺はすぐにも話を切り出したかったけど、ここだと運転手さんに聞かれてしまうし、こんな花束を抱えたまま込み入った話が始まったら全員気まずいだろうと思い、とりあえず帰り着くまで待つことにした。

 横目で盗み見る優子さんの表情は暗い。
 前にもこういう顔を見たことがある。
 いつだったか、二人で地下鉄に揺られていて……。
 あの時、優子さんはどうしてあんな顔をしていたんだっけ。
 記憶の端が掴めるような、掴めないような感覚に俺はもどかしさを感じたが、頭の中はそれを掘り起こすだけの余裕がなかった。
 とにかく今日は今日として、優子さんの笑顔を取り戻さなきゃいけない。
 そのために話さないといけないことがたくさんある。
 正直自信がなくて不安だ。
 もし優子さんが俺とのことを既に過去にしてしまっていたら、全く心に届かないかもしれない。
 そうでなくても、受け入れられないかもしれない。
 でも、賭けるしかない。
 俺が出した結論が、優子さんに伝わることを願うしかない。

 吾妻橋のマンションに着いて、タクシーを降りた。
 後についてエントランスを入っていこうとした俺に、優子さんが言う。
「荷物置いてくるから、ここで待っててくれる?」
「え……」
「外で話そう」
「あ、うん……」
 俺は持っていた荷物を優子さんに渡すのをためらった。
 このままもし、部屋に入った優子さんが戻ってこなかったら……という不安がよぎったからだ。
「えっと……」
 迷っていると、優子さんは少しだけ笑みを見せて、
「それじゃ、こっちのバッグは亮弥くんが持って、待っててくれる?」
と、優子さんがいつも持っている通勤バッグを俺に渡した。
「置いたらすぐ戻ってくるから」
 完全に見透かされている。
 でも俺はそれで安心して、他の荷物を優子さんに渡した。
「大丈夫? 重いから気をつけてね」
「うん、ありがとう」
 エレベーターに乗り込むのを見送ってから、俺はマンションの外に出て優子さんが戻るのを待った。

 家に入れてもらえないってことは、やっぱりもう彼氏として扱ってくれていないのだろうか。
 優子さんが人間関係にシビアなことや、生きる上で恋人を必ずしも必要としていないことは、よく知っている。
 俺が放ってしまった言葉や態度が地雷だった可能性も多分にある。
 だけど、それでも俺には、どんなことがあったって、優子さんが必要だから。
 諦めるわけにはいかない。
 信じるしかない。
 俺は優子さんの本当の気持ちをちゃんと知っている。
 その気持ちがまだ変わっていないことを、信じるしかない。 
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