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第13章
1 帰省①
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ゴールデンウイークは、社長の休暇と同じタイミングで四月末からスタートした。
亮弥くんとの旅行はラスト三日に決まったので、私はその前に館山の実家に帰省することにした。
私が実家に帰るのは、年に一回、以下。
ホームシックになったことは、家を出てこの方一瞬もない。
家族にすごく会いたいとか、淋しいとか思うことは、全くと言っていいほど無い。
実家に顔を出すのは両親恋しさからの行動ではなく、どちらかと言うと、お互いのどちらかが死んだ時に「もっと会っていれば良かった」と後悔しないようにという"備え"のためだ。
両親は子供への愛情や興味が薄い。
そう感じるのは、私の深すぎる愛情と比べてしまうからなのだろうか。
未熟な頃は「なぜ親なのにこういう時に寄り添ってくれないのだろう。私だったら絶対にこんな思いはさせないのに」と、事あるごとに思ったものだった。
だけど、きっとあれが平均的な"親"の姿なのだろう。
"本当は何よりも子供のことを一番に考えている"親なんて、世間が美しく語り過ぎているだけで、きっとどこにも存在しないのだ。
でも、自身の中に確固たる愛情を持つ身としては、そうでないことが普通だということにはまるで気づけなかった。
だから"なぜ両親にそれがないのか"を子供の頃からずっと疑問に思い続け、悩み続けてしまった。
本来一番の味方であるはずの両親が、少なくとも私にとっては味方でも理解者でもないという事実は、人間不信の第一歩になった。
世間的には、暴力もネグレクトもないのにこんなことを言うのは甘えだと思われるのだろう。それはそれでいい。
でも、誰しもにわかりやすい虐待だけが、子供が傷つく環境というわけではない。
子供の頃から無意識に感じていた理不尽さや窮屈さは、大人になって家を出ることで解消した。
実家を出て私は自由になった。
無責任な感情の混ざらない部屋で、全てが自分に心地いいように日常を作り上げることは、私にとって何よりの安らぎだ。
そんな自分は家族への愛情が薄いのだろうか、冷たい人間なのだろうか、と悩んだ時期も長い。
でも、家族が嫌いなのでは決してない。
むしろ顔を見ると嬉しいし、とても大切だと思うし、できるだけ笑顔で一緒の時間を過ごしたいと思う。
それが家族愛なのか、他の人に向ける人間愛と同じものなのかは、正直なところ判別がつかない。
けれど、最大限の愛情を尽くしたいと思っているのは事実だ。
だからこそ、相手から同じ思いが返ってこないのではバランスが取れず、傷ついてしまうことも多い。
両親が悪いのではない。
むしろ、心のどこかで未だ「家族なのに」という考えを捨てきれず、一抹の期待を手放せないままの私が悪いのだ。
そんな私が今回ゴールデンウイークを使って実家に帰るのは、他でもない。退職と開業のことを話すためだ。
両親もいよいよ七十歳が近い。これまでは離れた場所で自由に生きさせてもらったけれど、この先自分の生きる場所を改めて確定させるとなると、両親の側――できれば実家で一緒に暮らせたほうが、何かと助けになれるだろう。
それに、大人になった今、改めて両親と生きる時間を持てるなら持ってみたい。
対人スキルがついて、人の真実も知り得た今なら、もしかしたら、昔よりももっとうまくやれるかもしれないから。
と、私はずっと考えてきたのだ。
この先結婚するつもりもないし、いずれ仕事を辞める時が来たら館山を拠点に事業をやろうと。
でも、亮弥くんと出会って、少し事情が変わってきた。
館山に帰れば、都心を拠点とする亮弥くんとはそれなりに距離ができることになる。
だから少し迷っている。このまま予定どおりに進めていっていいのか。
できることなら亮弥くんと離れたくないという気持ちはあるからだ。
ただ、仕事を辞めてもしばらくは都心で働くつもりで、館山に移るのがまだ先のこととなると、その頃までに私達の関係がどうなっているかはわからない。
私の中では館山に帰るというのが第一希望――というか、第一想定。
それを諸々考慮した上での最善だとするなら、亮弥くんの存在だけを理由に東京に留まる道を選ぶわけにはいかない。
館山駅に着いたのは、午後三時を回った頃だった。
東京とはまるで違うのんびりとした空気と、海の近さを感じさせる湿った風が私を包む。
視界を遮る高層ビルなんて皆無。
ヤシの木と朱い屋根が並ぶ駅前通りの向こうに、スッキリと晴れ渡った青空がある。
迎えに来た母の車を見つけて歩み寄ると、母も気づいてこちらに車を回してくれた。
「おかえり」
「ただいまー」
車に乗り込み、ドアを閉める。母の車には、昔と変わらないAMラジオが流れている。
「天気いいね~」
私はフロントガラス越しに空を見上げながら、元気よく言った。
「ゴールデンウイークはずっと晴れだって」
「そうなの? 明日皆でドライブでも行く?」
「どこも多いからねぇ」
私がシートベルトを締めたのを確認すると、母はゆっくりと車を出した。
「混んでなさそうなところは? 私は普通に灯台とか見たいけど」
「野島崎?」
「うん。明日晶子も来るんでしょう?」
「晶子も来る」
「四人揃うの久しぶりだね」
「そうねぇ」
私は窓を開けて風を浴びた。
「晩ごはん何食べたい?」
「作ってもらえるものなら何でも良いけど……。とりあえずお刺身は食べとこうかな。東京のお刺身美味しくなくて」
「お刺身ね。じゃあ買い物に寄ろうかな」
「うん」
そんなわけで、二人で地元のスーパーに寄って買い物をしてから家に向かった。
実家は館山駅から南に十分ほど車を走らせたところにある。
海寄りと言えば海寄り、でも山の麓の地区だ。
築三十年くらいになる、和風の家屋。玄関の引き戸を開けると、私は父に届くようにと少しだけ声を張った。
「ただいまー」
少し間があって、父が廊下に姿を見せる。
「おかえり」
「ただいまー。お刺身買ってきたよ」
努めて明るく振る舞いながら笑顔で買い物袋を掲げた。
「えっ、また刺身?」
その父の一言に、無意識に体が強張る。
それを和らげようと、私は笑って押し切る。
「だって館山のお刺身美味しいんだもん」
父の否定的な反応は、それが大した意図を持たない何気ない言葉であっても、全て圧力となって私に襲い掛かる。
ああ、またこの感覚だ、と、私の気持ちは一気に重くなった。
亮弥くんとの旅行はラスト三日に決まったので、私はその前に館山の実家に帰省することにした。
私が実家に帰るのは、年に一回、以下。
ホームシックになったことは、家を出てこの方一瞬もない。
家族にすごく会いたいとか、淋しいとか思うことは、全くと言っていいほど無い。
実家に顔を出すのは両親恋しさからの行動ではなく、どちらかと言うと、お互いのどちらかが死んだ時に「もっと会っていれば良かった」と後悔しないようにという"備え"のためだ。
両親は子供への愛情や興味が薄い。
そう感じるのは、私の深すぎる愛情と比べてしまうからなのだろうか。
未熟な頃は「なぜ親なのにこういう時に寄り添ってくれないのだろう。私だったら絶対にこんな思いはさせないのに」と、事あるごとに思ったものだった。
だけど、きっとあれが平均的な"親"の姿なのだろう。
"本当は何よりも子供のことを一番に考えている"親なんて、世間が美しく語り過ぎているだけで、きっとどこにも存在しないのだ。
でも、自身の中に確固たる愛情を持つ身としては、そうでないことが普通だということにはまるで気づけなかった。
だから"なぜ両親にそれがないのか"を子供の頃からずっと疑問に思い続け、悩み続けてしまった。
本来一番の味方であるはずの両親が、少なくとも私にとっては味方でも理解者でもないという事実は、人間不信の第一歩になった。
世間的には、暴力もネグレクトもないのにこんなことを言うのは甘えだと思われるのだろう。それはそれでいい。
でも、誰しもにわかりやすい虐待だけが、子供が傷つく環境というわけではない。
子供の頃から無意識に感じていた理不尽さや窮屈さは、大人になって家を出ることで解消した。
実家を出て私は自由になった。
無責任な感情の混ざらない部屋で、全てが自分に心地いいように日常を作り上げることは、私にとって何よりの安らぎだ。
そんな自分は家族への愛情が薄いのだろうか、冷たい人間なのだろうか、と悩んだ時期も長い。
でも、家族が嫌いなのでは決してない。
むしろ顔を見ると嬉しいし、とても大切だと思うし、できるだけ笑顔で一緒の時間を過ごしたいと思う。
それが家族愛なのか、他の人に向ける人間愛と同じものなのかは、正直なところ判別がつかない。
けれど、最大限の愛情を尽くしたいと思っているのは事実だ。
だからこそ、相手から同じ思いが返ってこないのではバランスが取れず、傷ついてしまうことも多い。
両親が悪いのではない。
むしろ、心のどこかで未だ「家族なのに」という考えを捨てきれず、一抹の期待を手放せないままの私が悪いのだ。
そんな私が今回ゴールデンウイークを使って実家に帰るのは、他でもない。退職と開業のことを話すためだ。
両親もいよいよ七十歳が近い。これまでは離れた場所で自由に生きさせてもらったけれど、この先自分の生きる場所を改めて確定させるとなると、両親の側――できれば実家で一緒に暮らせたほうが、何かと助けになれるだろう。
それに、大人になった今、改めて両親と生きる時間を持てるなら持ってみたい。
対人スキルがついて、人の真実も知り得た今なら、もしかしたら、昔よりももっとうまくやれるかもしれないから。
と、私はずっと考えてきたのだ。
この先結婚するつもりもないし、いずれ仕事を辞める時が来たら館山を拠点に事業をやろうと。
でも、亮弥くんと出会って、少し事情が変わってきた。
館山に帰れば、都心を拠点とする亮弥くんとはそれなりに距離ができることになる。
だから少し迷っている。このまま予定どおりに進めていっていいのか。
できることなら亮弥くんと離れたくないという気持ちはあるからだ。
ただ、仕事を辞めてもしばらくは都心で働くつもりで、館山に移るのがまだ先のこととなると、その頃までに私達の関係がどうなっているかはわからない。
私の中では館山に帰るというのが第一希望――というか、第一想定。
それを諸々考慮した上での最善だとするなら、亮弥くんの存在だけを理由に東京に留まる道を選ぶわけにはいかない。
館山駅に着いたのは、午後三時を回った頃だった。
東京とはまるで違うのんびりとした空気と、海の近さを感じさせる湿った風が私を包む。
視界を遮る高層ビルなんて皆無。
ヤシの木と朱い屋根が並ぶ駅前通りの向こうに、スッキリと晴れ渡った青空がある。
迎えに来た母の車を見つけて歩み寄ると、母も気づいてこちらに車を回してくれた。
「おかえり」
「ただいまー」
車に乗り込み、ドアを閉める。母の車には、昔と変わらないAMラジオが流れている。
「天気いいね~」
私はフロントガラス越しに空を見上げながら、元気よく言った。
「ゴールデンウイークはずっと晴れだって」
「そうなの? 明日皆でドライブでも行く?」
「どこも多いからねぇ」
私がシートベルトを締めたのを確認すると、母はゆっくりと車を出した。
「混んでなさそうなところは? 私は普通に灯台とか見たいけど」
「野島崎?」
「うん。明日晶子も来るんでしょう?」
「晶子も来る」
「四人揃うの久しぶりだね」
「そうねぇ」
私は窓を開けて風を浴びた。
「晩ごはん何食べたい?」
「作ってもらえるものなら何でも良いけど……。とりあえずお刺身は食べとこうかな。東京のお刺身美味しくなくて」
「お刺身ね。じゃあ買い物に寄ろうかな」
「うん」
そんなわけで、二人で地元のスーパーに寄って買い物をしてから家に向かった。
実家は館山駅から南に十分ほど車を走らせたところにある。
海寄りと言えば海寄り、でも山の麓の地区だ。
築三十年くらいになる、和風の家屋。玄関の引き戸を開けると、私は父に届くようにと少しだけ声を張った。
「ただいまー」
少し間があって、父が廊下に姿を見せる。
「おかえり」
「ただいまー。お刺身買ってきたよ」
努めて明るく振る舞いながら笑顔で買い物袋を掲げた。
「えっ、また刺身?」
その父の一言に、無意識に体が強張る。
それを和らげようと、私は笑って押し切る。
「だって館山のお刺身美味しいんだもん」
父の否定的な反応は、それが大した意図を持たない何気ない言葉であっても、全て圧力となって私に襲い掛かる。
ああ、またこの感覚だ、と、私の気持ちは一気に重くなった。
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