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第12章

1 遭遇②

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 亮弥くんに電話をかけると、数回のコールの後につながった。
「もしもし、亮弥くん?」
「あ、優子さん。マジでごめん、あの人ただの会社の人で、さっきのは不可抗力で……」
「うん、わかってる。大丈夫だよ。こっちこそ、男の人と歩いててごめんなさい」
「あの人だよね、写真の……」
「あ、そうそう、写真の。これから例の件話そうと思って。三十分くらいで終わるけど、亮弥くんはもう会社戻っちゃう?」
「あー……いや、業務自体はもう、今日は直帰だったから戻る必要はないんだけど、えっと……優子さんに会えるなら待ってる。あの、でも、どうしてその人に……その……」
「あ」
 そうだった。
 亮弥くんに心配かけないように、拓ちゃんが今も同僚だということは伏せていたんだった。
「あの、実は……、あの写真の人、今は秘書室にいて……」
「もしかして、たくみさんって人?」
「う、うん、中野拓海さん。えっ、どうして知ってるの?」
「やっぱり!! その人と会える? 話したい!」
「え……」
 予想と違う反応に、私は戸惑って拓ちゃんを見た。
「どうしました?」
「なんか拓ちゃんを知ってるみたいで、会って話したいって」
「私は別にいいですよ、戻ってきてもらって」
「でも、時間大丈夫?」
「全然大丈夫です」
 お互いにOKならまあいいか、と思って、私は亮弥くんに戻ってくるよう伝えた。
 なんだか変なことになってきたな……?

「あ。来たみたいですね」
 拓ちゃんが言うので振り向くと、こちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
「優子さん」
「慌てなくても、ゆっくりで良かったのに」
「いや、無理言ったから」
 亮弥くんは拓ちゃんに目を留めた。
「さっきはすみませんでした。初めまして。えっと、青山愛美の……」
「弟さんで、片瀬さんの彼氏の青山亮弥さん」
「あっ、えっと、そうです。えっ」
 驚いた様子で拓ちゃんと私を交互に見る亮弥くん。
「ごめんね、もう話しちゃった」
「あ、そう、それなら話が早くて良かった……」
「こちらは中野拓海さん。総務時代の同僚で、今も秘書室の同僚」
「あ、はい。お噂は……」
「噂されるようなこと何もしてないはずですけどねぇ」
 拓ちゃんが顎を触りながら考え込む。
「私も意外だったの。愛美ちゃんから何か聞いてた?」
「あ、それは……えっと……」
 拓ちゃんと私の視線が集中して、亮弥くんが人見知りを発動し始めたので、とりあえず先にカフェに入ろうと促して、目当てのコーヒーショップに入店した。

 カウンターで飲み物を買って、空いているテーブル席につく。
 ここは天井が高く空間がゆったりしていて、一人席も多いけど四人掛けのテーブルもいくつかある。
 心地よく座れる椅子と落ち着いた雰囲気が私のお気に入りだ。
 席につくと、二人は名刺交換をした。
「ほお、ウェブコンサルタントなんですね。お若いのにシニアコンサルタント」
「えっ、亮弥くん、シニアコンサルタントなの? シニアってことは、役職?」
「え、まあ、一応……」
「普通のコンサルタントとどう違うの?」
「基本はそんなに変わらないけど、マネジャーの補佐をしたり、小さい案件ならプロジェクトリーダーやったりとか」
「マネジメントもやるってこと? すごい!」
 私は急に亮弥くんを尊敬してしまった。まだ下っ端だとばかり思っていた。
「いや、でも俺もう七年目に入ったし、そのくらいはできないと……」
 七年目。
 そう言われると、亮弥くんもずいぶん経験を積んでいるはずだ。
 ウェブコンサルなんて私には未知の世界だけど、亮弥くんにとっては精通した世界なんだな。
 この頭の中に私の知らない領域がしっかり詰め込まれていると思うと、キュンとしてしまう。
 そして、年下だからと無意識に侮ってしまっていたらしい自分を恥じた。
「それにしても早いような気がします。うちだと三十くらいまでは役職付かないですし」
「そうですか? あ……まあそう言われると、同期のヤツより早かったかもしれない。でも単に上司というか、環境に恵まれただけだと思いますけど……」
「すごい」
「そんなに褒められるんなら、もっと早く言っとけば良かった」
 そう言って笑った亮弥くんの顔は、謙虚ながらも嬉しそうで、純真さがにじみ出ていてとても綺麗だった。

「たくみさんって、名字じゃなかったんですね」
「名字? タクミが名字のほうが珍しい気がしますが……」
「いや、姉がたくみさんたくみさんって言うから、てっきり。……実は、姉に拓海さんの存在だけは聞いてたんです。優子さんとすごく息の合う男性秘書がいるって」
「そ、そうなの?」
「まあ、仕事の相性は良いほうでしょうね。意見がぶつかることもないですし」
「でもそれは長いつき合いだからってだけだよ。亮弥くんが心配するようなことは……」
「うん、知ってる。姉ちゃんからも、全く何もないって聞いてたし、優子さんからも……」
「え、私? あ……写真のこと話した時に言ったかな」
「写真?」
「ほら、まだ二十代の頃に、エレベーターホールで愛美ちゃんが撮った……」
「そんなのありましたっけ?」
 拓ちゃんが忘れていることを知って、ほら興味ない証拠だよ、と私は心の中で亮弥くんに念押しした。
「それもだし、優子さんに全く興味がない同僚がいるから意見聞いたら良いって言われた時があって」
 亮弥くんが急にそんなことを言うので、心当たりが無くて首を傾げてしまった。
「そんなこと言ったっけ? 私が?」
「言ったよ。酔っ払って仲見世歩いてる時」
 全然覚えてない。
 そもそもあの時の記憶はちょっとふわふわしていた。
 翌朝スマホに亮弥くんの写真がたくさんあるのに気づいて、宝蔵門の前で写真を撮ったことと、亮弥くんがモデル志望ではない話は思い出したけど、断片的だった。
 なぜ拓ちゃんの話が出たのだろう。謎だ。

「ま、それはともかく」
 亮弥くんは拓ちゃんのほうを向いて、
「拓海さんは、その……優子さんに恋愛的な好意を持ったことって本当に全く無いんですか? 優子さんに魅力を感じないってどういう感覚なのか、純粋に聞いてみたくて……」
「いえいえ、とんでもない。魅力を感じないなんてことはないですよ」
「えっ」
「こんなに、ねぇ、お美しい方ですし。お優しいですし。そりゃもう誰でも好きになりますよ」
「なんで急にいじり始めたの? 亮弥くん、誤解しないでね。これ本気じゃないから」
「バレました?」
「えっじゃあ今の嘘ですか? 逆に?」
「いやいや、嘘じゃないですよ。片瀬さんはこの通り、ねぇ、いくつになっても美人ですし」
「ディスった?」
「優しいですし頭もいいですし仕事も的確だし、皆に好かれてますから。ただ私の好みではないっていう」
 ようやくその言葉が出て、私はホッとした。
「綺麗で優しい人が側にいて、好きにならないんですか? なんで?」
 思わず笑いそうになったのをぐっとこらえる。
 なんだろうこれ、すごく恥ずかしいんだけど。遠まわしな羞恥プレイ?
「なんでと言われましても……」
 拓ちゃんは再び顎に指を当てて、宙を見つめながら考える。

「単にもっと抜けてる子が好みだからですかね? 片瀬さんは表面的には可愛らしいですけど、芯の部分は隙が無い人なので、恋人にすると疲れそうっていうか……敢えて言葉にすればですよ」
「疲れそう……」
 私はその言葉に少なからずショックを受けた。
 そんなふうに見られてたんだ。
 とはいえたしかに、否定しがたいものがある。
 でも亮弥くんはそれを間髪入れずに否定した。
「全っ然、疲れるとかないですよ! むしろめっちゃ癒やされるし。何かを強要してくることとか一切ないし。いつもすごく助けられてるし……」
 恥ずかしい。
 嬉しいけどすごく恥ずかしい。
「あ、そうですか。なるほど。それじゃ、これから私も片瀬さんをそういう目で見ることにします」
 またいじってるな、と思ったけど、私はもう黙っていた。
「えっダメです。それは困ります」
「ダメなんですか。勧められてるのかと思って」
「ち、違います」
「それは残念です。せっかく興味を持てそうだったのに」
 心にもないことをよく言う。
「ま、心配されなくてもそういうことはありません。亮弥さんから見たら片瀬さんは最高の女性なんでしょうけど、私から見たら信頼できる同僚以上でも以下でもないです。それはお互いにそうだと思いますけど」
 私は頷いた。
「というか先ほど亮弥さんが一緒にいた女性なんて、若くてスタイルも良くて可愛らしい方でしたけど、あの人に恋愛感情ないんですか?」
「あるわけないです、やめてください」
 亮弥くんは苦々しげに表情を歪ませる。
「そういうことですよ。好みは人それぞれってことです」
「……なるほど……」
 気まずい出来事の直後に件の女性を引き合いに出すなんて、拓ちゃんは手厳しいなぁと私は思った。
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