アラフォーだから君とはムリ

天野アンジェラ

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第11章

3 亮弥の苦悩③

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 その週のとある夜、俺は待ち合わせのために大井町駅前で待っていた。
 仕事を早めに切り上げて、時刻は二十時前。
 相手からは、もう会社を出て向かっていると連絡があった。
 本当に呼び出して良かったのかと、ソワソワしながらスマホを見たりポケットにしまったりを繰り返していると、
「亮弥くん、ごめんね、待った?」
 と男性の声。
「あっ……、すみません、わざわざ来てもらって……」
「いやいや、ここからなら大井町線で真っすぐ帰れるし、却って都合がいいと思って」
 そう言って笑ったのは、正樹さんだ。
 この前会った時のラフなスタイルから一転、見るからに質の良さそうなスーツを着こなして、クラッチバッグを持っている。
 頼れる上司――。
 まさにそれを絵に描いたような姿に、俺は圧倒されていた。

「こんなに早く呼んでもらえるなんて嬉しいなぁ。何か食べたいものある? 何でも奢るよ」
「いや、俺が呼び出してるんで、最低でも割り勘で。というかなんか……隙あらば手懐けようとしてません?」
「ハハハ」
 ハハハじゃない。
 とにかく、俺は散々悩んだ挙げ句、この人に相談することを決めた。
 優子さんとのことで何か実質的なアドバイスを得ようと思えば、この人以上の適任者はいないだろう。
 SMSで打診したら、奥さんの実華子さんには絶対に言わないという約束で会ってくれると言うので、今日こうしてきてもらったわけだ。

「せっかくだから寿司でも……と言いたいところだけど、リラックスしてゆっくり話せたほうがいいかな?」
「あ、ですね……」
「それじゃ、居酒屋にしとくか」
「はい」
「どこかオススメある?」
「あ……あんまり無いです」
「じゃ、とりあえず歩いて、適当に入ろう」
「はい……」
 自分が住んでる街なのに案内すらできないことを、かなり情けなく感じてしまったが、正樹さんはそんなこと全く気にしてない様子だ。
 そういうところも、優子さんと似ている。

「亮弥くんはわりとラフな格好なんだね」
 正樹さんが俺の服装を見ながら言った。
「あ、まあ……業界的にけっこうラフなんで。俺はセットアップが好きなんで、これでもわりとカッチリめですけど……」
「へぇー、そうなんだ。今風だね」
「あ、でもクライアントのとこに行く時は、一応ちゃんとネクタイします」
 それも別にマストじゃないけど、実は優子さんのスーツ姿への憧れから、たまにはビシッとしたいなと思って、外出する日だけシャツにネクタイを締めている。
 優子さんは俺の様々な部分に影響しているのだ。

「あの、本当に奥さんにバレないですか……?」
「大丈夫大丈夫。後輩と飲んで帰るってメールしといたから」
「まあ……ある意味後輩ですけど……」
「ほんとだ。上手いね!」
「別に上手くないっす」
 なんだか俺はまだこの人との距離感がまるで掴めていないのだけど、向こうはそうじゃないらしい。
 言葉を選ぶ時間を一瞬も感じさせず、自然体で受け答えしている。
 俺も二十年以上社会人やれば、誰とでもこんな風に話せるようになるのだろうか。あんまり自信はない。

 東口方面をしばらく歩き、雑居ビルの地下にある、焼き鳥メインの居酒屋に入った。
 木目調の内装で明るい雰囲気の店内は、スーツ姿のサラリーマンで溢れて活気づいている。
 俺達は壁際の二人用のテーブルに通され、向かい合って座った。
 とりあえずビールと焼き鳥を正樹さんが適当に頼んでくれたが、先日の優子さんの話が頭に残っていた俺は、せめてもの足しになればとシーザーサラダを追加で注文した。
「サラダ食べるんだ。えらいね」
「あ、いや……、栄養偏りがちなんで……」
「最近の若者はちゃんとそういうの気をつけてるんだ」
「そ、そうでもないっす」
 付け焼き刃なのに普段から意識してるみたいになって、なんだか気まずい。
「俺も気をつけないとなぁ。一応食べる量を減らしたり、少し運動したりとかしてみてるけど、なかなか痩せるの難しいね」
「ああ、そういえばダイエットするって言ってましたね……」
「俺も亮弥くんくらいの頃はまだ痩せてたんだけど。結婚してからやっぱり太ってきたよね」
「別に太ってるようには見えないですけど」
「そう? 服でお腹が隠れてるだけで見え方が違うのかな」
 それを聞いて、俺はつい吹き出してしまった。
 でも笑い事ではない。明日は我が身だ。
「結婚したら太るんですか?」
「うーん、幸せ太りするとは言うよね。俺の場合は食べる量が増えたからかなあ。実華子が多めに用意してくれるから……。あと家でお酒飲むことも増えたし……まあ運動不足と、年取って代謝が落ちたせいもあるのかも」
「いろいろあるんですね……」
「亮弥くんも気をつけたほうがいいよ。せっかくイケメンなんだから、体型キープ頑張って」
「いやマジで、最近急に危機感が……」
「何か運動とかしてないの?」
「全っ然してないです。しかも毎日缶ビール飲んでるし……」
「それはマズイね」
 ビールとサラダがお通しとともに運ばれてきて、俺達は乾杯した。
「これもマズイすね」
「ハハ、まあ今日はいいってことで」

 続いて焼き鳥も届いたので、それをつまみながら他のメニューもいくつか注文した。
「それで、何があったの?」
「やー……、なんていうか……。正樹さん、優子さんの実家ってどこか知ってますよね?」
「あー、えっと、館山だよね」
「行ったことあります?」
 そう言うと、正樹さんは口をつぐんで少し体を引いた。
「えっと、それは、なんか……正直に言っていいの……?」
 それを見て、俺も、あー、と思い直す。
「いや、多分、正樹さんが考えてることが論点じゃないので、大丈夫です」
 別に、優子さんもそっちのお母さんと親しかったなら、正樹さんが優子さん家に挨拶してても不思議じゃないし。
「じゃあ、あります」
「向こうの親に会ったんですか?」
「まあ、一応ね。軽く。結婚の挨拶とかそういう感じじゃないよ」
「あ、そうなんすね」
 結婚の話までは出ていなかったのか。
 偶然にもそれがわかって、俺は少しホッとした。

「館山って、どういう経路で行くんですか?」
「俺と優子がつき合ってた時は二人とも神奈川に住んでたから、車でアクアライン通って行ってたけど」
「あ、なるほど。車か……」
「浅草からだったら、どこかから総武線で行ってるのかなぁ」
「千葉の一番下の方ですよね……すごく遠くないですか?」
「まあ遠いと言えば遠いけど、たまに帰るくらいならそうでもないんじゃないかな。結婚した後のこと心配してるの?」
「いや、そうじゃなくて、実は……」
 どこまで話していいものか、この瞬間も俺は迷い続けていた。
 優子さんが仕事を辞めるつもりなのも、自分でお店を開くつもりなのも、知っているのは俺だけなのだ。
「優子、館山に帰る話でもあるの? ご両親が具合悪いとか?」
「あっ、その、実は、理由は言えないんですけど、その可能性があって。まだ本当に可能性なんですけど……」
「そうなんだ」
「現時点ですぐどうこうって話ではないんですけど、その……」
「亮弥くんとしては、困るよね」
 正樹さんは、ちゃんと俺のほうを見て、自分のことのように真面目な顔で言った。
「そうなんです……」
「優子は何て言ってるの?」
「どうするか迷ってる、とは言ってました」
「館山に帰るとなると、仕事も辞めることになるんだろうしなぁ。さすがに通うには遠すぎるし」
「あの、実は……」
 やっぱりもう少し内容を明かさないと、正樹さんを呼び出した意味がない。
 そう思い、俺はもう一歩踏み込むことにした。
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