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第11章

2 人生転換③

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「それで、優子さん、どうするの……?」
「うん、辞めようと思って」
「えっ。え、秘書を? 辞められるの?」
「ううん、会社を」
 そう言うと、亮弥くんはより一層驚いた顔をした。
「さっ……さすが優子さん。見切りをつけるのが早い」
「え~、何それ、ディスってるでしょ」
「そ、そんなことない!」
 亮弥くんが焦りを滲ませたので、私はわざと疑いの目を向けた。
「ほんとほんと! 褒めてるよ。決断早いなーって。だって普通は悩むでしょ。すごく落ち込んだり、不満や愚痴言ったりしてさ。で、悩んだ挙げ句続けると思うんだよね、気に入らなくても、やっぱり慣れた仕事なわけじゃん? 収入に不満もないんだろうし……」
「収入には不満はない。今の仕事も合ってると思う。これまでどおりやってれば、少なくとも社長が現役なうちは安泰かもしれない。でも、モチベーションには限界が来てるのかなって。それでも秘書を続けるしか選択肢がないなら、もう今の会社に拘らなくてもいいかなって思うんだよね」
「そっか……」
 亮弥くんはそう相づちを打ってから、少しの間、考え込んだ。
「まあ、たしかに……秘書以外に挑戦したいなら、辞めるのが一番いいのかも。ただ……優子さんの経歴ってさ、ほぼ秘書なわけでしょ。再就職で別の仕事ってなると、不利じゃないかな……」
「そこは大丈夫。実は私、ずっとやりたいことがあって、それだったら経歴関係ないから」
「え、そうなの? つかやりたいことがあるってのも初耳でちょっと今びっくりしてるんだけど」
「あはは」
 さてと、ここからが大事な話だ、と、私は笑って場を繋ぎながら気合いを入れ直す。

「私、自分をどう使うことが社会にとって一番プラスになるのかなっていうことを、ここ十年くらいずーっと模索してきて……」
「すげ……やっぱりレベルが違う」
「え、そうかな? 亮弥くんもそのうち考えるかもよ。だって、せっかく何かしら働くなら、自分の性質とか能力とか知見とかを最大限に生かしたいじゃん。それはきっと、誰でも共通だと思うんだよね……。え、違うかな? 私が変?」
 正直、その辺りの感覚は本当にわからない。
 自分みたいな人と出会ったことはないけれど、気持ちの度合いはさておき、誰でも"自分じゃなくてもいい仕事"よりは、"自分じゃないとダメな仕事"をしたいのではないのだろうか。
「いや、優子さんは変じゃないっていうか凄い。俺は正直まだそこまで考えられるほどスキルもないっていうか……日々の仕事で手いっぱいだけど、そうだな……。そうなりたいって気持ちはあるかも。だから勉強しようと思えるわけだし……。あ、わかった」
 私は首を傾げて亮弥くんを見上げた。
「俺の場合、どちらかというと自分のために頑張ろうって感じで、社会のためにではないのかも。普通はそうな気がする」
「あー……、なるほど」
 たしかに、個人が社会貢献を意識して仕事するって、あんまり聞かないかもしれない。
 そういうことなのか。そういうところもズレてるのか……。
「ありがとう、勉強になる」
「えっ、どっちが」
 亮弥くんが笑う。

「ずっとね、選択肢がもう一つ頭に置いてあって、タイミングが来れば……という気持ちではあったの。ただ、できることなら今の会社で、何か一つでも広く役に立つことをやり遂げたいって気持ちが、捨てきれなくて」
「うん……」
「だから、異動して何かしらできればと思ったんだけど、……でもそれも私のエゴだったのかなーって。私にそういうことが求められていないのなら、もうそこは潔く諦めて、次に進んだほうがいいなって思ったの」
「……何をするの?」
「うん……亮弥くん、新型栄養失調って聞いたことある?」
「えっ」
「今ね、栄養失調になる人多いんだって」
「え、そうなの? 栄養失調って戦時中とかのイメージだけど……」
「私も。でも初めて聞いた時はびっくりしたけど、同時に、まあそうだろうな、とも思った」
「なんで? ごはん食べられてない人が多いってこと? 貧困とか、格差の問題?」
「それも一因としてあるかもね。でも私が思うのは、ごく単純に、食べる物が偏っていて、本来摂るべき栄養が摂れてないっていうのが大きいのかなって」
「あっ……、そういえば優子さん家に栄養学の本が……」
 私はそれを聞いて驚いた。
「よく見てるね!」
「いや~、なんかすごいいろんなジャンルの本があるなぁって思って……」
「あはは、恥ずかしい」
「で、それで?」
 亮弥くんは興味深そうに身を乗り出す。

「私ね、若い頃から料理は好きで、二十代前半で和食を中心にひと通り作れるようになったから、わりと野菜中心の栄養バランスのいいごはん食べてきたんだよね。でも周りの子ってそうじゃない人が多くて、いつもインスタントラーメンとか、レトルトとか、菓子パンとか、コンビニ食とか食べてるみたいだったから、そんなに偏ってて大丈夫なのかなーってずっと思ってた」
「み、耳が痛いな……」
「あ、亮弥くんもそっち系?」
「めっちゃコンビニのお弁当食べてる。優子さん家のごはんだけがまとも……」
「まあ、そうなるよね……。でも人間の体は間違いなく食べた物で作られるから、何を食べるかって本当に大事なんだよね。栄養きちんと摂れてないと、それが積み重なった先でいろんな不調や病気を引き起こしちゃうし……」
 ただ、人は命の危険を感じる段階になるまで、それに気づかないのだ。
「まあ……、そうなんだろうなとは思うけど、実際野菜ってなかなか摂れないんだよなぁ。夜遅く帰ってから作るの厳しいし、ていうかそもそも作る技術もないし……。かといって、外で食べても買って食べても結局……」
「そうなの」
 私は人差し指を立てて、亮弥くんを指した。
「今って、飽食の時代で選択肢も無限にあるけど、飲食店もコンビニも、結局ほとんど肉がメインで、野菜ってほんの添え物なの。だから、どうしても偏っちゃうんだよね。だから私、菜食料理のお店をやりたいの」
「お、お店!?」
「つまり……」
 私は脳内を探って、自分の目的を伝わりやすい一文にまとめた。
「私は、一人でも多くの人の健康を守るために、一人でも多くの人の食生活を変えたい」
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