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第9章
3 通じ合えること④
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「でも、俺ね、ちょっと違和感があって」
「え?」
「正樹さんに、別れた理由聞いたの」
まさかそこを聞かれると思っていなかった私は、頭がクラッとするような血の気の引きを感じた。
「そう……、なんて言ってた?」
「うん……実ははっきりと言われてなくて推測しかできなかった、って言ってたんだけど」
「あー、まあ、そうだったかもね……」
正樹への気持ちが消えてしまった後、しばらくは普通に過ごしていた。
お母さんのケガが治るまでは。
その後で別れを告げたから、正樹には因果を結びつけにくかったかもしれない。
「正樹さんのお母さんがケガをして、優子さんが一生懸命お世話してくれてたのに"もう行かなくていい"って当てつけみたいに言っちゃった時があって、それで愛想尽かされたんじゃないかって言ってた。何か一言が決め手だったんなら、きっとそれだと思うって」
当たらずも遠からず。
まあ、そんなものだよな……と私は思った。
「でも、俺はそれが、なーんかしっくり来なくて……」
「え?」
「もちろん、酷いと思うよ。俺だったら絶対そんなこと言わないし、お世話になっておきながら気持ちを踏みにじるなんて、あり得ないと思う。でも……、でも相手は優子さんじゃん?」
亮弥くんは確認するように私の目を覗き込んだ。
「優子さんが、大好きな相手を、本当にそれだけで見限るかなぁって。もしかしたら、他にも何かあったんじゃないかって思ったんだよね。正樹さんが忘れてしまってる、もっと決定的な一言が……」
その言葉に、ふいに涙が湧き上がった。
そのまま止める術もなく、頬を滑り落ちてぱたりと音を立てる。
「えっ、ごめん、ヤなこと思い出させちゃった!?」
「ううん、大丈夫……」
言いながら、もう一滴、二滴、涙が落ちていく。
亮弥くんは慌てた様子で席を立って、こちらへ回ってくると、立ったまま私をぎゅっと抱き寄せた。
お風呂上がりの、優しい匂いがする。
「ごめんね、優子さん。変な話蒸し返して、ごめん……」
「ううん、違うの」
私は亮弥くんの温かいお腹に頬をすり寄せた。
「そんなふうに思ってもらえるなんて、嬉しいなって思ったら……」
そんな些細なことに引っかかりを覚えてもらえるなんて、普通はまずない。
それだけ亮弥くんが、ちゃんと私を見てくれているということだ。
そのことが、胸がつぶれそうなほど嬉しかった。
「え? それじゃ、やっぱりそうなんだ。そっか……」
亮弥くんのお腹がフフッと振動する。
「当たって良かった」
「うん、当たりだよ。すごい」
見上げると、亮弥くんは私の頬を両手で包んで、涙のあとを拭いながら言う。
「俺、正樹さんと話して、ヤベー全然勝てないって思っちゃったんだけど、最後にそれ聞いてさ。この人は優子さんのことをそこまでしか知れなかったんだって思った。それで納得できる正樹さんより、違和感を覚える俺のほうが優子さんを知ってるって。言わなかったけどね」
ハハハ、と笑って、
「それで、やっぱり俺負けてないんだ、ってスッキリしたからさ、思い過ごしじゃなくて良かったぁ」
「負けてるわけないじゃない、亮弥くんが。言ったよね、亮弥くんが一番私を知ってるって」
「うん……」
「でも、私が思ってる以上なのかもしれないな」
「ほんと?」
「うん。……ありがとう」
「じゃ、ご褒美」
そう言って屈んだ亮弥くんに、私はそっと口づけた。
亮弥くんがいてくれることを、頼もしく思う気持ちがますます強くなる。
ずっと出会えなかった、私を理解してくれる人。
私の真実に気づいてくれる人。
今私の隣にいるのは、この世にたった一人でいいからいてほしいと思っていた、その人なのかもしれない。
こんな未来、もうとっくに諦めていた。
「そういえばさ、優子さん、秘書以外の仕事はしようと思わないの?」
「え?」
再びごはんの続きに戻ったところで、亮弥くんが切り出した。
「正樹さんが、優子さんは秘書じゃもったいないって言ってたよ。もっとすごい人なのにって」
「そんなことないよ……」
正樹ってば、ちょっと私を持ち上げすぎ。
昔はただの生意気な小娘だったし、今は長年どっぷり秘書に浸かってしまっていて、今さら他の部署に移ったところで何ができるんだって周りも思うだろうし、私も正直自信がない。
でも……。
「亮弥くんは、イヤじゃない? 私が秘書辞めたら」
「俺?」
「私、ものすごく活躍しちゃうかも」
「いいじゃん。活躍してよ」
「美意識下がるかも」
「それで優子さんが注目されなくなったら、俺安心だし」
「……正樹と同じ部署になるかも」
「あー……、まあ別にいいかな。あの人と優子さんがどうにかなることはないって今日わかったし。それより優子さんは、どうしたいの?」
「私? 私は……」
自分の心の中を、じっくりと探った。
四十歳。
節目の年。
そろそろ、自分の今後の生き方に答えを出したい。
そのためにも……。
「実はね、これまで社長の許可が出なくて諦めてたの。今も出るかどうかわからない。でも……」
「うん」
「私はね、自分が一番力を発揮できる仕事をしていきたい。その道を定めるために、もう一度だけ、試してみたいと思う」
「うん、わかった」
亮弥くんは温かい微笑みを見せる。
「俺は応援する。がんばって、優子さん」
全ての懸念が晴れた。
最後の賭け。その結果次第で心を決めよう。
私は亮弥くんに感謝しながら、心の中でしっかりと決意を固めていた。
「え?」
「正樹さんに、別れた理由聞いたの」
まさかそこを聞かれると思っていなかった私は、頭がクラッとするような血の気の引きを感じた。
「そう……、なんて言ってた?」
「うん……実ははっきりと言われてなくて推測しかできなかった、って言ってたんだけど」
「あー、まあ、そうだったかもね……」
正樹への気持ちが消えてしまった後、しばらくは普通に過ごしていた。
お母さんのケガが治るまでは。
その後で別れを告げたから、正樹には因果を結びつけにくかったかもしれない。
「正樹さんのお母さんがケガをして、優子さんが一生懸命お世話してくれてたのに"もう行かなくていい"って当てつけみたいに言っちゃった時があって、それで愛想尽かされたんじゃないかって言ってた。何か一言が決め手だったんなら、きっとそれだと思うって」
当たらずも遠からず。
まあ、そんなものだよな……と私は思った。
「でも、俺はそれが、なーんかしっくり来なくて……」
「え?」
「もちろん、酷いと思うよ。俺だったら絶対そんなこと言わないし、お世話になっておきながら気持ちを踏みにじるなんて、あり得ないと思う。でも……、でも相手は優子さんじゃん?」
亮弥くんは確認するように私の目を覗き込んだ。
「優子さんが、大好きな相手を、本当にそれだけで見限るかなぁって。もしかしたら、他にも何かあったんじゃないかって思ったんだよね。正樹さんが忘れてしまってる、もっと決定的な一言が……」
その言葉に、ふいに涙が湧き上がった。
そのまま止める術もなく、頬を滑り落ちてぱたりと音を立てる。
「えっ、ごめん、ヤなこと思い出させちゃった!?」
「ううん、大丈夫……」
言いながら、もう一滴、二滴、涙が落ちていく。
亮弥くんは慌てた様子で席を立って、こちらへ回ってくると、立ったまま私をぎゅっと抱き寄せた。
お風呂上がりの、優しい匂いがする。
「ごめんね、優子さん。変な話蒸し返して、ごめん……」
「ううん、違うの」
私は亮弥くんの温かいお腹に頬をすり寄せた。
「そんなふうに思ってもらえるなんて、嬉しいなって思ったら……」
そんな些細なことに引っかかりを覚えてもらえるなんて、普通はまずない。
それだけ亮弥くんが、ちゃんと私を見てくれているということだ。
そのことが、胸がつぶれそうなほど嬉しかった。
「え? それじゃ、やっぱりそうなんだ。そっか……」
亮弥くんのお腹がフフッと振動する。
「当たって良かった」
「うん、当たりだよ。すごい」
見上げると、亮弥くんは私の頬を両手で包んで、涙のあとを拭いながら言う。
「俺、正樹さんと話して、ヤベー全然勝てないって思っちゃったんだけど、最後にそれ聞いてさ。この人は優子さんのことをそこまでしか知れなかったんだって思った。それで納得できる正樹さんより、違和感を覚える俺のほうが優子さんを知ってるって。言わなかったけどね」
ハハハ、と笑って、
「それで、やっぱり俺負けてないんだ、ってスッキリしたからさ、思い過ごしじゃなくて良かったぁ」
「負けてるわけないじゃない、亮弥くんが。言ったよね、亮弥くんが一番私を知ってるって」
「うん……」
「でも、私が思ってる以上なのかもしれないな」
「ほんと?」
「うん。……ありがとう」
「じゃ、ご褒美」
そう言って屈んだ亮弥くんに、私はそっと口づけた。
亮弥くんがいてくれることを、頼もしく思う気持ちがますます強くなる。
ずっと出会えなかった、私を理解してくれる人。
私の真実に気づいてくれる人。
今私の隣にいるのは、この世にたった一人でいいからいてほしいと思っていた、その人なのかもしれない。
こんな未来、もうとっくに諦めていた。
「そういえばさ、優子さん、秘書以外の仕事はしようと思わないの?」
「え?」
再びごはんの続きに戻ったところで、亮弥くんが切り出した。
「正樹さんが、優子さんは秘書じゃもったいないって言ってたよ。もっとすごい人なのにって」
「そんなことないよ……」
正樹ってば、ちょっと私を持ち上げすぎ。
昔はただの生意気な小娘だったし、今は長年どっぷり秘書に浸かってしまっていて、今さら他の部署に移ったところで何ができるんだって周りも思うだろうし、私も正直自信がない。
でも……。
「亮弥くんは、イヤじゃない? 私が秘書辞めたら」
「俺?」
「私、ものすごく活躍しちゃうかも」
「いいじゃん。活躍してよ」
「美意識下がるかも」
「それで優子さんが注目されなくなったら、俺安心だし」
「……正樹と同じ部署になるかも」
「あー……、まあ別にいいかな。あの人と優子さんがどうにかなることはないって今日わかったし。それより優子さんは、どうしたいの?」
「私? 私は……」
自分の心の中を、じっくりと探った。
四十歳。
節目の年。
そろそろ、自分の今後の生き方に答えを出したい。
そのためにも……。
「実はね、これまで社長の許可が出なくて諦めてたの。今も出るかどうかわからない。でも……」
「うん」
「私はね、自分が一番力を発揮できる仕事をしていきたい。その道を定めるために、もう一度だけ、試してみたいと思う」
「うん、わかった」
亮弥くんは温かい微笑みを見せる。
「俺は応援する。がんばって、優子さん」
全ての懸念が晴れた。
最後の賭け。その結果次第で心を決めよう。
私は亮弥くんに感謝しながら、心の中でしっかりと決意を固めていた。
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