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第9章
2 元カレの人格①
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優子さん達と分かれて、俺は正樹さんと二人になった。
とりあえず半歩くらい下がって隣を歩いたが、話の切り出し方を探し当てられない俺は黙ったままだし、正樹さんも特に物を言わなかった。
正樹さんはパッと見ただけでも、俺がかないそうにもない相手だった。
まず、身長で負けた。
彼は一七七、八センチくらいだろうか。とにかく見上げるくらいだった。
そして顔つき。優しそうなタレ目で、笑うと眉毛が下がり、目元に少し寄るしわがまたいい人そうな雰囲気を醸し出していた。
体型は細身とは言えないが、別に太ってもいなくて、適度な厚みで安心感のある中年体型って感じ。
ワイン色のニットセーターにベージュのパンツを履いて、茶色のジャケットを羽織っている。
靴はスニーカーで、気取ってない。もうこの余裕で、完全に負けてる。
なんだろう。はっきり言って、理想の四十代。
自然体で余裕のある大人。
相手を軽んじたり下に見たりすることもなく、優しく尊重してくれる。声もすごく落ち着いてた。
これで仕事もできるらしいから、もう非の打ち所がない。
いったい優子さんはこの人の何がダメだったのか。
逆に問いただしたくなるくらい、俺なんか絶対追いつけない相手に見えた。
この人を目の前にした瞬間俺は、顔の造形の良さなんて、人間的な魅力を持つ人を前に何の役にも立たないことを、改めて思い知った。
しばらく進むと、正樹さんは歩きながら後ろを振り返り、体を反るようにして何やら来た方を確認しているようだった。
俺もつられて振り返ってみたが、特に何もない。
「実華子達、ちゃんと向こうに行ったみたいだね」
「え、ああ……はい……」
そして再び前を向いて、話を切り出した方がいいかな、と迷っていると、正樹さんがこちらに視線を向けた。
その目から笑みが消えていることに気づき、俺は一瞬、あれ、と思った。
「君はさ、何で俺と会おうと思ったの?」
「あ、えっと……」
「俺に勝てると思った? 自信があったんだ?」
ゾワン、と悪寒が背中を走り抜けた。
え、今の言葉、何……?
俺は不穏な空気を感じて足を止めた。
遅れて立ち止まった正樹さんはこちらを振り返り、さっきまでの優しそうな顔が嘘だったみたいに、目の奥から氷の矢で狙っているような目で俺を見た。
ピィンと空気が張り詰める。
マジかこれ……。
本当に驚いた時、人は言葉が出ないらしい。
俺は口を開くことすら忘れて、その別人のような正樹さんをただただ唖然として見つめた。
「俺が優子のこと本当に忘れてると思った? 君と優子を祝福すると思った? 何て言ってほしくて俺を呼び出したの?」
表情ひとつ変えずに繰り出される、棘のある言葉。
誰もが答えに窮するような矢継ぎ早の質問に、俺は何と答えていいかわからず、戸惑いながら視線を下げた。
「黙ってないで答えてよ」
握りしめた手に汗が滲む。
どうしよう。
こっちから話を聞くどころじゃない。
とにかく何か答えないと……。
「たしかに顔だけは本当に美形だけどね。でもどうせそれだけでしょ? 顔が良いとそれだけでチヤホヤされるもんね。それに甘えてきたんでしょ? それとも何か他に、誇れることあるの?」
図星だと思った。
やっぱり俺みたいなヤツはそう思われるんだ。
そしてそのとおりの人間だ。
何も誇れないまま大人になってしまった。
何も言い返せない。
悔しくて、奥歯を噛みしめた。
ここまで言われて、俺は何も言えないのか?
優子さんに何て言えばいい?
この人と話して、まさかこんな言葉を突きつけられたなんて、この人のことを疑っていない優子さんに、奥さんのことを大事にしている優子さんに、言えるわけがない。
わざわざセッティングしてもらったのに、聞きたいこと何も聞けなかったなんて、言えるわけがない。
「それは……」
俺は口を開いた。
喉が張りつく。
声が震える。
「たしかに……、たしかにあなたの言うとおりかもしれません……、でも、俺は……」
何て言ったらいい?
「俺は……」
その時、ふっと吹き出す声が聞こえた。
視線を上げると、正樹さんが口元を抑えながら困ったように片方の眉を下げて、笑いをかみ殺していた。
「……なんですか?」
俺はちょっとムッとした。
人を追いつめておいて笑うなんて、最低にも程がある。正樹さんはバッと両手を合わせて、頭を下げた。
「ごめん、亮弥くん! 今のナシ。本当にごめん。ごめんね!」
俺は何が何だかわからず、眉間に力を入れたままその様子を見つめた。
「今の、全部ウソだから。腹が立ったよね、本当にごめん」
「何すか、それ……」
「いや、ちょっと悔しかったからさ、俺が考えうる最悪な元カレでも演じてみようと思って……でも性に合わなくてもう限界だった。嫌な思いさせて本当にごめんね」
悔しいってどういう意味だよ、とは思ったが、最初の印象と同じ表情で一生懸命許しを乞う姿を見て、どうやら本当に演技だったらしいとわかり、癪だけどホッとした。
「でも少し安心した。挑発されてケンカ買っちゃう人だと、優子とは合わないからね。あ、ごめん、優子さ……じゃない、片瀬さん」
「別にいいですよ、優子で」
「本当にごめんね、さっきの、一つも本心じゃないからね。今日は聞きたいこと何でも話すから、それで許してくれないかな」
俺は小さくため息をついた。
「いや、別に……。あなたが言ったこと、実際合ってるし。俺、正樹さんに勝ちたくて会った部分もあるし、顔しか取り柄がないのも事実で……。何も返す言葉がないです」
正樹さんは俺に近づいて隣に並び、ゆっくりと優しく、肩を撫でた。
「顔だけだったらね、優子が好きにはならないよ。そういう意味で、俺は君がいい子なんだろうなってことは、最初っから疑ってないんだよね。それに、男なら勝つ気で来なきゃダメでしょう。ね、あそこのベンチ空いてるから、座って話そうか」
そう言って促したので、俺は素直に従った。
とりあえず半歩くらい下がって隣を歩いたが、話の切り出し方を探し当てられない俺は黙ったままだし、正樹さんも特に物を言わなかった。
正樹さんはパッと見ただけでも、俺がかないそうにもない相手だった。
まず、身長で負けた。
彼は一七七、八センチくらいだろうか。とにかく見上げるくらいだった。
そして顔つき。優しそうなタレ目で、笑うと眉毛が下がり、目元に少し寄るしわがまたいい人そうな雰囲気を醸し出していた。
体型は細身とは言えないが、別に太ってもいなくて、適度な厚みで安心感のある中年体型って感じ。
ワイン色のニットセーターにベージュのパンツを履いて、茶色のジャケットを羽織っている。
靴はスニーカーで、気取ってない。もうこの余裕で、完全に負けてる。
なんだろう。はっきり言って、理想の四十代。
自然体で余裕のある大人。
相手を軽んじたり下に見たりすることもなく、優しく尊重してくれる。声もすごく落ち着いてた。
これで仕事もできるらしいから、もう非の打ち所がない。
いったい優子さんはこの人の何がダメだったのか。
逆に問いただしたくなるくらい、俺なんか絶対追いつけない相手に見えた。
この人を目の前にした瞬間俺は、顔の造形の良さなんて、人間的な魅力を持つ人を前に何の役にも立たないことを、改めて思い知った。
しばらく進むと、正樹さんは歩きながら後ろを振り返り、体を反るようにして何やら来た方を確認しているようだった。
俺もつられて振り返ってみたが、特に何もない。
「実華子達、ちゃんと向こうに行ったみたいだね」
「え、ああ……はい……」
そして再び前を向いて、話を切り出した方がいいかな、と迷っていると、正樹さんがこちらに視線を向けた。
その目から笑みが消えていることに気づき、俺は一瞬、あれ、と思った。
「君はさ、何で俺と会おうと思ったの?」
「あ、えっと……」
「俺に勝てると思った? 自信があったんだ?」
ゾワン、と悪寒が背中を走り抜けた。
え、今の言葉、何……?
俺は不穏な空気を感じて足を止めた。
遅れて立ち止まった正樹さんはこちらを振り返り、さっきまでの優しそうな顔が嘘だったみたいに、目の奥から氷の矢で狙っているような目で俺を見た。
ピィンと空気が張り詰める。
マジかこれ……。
本当に驚いた時、人は言葉が出ないらしい。
俺は口を開くことすら忘れて、その別人のような正樹さんをただただ唖然として見つめた。
「俺が優子のこと本当に忘れてると思った? 君と優子を祝福すると思った? 何て言ってほしくて俺を呼び出したの?」
表情ひとつ変えずに繰り出される、棘のある言葉。
誰もが答えに窮するような矢継ぎ早の質問に、俺は何と答えていいかわからず、戸惑いながら視線を下げた。
「黙ってないで答えてよ」
握りしめた手に汗が滲む。
どうしよう。
こっちから話を聞くどころじゃない。
とにかく何か答えないと……。
「たしかに顔だけは本当に美形だけどね。でもどうせそれだけでしょ? 顔が良いとそれだけでチヤホヤされるもんね。それに甘えてきたんでしょ? それとも何か他に、誇れることあるの?」
図星だと思った。
やっぱり俺みたいなヤツはそう思われるんだ。
そしてそのとおりの人間だ。
何も誇れないまま大人になってしまった。
何も言い返せない。
悔しくて、奥歯を噛みしめた。
ここまで言われて、俺は何も言えないのか?
優子さんに何て言えばいい?
この人と話して、まさかこんな言葉を突きつけられたなんて、この人のことを疑っていない優子さんに、奥さんのことを大事にしている優子さんに、言えるわけがない。
わざわざセッティングしてもらったのに、聞きたいこと何も聞けなかったなんて、言えるわけがない。
「それは……」
俺は口を開いた。
喉が張りつく。
声が震える。
「たしかに……、たしかにあなたの言うとおりかもしれません……、でも、俺は……」
何て言ったらいい?
「俺は……」
その時、ふっと吹き出す声が聞こえた。
視線を上げると、正樹さんが口元を抑えながら困ったように片方の眉を下げて、笑いをかみ殺していた。
「……なんですか?」
俺はちょっとムッとした。
人を追いつめておいて笑うなんて、最低にも程がある。正樹さんはバッと両手を合わせて、頭を下げた。
「ごめん、亮弥くん! 今のナシ。本当にごめん。ごめんね!」
俺は何が何だかわからず、眉間に力を入れたままその様子を見つめた。
「今の、全部ウソだから。腹が立ったよね、本当にごめん」
「何すか、それ……」
「いや、ちょっと悔しかったからさ、俺が考えうる最悪な元カレでも演じてみようと思って……でも性に合わなくてもう限界だった。嫌な思いさせて本当にごめんね」
悔しいってどういう意味だよ、とは思ったが、最初の印象と同じ表情で一生懸命許しを乞う姿を見て、どうやら本当に演技だったらしいとわかり、癪だけどホッとした。
「でも少し安心した。挑発されてケンカ買っちゃう人だと、優子とは合わないからね。あ、ごめん、優子さ……じゃない、片瀬さん」
「別にいいですよ、優子で」
「本当にごめんね、さっきの、一つも本心じゃないからね。今日は聞きたいこと何でも話すから、それで許してくれないかな」
俺は小さくため息をついた。
「いや、別に……。あなたが言ったこと、実際合ってるし。俺、正樹さんに勝ちたくて会った部分もあるし、顔しか取り柄がないのも事実で……。何も返す言葉がないです」
正樹さんは俺に近づいて隣に並び、ゆっくりと優しく、肩を撫でた。
「顔だけだったらね、優子が好きにはならないよ。そういう意味で、俺は君がいい子なんだろうなってことは、最初っから疑ってないんだよね。それに、男なら勝つ気で来なきゃダメでしょう。ね、あそこのベンチ空いてるから、座って話そうか」
そう言って促したので、俺は素直に従った。
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