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第9章

1 ご対面①

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 亮弥くんと正樹が会う話は、思いのほかトントン拍子に進んだ。
 実華ちゃんは正樹を差し出すことと生亮弥くんを天秤にかけてずいぶん悩んでいる様子だったけど、「まー、土日のうちに相談しときます」と言って一旦持ち帰った。
 でも土曜日の夜にはOKのメールが入って、正樹も快諾してくれたとのことだった。
 そして、次の週末を空けといてくれるらしい。
 段取りとしては、西山夫妻と私達がどこかで待ち合わせて軽く紹介し合ってから、正樹に亮弥くんをお任せして二人で話してもらって、私と実華ちゃんは近くのカフェで待つ、ということになった。
 亮弥くんにも話して、土曜日に四人で会うことが決まった。

「ホントにいいの? 実華ちゃん。別に、私と正樹は会わないようにしてもいいんだよ。会う必要、ないといえばないし……」
 そう言うと、
「いいんです。もし正樹と優子さんが裏切ったら、私が亮弥を誘惑して泥沼にしてやりますから」
 と、実華ちゃんはサラリとした口調で言いながら、ニッコリと感情の無い作り笑いを見せた。怖いなと私は思った。
 西山夫妻は二子玉川住まいだけど、浅草まで出ていこうかと言ってくれた。
 でも、さすがにそれは申し訳ないので、間をとって汐留辺りで会うことにした。

 亮弥くんとは西山夫妻が来る三十分前に落ち合う約束をして、その十分前には私は新橋駅についていた。
 土曜午後の新橋は、亮弥くんとの待ち合わせでよく来る平日夜に比べて、ずいぶん静かだった。
 街をひたひたと湿らせていた霧雨は夜のうちに止み、寒さの和らいだ今日は雲の晴れ間から覗く日差しも暖かで、春の訪れを予感させる柔らかな匂いが鼻腔をくすぐった。

 実華ちゃん達との待ち合わせは銀座口なので、亮弥くんとは反対側のSL広場前で待ち合わせた。
 広場越しに向こうのビルをぼんやりと見ていたら、ふっと人が近づいてくる気配がした。亮弥くんだった。

 振り向いた時、普段と違う印象に私は驚いた。
 いつもは下ろしている前髪を、かき上げるように流してスタイリングしてある。
 顕わになった額と眉に、凛々しさが感じられた。
 スキニーデニムにオフホワイトのタートル、そしてオーバーサイズめで少し重さのある黒のロングカーディガンを羽織っていて、シンプルながらもスタイリッシュで若者感もある。
 足元の手入れされた革靴がまた、一歩も引かないぞという気合いを感じさせる。
「仕上げてきたね」
「もちろん。負けられないから」
 何を負けられないのかよくわからなかったけど、美形っぷりを全面に押し出した亮弥くんはレアで、ついつい写真に収めたくなる。
「それじゃ、一枚撮っとこう」
 私は春コートのポケットからスマホを取り出した。
「何がそれじゃなの……」
「記念記念! 戦闘モードの亮弥くんも残さなきゃ。ファイティングポーズとって」
「こう?」
「あ、いいね! かっこいい!」

 ひとしきり盛り上がった後、我ながら年甲斐もなくはしゃいで何をやってるんだと恥ずかしくなった。
 でも、いつの間にかこんなノリで接し合える仲になっていることを、嬉しくも思う。
 時間が積み重なるごとに、通じるものが多くなる。
 二人の空気が境界をなくしていく。
 普段あまりはしゃがない二人がはしゃげるのは、それだけお互いに心を許している証拠なのだ。

「優子さん、元カレさんてどんな人? 怖くない?」
 亮弥くんは緊張した様子で自分の腕をさすりながら言った。
「穏やかな人だよ。もう長く話してないけど、たまに見かける分には、穏やかで頼れる課長って感じ」
「そんなに疎遠な仲なの?」
「まあ、近づく理由も無いしねぇ」
「話したいとか思うことないの……?」
 話したいと思うこと。
 私は少し考え込んだ。けど、特に思い浮かばない。
「逆に、話したくなることって何がある……?」
 聞き返すと、亮弥くんはちょっと吹き出して、「無いならよかった」と笑顔になった。
 私は、よかったならよかった、と思った。

 だって、もう全く別の人生を歩んでいる人だ。
 しかもそこそこ近況を知っている。
 夫婦のことに敢えて首を突っ込むつもりもないし、となると話すことなんて特にない。
 機会があっても、仕事の話か、天気の話くらいだろう。
 まあ、お母さんお元気? くらいは聞くかな。人として。

 普通は違うのだろうか?
 そういう相手と、二人で何かを話したくなるものなのだろうか?
 例えば亮弥くんと別れて、十年後に会ったら?
 会わない間も愛美ちゃんとは交流があって、亮弥くんの近況を聞いていたり、結婚したと知っていたりしたら?

 考えて、ズキンと胸が痛んだ。
 その痛みに一瞬戸惑って、すぐに当たり前じゃんと思い直す。
 だって亮弥くんと私は別れてない。
 今の感情があればそんな想像に胸が痛むのは、当然のことだ。
 でも、いずれそんな時が来るのかもしれない。
 亮弥くんはいつか私以外の誰かと結婚してしまうのかもしれない。
 そしたら私はまた、心の中に失望を溜めるんだろうか。

 そこまで考えて、ふと我に返る。
 いやいや、今はそんなこと関係ない。
 私のことが好きだから元カレと話をしようとまでしている恋人を前に、何考えてるんだか。

 私は不自然にならないよう、軽く髪を払う程度に頭を振って顔を上げ、晴れ間から差している光を目に注ぎ込んだ。
 明るさに心の翳りも去ってホッとすると、指先に何かが触れて、そのまま私の手を包んだ。
「エネルギーチャージ」
 そう言った亮弥くんの横顔を見上げると、温かい気持ちが胸に広がった。
 私はその手を握り返して、いっぱいエネルギーが伝わるようにと祈りを込めた。
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