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第2章
1 昔の恋人①
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秘書の仕事にも慣れてきた頃だったから、三三歳くらいだっただろうか。
以前から仕事で接することも多かった、愛美ちゃんの同期の桜井実華子さんに、話があると声を掛けられた。
桜井さんは目がぱっちりして可愛くて、思ったことをハキハキと言える頼もしい感じの女の子だ。
夕方社長を見送った後、給湯室で食器を洗っている時だったので、洗い終わってから人のいない社長応接室で話を聞くことにした。
社内の人から個人的な相談を受けることは、総務時代からたまにあった。
同僚の時もあれば、他部署の先輩だったり、新入社員の子だったり、男性の時も女性の時もあった。
内容も仕事の話や、人間関係、体調のことなど、多岐に渡った。
私が特別的確な答えを返していた気は全くしないのだけど、きちんと話を聞いて、真摯に答えるというのはわりと得意だったので、たぶんそれだけでも何かの足しになると感じてもらえていたのだろう。
総務や秘書という、社内の人達を幅広くサポートする立場だからこそでもあると思う。
ただ、あまり親身になり過ぎると、特に男性の場合は好意と受け取られ兼ねないので、心に多少のクールさを持ちつつ、場合によっては多少冗談も混ぜつつ、明るく、軽く、真面目に、という絶妙なバランスを保つのにはわりと苦労していた。
でも、元来人のために何かできることが喜びになる性分なので、苦にはならなかったし、みんないろんな思いを抱えているんだなぁと勉強にもなった。
そんなだから、桜井さんの話もいつものような相談事だろうと思っていた私は、応接室に入って繰り出された一言に固まる羽目になったのだった。
「すみません、帰る時間に捕まえてしまって」
「ううん、何かあったの?」
「実は……」
一瞬言い淀んだ後、桜井さんは意を決したようにこちらに顔を向けて、
「商品開発部の西山さんと結婚寸前までいったって本当ですか?」
その瞬間、ザァッと血の気が引いた。
そうなのだ。実は私は、本社に来る前に同じ営業所の先輩だった西山正樹と、当時そこそこ深い恋人関係にあった。
でもそのことは会社関係者にはバレないようにしていたし、実際バレてもいなかったはずだ。
なぜ今さら、こうして当時はいなかった後輩の子から掘り返される羽目になっているのか、私は状況が飲み込めず、最悪もっとたくさんの人に知られている可能性もあると考えて内心かなり動揺していた。
が、そんな様子は微塵も見せず、口では冷静に受け答えできるのが秘書で培ったスキルのひとつである。
「どこで聞いたの? そんなこと」
私は事もなげに答えた。
「西山さんご本人からです」
「え……?」
正樹が自分から言うはずないという思いと、お互い口止めしていたのに何で約束を破ったんだろうという不信感とで、思わず眉をひそめてしまった。
「なんで正……、西山さんが?」
「すみません、私が無理やり聞き出したんです」
以前から仕事で接することも多かった、愛美ちゃんの同期の桜井実華子さんに、話があると声を掛けられた。
桜井さんは目がぱっちりして可愛くて、思ったことをハキハキと言える頼もしい感じの女の子だ。
夕方社長を見送った後、給湯室で食器を洗っている時だったので、洗い終わってから人のいない社長応接室で話を聞くことにした。
社内の人から個人的な相談を受けることは、総務時代からたまにあった。
同僚の時もあれば、他部署の先輩だったり、新入社員の子だったり、男性の時も女性の時もあった。
内容も仕事の話や、人間関係、体調のことなど、多岐に渡った。
私が特別的確な答えを返していた気は全くしないのだけど、きちんと話を聞いて、真摯に答えるというのはわりと得意だったので、たぶんそれだけでも何かの足しになると感じてもらえていたのだろう。
総務や秘書という、社内の人達を幅広くサポートする立場だからこそでもあると思う。
ただ、あまり親身になり過ぎると、特に男性の場合は好意と受け取られ兼ねないので、心に多少のクールさを持ちつつ、場合によっては多少冗談も混ぜつつ、明るく、軽く、真面目に、という絶妙なバランスを保つのにはわりと苦労していた。
でも、元来人のために何かできることが喜びになる性分なので、苦にはならなかったし、みんないろんな思いを抱えているんだなぁと勉強にもなった。
そんなだから、桜井さんの話もいつものような相談事だろうと思っていた私は、応接室に入って繰り出された一言に固まる羽目になったのだった。
「すみません、帰る時間に捕まえてしまって」
「ううん、何かあったの?」
「実は……」
一瞬言い淀んだ後、桜井さんは意を決したようにこちらに顔を向けて、
「商品開発部の西山さんと結婚寸前までいったって本当ですか?」
その瞬間、ザァッと血の気が引いた。
そうなのだ。実は私は、本社に来る前に同じ営業所の先輩だった西山正樹と、当時そこそこ深い恋人関係にあった。
でもそのことは会社関係者にはバレないようにしていたし、実際バレてもいなかったはずだ。
なぜ今さら、こうして当時はいなかった後輩の子から掘り返される羽目になっているのか、私は状況が飲み込めず、最悪もっとたくさんの人に知られている可能性もあると考えて内心かなり動揺していた。
が、そんな様子は微塵も見せず、口では冷静に受け答えできるのが秘書で培ったスキルのひとつである。
「どこで聞いたの? そんなこと」
私は事もなげに答えた。
「西山さんご本人からです」
「え……?」
正樹が自分から言うはずないという思いと、お互い口止めしていたのに何で約束を破ったんだろうという不信感とで、思わず眉をひそめてしまった。
「なんで正……、西山さんが?」
「すみません、私が無理やり聞き出したんです」
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