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第8章

それぞれの思い④

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 従来どおり――いや、従来どおりではない。
 俺の気持ちや事情を知ってすっかり安心した伊月は、より甘えん坊になった。

 例えば寝る前にソファでそれぞれデバイスを見ている時間。
 少しあいだを空けて座っていたはずの伊月は、今ではソファに横向きに膝を立てて座り、俺を背もたれにしてべったりとくっついている。
 季節は進みつつあり、ソフレになった頃の寒さは完全に消え失せて、夏の気温が近づいてきている。
 それなのに風呂上がりに伊月がくっついてきて暑いので、タワーファンがリビングの一角で一足早く活躍してくれている。

 伊月がどういう存在か、ソフレ関係が始まって以来ずっと考え続けてきたけど……。
 最近、新たな答えを見つけた気がしている。

「あ~、幸せだなぁ」
 伸びをした伊月の腕が、テーブルに置いたタブレットの動画を観ている俺の視界を遮る。
「あっそ……」
「先輩は?」
 選択肢の提示がない。
 いつもの伊月なら「先輩も幸せでしょ?」と決め打ちで聞いてきそうなのに。

 伊月に視線をやると、こちらに背を向けたまま、手元では相変わらず三人組の動画を流している。
 幸せ、とは、動画のことだろうか。
 休日の夜にのんびりゲーム実況動画を観られて幸せか、ということだろうか。

 しばらく悩んだが、伊月の質問の意図がなんであれ、構うことはないと考えた。
 いつも俺への好意を惜しみなく示してくれる伊月に、たまには俺のほうから返してやらないと。
「伊月ちゃんがかわいくて幸せ」
「エッ……どうしたんですか急に」
 間髪いれずに引いていらっしゃる?
「お前がいて幸せだって言ったの」
「理雄先輩……」
 伊月はスマホを投げ出し、こちらに向き直って、無表情のまま両腕を広げる。
 ソファにもたれてた体を起こし、
「はいはい」
 ハグをしてやると、伊月はぎゅっと俺に抱きついた。
 そのまま何も言わないので、伊月の気持ちはよくわからなかったが、少なくとも悪い意味ではないのだろう。

 伊月のことが大事な存在だということは変わりないどころか、むしろ意味合いは以前より深くなっているが、あの時好きだと強く思った気持ちは、その後、あるやらないやら、あやふやになった。
 結局あのホテルの一件以来、よからぬ衝動に駆られることは一度もないままだ。
 好きなはずの女を前にしておいて自分でもどうかと思うが、現状ですっかり満ち足りてしまっていて、普通に、安定して、幸せだ。

 誰かと生きようと思えばトラウマの克服が必須だと思っていたし、克服するために改めて過去に向き合ってまで、誰かと生きたいとは思えなかった。
 トラウマはトラウマとして抱えたまま、克服を迫られずに、今の俺のまま側にいさせてくれる。
 そんな奴が存在して、そんな道を提示してくれるなんて、考えもせずに生きてきた。
 常識外れでも自分の求めるものを突き詰めようとする、伊月の強い意志が、副次的に俺の人生を変えた。

 本当にどこまでも、俺は伊月に甘やかされている。
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