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第6章
1 失えない人①
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「あ、お母さん? あのさ、やっぱりそっちに泊まろうと思って。うん、ツインの部屋が空いてなくて、どうせ別々なら帰ってもいいかなって~」
ホテルを飛び出して拾ったタクシーの後部座席で、すでに家に帰っているであろう母にしれっと嘘をつきながら宿泊願いを出す。
「あー、先に寝てていいよ。お布団だけ敷いててくれたら、あとは適当にやるから~。うん、鍵持ってる。はーい、じゃあね」
電話を切って、ぱりっと堅い座席に支えられながら、ため息をこぼす。
実家までは車で十分くらい。
市街地を逸れて少し入っていくと住宅街が現れて、その一角に私の家がある。
連れてきてくれた友達とホテルに泊まるから――って、さっき伝えて病院で別れてきたばかりだったのに。
次々と流れてゆく街の灯りを見送りながら、さっきのことを思い返して、また長いため息が漏れる。
理雄先輩に、キスされてしまった。
なんでそうなったのか、何が起きたのかさっぱりわからない。
考えたくもないな……。
はぁ……。
実家に着くと玄関の外灯が点いていた。
鍵を開けて中に入ったら、お母さんがリビングのドアからひょいと顔を覗かせた。
「あら、早かったね」
「うん、ごめんね急に」
そのままリビングに入って、私はソファに荷物を置いて座り込んだ。
「今お布団敷いて、外灯点けたとこだったの。どうせならお友達も一緒にここに泊まればよかったのに」
「あー、いや、友達は……いいの」
「東京から、車で連れてきてくれたんでしょ? 男の人?」
「あ、う……あ、いや、えっと……」
ただでさえ、私が早く結婚することを望んでいる母だ。
男だって言ったら、同じ部屋に泊まろうとしてたことが間違いなく誤解を生む。
「女、女」
「ふうん」
「明日は何時に行くの? 瑞月のとこ」
「八時半くらいには出ようかと思って」
「それじゃ、早く寝なきゃだね。お父さんはもう寝たの?」
「うん、気疲れしたみたい。私は寝つけずにいたから、伊月が来てくれて、少し気が紛れてよかった」
そう言って、力なく笑みを浮かべる母。
「本当にね……いつかこういうことがあるんじゃないかって、ずっと心配だったから……」
胸の前で指を組んで、親指を撫で合わせながら、ぽそぽそと心情をつぶやく。
「わかる。私もだよ」
「でも瑞月がバイク好きだからね、ダメとは言えないじゃない」
「だよね……」
バイクは生身だから危ない、なんて、バイク乗りに通じる言葉じゃない。
最初からそんなことは承知の上で、それでも乗りたくて乗っているんだから。
「まあでも、これまでなかっただけ、ラッキーだったんじゃないかな。命に関わるような深刻な怪我でもなかったし、厄払いだと思えばさ」
「うん……そうよね」
「大丈夫だよ。もう処置も終わってるし、あとは治るのを待つだけだから」
「うん……」
私だって本心では母と同じ気持ちなのに、淡々と冷静な言葉が出てくるのはなぜなんだろう。
「本当は目を覚ますまで、側についていたかったけど……」
母は少し涙ぐむ。
それも同じ気持ちだった。
酸素吸入器をつけて、心電図のモニターを繋がれたままで眠る瑞月の側を離れるのは、心がちぎれそうなほど辛かった。
「……伊月も疲れてるよね。私も寝るから、あなたも早めに休んで」
「うん、わかった」
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
寝室のある二階に上がっていく母を見送り、またため息をついた。
布団の敷いてある客間に入って、服を脱ぐ。
お風呂は自宅で済ませていたから、そのまま着替えようと、荷物からパジャマを取り出した。
先輩の家に泊まる時用のパジャマだ。
……さっきのキスを思い出して、胸にひずみが走る。
理雄先輩と唇が触れ合ったことが、嫌だったかと聞かれれば、嫌ではなかった。
きっと、キスだって、それ以上だって、受け入れるのは簡単なんだろう。
境界を越えるのなんて、一瞬だ。
そう考えて、また体がじくりとひずむ。
パジャマを着て布団に潜り込むと、自分の部屋とも理雄先輩のベッドとも違う匂いがした。
慣れ親しんだ実家の匂いなのに、そんなことで気持ちが沈みそうになる。
何も考えなくていいように、私はスマホの動画アプリを開いた。
「あ、ジークスの新しい動画……」
いつもZYXがスケジュールの合間に自主的に撮っているという、三人でのんびりトークするだけのシリーズの新作だ。
サムネイルでは、ソファに並んで座る三人が楽しそうにじゃれ合っている。
その様子に癒やされて、
「かわい……」
タップしようとした瞬間、指が止まる。
――瑞月はこれを観られない状態にあるんだ。
そう考えて、辛くなって、画面を消した。
瑞月と理雄先輩は、私が人生において他の誰よりも多く言葉を交わしてきた、大切な存在だ。
二大巨頭といっていい。
その二人と連絡を取る自由を奪われた今夜は、宇宙に一人放り出されたみたいに心細い。
理雄先輩と寝たかったのにな……。
こんな日だからこそ、側にいてほしかった。
頼らせてほしかったし、甘えさせてほしかった。
なんであんなことが起きちゃったんだろう。
直前まで全くそんな気配はなかったのに。
昨日の夜は、別の理由で理雄先輩を失うことを恐れていた。
そして今日はまた、全く違う状況で不安を抱くことになってしまった。
私たちは、どうなるんだろう。
自由に恋愛できる環境にある男女が、ただのソフレで居続けようなんて、やっぱり無理な話なんだろうか。
――考えたくない。寝よう。
私は横向きで縮こまって、ぎゅっと目を閉じた。
ホテルを飛び出して拾ったタクシーの後部座席で、すでに家に帰っているであろう母にしれっと嘘をつきながら宿泊願いを出す。
「あー、先に寝てていいよ。お布団だけ敷いててくれたら、あとは適当にやるから~。うん、鍵持ってる。はーい、じゃあね」
電話を切って、ぱりっと堅い座席に支えられながら、ため息をこぼす。
実家までは車で十分くらい。
市街地を逸れて少し入っていくと住宅街が現れて、その一角に私の家がある。
連れてきてくれた友達とホテルに泊まるから――って、さっき伝えて病院で別れてきたばかりだったのに。
次々と流れてゆく街の灯りを見送りながら、さっきのことを思い返して、また長いため息が漏れる。
理雄先輩に、キスされてしまった。
なんでそうなったのか、何が起きたのかさっぱりわからない。
考えたくもないな……。
はぁ……。
実家に着くと玄関の外灯が点いていた。
鍵を開けて中に入ったら、お母さんがリビングのドアからひょいと顔を覗かせた。
「あら、早かったね」
「うん、ごめんね急に」
そのままリビングに入って、私はソファに荷物を置いて座り込んだ。
「今お布団敷いて、外灯点けたとこだったの。どうせならお友達も一緒にここに泊まればよかったのに」
「あー、いや、友達は……いいの」
「東京から、車で連れてきてくれたんでしょ? 男の人?」
「あ、う……あ、いや、えっと……」
ただでさえ、私が早く結婚することを望んでいる母だ。
男だって言ったら、同じ部屋に泊まろうとしてたことが間違いなく誤解を生む。
「女、女」
「ふうん」
「明日は何時に行くの? 瑞月のとこ」
「八時半くらいには出ようかと思って」
「それじゃ、早く寝なきゃだね。お父さんはもう寝たの?」
「うん、気疲れしたみたい。私は寝つけずにいたから、伊月が来てくれて、少し気が紛れてよかった」
そう言って、力なく笑みを浮かべる母。
「本当にね……いつかこういうことがあるんじゃないかって、ずっと心配だったから……」
胸の前で指を組んで、親指を撫で合わせながら、ぽそぽそと心情をつぶやく。
「わかる。私もだよ」
「でも瑞月がバイク好きだからね、ダメとは言えないじゃない」
「だよね……」
バイクは生身だから危ない、なんて、バイク乗りに通じる言葉じゃない。
最初からそんなことは承知の上で、それでも乗りたくて乗っているんだから。
「まあでも、これまでなかっただけ、ラッキーだったんじゃないかな。命に関わるような深刻な怪我でもなかったし、厄払いだと思えばさ」
「うん……そうよね」
「大丈夫だよ。もう処置も終わってるし、あとは治るのを待つだけだから」
「うん……」
私だって本心では母と同じ気持ちなのに、淡々と冷静な言葉が出てくるのはなぜなんだろう。
「本当は目を覚ますまで、側についていたかったけど……」
母は少し涙ぐむ。
それも同じ気持ちだった。
酸素吸入器をつけて、心電図のモニターを繋がれたままで眠る瑞月の側を離れるのは、心がちぎれそうなほど辛かった。
「……伊月も疲れてるよね。私も寝るから、あなたも早めに休んで」
「うん、わかった」
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
寝室のある二階に上がっていく母を見送り、またため息をついた。
布団の敷いてある客間に入って、服を脱ぐ。
お風呂は自宅で済ませていたから、そのまま着替えようと、荷物からパジャマを取り出した。
先輩の家に泊まる時用のパジャマだ。
……さっきのキスを思い出して、胸にひずみが走る。
理雄先輩と唇が触れ合ったことが、嫌だったかと聞かれれば、嫌ではなかった。
きっと、キスだって、それ以上だって、受け入れるのは簡単なんだろう。
境界を越えるのなんて、一瞬だ。
そう考えて、また体がじくりとひずむ。
パジャマを着て布団に潜り込むと、自分の部屋とも理雄先輩のベッドとも違う匂いがした。
慣れ親しんだ実家の匂いなのに、そんなことで気持ちが沈みそうになる。
何も考えなくていいように、私はスマホの動画アプリを開いた。
「あ、ジークスの新しい動画……」
いつもZYXがスケジュールの合間に自主的に撮っているという、三人でのんびりトークするだけのシリーズの新作だ。
サムネイルでは、ソファに並んで座る三人が楽しそうにじゃれ合っている。
その様子に癒やされて、
「かわい……」
タップしようとした瞬間、指が止まる。
――瑞月はこれを観られない状態にあるんだ。
そう考えて、辛くなって、画面を消した。
瑞月と理雄先輩は、私が人生において他の誰よりも多く言葉を交わしてきた、大切な存在だ。
二大巨頭といっていい。
その二人と連絡を取る自由を奪われた今夜は、宇宙に一人放り出されたみたいに心細い。
理雄先輩と寝たかったのにな……。
こんな日だからこそ、側にいてほしかった。
頼らせてほしかったし、甘えさせてほしかった。
なんであんなことが起きちゃったんだろう。
直前まで全くそんな気配はなかったのに。
昨日の夜は、別の理由で理雄先輩を失うことを恐れていた。
そして今日はまた、全く違う状況で不安を抱くことになってしまった。
私たちは、どうなるんだろう。
自由に恋愛できる環境にある男女が、ただのソフレで居続けようなんて、やっぱり無理な話なんだろうか。
――考えたくない。寝よう。
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