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第1章

2 推しと弟①

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 コーヒーの入ったマグカップ片手にシャッと音を立ててカーテンを開けたら、まっさらな冬の朝の日差しが降り注いだ。
「うーん、いい朝だな!」
 職場のある赤坂見附あかさかみつけから電車で三十分ほどの北千住きたせんじゅ
 そこそこ大きな商業施設もあり、昔ながらの商店街もあり、五つの路線が通っていて交通の便もよく、郊外ではあるものの暮らすには便利な街だ。
 部屋はマンションの七階。目の前には視界を遮る建物がないから、見える街並みはごちゃついてるとはいえ、見晴らしはいい。

 昨夜私は、念願だったソフレをゲットした。相手は職場の先輩、大宮理雄おおみやりおうだ。
 といっても、まだ口約束をしただけ。
 ソフレという新しい関係が始まるのは、まだこれから。

 恋人がほしいでも、結婚したいでもなく、「ソフレがほしい!」なんて堂々と言っちゃうのは、常識から外れた人間なんだろう。
 親密な男女は恋愛するもので、結婚するもので、そしたら当然子どもが生まれるもの。それでこそ男女のあるべき幸せな姿だという価値観は、いまだ根強い。
 だから、私みたいに三十歳をとっくに過ぎても焦りもせず求めもせず自分勝手に生きている女への目は、とても冷笑的だ。

 でも私は思ってる。
 世の中の主流に乗れない私にだって、みんなが素敵なパートナーとの幸せを掴んだのと同じように、私なりの幸せを掴む権利はあるよねって。

 私だってなにも、最初から恋愛や結婚を度外視して生きてきたわけじゃない。
 最後の彼氏――中学の頃から数えて通算十二人目の彼氏とは、それなりに結婚も視野に入れてつき合っていた。
 正直に言うとその前もそのまた前も、一応年齢的には可能性あるのかなって考えてはいた。
 でも、どうしてもダメだった。
 この人と結婚したら幸せになれる、と思えたことがなかった。
 そこを妥協して我慢してまで誰かと結婚しなきゃいけないとは思わない。
 必要ないものを手に入れる必要はないからだ。

 私は文房具デザイナーを志望して今の会社に入った。
 残念ながら最初は営業部に所属させられてしまったけど、入社後すぐに、いつか働きたい憧れの『商品開発部文房具デザイン室』を覗きに行った。
 そこで遭遇したのが理雄先輩。
 ぐっと見上げるほど背が高くて、いかにも鍛えてそうに肩幅や胸板ががっしりしていて、体格だけで威圧感が半端ない上に、見上げた先に待ち構えている目つきが終わってる。
 その姿を一目見て、こんな裏社会の人みたいな怖いおにーさんが文具デザインをしているなんて……、希望が叶った暁にはこんな怖い人と働かなきゃいけないなんて……、と絶望したものだ。
「なんか用?」
 と問いかけてきた怖い人に、美大出身でいつかデザインをやりたいと告げると、彼は少し微笑んで、「ふーん、楽しみだな」と言った。
 その「楽しみだな」も、挑発されてるみたいでとっても怖かった。
 理雄先輩との出会いの記憶は、これがすべてだ。

 それから二年くらいが経って、人員に空きの出たデザイン室に異動になった。
 あの時あいさつした怖いお兄さんが覚えていて推薦してくれたのかな、とかちょっと思っていたけど、全然違って、理雄先輩は私を全く覚えていなかった。
 これは無駄にがっかりした記憶だ。

 理雄先輩は七つ年上、四十一歳独身。
 見た目は怖いけど、なんというか、整然とした人だ。
 生み出すデザインもスタイリッシュで、清潔感がある。私はどちらかというとカラフルで華やかなデザインが得意だけど、理雄先輩のスタイルも好きだ。
 出身大が同じだったおかげか何かと話が合って、けっこう早い段階で打ち解けて仲良くなった。
 仕事が早くて頼りになって、すごく優しいわけじゃないけど、いつもいやな顔をせずに話を聞いてくれるし、顔が怖くて基本そっけないわりに思いやりもある。
 しかも離婚でトラウマがあって女子に興味がないらしい理雄先輩は、私にとっては余計な心配をせず気楽につき合える人。
 私たちの間で保たれ続けた一定の距離は、もうすっかり固まっていて、この先も変化が訪れることはないと思っていた。
 けど……。

 私、理雄先輩と一緒に寝ることになるのか……。
 そう思って想像してみる。
「いやー、悪くないね」
 PCデスクのチェアーに座り、昨夜コンビニで朝食用に買っておいた卵サンドをかじりながらつぶやいた。
 ひょろっとした人があんまり好みじゃない私てきには、横に寝るのが今も変わらず逞しいあの体型なのは心が躍る。
 人としての相性は絶対いいし、なんなら一緒に仕事してる仲だし、なんか……私が思う理想の関係性を築けそうな気がする!

 一人でにこにこしていたら、静寂を打ち破って高らかにインターホンが鳴った。
 そうだった。今日来るって言ってたんだっけ。
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