大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば

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本編

勇者と逆襲

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ぞぶりっ、と。
狼の牙が俺の腕に喰らいついた。
「ッ!!」
血などもう出ないと思っていたのだが、案外この身体にはまだ残っていたらしい。僅かに血が、数滴舞う。
舞った血はすぐに勢いを失い、重力に引かれて床へ引っ張られる。しかしその中の三粒程の血だけは下へと向かわず、空中に留まり、それどころか重力に逆らって空を泳ぐ。
無音かつ高速の血雫が一直線に向かった先は、俺の腕に噛み付いた狼の瞳。
そこへ潜り込み、瞳を潰してさらに奥へ。
そして狼の血を吸いつつ膨らんだ雫が、頭の中で爆ぜる。
まだ名前はないが、新しく顕れた俺だけの血界。それが狼の命を素早く奪うと、同時に狼が跡形もなく消える。
「クソッ!!」
先程の戦いでマキナを失ったのが不味い。ゼクターによって砕かれた俺の鎧は、未だ復元される気配はない。しかし、繋がっている俺にはわかる。まだマキナは完全破壊されていない。
腕の穴から出る血をコントロールして止血。今の攻防で三秒ほどかかった。
三秒もかかってしまった。
魔獣の数は何十とおり、一体に三秒かけたと言うことは、他の魔獣は三秒間フリーだったと言うこと。
戦闘不能になった《勇者》と、その治療をしているアーネの方へ向けて、魔獣が駆ける。
今から振り返って追うのは最も悪手。
何故なら相手は三大魔侯の一人《産獣師》。奴の産む魔獣に底は無く、隙を見せれば無数の魔獣の牙爪が四方から迫り来る。
俺が唯一出来るのは、これ以上魔獣が抜けないようにするだけ。
「抜けた!」
そう言った直後、視界を埋め尽くさんばかりの黒に、白い炎が燃え移る。
炎は一瞬で燃え広がり、塔の内部の温度を一気に上げ、無数にいた魔獣が一度に消えていく。
それでいて俺には炎は当たらず、魔獣だけが燃えて消える。
「ッ」
「これぐらいなら……大丈夫ですわ」
そうは言うが、アーネの声には疲労が滲む。回復魔法は魔力ではなく術者の生命力を分け与える魔法。アーネの体力を直に削るようなそれを《勇者》二人に対して使っているのだ。あまり彼女に頼っていられない。
そしてこれは同時に好機。
魔獣がぶち抜いて降ってきた上を見上げると、幾つも階を破壊して降ってきたのだろう。元々は大して高くなかったはずの天井だが、今はその天井が見えない。
その事実すら認識出来なかったほど魔獣が降ってきていた訳なのだが、その魔獣も今この瞬間、アーネが焼き払い、広がる炎は魔獣を焼きつつさらに上へと登っていく。
《産獣師》の魔獣は霧へと帰ってまたそこから生まれる。今消えた魔獣も、そう時間も掛からずすぐに戻ってくるはず。
そうなれば《産獣師》を倒すより先にこちらが消耗しきってしまう。
今、この時を逃すわけにはいかない。
一瞬だけ振り返り、アーネの方を見る。
《勇者》の手当はひとまず終わったらしく、《勇者》がふらつきながら立ち上がる。
自身も行くと言いそうな気配がしたので、先に口を開く。
「アーネを頼む」
彼女は回復魔法を使った直後で疲労が激しい。万が一があると不味い。
銀剣を黒剣へと切り替え、同時に目を閉じ、意識を集中して呟く。
「《始眼》」
見開いた目、その視界にはゼクターの時とは少し様子が違う世界が映る。
無数の糸のようなものが、何も無い所から何も無い所へと伸び、あるいは虚空に線がめためたに引かれている。また雑に穿たれた幾つもの穴はからは強い視線を感じる──あれは一体なんだろうか。
気が触れた時の幻覚。そう一言で蹴ってしまえそうなこの空間が、別視点の世界であるという事に気づくのに時間はかからなかった。
『見えない物を斬る』それを目的として発動したこの眼は、見えない物を可視化させ、今までならば黒剣で曖昧に斬っていたそれを確定させた。
銀の鞘から抜剣すると、その時点からあらゆるものが黒剣に触れ、感触も音もなく斬れていく。
一振りしてすぐに黒剣を鞘に収め、もう一度だけ
「…頼んだ」
と言って床を思い切り蹴ると、身体が恐ろしく高い距離飛んだ。黒剣で空気を、重力を、何もかもを切り裂いて隙間を作ったのだ。
一跳びでどれだけ飛んだか。少なくとも五メートルは優に飛び、二つほど上の階の床だった出っ張りに足をかけ、同時に斜め上前方を一度斬って跳躍。それを高速で繰り返し、塔を蹴り登る。
魔獣達を焼いていた炎は既に消えているが、その場所はおよそ掴んでいる。
「《産まれ落ちなさい、私の仔達よ》」
『今のは……《産獣師》の魔術が再度発動した!』
どこからともなく聞こえた声に、シャルがそう叫んだ。
『来るぞッ!』
再度上に広がる黒い靄。
それは良く晴れた、夜の空のような夜闇色の黒。
しかしそこに星はなく、あるのはただ無尽蔵とも思える魔力と暗闇だけ。
そこからズッ──と、犬か何かの獣の足が降りようとする。
距離およそ二十メートル。三回か…二回飛んで何とか届くかどうか。髪で跳躍力を補ってギリか。
いや。
「ッ!」
髪で下半身を強化し、角度を調節して黒剣で再度空を斬る。
あらゆる邪魔を切り裂き、真っ直ぐに跳躍した先は、《産獣師》の黒い闇。
跳躍で辛うじて闇の前までは跳べた。だが足場が無い。踏ん張れない。
剣程度が傷つけられる範囲では、仮に闇を斬れたとしても、全体からしたら大したダメージではないだろう。
普通の剣ならば。
そして、普通の剣士だったならば。
俺の手が持つのは万物を切り裂く黒の剣。
剣の持ち主が見るのは最適化された万物。
「──見えた」
《始眼》が見た景色。
それは全てを呑み込む闇の中でドス黒く輝く命。
そしてその最奥で渦巻く意味不明なそれは明らかに人工的な物。
あれが術式か。
見えたなら。
この俺に。
この剣に。
斬れない訳が無い。
「ッ!!」
抜いた右手の黒剣の一撃が真横に流れる。
それは細く、薄く、ともすれば目に見えないほどに長く引き伸ばされた、ガラス細工よりも繊細な大剣。
振動を与えればひび割れ、風に吹かれれば圧し折れる。
──けれど。
目に見えるのは暗闇の奥で光る命の灯火。
それもこの瞬間、何が起こるか理解したらしく、寄り集まって壁を生そうとする。
その壁を、大黒剣が切り裂いた。
そして即座に右腰の鞘に収めたままの黒剣を左手で抜き、下から上への一撃を放つ。
一撃目の横薙ぎは露払い。
二撃目の逆袈裟は術式狙い。
狙いは過たず、黒剣が術式を切り裂き、広がっていた闇が嘘のように掻き消える。

横に振り抜いた右手の黒剣を逆手で持ち直し、即座に右の腰の鞘に収めて手を離す。
入れ替わりで剣の柄を握るのは俺の髪。
引き抜いた剣先は先程とは打って変わって、短くて太い、けれど濃い黒の短剣。
『上ッ!!』
「ふんっ!!」
それが真上に向かって投擲され、くぐもった声の後に、小さな何かが少しだけ降ってくる。
血だ。
「見つけた」
上を再度見上げると、赤い目が俺を見下していた。
「《産獣師》ッ!!」
「殺してやる…殺してやるわッ!《勇者》ッ!!」
腹を抑えながら、殺気を撒き散らしながら。
強大な力を持つ魔族はそう言い放った。
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