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18 保見と神羅

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「保見? 保見、起きろ!」
「んっ……せん……せい?」
「いつまで寝ているんだ。ほら、顔を洗いに行くぞ」
 常葉が笑顔で保見の手を取って言った。川で顔を洗うと、常葉は果実を保見に差し出した。
「この山は豊かだ。十分暮らしていけるだろう。家を造らなきゃなぁ……保見、どの辺りに住みたい?」
「一番高いところがいいな、せんせい!」
「よし。じゃあ、木材を運ぶのを手伝ってくれ」
 その日から、常葉と保見は山のてっぺんに家を建てるまでの間、洞穴で寝起きしながら過ごした。山の果実や川の魚、獣の肉などを食べながら、二人は寄り添って暮らした。
 一ヶ月もしないうちに、立派な御殿が出来上がった。
「すごい! せんせい! お城みたいになったね!」
 保見は飛び跳ねて喜んだ。そんな保見を見て、常葉も満足そうにほほ笑んだ。
「ずっと一緒に暮らせるね……せんせい」
 保見は常葉の隣に寄り沿って縁側に座りながら言った。
「あぁ……。もうどこにも行かないよ。ずっと一緒だ」
「ずっと?」
「あぁ、ずっとだ」
 保見はえへへとほほ笑んだ。山の頂上の御殿の縁側からは日没がしっかりと眺められる。辺りがすっかり紅色に染まっていく。
「……やさしいんだね」
 保見は沈んでいく夕陽を眺めながらぽつりと言った。常葉はどきっとした表情で保見を見た。
「有難う……でも、もう大丈夫。本当はね、全て分かっていたの。先生はもういないんだって、知ってたんだ」
 保見は縁側に腰かけたまま両足をぶらんぶらんさせながら言った。
「私を悲しませないように、先生のふりしてくれてたんでしょ? ……ありがとう。でも、もういいの。もう、良いの」
 保見は胸のとんぼ玉をぎゅっと握りしめて、縁側から飛び降りた。
「もうあなたは、人間を殺して回ったりしないでしょ? だって、私が悲しまないように、先生のふりをしてくれるくらい、優しいんだもの。今ならもうわかるでしょ? どうして人は誰かのために必死になるのか、どうして人は誰かの為に喜んだり悲しんだりするのか……」
 保見は振り返ってそう言った。常葉の姿をしたその人は、一度だけ頷いた。
「これからは、人を助けて回るのなんてどうかな」
 保見はにっこりと続けた。
「そうしたら、皆、私たちに感謝するわ。なにかあれば頼って訪ねてきてくれるだろうし、大切にしてくれると思うの。そしてきっと笑ってくれる!」
 常葉の顔はにっこりほほえんだ。
「決まりね」
 保見はくるりと回って見せた。
「……ねぇ……神羅。先生の姿はもうお終いにしなきゃ……。本当のあなたの姿に戻って……」
 保見のその一言に、常葉の顔は引きつった。
「それは駄目だ。できない……」
「どうして? 私は本当のあなたが知りたいの」
「嫌だ!」
「なんで?」
「怖い!」
「何が怖いの?」
「オレの本当の姿を見たら、きっと保見はオレのことを嫌いになってしまう……オレの姿は恐ろしい……オレの姿は醜い……オレはこのままでいたい……」
「嫌いになんてならないわ。本当よ。怖がることなんてないわ。私を信じて……。あなたはきっと、今まで人間や妖怪達に恐れられて生きてきたんでしょう……皆があなたを恐れ、怖がった……でも、あなたはもう、怖い存在じゃないのよ……こんなに優しいんだもの……。私には分かるわ。あなたは醜くなんかないって。私はあなたを恐れたりしない……。本当のあなたが知りたいの……教えて……」
 常葉の姿の神羅は、しばらく嫌がっていたが、何度も懇願する保美に負けて、ついに観念した。一言、
「目を閉じて」
 と保見に告げた。保見は静かに目を閉じた。ふんわりと暖かな風がわきおこり、保美の髪が波打ち、膨らんだ。しばらくすると風はピタリと止み、保美の髪も落ち着いて、静寂が訪れた。


「見てごらん」


 保見の耳に、初めて聞く、低く深い声が響いた。そっと目を開けると、鱗に覆われ、鋭い爪を生やした足が目に入った。保見は視線を少しずつ上げていった。蛇のように長くうねった体には、銀色の羽のようなたくましい鱗がびっしりと生えていた。胴体は長く連なり、その最終地点には青く澄んだ瞳の、角を二本生やした龍の首が、静かに保見を見下ろしていた。長い銀色の髭が羽衣のように夜風になびいている。月に照らされたその体は光り輝き、暗闇に浮かびあがって見えた。

「綺麗……」

 保見は思わずそう呟いていた。その言葉に、銀色の龍は安堵した様子だった。保見が近づくとそっと頭を下げて、撫でてくれというそぶりをした。保見はにっこりほほ笑みながらそっと頭を撫でてやると、神羅は猫のようにごろごろと喉を鳴らした。その体があまりにも大きいので、そのごろごろという音は地響きとなって、御殿が建つ山中に鳴り響き、地面を細かく揺らした。山の木々の葉はビリビリと振動して、さわさわと音をたてた。
 神羅は態勢を低くして、保見に背に乗るように首で合図した。
「わぁ! 乗せてくれるの?」
 保見は喜んで神羅の背に飛び乗ると、頭の二本の角をしっかりと握りしめた。

 ぐわっと神羅の体が宙に浮かぶ。神羅の体は蛇行しながら夜風の中をぐんぐん泳いでいった。満月に照らされて、銀色の鱗はキラキラと反射して輝いた。保見は無邪気な笑い声を上げながら、
「もっと高く!」
 と叫んだ。


「おい、雷獣。黒葺山に行くが、ついてくるか?」
「また常葉に会いに行くのか?」
 旅支度を済ませた柳へ、呆れた調子で雷獣はそう言った。
「あぁ、もう神羅と保見のことは心配ないって、知らせに行こうと思ってね」
「なぜ白狐嬢は常葉の魂を喰ってしまわないのだ。生きているのか死んでいるのか、これでは区別がつかんではないか」
「君だって僕のこと一向に喰おうとしないじゃないか」
「黙れ! 乗るならはやくしろ。ついてくるか、だと? 笑わせてくれる。我が連れて行くんだろうが。まったく妖怪使いが荒い……」
「有難う。では頼むよ」
 柳を背に乗せた雷獣は地を蹴って勢い良く天へ飛び立った。
「保見と神羅もそうだけど、僕たちだって負けてないさ。北の雷獣、南の神羅とは良く言ったものだよ。人助けは気持ちが良いだろう?」
「ただの暇つぶしだ」
「君は神羅と張り合おうとしていたじゃないか。人助けで張り合えばいい」
「まぁ、この前人間共が立ててくれた御殿は気に入っているがね……神羅のよりも大きい」
「今度神羅はさらに大きな御殿を建て直すらしいよ」
「なんだと!?」
「はは! やっぱり張り合ってる!」
 くすくすと柳が笑った。釣られて雷獣も笑った。
「寄るのだろう? お師匠さんの墓」
「……うん。頼むよ。師匠にも、もう心配ありませんって、お伝えしなければ」


 黒葺山では白狐嬢が翠色の人魂と会話していた。
「まったく、あんたが人魂になって現れた時には目を疑ったよ。神羅があんたの魂を見逃すなんて、幸運だったねぇ……え? なんだい? 保見がいたからだって? まぁ、そりゃあそうだろうけれど……え? あぁ、そういうことかい。ふぅん」
「姉さん、よろしおすか? 入らせていただきます」
 襖を開けて部屋に入って来たのは箕狐であった。
「姉さん、お約束の時間どすえ? 常葉はん、借りてきますよぉ」
 白狐嬢の脇に浮かんでいた翠色の人魂がフワフワと上下して反応した。
「ああん、そうだったねぇ……分かってるよ。さぁ、お行きよ」
 人魂は白狐嬢の周りをくすぐるように二周してから、フワリと箕狐の両手の内へ収まった。
「ウフフ、常葉はん、今日はどちらまで出かけますぅ? え? はいな! よろしおすなぁ」
 箕狐は手の内の人魂とニコニコ話しながら部屋から出ていった。その様子を白狐嬢はうらめしそうに見送ると、大きなため息を一つついたあとに、朗らかに笑った。

 
 それから先、神羅は以前のように恐れられる存在ではなくなり、人々を助ける存在として広く敬われた。神羅に助けられた人々は、神羅の絵や彫刻を作った。それらは日本の至る所に存在するが、その中でも有名な一作品「龍に乗った女」の彫刻にある記述によると、保見亡き後も、この白龍は人々を助け、慈しんだということだ。人々は立派な御殿を守り、白龍を祭って、末永く崇めた。今でも南の山奥に、その御殿はひっそりとたたずみ、人々を見守っているという。

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