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水と花の都の疾風姫編
月女神の覚醒
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──日付が変わった頃、辺境伯邸の敷地。
「甘い」
硬質な音が絶え間なく響く戦場で、時折戦士の渋い声と巨竜が呻る声を耳にしながら。
「ファイア!」
これ以上ないくらいしっくりくるチャージ音を放つ魔法式のレールガンに持ち替えて、巨竜を操っているという魔術師へと発砲した。
住人の救助に向かったマキが戻ってきたのがついさっき。
それまでは膠着状態ながら消耗戦になればスタミナに優れる巨竜に勝ち目はなかったので、マキが加わったのは幸甚と言えよう。
フロート辺境伯と敵の巨竜はお互いに怪我を負い、動きが鈍っている。であれば、あちらが負けない程度に援護しつつ、傍にいる魔術師を狙おうと考えたのだ。健気にバリアを張っているが、ローレンツ力をこれでもかと受けた弾丸の前には紙切れ当然だ。ソフィアクラスのバリアを張れるようになってから出直してきてほしいものだ。やっぱり、本当に耐えられたら困るのでそうならないでほしい。
さて、マキはマキで最近になってバリア特攻スキルを習得したらしく、めちゃくちゃな頻度でバリアを破壊していた。
そうなると、攻撃魔法の準備どころではない魔術師はひたすら即効性に特化した軟らかいバリアを張り続けるしかなく、俺たちは敵のゴリゴリと魔力を削っていた。このままいけば巨竜を従える魔力すらなくなり継戦困難に陥れることができるだろう。
もっとも、レールガンだけではクールダウンがあるのでバリアの破壊頻度が足りないだろうが、そこはチームプレイなのでマキと俺のどちらの手柄かというのは野暮なお話。マキのことだから俺が気にしすぎないよう、あえて自分の手柄を誇張しそうなものだが、その場合は放っておいてやろうと思う。
そんなことを考えていると、フロートさんと対峙していたはずの巨竜が突然咆哮をあげた。
まるで、なにか大技を使ってきそうな雰囲気に身構えていると、いち早く敵の行動を察知したらしい『月夜見』が叫んだ。
「また揺れる! みんな、身を守って!」
まさか、また地震を起こすのか⁉
厄介な攻撃を前に、なるべく瓦礫から離れた場所で身を屈めた。
直後、まともに立っていられないほど地面が揺れ動く。
先ほどより二回り以上弱いが、それでも身動きをとれなくするのに十分だった。一方、相手の魔術師は宙へ浮かんで安全にバリアを展開。そのままこちらの隙を狙って魔法を唱えだす。
マズい。このままだと全滅する。
何がマズいかというと、おそらく次の攻撃魔法だけなら耐えきれるが、もしそれが電撃系や凍結系ならば更に動きを制限されてトドメを刺されるだろいうということ。例えば、地面を覆うように氷が出現すれば足を奪われるし、拘束を抜けた後も地上戦に支障が出るだろう。特に、接近戦を仕掛けるマキとフロートさんにとっては致命的と言っていい。
それだけは阻止しようと引き金を引こうとするが、一手先に発動した敵の凍結魔法は地面を広がるように出現し、文字通りこちらの手を潰すように鋭利な氷で下から右手を刺し貫かれた。
痛みに耐えて武器だけは落とさないように踏ん張る。そのついでに周りを見渡すと、俺とマキに掛かっていたバリアが割れているのが見えた。
命綱ともいえるソフィアが使う障壁魔法が、よりにもよって追撃を避けるのが難しいタイミングで割れてしまったのが苦しい。
急いで無事だった左手に銃を持ち替え、魔術師のバリアを破壊。
巨竜は魔法発動後の硬直で、魔術師はバリアの再展開でそれぞれ隙を晒しているうちにマキとフロートさんが氷漬けにされた体を振りほどいた。
遅れて俺も自分のつま先を捕らえた氷を割って拘束を解くが、状況はさっきと比べてずっと悪い。
一発撃つたびに傷が広がる右手を庇って行動など、いつ付け狙われてもおかしくない隙だからだ。
それに、悪い予感が的中し、瓦礫だらけで動きにくかった地面はスケートリンクのようになって更に歩きにくくなってしまった。
「マキ、フロートさん! 退き気味に動こう!」
こうなるともう射程を活かしてちまちまとあの魔術師と消耗戦に持ち込むしかない。
今の今まで連発しなかったあたり、地震魔法も特大のクールダウンがあるだろうし、次の地震までに魔術師を消耗させることができればそれでいい。
意図を察してくれたのか、徐々に前線を下げてくれる父娘に感謝しつつ、おろおろしている『月夜見』の首根っこを掴んでダッシュ。
驚いて暴れそうなリアクションを見せた七百歳の自称女神ちゃんだが、怪我をしている右手で掴んだからか大人しくしてくれている。無言で睨んでくるのはささやかな抵抗だろう。
「……ねえ、もっと運び方というものがあるんじゃないかい?」
「ほう? 自分の足で走れると?」
「あーウソウソ! 手を治してあげるから許して!」
振り下ろしてやろうかと強めに腕を振ると、予想以上に抵抗されてしまった。
うん? コイツはいつの間に治療魔法なんて習得していたのか。まあ魔力量は多いし神力だって自前のものがあるから使えても不思議ではないが。
「無詠唱か。やるじゃないか」
『月夜見』の首根っこを掴んでいる俺の手に両手を重ねるだけで治せるとは。
練達した聖職者ならともかく、昨日までよくわからない支援スキルしか使えなかった奴が急にできるようになる技ではないはずだが。
ソフィアですら無詠唱かつ準備時間を削っての魔法行使には、初めて魔法を使うようになって一年かかったと言っていたのを思い出す。
強いて言うなら効力が低いのが気になる。傷がふさがってもまだ皮膚の内側がズキズキ痛むうえ、失った血液までは戻っていない。
無意識のうちにソフィアを比較していたのがバレたのか、気づくと『月夜見』に冷たい視線を向けられていた。
「むぅ。……言っておくが、ソフィアは人間の中でも規格外の術者だからな。いくら神とはいえ、僕とあの子を比べるのは筋違いだぞ」
「すまない。それより、治してくれてありがとう」
「ふ、ふん! そんな言葉一つで許してやるほど僕はチョロくないからな!」
「ああそうかい。それより、俺のことはもういいからマキとフロートさんを癒してやってほしい。前衛の方が心配だ」
扱いがおざなりだと地団太を踏んでいた『月夜見』は、俺の言葉に前衛二人へ視線を向ける。
すると、次の瞬間には目を閉じて手を組んだ。
祈りを捧げるような姿勢のままじっとしていると、辺りが少し明るくなったかのように感じいく。否、実際に明るくなっている。月明かりによって。
「『月夜見』お前まさか」
普段と違って、今のコイツはどこに出しても恥ずかしくない月の女神みたいだ。
なんか光のせいで見た者に神々しささえ覚えさせる姿だ。
「月の女神の名において君達に祝福を与えよう。月の光は成功の兆し。闇夜を照らし逆境にいる信徒の希望の光となってみせよう」
溢れる神力のためか、祈りを捧げる姿勢のまま宙へ浮かび上がった『月夜見』の遥か上空からより一層強い光が降り注ぐ。
その光を浴びていると体の内側から力が湧き上がってくる。
おいおいマジかよ。まさかの『月夜見』覚醒回か?
あまりの超展開に思わず日本にいた頃のオタクっぽい部分が内心に湧いてきてしまった。
だが、こういうときはなんか強烈なデメリットがあるんじゃないか?
例えば、ソフィアの規模や効果量が大きい魔法は詠唱時間だったり消費魔力だったりに欠陥を抱えていて、不意の襲撃や連戦に弱いという弱点がある。その他、効果が大きすぎるステータス強化系魔法は体の新陳代謝増加に体が耐えきれず早死にするとか。これにもそういった罠があるんじゃないかと思うが、今のところは大丈夫そうだ。
そんなことを勘ぐりつつ、クールタイムがあがった魔法銃に魔力を込めて引き金を引いていく。
魔法銃のクールタイム待ちに爆弾矢を撃とうと背中に着けている弓に手を伸ばしていると、再び空気が冷える感覚が肌を襲う。
「下がれ!」
さっきと同じ魔法を使ってくるなら前衛二人は無事で済むか怪しい。
俺より早く魔法を察知していたらしいフロートさんは既に態勢を変えて後方へ飛び退く準備をしているが、マキはまだ魔術師へ切りかかった後の隙を晒している。
数瞬後、発動前の魔法を察知したマキだったがもう遅い。
今から回避行動に出ても離れる前に即死圏内から出られないだろう。
爆弾化した弾丸を銃で撃てば爆風で飛ばして逃がしてやれるかもしれない。だが、既に銃を地面に置いてしまっていて、今からでは手を伸ばしているうちにマキがやられる。かといって、弓矢の弾速では間に合うか怪しい。
「僕が必ず、守ってみせるから」
焦りからか、そんな幻聴が聞こえて。
次の瞬間、辺りを強い冷気がした。
「マキ!」
吹雪に似た風が通り過ぎて数秒間視界が奪われるが、それもやがて晴れた。
逃げ遅れた仲間の様子が心配で最速で見渡す。
すると、視界の先には回避が間に合わず膝上まで地面に氷で縫い付けられたフロート辺境伯の姿と。
「無事か⁉」
全身を薄く氷で覆われたマキが銀盤となった地面へ叩きつけられていた。
そんな仲間へ声をかけると、マキは痛みに震えながらもなんとか立ち上がった。
先ほどの魔法を目の当たりにしていれば誰がどう見ても無事では済まないだろうが、その考えを頭から飛ばす。
余計なことを考えている暇はない。
前衛が崩された今、次は俺たちの番。そうでなければ、動けない前衛二人がトドメを刺されるだろう。
「背中は任せるぞ『月夜見』」
氷の都にいた頃にソフィアが作ったへんてこな魔法槍がすぐ抜けることを確認すると、クールタイム待ちの魔法銃を素撃ちしながら負傷した前衛二人の前まで駆ける。
銃火器は遠距離武器だから接近戦に弱いとまことしやかに囁かれるこの世界にそれが勘違いだと突きつけてやろう。
負傷したマキと氷漬けになったフロート辺境伯を背に庇いながら射撃。巨竜が負った傷を狙えば少しくらい脅威になるだろうが、負傷を前提に反撃されたら殺されるだろう。だが、泣き言は言っていられない。
今夜はなぜか調子がいい『月夜見』が、マキとフロートさんを復活させるまで耐えてやる。
決意を固めていると、背後から『月夜見』の声が聞こえた。
「神頼みかい? いいだろう、助けてあげるよ」
態度まで神みたいにしているんじゃない、とツッコミを入れるより先に俺の手元が光りだす。正確には、魔法銃の引き金に触れる指先から。
「魔法銃に細工をした。今ならクールタイムを待たずに撃てるんじゃないかい?」
「なんでもありか!」
「なんたって満月の夜だからね。僕の独壇場さ」
そんなことを言われたって納得なんて。
……うん?
「ちょっと待て。お前もしかして、今の超役に立つ女神様モードは月に一度の夜にしか発動しないって言うのか⁉」
もしそうであれば、欠点なんかないのでは、と少し期待はじめていた俺の感動を返してほしい。
そんな俺の言葉を当然だろうといい捨てたうえで、『月夜見』はさらに続ける。
「僕は月の女神なんだぞ。満月の晴れの日でなければ、本気の力が届くわけないじゃないか」
コイツマジかよ!
まさか、安易に前衛を買って出たのは失敗だったか?
いや、そこまで言ってやるのはあんまりだろうじゃないか。これでも『月夜見』だって彼女自身にできることを全力でやって俺たちを支えようとしてくれているのだから、それを使えないと一蹴するのは酷い話だろう。
期待外れだと言うのはお門違いだろうと思っていながら。
「ちなみに僕は防御系の神術は苦手だから、ケンジローの撃たれ弱さだと守護魔法を掛けても守り切れないだろうけど、そこはなんとか頑張って攻撃を避けてね」
やってやろうじゃねえかよ!
やらなきゃやられる!
余裕がないのが敵にバレないように内心だけで悲鳴をあげながら魔法銃を構え直した──
「──おかしい! 絶対こんなのおかしいよ! 背中は任せるって言ったじゃん!」
態勢を変えてから数分。
攻撃魔法が飛んでくる度に壁の代わりにされている『月夜見』が文句を言う。
「仕方ないだろう。俺に直撃すれば即死するような攻撃も、壁を一枚挟んでおけば耐えられるんだから。なによりお前の方が固い」
「失礼だね君! 僕のこの柔肌を見て固いだなんて! そんなことを躊躇なく言える無礼者は世界広しと言えど君くらいだろうね!」
そんなことを言いながら、細い脚を大きく振って後ろ蹴りをかましてきた。
「危なっ! なにすんだお前! 戦闘中だぞ!」
普段からサンダルみたいな靴を好んで履いているので、仮に受けても痛くはないだろう。だからといって、人を蹴ろうとしてくるのは如何なものかと。
というか、いくら補助魔法を使っているとはいえ、なぜコイツは魔法を喰らってピンピンしているのだろうか。
そんなことを考えていると、如何にも不機嫌なのがわかる視線をかち合う。
「君がそれを言うな! ああもう、マキとフロートさんの治療だってまだ終わってないのに! 言っておくが、後で絶対に天罰を下すからな! 反省しろよ!」
『月夜見』は機嫌を損ねて頬を膨らませながら言い捨てると、そそくさと岩の影へ移したマキ達の元へと駆けて行った。
さて、そうなると一対二の人数不利だ。
そのうえ、おそらくだがまだ敵側の人員がいるはずだ。
先ほどの閃光攻撃があった時点で少なくとも一人。そして、十中八九ソフィアが打ち上げたであろう花火の模様を、こじつけみたいな理解の仕方をするならあと一人か二人はいるはずだ。
竜、杖、棒、刃、それからよくわからないなにか。その五種類を間隔をずらして表示させたりさせなかったりしていたところまでは察してやれた。
敵にバレないようにという考えはあったのだろうが、抽象的に表すならもっとわかりやすくしてほしいかった。まあ、アイツは芸術に関して壊滅的らしいからな。援軍に注意せよ、という意図が俺に伝わっただけでも奇跡と言えよう。
そんな事情もあって、一瞬でも隙があれば辺りを見渡しているのだが、これがなかなか見つけられない。
こういう時に、敵意を向けられたら自動で感知してくれるシーフ職のスキルが欲しくなる。
ちまちま攻撃しては敵の魔術師のバリアを割って再展開に魔力を使わせているのだが、いつ再び不意打ちを喰らうともわからないので気が気でない。
そう言った傍から巨竜の横やりである。
「甘いわモグラ風情が!」
警戒していただけあり簡単に避けることができたが、ふと違和感を覚える。
途中で攻撃を当てるのを躊躇ったか?
攻撃が当たる直前、しっかり構えていたため何もなくても回避できたはずだが、それはそれとしてわざと爪で薙ぐ空間をずらしたように見えた。
いったい何故かと思い辺りを見て、今までどうして気づかなかったのかと軽くめまいを覚える。
「ほう、なるほどな」
よくも散々やってくれたものだ。
そんな内心の恨み言が表情に出ていたのか、魔術師も一瞬顔をひきつらせる。
急に怯えだした魔術師が一歩後退るごとにこちらも一歩詰め寄っていく。
そして。
「確保ーッ!」
俺は魔術師を地面へ押し倒し、両腕を取り押さえた。
身の危険を感じ、恐怖に抗って一気に逃げ出そうとしたようだが時すでに遅し。
ソフィアと『月夜見』からもらったステータスバフを活かして一気に距離を詰めて拘束。
「ちょ、やめ! 下賤の者がわたくしに触れるんじゃねえ! 死ね、このケダモノ!」
これまで機械のような感情のない詠唱しか聞こえてこなかったので、一瞬誰の声かと思った。
今まで全然気づかなかったのだが、コイツ女か?
そう思って視線を魔術師の胸元まで移動させると、確かに女性らしい豊穣の丘がそこにはあった。ちなみに、ウチの仲間三人分の体積を合算してもコイツには歯が立たないだろう。
「ほう? お前、自分の置かれた立場を理解していないのか?」
俺の言葉を耳にした魔術師はというと、やっと状況を理解したのか己の身を抱きしめ……ることは残念ながらできないのだが、己の身を抱きしめるようにした動きから脅しが効いたことを察した。
「は、はぁ⁉ お前ごとき、わたくしが統べる地黄龍が八つ裂きに──!」
「できないのだろう。術者を巻き込む攻撃はできない。でなければ、俺はついさっき原型が無くなっていた」
そう断言してやると魔術師は反論をやめた。
「まあ、はったりだがな」
カマを掛けられて頭に血が上ったらしい魔術師ちゃんは、拘束された腕を振りほどこうと暴れた結果、足の方が氷で滑ってかなり際どい態勢になった。
……さすがに目をそらしてやろう。
と、いよいよ暴れ出しそうな魔術師ちゃんが大声で怒鳴りだした。
しばらく適当に頷いていると、やがて少しずつボロを出し始めた。
「き、貴様ッ! お前如き、団長殿が駆けつけてくだされば秒殺だ!」
「ふむふむ。それは厄介であるな。してからに、俺はどうなってしまうんだ?」
内心、この状況をちょっと楽しんでいると。
「貴様など首晒しにされるに違いない! ほら、どうした! 己の最期が近づく恐怖に何も言えなくなったか! この下賤で薄汚い獣風情め! わ、わたくしの、その……を……で、楽しん」
散々怒鳴った挙句、徐々に頬を赤らめて言葉が尻すぼみになっていった。
えぇ……。
「ほう、それが誠であれば恐ろしいな。で、最後の方はなんて言ったんだ。ほら言って見ろ! お前の何で楽しめって? はよ吐かんかいこのあばずれ!」
「なっ⁉ そ、それは……その、わ、わたくし、の……」
追い詰められた敵兵士を余裕たっぷりで揶揄う女兵士を演じたかったのだろうが、やるなら最後まで貫けよと。
そんな、なんだか微妙な空気になってしまった原因へ俺は一言。
「処女くさ。……あ、おいこら暴れんな! テメ―本当に人前に出れねえようにしてやんぞ!」
再びジタバタと抵抗し始めた魔術師を力づくで取り押さえる。
なんかもう触ってはいけないところとかも合法的に触ってしまえそうだが、仲間の目もあるので線引きはしている。
にもかかわらず、この女ときたら。
「だ、だいたい貴様とて童貞なんじゃねえのか! このクソカスド低脳チンパン変態野郎! お前が巷でなんて言われてるか知ってるのか? 嫌味な愚者で略してけん者だってさ! ブッフォ、皮肉効きすぎ!」
「上等じゃないか。俺がどれだけ聖人君主かを、お前に身をもって教えてやろうじゃねえか」
まさに売り言葉に買い言葉。
マキとフロートさんが復活すれば袋たたきにできるというのに、そのための時間稼ぎを目的としていたことが頭から抜けていたまさにその瞬間。
「はっ! やれるもんならやってみな! 即霧の国へ宣戦布告をっ⁉」
威勢よく反論していた女魔術師の声が不自然に途切れたと思った頃にはもう遅い。
先ほどまでよりずっと強い冷気が一瞬で空間を支配した。
寒さのせいか恐怖のせいかわからないが、震える体をゼンマイ人形のように動かして顔をあげると、避難所になっていた冒険者ギルドにいるはずのソフィアと目があった。
「心配になってきてみれば、ずいぶん楽しそうなことをしているのね」
この女、口元は笑ってるのに目の光と声のトーンはちっとも笑ってない!
「いやー痴漢よ! 助けいたた痛い痛い痛い!」
意地の悪い顔をしてわざとらしく悲鳴をあげだした女魔術師の頭を掴んで地面にグリグリしていると、ソフィアの背後から続々とこの街の冒険者たちが現れ。
「マナ! 逃げろ!」
冒険者に拘束されたまま突き出された全身鎧の男が女魔術師へと叫ぶ。
なるほど、捕らえたのか。
であればやることはひとつ。
「でかしたぞソフィア。どっちでもいいが、相方を殺させてトラウマ植え付けてやろうぜ。二度と人様の領地で暴れられないようにな」
声高らかに指示を出すと、緊張が走ってざわざわしていた空間を沈黙が乗っ取った。
あれ、俺今とても有効な戦術を提案したと思っていたんだけどな。
「鬼かアンタは! この人たちはこのまま拘束して国際犯罪審議委員会に処分を委ねるわ。複数の街を壊滅させたんだもの。諸外国のお偉方も黙ってはいないわ」
ソフィアの言葉を耳にした冒険者たちがホッと胸を撫で下ろす。
「甘いなぁ、ソフィアちゃん。アマアマや!」
「いや、誰の真似よ」
即座にツッコミが返ってきたところを見てソフィアのコミュ力向上を喜びつつも、未だに地面に押さえつけている女魔術師を見て。
「ケジメはしっかりつけんと……なあ!」
とりあえず首をキュッとして魔法を唱えられないようにしておく。
拷問にかけるのも情報が聞き出せそうでいいかなとか考えていると、視界の端で不自然な光沢が月明かりを反射したのが見えた。
強烈な危機感からそちらを撃つと、拘束されている全身鎧の手先から血飛沫と一緒に投げナイフが飛んだ。
油断も隙もあったものじゃないな。
「さて、お二人さん。ここにいる冒険者連中はこの街の住人でな。派手に住処を荒らしてくれたお前らにはさぞお冠だそうだ。お前ら、原型が残ったまま帰れるといいな」
その言葉に触発されるように冒険者たちの野太い歓声が上がる。
コイツらさっきまでドン引きしてたくせにノリだけはいいんだよな。
後のことは冒険者たちに任せようかと考えていると、急に焦った表情を浮かべたソフィアが何か言いたそうに手を伸ばした。
この一瞬で嫌な予感がする。すごく身の危険を感じる。
「驕ったな下郎! 死ねぇ!」
その言葉に釣られて下を見たまさにその瞬間、視界を眩い光が襲った!
視覚妨害か!
だが拘束を抜けられなければなんのその!
先ほどより強く掴むように握力を込めるが、指先が虚空を切った。
「はあああっ! 『テレポーテーション』!」
視界が戻る直前に聞こえた魔法を発動する声に歯ぎしりする。
ただで逃がすかと気配を頼りに周囲を文字通り手で探ぐって、そして。
視界が戻った直後、男性冒険者の好奇な視線と女性冒険者の冷めた視線を浴びていた俺は、自分が何をしたのか遅れて気づいた。
なにせ俺の手の中にあったのは。
「あの魔術師、パッドだあああああ!」
「やめてやりなさいよおお!」
駆け寄ってきたソフィアに捕まる前に、俺は男性冒険者たちへ片方だけ奪い取った胸パッドを投げ渡した。
今頃、片乳だけナーフされた女魔術師が仲間たちに変な目で見られているに違いない。そう考えると、ソフィアに胸ぐらを掴まれていても気分がいい。
と、揺さぶられながら周囲をキョロキョロ見ていると、取り残された巨竜がおもむろに地面を掘り始めた。
「あ、地黄龍は帰るみたいだよ。君たちは気づいてなかったみたいだけど、術者からの指示が無くなってからはあくびしてたんだよ」
『月夜見』の言葉を聞いて巨竜へと視線をむけると、辺りを見渡していた巨竜とちょうど目が合う。
街を壊滅させた実行犯は我関せずといった感じで俺たちを一瞥すると、特に恨みはなさそうな感じでそのまま地中へと戻っていった。
復活を遂げたマキとフロートさんが追い打ちを試みるが逃げられてしまったようだ。
なんだか最後は不完全燃焼な感じがするが、とりあえず一件落着といったところか。
「せっかくケンジローたちに戦ってもらったのに逃げられたのです」
「我々は全力で戦っていたが、巨竜にとって我々との交戦は羽虫を払う程度の些末事だったのだろうな。老齢のドラゴン種が如何に強大な存在であるかを感じさせてくれる」
逃げられて悔しそうなマキと、さして悔しくなさそうな辺境伯が合流したことでミッションが終わった雰囲気が場を包んだ。
──夜明け。
「それでは、ありがとうございました。薔薇の街の皆様には感謝してもしきれません」
そうして握手を求めるのは、華奢な腕さえも可憐で華やかな印象を与えるソフィアだ。
対して、握手を求められたフロート辺境伯はというと。
「薔薇の街の方こそ、ソフィア殿とそのご一行には幾度となく脅威から救っていただいた。我々はこの恩を未来永劫忘れず、貴殿らに災難が降りかかる際には協力を惜しまないことを約束しよう。では、貴殿らの今後の旅路に神のご加護があらんことを」
「えぇ、フロート辺境伯と街の皆さんにも神のご加護があらんことを」
そう言葉を交わして握手を交わす二人。
……俺の時は手を握りつぶされたんだが。
あの時とは俺たちへの印象は全然違うだろうが、それにしても酷い扱いの差である。できれば、悲鳴をあげるソフィアを見てみたかったのだが。
そんな俺の心の声などついぞ知る由もないソフィアは握手を終えてこちらへ振り向くと俺たち三人に声をかける。
「行きましょう。この先の護衛も頼んだわよ」
「何が護衛だよゴリラ令嬢が。ほら、竜車を引く地竜がやる気満々なんだからもう行くぞ」
「それはひどい言いがかりなのです、ケンジロー。ソフィアはゴリラなんじゃありません、歩く魔導書なのです」
「あれ、私いまマキにも貶された? いや、歩く魔導書呼びはあまり悪い気しないんだけど」
「あっ、ケンジローが無視して行っちゃったよ! 僕たちも行かないと一人で竜車走らせてどこかへ行っちゃうかもしれないよ!」
話がどんどんずれていく女子三人の声を背に先に竜車に戻る。
あと最後のやつ、本当にこのまま出発してやろうかな。
黒い考えを浮かべつつ仲間が戻ってきたのを確認してから地竜に出発指示を出した。
「甘い」
硬質な音が絶え間なく響く戦場で、時折戦士の渋い声と巨竜が呻る声を耳にしながら。
「ファイア!」
これ以上ないくらいしっくりくるチャージ音を放つ魔法式のレールガンに持ち替えて、巨竜を操っているという魔術師へと発砲した。
住人の救助に向かったマキが戻ってきたのがついさっき。
それまでは膠着状態ながら消耗戦になればスタミナに優れる巨竜に勝ち目はなかったので、マキが加わったのは幸甚と言えよう。
フロート辺境伯と敵の巨竜はお互いに怪我を負い、動きが鈍っている。であれば、あちらが負けない程度に援護しつつ、傍にいる魔術師を狙おうと考えたのだ。健気にバリアを張っているが、ローレンツ力をこれでもかと受けた弾丸の前には紙切れ当然だ。ソフィアクラスのバリアを張れるようになってから出直してきてほしいものだ。やっぱり、本当に耐えられたら困るのでそうならないでほしい。
さて、マキはマキで最近になってバリア特攻スキルを習得したらしく、めちゃくちゃな頻度でバリアを破壊していた。
そうなると、攻撃魔法の準備どころではない魔術師はひたすら即効性に特化した軟らかいバリアを張り続けるしかなく、俺たちは敵のゴリゴリと魔力を削っていた。このままいけば巨竜を従える魔力すらなくなり継戦困難に陥れることができるだろう。
もっとも、レールガンだけではクールダウンがあるのでバリアの破壊頻度が足りないだろうが、そこはチームプレイなのでマキと俺のどちらの手柄かというのは野暮なお話。マキのことだから俺が気にしすぎないよう、あえて自分の手柄を誇張しそうなものだが、その場合は放っておいてやろうと思う。
そんなことを考えていると、フロートさんと対峙していたはずの巨竜が突然咆哮をあげた。
まるで、なにか大技を使ってきそうな雰囲気に身構えていると、いち早く敵の行動を察知したらしい『月夜見』が叫んだ。
「また揺れる! みんな、身を守って!」
まさか、また地震を起こすのか⁉
厄介な攻撃を前に、なるべく瓦礫から離れた場所で身を屈めた。
直後、まともに立っていられないほど地面が揺れ動く。
先ほどより二回り以上弱いが、それでも身動きをとれなくするのに十分だった。一方、相手の魔術師は宙へ浮かんで安全にバリアを展開。そのままこちらの隙を狙って魔法を唱えだす。
マズい。このままだと全滅する。
何がマズいかというと、おそらく次の攻撃魔法だけなら耐えきれるが、もしそれが電撃系や凍結系ならば更に動きを制限されてトドメを刺されるだろいうということ。例えば、地面を覆うように氷が出現すれば足を奪われるし、拘束を抜けた後も地上戦に支障が出るだろう。特に、接近戦を仕掛けるマキとフロートさんにとっては致命的と言っていい。
それだけは阻止しようと引き金を引こうとするが、一手先に発動した敵の凍結魔法は地面を広がるように出現し、文字通りこちらの手を潰すように鋭利な氷で下から右手を刺し貫かれた。
痛みに耐えて武器だけは落とさないように踏ん張る。そのついでに周りを見渡すと、俺とマキに掛かっていたバリアが割れているのが見えた。
命綱ともいえるソフィアが使う障壁魔法が、よりにもよって追撃を避けるのが難しいタイミングで割れてしまったのが苦しい。
急いで無事だった左手に銃を持ち替え、魔術師のバリアを破壊。
巨竜は魔法発動後の硬直で、魔術師はバリアの再展開でそれぞれ隙を晒しているうちにマキとフロートさんが氷漬けにされた体を振りほどいた。
遅れて俺も自分のつま先を捕らえた氷を割って拘束を解くが、状況はさっきと比べてずっと悪い。
一発撃つたびに傷が広がる右手を庇って行動など、いつ付け狙われてもおかしくない隙だからだ。
それに、悪い予感が的中し、瓦礫だらけで動きにくかった地面はスケートリンクのようになって更に歩きにくくなってしまった。
「マキ、フロートさん! 退き気味に動こう!」
こうなるともう射程を活かしてちまちまとあの魔術師と消耗戦に持ち込むしかない。
今の今まで連発しなかったあたり、地震魔法も特大のクールダウンがあるだろうし、次の地震までに魔術師を消耗させることができればそれでいい。
意図を察してくれたのか、徐々に前線を下げてくれる父娘に感謝しつつ、おろおろしている『月夜見』の首根っこを掴んでダッシュ。
驚いて暴れそうなリアクションを見せた七百歳の自称女神ちゃんだが、怪我をしている右手で掴んだからか大人しくしてくれている。無言で睨んでくるのはささやかな抵抗だろう。
「……ねえ、もっと運び方というものがあるんじゃないかい?」
「ほう? 自分の足で走れると?」
「あーウソウソ! 手を治してあげるから許して!」
振り下ろしてやろうかと強めに腕を振ると、予想以上に抵抗されてしまった。
うん? コイツはいつの間に治療魔法なんて習得していたのか。まあ魔力量は多いし神力だって自前のものがあるから使えても不思議ではないが。
「無詠唱か。やるじゃないか」
『月夜見』の首根っこを掴んでいる俺の手に両手を重ねるだけで治せるとは。
練達した聖職者ならともかく、昨日までよくわからない支援スキルしか使えなかった奴が急にできるようになる技ではないはずだが。
ソフィアですら無詠唱かつ準備時間を削っての魔法行使には、初めて魔法を使うようになって一年かかったと言っていたのを思い出す。
強いて言うなら効力が低いのが気になる。傷がふさがってもまだ皮膚の内側がズキズキ痛むうえ、失った血液までは戻っていない。
無意識のうちにソフィアを比較していたのがバレたのか、気づくと『月夜見』に冷たい視線を向けられていた。
「むぅ。……言っておくが、ソフィアは人間の中でも規格外の術者だからな。いくら神とはいえ、僕とあの子を比べるのは筋違いだぞ」
「すまない。それより、治してくれてありがとう」
「ふ、ふん! そんな言葉一つで許してやるほど僕はチョロくないからな!」
「ああそうかい。それより、俺のことはもういいからマキとフロートさんを癒してやってほしい。前衛の方が心配だ」
扱いがおざなりだと地団太を踏んでいた『月夜見』は、俺の言葉に前衛二人へ視線を向ける。
すると、次の瞬間には目を閉じて手を組んだ。
祈りを捧げるような姿勢のままじっとしていると、辺りが少し明るくなったかのように感じいく。否、実際に明るくなっている。月明かりによって。
「『月夜見』お前まさか」
普段と違って、今のコイツはどこに出しても恥ずかしくない月の女神みたいだ。
なんか光のせいで見た者に神々しささえ覚えさせる姿だ。
「月の女神の名において君達に祝福を与えよう。月の光は成功の兆し。闇夜を照らし逆境にいる信徒の希望の光となってみせよう」
溢れる神力のためか、祈りを捧げる姿勢のまま宙へ浮かび上がった『月夜見』の遥か上空からより一層強い光が降り注ぐ。
その光を浴びていると体の内側から力が湧き上がってくる。
おいおいマジかよ。まさかの『月夜見』覚醒回か?
あまりの超展開に思わず日本にいた頃のオタクっぽい部分が内心に湧いてきてしまった。
だが、こういうときはなんか強烈なデメリットがあるんじゃないか?
例えば、ソフィアの規模や効果量が大きい魔法は詠唱時間だったり消費魔力だったりに欠陥を抱えていて、不意の襲撃や連戦に弱いという弱点がある。その他、効果が大きすぎるステータス強化系魔法は体の新陳代謝増加に体が耐えきれず早死にするとか。これにもそういった罠があるんじゃないかと思うが、今のところは大丈夫そうだ。
そんなことを勘ぐりつつ、クールタイムがあがった魔法銃に魔力を込めて引き金を引いていく。
魔法銃のクールタイム待ちに爆弾矢を撃とうと背中に着けている弓に手を伸ばしていると、再び空気が冷える感覚が肌を襲う。
「下がれ!」
さっきと同じ魔法を使ってくるなら前衛二人は無事で済むか怪しい。
俺より早く魔法を察知していたらしいフロートさんは既に態勢を変えて後方へ飛び退く準備をしているが、マキはまだ魔術師へ切りかかった後の隙を晒している。
数瞬後、発動前の魔法を察知したマキだったがもう遅い。
今から回避行動に出ても離れる前に即死圏内から出られないだろう。
爆弾化した弾丸を銃で撃てば爆風で飛ばして逃がしてやれるかもしれない。だが、既に銃を地面に置いてしまっていて、今からでは手を伸ばしているうちにマキがやられる。かといって、弓矢の弾速では間に合うか怪しい。
「僕が必ず、守ってみせるから」
焦りからか、そんな幻聴が聞こえて。
次の瞬間、辺りを強い冷気がした。
「マキ!」
吹雪に似た風が通り過ぎて数秒間視界が奪われるが、それもやがて晴れた。
逃げ遅れた仲間の様子が心配で最速で見渡す。
すると、視界の先には回避が間に合わず膝上まで地面に氷で縫い付けられたフロート辺境伯の姿と。
「無事か⁉」
全身を薄く氷で覆われたマキが銀盤となった地面へ叩きつけられていた。
そんな仲間へ声をかけると、マキは痛みに震えながらもなんとか立ち上がった。
先ほどの魔法を目の当たりにしていれば誰がどう見ても無事では済まないだろうが、その考えを頭から飛ばす。
余計なことを考えている暇はない。
前衛が崩された今、次は俺たちの番。そうでなければ、動けない前衛二人がトドメを刺されるだろう。
「背中は任せるぞ『月夜見』」
氷の都にいた頃にソフィアが作ったへんてこな魔法槍がすぐ抜けることを確認すると、クールタイム待ちの魔法銃を素撃ちしながら負傷した前衛二人の前まで駆ける。
銃火器は遠距離武器だから接近戦に弱いとまことしやかに囁かれるこの世界にそれが勘違いだと突きつけてやろう。
負傷したマキと氷漬けになったフロート辺境伯を背に庇いながら射撃。巨竜が負った傷を狙えば少しくらい脅威になるだろうが、負傷を前提に反撃されたら殺されるだろう。だが、泣き言は言っていられない。
今夜はなぜか調子がいい『月夜見』が、マキとフロートさんを復活させるまで耐えてやる。
決意を固めていると、背後から『月夜見』の声が聞こえた。
「神頼みかい? いいだろう、助けてあげるよ」
態度まで神みたいにしているんじゃない、とツッコミを入れるより先に俺の手元が光りだす。正確には、魔法銃の引き金に触れる指先から。
「魔法銃に細工をした。今ならクールタイムを待たずに撃てるんじゃないかい?」
「なんでもありか!」
「なんたって満月の夜だからね。僕の独壇場さ」
そんなことを言われたって納得なんて。
……うん?
「ちょっと待て。お前もしかして、今の超役に立つ女神様モードは月に一度の夜にしか発動しないって言うのか⁉」
もしそうであれば、欠点なんかないのでは、と少し期待はじめていた俺の感動を返してほしい。
そんな俺の言葉を当然だろうといい捨てたうえで、『月夜見』はさらに続ける。
「僕は月の女神なんだぞ。満月の晴れの日でなければ、本気の力が届くわけないじゃないか」
コイツマジかよ!
まさか、安易に前衛を買って出たのは失敗だったか?
いや、そこまで言ってやるのはあんまりだろうじゃないか。これでも『月夜見』だって彼女自身にできることを全力でやって俺たちを支えようとしてくれているのだから、それを使えないと一蹴するのは酷い話だろう。
期待外れだと言うのはお門違いだろうと思っていながら。
「ちなみに僕は防御系の神術は苦手だから、ケンジローの撃たれ弱さだと守護魔法を掛けても守り切れないだろうけど、そこはなんとか頑張って攻撃を避けてね」
やってやろうじゃねえかよ!
やらなきゃやられる!
余裕がないのが敵にバレないように内心だけで悲鳴をあげながら魔法銃を構え直した──
「──おかしい! 絶対こんなのおかしいよ! 背中は任せるって言ったじゃん!」
態勢を変えてから数分。
攻撃魔法が飛んでくる度に壁の代わりにされている『月夜見』が文句を言う。
「仕方ないだろう。俺に直撃すれば即死するような攻撃も、壁を一枚挟んでおけば耐えられるんだから。なによりお前の方が固い」
「失礼だね君! 僕のこの柔肌を見て固いだなんて! そんなことを躊躇なく言える無礼者は世界広しと言えど君くらいだろうね!」
そんなことを言いながら、細い脚を大きく振って後ろ蹴りをかましてきた。
「危なっ! なにすんだお前! 戦闘中だぞ!」
普段からサンダルみたいな靴を好んで履いているので、仮に受けても痛くはないだろう。だからといって、人を蹴ろうとしてくるのは如何なものかと。
というか、いくら補助魔法を使っているとはいえ、なぜコイツは魔法を喰らってピンピンしているのだろうか。
そんなことを考えていると、如何にも不機嫌なのがわかる視線をかち合う。
「君がそれを言うな! ああもう、マキとフロートさんの治療だってまだ終わってないのに! 言っておくが、後で絶対に天罰を下すからな! 反省しろよ!」
『月夜見』は機嫌を損ねて頬を膨らませながら言い捨てると、そそくさと岩の影へ移したマキ達の元へと駆けて行った。
さて、そうなると一対二の人数不利だ。
そのうえ、おそらくだがまだ敵側の人員がいるはずだ。
先ほどの閃光攻撃があった時点で少なくとも一人。そして、十中八九ソフィアが打ち上げたであろう花火の模様を、こじつけみたいな理解の仕方をするならあと一人か二人はいるはずだ。
竜、杖、棒、刃、それからよくわからないなにか。その五種類を間隔をずらして表示させたりさせなかったりしていたところまでは察してやれた。
敵にバレないようにという考えはあったのだろうが、抽象的に表すならもっとわかりやすくしてほしいかった。まあ、アイツは芸術に関して壊滅的らしいからな。援軍に注意せよ、という意図が俺に伝わっただけでも奇跡と言えよう。
そんな事情もあって、一瞬でも隙があれば辺りを見渡しているのだが、これがなかなか見つけられない。
こういう時に、敵意を向けられたら自動で感知してくれるシーフ職のスキルが欲しくなる。
ちまちま攻撃しては敵の魔術師のバリアを割って再展開に魔力を使わせているのだが、いつ再び不意打ちを喰らうともわからないので気が気でない。
そう言った傍から巨竜の横やりである。
「甘いわモグラ風情が!」
警戒していただけあり簡単に避けることができたが、ふと違和感を覚える。
途中で攻撃を当てるのを躊躇ったか?
攻撃が当たる直前、しっかり構えていたため何もなくても回避できたはずだが、それはそれとしてわざと爪で薙ぐ空間をずらしたように見えた。
いったい何故かと思い辺りを見て、今までどうして気づかなかったのかと軽くめまいを覚える。
「ほう、なるほどな」
よくも散々やってくれたものだ。
そんな内心の恨み言が表情に出ていたのか、魔術師も一瞬顔をひきつらせる。
急に怯えだした魔術師が一歩後退るごとにこちらも一歩詰め寄っていく。
そして。
「確保ーッ!」
俺は魔術師を地面へ押し倒し、両腕を取り押さえた。
身の危険を感じ、恐怖に抗って一気に逃げ出そうとしたようだが時すでに遅し。
ソフィアと『月夜見』からもらったステータスバフを活かして一気に距離を詰めて拘束。
「ちょ、やめ! 下賤の者がわたくしに触れるんじゃねえ! 死ね、このケダモノ!」
これまで機械のような感情のない詠唱しか聞こえてこなかったので、一瞬誰の声かと思った。
今まで全然気づかなかったのだが、コイツ女か?
そう思って視線を魔術師の胸元まで移動させると、確かに女性らしい豊穣の丘がそこにはあった。ちなみに、ウチの仲間三人分の体積を合算してもコイツには歯が立たないだろう。
「ほう? お前、自分の置かれた立場を理解していないのか?」
俺の言葉を耳にした魔術師はというと、やっと状況を理解したのか己の身を抱きしめ……ることは残念ながらできないのだが、己の身を抱きしめるようにした動きから脅しが効いたことを察した。
「は、はぁ⁉ お前ごとき、わたくしが統べる地黄龍が八つ裂きに──!」
「できないのだろう。術者を巻き込む攻撃はできない。でなければ、俺はついさっき原型が無くなっていた」
そう断言してやると魔術師は反論をやめた。
「まあ、はったりだがな」
カマを掛けられて頭に血が上ったらしい魔術師ちゃんは、拘束された腕を振りほどこうと暴れた結果、足の方が氷で滑ってかなり際どい態勢になった。
……さすがに目をそらしてやろう。
と、いよいよ暴れ出しそうな魔術師ちゃんが大声で怒鳴りだした。
しばらく適当に頷いていると、やがて少しずつボロを出し始めた。
「き、貴様ッ! お前如き、団長殿が駆けつけてくだされば秒殺だ!」
「ふむふむ。それは厄介であるな。してからに、俺はどうなってしまうんだ?」
内心、この状況をちょっと楽しんでいると。
「貴様など首晒しにされるに違いない! ほら、どうした! 己の最期が近づく恐怖に何も言えなくなったか! この下賤で薄汚い獣風情め! わ、わたくしの、その……を……で、楽しん」
散々怒鳴った挙句、徐々に頬を赤らめて言葉が尻すぼみになっていった。
えぇ……。
「ほう、それが誠であれば恐ろしいな。で、最後の方はなんて言ったんだ。ほら言って見ろ! お前の何で楽しめって? はよ吐かんかいこのあばずれ!」
「なっ⁉ そ、それは……その、わ、わたくし、の……」
追い詰められた敵兵士を余裕たっぷりで揶揄う女兵士を演じたかったのだろうが、やるなら最後まで貫けよと。
そんな、なんだか微妙な空気になってしまった原因へ俺は一言。
「処女くさ。……あ、おいこら暴れんな! テメ―本当に人前に出れねえようにしてやんぞ!」
再びジタバタと抵抗し始めた魔術師を力づくで取り押さえる。
なんかもう触ってはいけないところとかも合法的に触ってしまえそうだが、仲間の目もあるので線引きはしている。
にもかかわらず、この女ときたら。
「だ、だいたい貴様とて童貞なんじゃねえのか! このクソカスド低脳チンパン変態野郎! お前が巷でなんて言われてるか知ってるのか? 嫌味な愚者で略してけん者だってさ! ブッフォ、皮肉効きすぎ!」
「上等じゃないか。俺がどれだけ聖人君主かを、お前に身をもって教えてやろうじゃねえか」
まさに売り言葉に買い言葉。
マキとフロートさんが復活すれば袋たたきにできるというのに、そのための時間稼ぎを目的としていたことが頭から抜けていたまさにその瞬間。
「はっ! やれるもんならやってみな! 即霧の国へ宣戦布告をっ⁉」
威勢よく反論していた女魔術師の声が不自然に途切れたと思った頃にはもう遅い。
先ほどまでよりずっと強い冷気が一瞬で空間を支配した。
寒さのせいか恐怖のせいかわからないが、震える体をゼンマイ人形のように動かして顔をあげると、避難所になっていた冒険者ギルドにいるはずのソフィアと目があった。
「心配になってきてみれば、ずいぶん楽しそうなことをしているのね」
この女、口元は笑ってるのに目の光と声のトーンはちっとも笑ってない!
「いやー痴漢よ! 助けいたた痛い痛い痛い!」
意地の悪い顔をしてわざとらしく悲鳴をあげだした女魔術師の頭を掴んで地面にグリグリしていると、ソフィアの背後から続々とこの街の冒険者たちが現れ。
「マナ! 逃げろ!」
冒険者に拘束されたまま突き出された全身鎧の男が女魔術師へと叫ぶ。
なるほど、捕らえたのか。
であればやることはひとつ。
「でかしたぞソフィア。どっちでもいいが、相方を殺させてトラウマ植え付けてやろうぜ。二度と人様の領地で暴れられないようにな」
声高らかに指示を出すと、緊張が走ってざわざわしていた空間を沈黙が乗っ取った。
あれ、俺今とても有効な戦術を提案したと思っていたんだけどな。
「鬼かアンタは! この人たちはこのまま拘束して国際犯罪審議委員会に処分を委ねるわ。複数の街を壊滅させたんだもの。諸外国のお偉方も黙ってはいないわ」
ソフィアの言葉を耳にした冒険者たちがホッと胸を撫で下ろす。
「甘いなぁ、ソフィアちゃん。アマアマや!」
「いや、誰の真似よ」
即座にツッコミが返ってきたところを見てソフィアのコミュ力向上を喜びつつも、未だに地面に押さえつけている女魔術師を見て。
「ケジメはしっかりつけんと……なあ!」
とりあえず首をキュッとして魔法を唱えられないようにしておく。
拷問にかけるのも情報が聞き出せそうでいいかなとか考えていると、視界の端で不自然な光沢が月明かりを反射したのが見えた。
強烈な危機感からそちらを撃つと、拘束されている全身鎧の手先から血飛沫と一緒に投げナイフが飛んだ。
油断も隙もあったものじゃないな。
「さて、お二人さん。ここにいる冒険者連中はこの街の住人でな。派手に住処を荒らしてくれたお前らにはさぞお冠だそうだ。お前ら、原型が残ったまま帰れるといいな」
その言葉に触発されるように冒険者たちの野太い歓声が上がる。
コイツらさっきまでドン引きしてたくせにノリだけはいいんだよな。
後のことは冒険者たちに任せようかと考えていると、急に焦った表情を浮かべたソフィアが何か言いたそうに手を伸ばした。
この一瞬で嫌な予感がする。すごく身の危険を感じる。
「驕ったな下郎! 死ねぇ!」
その言葉に釣られて下を見たまさにその瞬間、視界を眩い光が襲った!
視覚妨害か!
だが拘束を抜けられなければなんのその!
先ほどより強く掴むように握力を込めるが、指先が虚空を切った。
「はあああっ! 『テレポーテーション』!」
視界が戻る直前に聞こえた魔法を発動する声に歯ぎしりする。
ただで逃がすかと気配を頼りに周囲を文字通り手で探ぐって、そして。
視界が戻った直後、男性冒険者の好奇な視線と女性冒険者の冷めた視線を浴びていた俺は、自分が何をしたのか遅れて気づいた。
なにせ俺の手の中にあったのは。
「あの魔術師、パッドだあああああ!」
「やめてやりなさいよおお!」
駆け寄ってきたソフィアに捕まる前に、俺は男性冒険者たちへ片方だけ奪い取った胸パッドを投げ渡した。
今頃、片乳だけナーフされた女魔術師が仲間たちに変な目で見られているに違いない。そう考えると、ソフィアに胸ぐらを掴まれていても気分がいい。
と、揺さぶられながら周囲をキョロキョロ見ていると、取り残された巨竜がおもむろに地面を掘り始めた。
「あ、地黄龍は帰るみたいだよ。君たちは気づいてなかったみたいだけど、術者からの指示が無くなってからはあくびしてたんだよ」
『月夜見』の言葉を聞いて巨竜へと視線をむけると、辺りを見渡していた巨竜とちょうど目が合う。
街を壊滅させた実行犯は我関せずといった感じで俺たちを一瞥すると、特に恨みはなさそうな感じでそのまま地中へと戻っていった。
復活を遂げたマキとフロートさんが追い打ちを試みるが逃げられてしまったようだ。
なんだか最後は不完全燃焼な感じがするが、とりあえず一件落着といったところか。
「せっかくケンジローたちに戦ってもらったのに逃げられたのです」
「我々は全力で戦っていたが、巨竜にとって我々との交戦は羽虫を払う程度の些末事だったのだろうな。老齢のドラゴン種が如何に強大な存在であるかを感じさせてくれる」
逃げられて悔しそうなマキと、さして悔しくなさそうな辺境伯が合流したことでミッションが終わった雰囲気が場を包んだ。
──夜明け。
「それでは、ありがとうございました。薔薇の街の皆様には感謝してもしきれません」
そうして握手を求めるのは、華奢な腕さえも可憐で華やかな印象を与えるソフィアだ。
対して、握手を求められたフロート辺境伯はというと。
「薔薇の街の方こそ、ソフィア殿とそのご一行には幾度となく脅威から救っていただいた。我々はこの恩を未来永劫忘れず、貴殿らに災難が降りかかる際には協力を惜しまないことを約束しよう。では、貴殿らの今後の旅路に神のご加護があらんことを」
「えぇ、フロート辺境伯と街の皆さんにも神のご加護があらんことを」
そう言葉を交わして握手を交わす二人。
……俺の時は手を握りつぶされたんだが。
あの時とは俺たちへの印象は全然違うだろうが、それにしても酷い扱いの差である。できれば、悲鳴をあげるソフィアを見てみたかったのだが。
そんな俺の心の声などついぞ知る由もないソフィアは握手を終えてこちらへ振り向くと俺たち三人に声をかける。
「行きましょう。この先の護衛も頼んだわよ」
「何が護衛だよゴリラ令嬢が。ほら、竜車を引く地竜がやる気満々なんだからもう行くぞ」
「それはひどい言いがかりなのです、ケンジロー。ソフィアはゴリラなんじゃありません、歩く魔導書なのです」
「あれ、私いまマキにも貶された? いや、歩く魔導書呼びはあまり悪い気しないんだけど」
「あっ、ケンジローが無視して行っちゃったよ! 僕たちも行かないと一人で竜車走らせてどこかへ行っちゃうかもしれないよ!」
話がどんどんずれていく女子三人の声を背に先に竜車に戻る。
あと最後のやつ、本当にこのまま出発してやろうかな。
黒い考えを浮かべつつ仲間が戻ってきたのを確認してから地竜に出発指示を出した。
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