けん者

レオナルド今井

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水と花の都の疾風姫編

芽吹きの時はまだ遠く

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 ──橋の検問所を越えてはや数時間。

 高速で走る王族専用竜車は馬車は数日かかるであろう陸路を数時間で走破して見せた。

「しかし、この速度が出せて御者要らずとは。よくできた竜だな、お前は」

 人懐っこいドラゴンに餌を与えて撫でてやると、心地よさそうに顔を押し付けてきた。

 ……なんだコイツ、愛嬌があるじゃないか。

 荷車を引いてここまで走ってくれた功労者を労っていると、何者かがこちらへ歩いてきた。

「ようこそ花の国へ。霧の国より訪れた友好の使者たちよ、首を長くしてお待ちしておりました。今夜はぜひ羽を伸ばしていってもらいたい」

 そんな声とともに握手を迫ってきたのは、恰幅の良さに対して相手に不快感を与えない身なりの整った人物だった。

 名札には『花の国外交担当長エーデリア』と書かれている。

 確か、俺たちが霧の国を発つ前に手紙を送っていた相手がこの人だったはずだが、パーティ会場からわざわざ出向いてくれたらしい。

 俺は差し出された手を握ると、あいた手で帽子を脱いで一礼。

「これはこれはご丁寧に。俺が霧の国より使者として遣われました、スターグリーク家経理部長のアオキ・ケンジローでございます。あちらにいる金髪碧眼の女性が我らが主ソフィア・ラン・スターグリークでございます」

 帽子を持ったままソフィアを手で指すと、こちらに気づいたソフィアが笑顔でエーデリアに自己紹介をし始めた。

 そこそこ長い付き合いになる俺にはわかる。これは営業スマイルだ。

 どうやら友好の使者である貴族とやらを俺だと勘違いしたこのおっさんに不満を抱いているのだろう。

 手持無沙汰になったので辺りを見渡すと、花の国と言うだけあり主要な通りは軒並み花のアーチがかかっていた。

 少しワクワクしながら視線を動かしていると、この国の貴族であることが判明したマキがソフィアたちのやり取りを呆れた目で見ていることに気づいた。

 ……どうやら、公務員が貴族にヘコヘコするのはどの国でも同じらしい。

 まあいったん放っておこう。一分だけ目を離すとして、そのうちに──。

 一分後。

 屋台のスイーツに吸い寄せられた『月夜見』を小脇に抱えて戻ってきたが、いまだに外交担当長が媚び諂っているみたいだった。

 パーティー前だというのにお目当てのスイーツを満足気に頬張る実は女神な少女を傍に降ろし、俺はマキに耳打ちする。

「……なあ、お前は話しかけに行かないのか?」

「今話しかけに行って貴族の娘だとバレてしまうとマズいんですよ。添い寝くらいならしてあげますので、アタシの身分を隠すために協力してくれませんか? 男の人って女の子と同衾するだけでも喜ぶと聞きますし」

 周りに聞こえないようにそう返してきたマキに、俺は笑いを堪えるだけでも必死だった。

 コイツ、分不相応にも自分の幼児体系で男が喜ぶと勘違いしているらしい。

「……あと五歳成長してから出直してくれないか?」







 ──その日の夜。

 この国の貴族や行商ギルドのお偉いさんなどでパーティーが賑わっていた。

 全体的にガヤガヤしていて聞き取りづらいが、近くのテーブルには耳をすませば内容を聞き取れた。

「第七街道の工事は順調ですかな?」

「これはこれは、ザヴァイ伯爵ではありませぬか。トンネル工事が難航しておりましてね。いやはや、大変でございます」

「なんと! ……予算が足りなくば、ワシが増額するよう進言しよう。具体的にはこれくらい」

「……いつものやつでございますな?」

「うむ」

 おっと、いけない現場かもしれない。

 聞こえてしまったと知られれば暗殺されるかもしれないので聞かなかったフリをしよう。

 明後日の方向を向き、今度こそ更なる友好関係構築に使えそうな話題が落ちていないかと耳を澄ます。

 三人くらいの貴族だろうか。小声の割にはよく響き声でなにかしゃべっていた。

「……水の国のお偉方は本当に我が国のことは気に入っているらしい」

「当家でも聞きましたぞ。なんでも、領地単位で貿易すると関税を下げてくれると言っていたらしいではないか」

「いいことを聞きましたな。……しかし、なぜこのようなことを」

「さあ? 合併に向けた友好関係が目的かもしれんがのう。なんにせよ、ワシらは儲けさせてもらうまでじゃよ」

 そんな、おそらく国の許可を得たものではないであろう密輸の話とか。

 よく見れば遠くのテーブルでも皿の下に封筒を隠してトイレへ行くなど、この会場はそんなやり取りばかりであった。

「……なあ。この国のパーティーは貴族社会のよくないところの見本市か?」

 同じテーブルを囲う仲間たちにこっそり聞いてみると。

「……アンタみたいな最低なことを言う人なら案外仲良くできるんじゃないかしら?」

 数秒の沈黙の末、三人を代表するようにソフィアが毒を吐いた。

 どうやらさっきマキにかけた言葉がマズかったらしい。

 最初はマキに頬が腫れるまでビンタされ、騒ぎを聞きつけたソフィアと『月夜見』に蔑まれて今に至るのだ。

 悪ふざけが過ぎたと反省しているものの、この国の貴族だということを隠したいらしいマキが気に病まないようにとおちょくったのがよくなかった。

 一応、パーティー出席前に怪我したままではみっともないということで、ソフィアには治療魔法を掛けてもらったが。

「……念のために言っておくけど、今夜は枕を高くして眠れないと思いなさいよ」

 とのことらしい。

 甘い物で餌付けすれば『月夜見』くらいは釣れるだろうか。

 なんにせよ、明日は馬車換算で一日ほどのところにある薔薇の都に行くのだ。安眠の妨害に対しては全力で抵抗するつもりだ。

「明日はこの国で随一の武闘派と名高いフロート辺境伯との会合があるんだ。お前らも早寝しろよ」

 返り討ちにされたくなければさっさと寝ろ。

 喉まで出かけた言葉を飲み込んで、代わりにそう言う。

 料理はあらかた食べて満足したので夜風にあたりに行こうと思っていると、未だに怒り心頭と言った様子のマキに手を掴まれた。爪を立てるのはやめてほしいので向き直ると、食用マイマイを手に持ったマキがそれを俺の口に押し付けようとしてきた。

「それはいらない」

 押し付けようとする彼女の手を力任せに退けると、今度は意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。

「おや、大の大人が好き嫌いなんてしませんよね? アタシより五歳も年上の人が好みなケンジローともあろう人が、そんなわけ」

 なんということだろうか。

 コイツは人にカタツムリを喰えと言うのか。

「そんなわけなかろう。だが、そいつは食べるとそこそこ良い量の経験値が入るそうじゃないか。前衛を担うパーティの要はお前なんだ。存分に食べるがいい」

 さすがにカタツムリは勘弁願いたいので詭弁を垂れてみる。

 しかしなぜだろう。まるで人が好き嫌いしているみたいな顔をしやがって。

「嬉しいことを言ってくれますね。さっきはあれだけ罵ってくれたのに」

 おかしい。一言揶揄っただけなのに数十発もビンタされたのだと記憶しているのだが。

 まるで俺が悪人だったとでも言いたげなマキは更に続ける。

「それはそうと、アタシは自分の分は頂きました。あなたもレベルが低いんですから、少しでも経験値は稼いだ方がいいですよ」

 ……。

 …………。

「いらんわ! 人にカタツムリを喰えだとか、お前は海峡で人の心を落としてきたんじゃないのか⁉ 日頃俺の人間性が終わってるだの、罪悪感がパージ可能だの、否定しづらいようなことばかり口にするが、我が身を振り返ってみたらどうだ!」

 これ以上長居すると身を滅ぼしそうなので、そう言い捨て。

「ああっ、逃げました! 逃げましたよあの男!」

 そんな悲鳴を背に感じながら屋外へと逃亡した。







 ──夜半過ぎ。

 俺に何かしようと考えていたらしいソフィアたちも、もう諦めて寝た頃だろう。

 月が高く昇る頃、そう考えて宿泊施設へ戻ってきたのだが。

(……『月夜見』一人だけか。まったく、さてはアイツら、眠いからって見張り番を『月夜見』に押し付けたな)

 リゾートホテルのような豪華な建物の玄関口で、壁に寄りかかってちょこんと座っている『月夜見』を見て、話しかけるかどうか悩んでいた。懐柔できるなら話しかけたいところだが。

 物陰に隠れながらそんなことを企んでいると、こちらに気づいたらしい『月夜見』が手招きしてきた。とっ捕まえるつもりはないらしい。

 罠だったらスキル使って逃げようかと考えながら近寄ると、安心したように空を見上げた。コイツ、本当に見張り番じゃなかったのか。

「……おかえり、ケンジロー。ソフィアたちは寝たから安心して戻るといい」

 ということは、ただ単に夜風にあたりに来たということだろう。

 もしくはコイツが嘘をついていて、ホテルに入ったら廊下の曲がり角で待ち伏せているかもしれない。

 そうなると、ここは『月夜見』と一緒に星でも眺めるべきだろう。

「せっかく晴れてるんだ。一緒に星でもみよう」

 隅にちょこんと座っているので、その隣に腰を下ろす。

 さっきまでは暗闇で見えなかったが、『月夜見』は不安そうに空を見上げているようだった。

 無理もないか。コイツにとってみれば、ここ半月くらいは激動の日々だったのだから。

 どうフォローしようかと考えていると、普段より一回り小さい声で呟く声が聞こえた。

「……僕は、どう生きればいいんだろう」

 おそらく、俺に聞こえないように注意を払って溢した言葉だったのだろうが、耳がいいので聞こえてしまった。

 朝靄の街で知り合ってから今日にいたるまででもコイツの置かれる立場は二転三転していた。にもかかわらず、記憶を無くした過去ともまだ向き合えていないのだろう。人間か神か魔物か。どう生きるべきか悩んでいるはずだ。

「好きなことをして生きればいいんじゃないか?」

 これは、中学時代に兄貴からかけられた言葉だ。

 年の離れた兄貴は優秀で、ゲームばかりしていた俺とは違い生真面目で素直な優等生だった。中学高校をテスト成績一位の記録を崩さぬまま卒業し、国内最高峰の大学へと進学。そこでも優秀な成績を収め、今では夢を叶えて税理士として活躍している。

 そんな兄貴と、俺は両親や周囲の大人から比較されながら育ってきた。

 兄貴のことは嫌いじゃない。年上の人間と比べる大人が罪なのだ。それが分かっているからこそ、よくしてくれる兄貴とは仲が良かった。

 好きなことをして生きる。

 当時はまだ夢の途中だった兄貴が俺にかけてくれた言葉に、俺は初めて自分のために生きるという意志が生まれた。周囲の人間の評価などどうでもいい。やりたいようにやる。

 その頃からテスト勉強にも前向きになったが、勉強を教えてくれたのも兄貴だったな。

 俺にとって数少ない尊敬している人の言葉。それを、異世界でできた仲間にかけているというのは、中々感慨深いものだと思う。

「人か神か魔物か。そんな他人の視点で形成された生き方をしなくなっていい。お前は『月夜見』という一人の生物として生きればいい」

 答えになっていないが、二転三転する立場に振り回されている今のコイツには必要な考え方かもしれない。

「僕として生きる、か。中々悪くない言葉だね」

 七百年も生きてきた相手に余計なお世話ではないかと少し不安だったが杞憂に終わった。

 力なく笑っているように聞こえる『月夜見』の声だが、先ほどよりは元気になったのではないだろうか。

「実はこの頃、無くしたはずの記憶が夢の中で少しずつ蘇り始めているんだ。七百年前からの記憶だから本当に少しずつだけど、朝起きるたびに僕が僕じゃなくなっていくような感覚に襲われる。もっとも、夢の中のことは起きて少ししたら朧気になってしまうんだけどね」

 でも、君が読み解いてくれた僕の過去と照らし合わせたら、きっと大切で必要な思い出なんだろうね。

 そんな風に言葉を続ける彼女に、後ろめたい気分になって顔をそむける。

 ……衝動的にあの拠点を崩落させなければ、今頃他の資料も回収できたと思う。真剣な顔で感謝を告げる彼女に、俺は罪悪感を覚えた。

「君のせいじゃないさ」

 なっ、バレただと⁉

 驚きのあまりバッと振り向くが、どうやら違うらしい。

「連れ出されたから朝起きて辛い思いをするのかもしれないけど、君達が連れ出してくれなければ僕は今も教団に悪用されていただろう。感謝こそすれど恨んでなんかいないよ。……君に浴びせられた暴言以外は」

「根に持ってるじゃねえか。……もし復讐なんて企んでみろ。身包み剥いで街に晒してくれるわ」

「い、言ってくれるじゃないか! 僕だって、記憶と一緒に少しずつスキルを思い出してきたんだからな! 今度僕をいじめたりしたら、天罰を下すからな!」
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