34 / 55
水と花の都の疾風姫編
芽吹きの時はまだ遠く
しおりを挟む
──橋の検問所を越えてはや数時間。
高速で走る王族専用竜車は馬車は数日かかるであろう陸路を数時間で走破して見せた。
「しかし、この速度が出せて御者要らずとは。よくできた竜だな、お前は」
人懐っこいドラゴンに餌を与えて撫でてやると、心地よさそうに顔を押し付けてきた。
……なんだコイツ、愛嬌があるじゃないか。
荷車を引いてここまで走ってくれた功労者を労っていると、何者かがこちらへ歩いてきた。
「ようこそ花の国へ。霧の国より訪れた友好の使者たちよ、首を長くしてお待ちしておりました。今夜はぜひ羽を伸ばしていってもらいたい」
そんな声とともに握手を迫ってきたのは、恰幅の良さに対して相手に不快感を与えない身なりの整った人物だった。
名札には『花の国外交担当長エーデリア』と書かれている。
確か、俺たちが霧の国を発つ前に手紙を送っていた相手がこの人だったはずだが、パーティ会場からわざわざ出向いてくれたらしい。
俺は差し出された手を握ると、あいた手で帽子を脱いで一礼。
「これはこれはご丁寧に。俺が霧の国より使者として遣われました、スターグリーク家経理部長のアオキ・ケンジローでございます。あちらにいる金髪碧眼の女性が我らが主ソフィア・ラン・スターグリークでございます」
帽子を持ったままソフィアを手で指すと、こちらに気づいたソフィアが笑顔でエーデリアに自己紹介をし始めた。
そこそこ長い付き合いになる俺にはわかる。これは営業スマイルだ。
どうやら友好の使者である貴族とやらを俺だと勘違いしたこのおっさんに不満を抱いているのだろう。
手持無沙汰になったので辺りを見渡すと、花の国と言うだけあり主要な通りは軒並み花のアーチがかかっていた。
少しワクワクしながら視線を動かしていると、この国の貴族であることが判明したマキがソフィアたちのやり取りを呆れた目で見ていることに気づいた。
……どうやら、公務員が貴族にヘコヘコするのはどの国でも同じらしい。
まあいったん放っておこう。一分だけ目を離すとして、そのうちに──。
一分後。
屋台のスイーツに吸い寄せられた『月夜見』を小脇に抱えて戻ってきたが、いまだに外交担当長が媚び諂っているみたいだった。
パーティー前だというのにお目当てのスイーツを満足気に頬張る実は女神な少女を傍に降ろし、俺はマキに耳打ちする。
「……なあ、お前は話しかけに行かないのか?」
「今話しかけに行って貴族の娘だとバレてしまうとマズいんですよ。添い寝くらいならしてあげますので、アタシの身分を隠すために協力してくれませんか? 男の人って女の子と同衾するだけでも喜ぶと聞きますし」
周りに聞こえないようにそう返してきたマキに、俺は笑いを堪えるだけでも必死だった。
コイツ、分不相応にも自分の幼児体系で男が喜ぶと勘違いしているらしい。
「……あと五歳成長してから出直してくれないか?」
──その日の夜。
この国の貴族や行商ギルドのお偉いさんなどでパーティーが賑わっていた。
全体的にガヤガヤしていて聞き取りづらいが、近くのテーブルには耳をすませば内容を聞き取れた。
「第七街道の工事は順調ですかな?」
「これはこれは、ザヴァイ伯爵ではありませぬか。トンネル工事が難航しておりましてね。いやはや、大変でございます」
「なんと! ……予算が足りなくば、ワシが増額するよう進言しよう。具体的にはこれくらい」
「……いつものやつでございますな?」
「うむ」
おっと、いけない現場かもしれない。
聞こえてしまったと知られれば暗殺されるかもしれないので聞かなかったフリをしよう。
明後日の方向を向き、今度こそ更なる友好関係構築に使えそうな話題が落ちていないかと耳を澄ます。
三人くらいの貴族だろうか。小声の割にはよく響き声でなにかしゃべっていた。
「……水の国のお偉方は本当に我が国のことは気に入っているらしい」
「当家でも聞きましたぞ。なんでも、領地単位で貿易すると関税を下げてくれると言っていたらしいではないか」
「いいことを聞きましたな。……しかし、なぜこのようなことを」
「さあ? 合併に向けた友好関係が目的かもしれんがのう。なんにせよ、ワシらは儲けさせてもらうまでじゃよ」
そんな、おそらく国の許可を得たものではないであろう密輸の話とか。
よく見れば遠くのテーブルでも皿の下に封筒を隠してトイレへ行くなど、この会場はそんなやり取りばかりであった。
「……なあ。この国のパーティーは貴族社会のよくないところの見本市か?」
同じテーブルを囲う仲間たちにこっそり聞いてみると。
「……アンタみたいな最低なことを言う人なら案外仲良くできるんじゃないかしら?」
数秒の沈黙の末、三人を代表するようにソフィアが毒を吐いた。
どうやらさっきマキにかけた言葉がマズかったらしい。
最初はマキに頬が腫れるまでビンタされ、騒ぎを聞きつけたソフィアと『月夜見』に蔑まれて今に至るのだ。
悪ふざけが過ぎたと反省しているものの、この国の貴族だということを隠したいらしいマキが気に病まないようにとおちょくったのがよくなかった。
一応、パーティー出席前に怪我したままではみっともないということで、ソフィアには治療魔法を掛けてもらったが。
「……念のために言っておくけど、今夜は枕を高くして眠れないと思いなさいよ」
とのことらしい。
甘い物で餌付けすれば『月夜見』くらいは釣れるだろうか。
なんにせよ、明日は馬車換算で一日ほどのところにある薔薇の都に行くのだ。安眠の妨害に対しては全力で抵抗するつもりだ。
「明日はこの国で随一の武闘派と名高いフロート辺境伯との会合があるんだ。お前らも早寝しろよ」
返り討ちにされたくなければさっさと寝ろ。
喉まで出かけた言葉を飲み込んで、代わりにそう言う。
料理はあらかた食べて満足したので夜風にあたりに行こうと思っていると、未だに怒り心頭と言った様子のマキに手を掴まれた。爪を立てるのはやめてほしいので向き直ると、食用マイマイを手に持ったマキがそれを俺の口に押し付けようとしてきた。
「それはいらない」
押し付けようとする彼女の手を力任せに退けると、今度は意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「おや、大の大人が好き嫌いなんてしませんよね? アタシより五歳も年上の人が好みなケンジローともあろう人が、そんなわけ」
なんということだろうか。
コイツは人にカタツムリを喰えと言うのか。
「そんなわけなかろう。だが、そいつは食べるとそこそこ良い量の経験値が入るそうじゃないか。前衛を担うパーティの要はお前なんだ。存分に食べるがいい」
さすがにカタツムリは勘弁願いたいので詭弁を垂れてみる。
しかしなぜだろう。まるで人が好き嫌いしているみたいな顔をしやがって。
「嬉しいことを言ってくれますね。さっきはあれだけ罵ってくれたのに」
おかしい。一言揶揄っただけなのに数十発もビンタされたのだと記憶しているのだが。
まるで俺が悪人だったとでも言いたげなマキは更に続ける。
「それはそうと、アタシは自分の分は頂きました。あなたもレベルが低いんですから、少しでも経験値は稼いだ方がいいですよ」
……。
…………。
「いらんわ! 人にカタツムリを喰えだとか、お前は海峡で人の心を落としてきたんじゃないのか⁉ 日頃俺の人間性が終わってるだの、罪悪感がパージ可能だの、否定しづらいようなことばかり口にするが、我が身を振り返ってみたらどうだ!」
これ以上長居すると身を滅ぼしそうなので、そう言い捨て。
「ああっ、逃げました! 逃げましたよあの男!」
そんな悲鳴を背に感じながら屋外へと逃亡した。
──夜半過ぎ。
俺に何かしようと考えていたらしいソフィアたちも、もう諦めて寝た頃だろう。
月が高く昇る頃、そう考えて宿泊施設へ戻ってきたのだが。
(……『月夜見』一人だけか。まったく、さてはアイツら、眠いからって見張り番を『月夜見』に押し付けたな)
リゾートホテルのような豪華な建物の玄関口で、壁に寄りかかってちょこんと座っている『月夜見』を見て、話しかけるかどうか悩んでいた。懐柔できるなら話しかけたいところだが。
物陰に隠れながらそんなことを企んでいると、こちらに気づいたらしい『月夜見』が手招きしてきた。とっ捕まえるつもりはないらしい。
罠だったらスキル使って逃げようかと考えながら近寄ると、安心したように空を見上げた。コイツ、本当に見張り番じゃなかったのか。
「……おかえり、ケンジロー。ソフィアたちは寝たから安心して戻るといい」
ということは、ただ単に夜風にあたりに来たということだろう。
もしくはコイツが嘘をついていて、ホテルに入ったら廊下の曲がり角で待ち伏せているかもしれない。
そうなると、ここは『月夜見』と一緒に星でも眺めるべきだろう。
「せっかく晴れてるんだ。一緒に星でもみよう」
隅にちょこんと座っているので、その隣に腰を下ろす。
さっきまでは暗闇で見えなかったが、『月夜見』は不安そうに空を見上げているようだった。
無理もないか。コイツにとってみれば、ここ半月くらいは激動の日々だったのだから。
どうフォローしようかと考えていると、普段より一回り小さい声で呟く声が聞こえた。
「……僕は、どう生きればいいんだろう」
おそらく、俺に聞こえないように注意を払って溢した言葉だったのだろうが、耳がいいので聞こえてしまった。
朝靄の街で知り合ってから今日にいたるまででもコイツの置かれる立場は二転三転していた。にもかかわらず、記憶を無くした過去ともまだ向き合えていないのだろう。人間か神か魔物か。どう生きるべきか悩んでいるはずだ。
「好きなことをして生きればいいんじゃないか?」
これは、中学時代に兄貴からかけられた言葉だ。
年の離れた兄貴は優秀で、ゲームばかりしていた俺とは違い生真面目で素直な優等生だった。中学高校をテスト成績一位の記録を崩さぬまま卒業し、国内最高峰の大学へと進学。そこでも優秀な成績を収め、今では夢を叶えて税理士として活躍している。
そんな兄貴と、俺は両親や周囲の大人から比較されながら育ってきた。
兄貴のことは嫌いじゃない。年上の人間と比べる大人が罪なのだ。それが分かっているからこそ、よくしてくれる兄貴とは仲が良かった。
好きなことをして生きる。
当時はまだ夢の途中だった兄貴が俺にかけてくれた言葉に、俺は初めて自分のために生きるという意志が生まれた。周囲の人間の評価などどうでもいい。やりたいようにやる。
その頃からテスト勉強にも前向きになったが、勉強を教えてくれたのも兄貴だったな。
俺にとって数少ない尊敬している人の言葉。それを、異世界でできた仲間にかけているというのは、中々感慨深いものだと思う。
「人か神か魔物か。そんな他人の視点で形成された生き方をしなくなっていい。お前は『月夜見』という一人の生物として生きればいい」
答えになっていないが、二転三転する立場に振り回されている今のコイツには必要な考え方かもしれない。
「僕として生きる、か。中々悪くない言葉だね」
七百年も生きてきた相手に余計なお世話ではないかと少し不安だったが杞憂に終わった。
力なく笑っているように聞こえる『月夜見』の声だが、先ほどよりは元気になったのではないだろうか。
「実はこの頃、無くしたはずの記憶が夢の中で少しずつ蘇り始めているんだ。七百年前からの記憶だから本当に少しずつだけど、朝起きるたびに僕が僕じゃなくなっていくような感覚に襲われる。もっとも、夢の中のことは起きて少ししたら朧気になってしまうんだけどね」
でも、君が読み解いてくれた僕の過去と照らし合わせたら、きっと大切で必要な思い出なんだろうね。
そんな風に言葉を続ける彼女に、後ろめたい気分になって顔をそむける。
……衝動的にあの拠点を崩落させなければ、今頃他の資料も回収できたと思う。真剣な顔で感謝を告げる彼女に、俺は罪悪感を覚えた。
「君のせいじゃないさ」
なっ、バレただと⁉
驚きのあまりバッと振り向くが、どうやら違うらしい。
「連れ出されたから朝起きて辛い思いをするのかもしれないけど、君達が連れ出してくれなければ僕は今も教団に悪用されていただろう。感謝こそすれど恨んでなんかいないよ。……君に浴びせられた暴言以外は」
「根に持ってるじゃねえか。……もし復讐なんて企んでみろ。身包み剥いで街に晒してくれるわ」
「い、言ってくれるじゃないか! 僕だって、記憶と一緒に少しずつスキルを思い出してきたんだからな! 今度僕をいじめたりしたら、天罰を下すからな!」
高速で走る王族専用竜車は馬車は数日かかるであろう陸路を数時間で走破して見せた。
「しかし、この速度が出せて御者要らずとは。よくできた竜だな、お前は」
人懐っこいドラゴンに餌を与えて撫でてやると、心地よさそうに顔を押し付けてきた。
……なんだコイツ、愛嬌があるじゃないか。
荷車を引いてここまで走ってくれた功労者を労っていると、何者かがこちらへ歩いてきた。
「ようこそ花の国へ。霧の国より訪れた友好の使者たちよ、首を長くしてお待ちしておりました。今夜はぜひ羽を伸ばしていってもらいたい」
そんな声とともに握手を迫ってきたのは、恰幅の良さに対して相手に不快感を与えない身なりの整った人物だった。
名札には『花の国外交担当長エーデリア』と書かれている。
確か、俺たちが霧の国を発つ前に手紙を送っていた相手がこの人だったはずだが、パーティ会場からわざわざ出向いてくれたらしい。
俺は差し出された手を握ると、あいた手で帽子を脱いで一礼。
「これはこれはご丁寧に。俺が霧の国より使者として遣われました、スターグリーク家経理部長のアオキ・ケンジローでございます。あちらにいる金髪碧眼の女性が我らが主ソフィア・ラン・スターグリークでございます」
帽子を持ったままソフィアを手で指すと、こちらに気づいたソフィアが笑顔でエーデリアに自己紹介をし始めた。
そこそこ長い付き合いになる俺にはわかる。これは営業スマイルだ。
どうやら友好の使者である貴族とやらを俺だと勘違いしたこのおっさんに不満を抱いているのだろう。
手持無沙汰になったので辺りを見渡すと、花の国と言うだけあり主要な通りは軒並み花のアーチがかかっていた。
少しワクワクしながら視線を動かしていると、この国の貴族であることが判明したマキがソフィアたちのやり取りを呆れた目で見ていることに気づいた。
……どうやら、公務員が貴族にヘコヘコするのはどの国でも同じらしい。
まあいったん放っておこう。一分だけ目を離すとして、そのうちに──。
一分後。
屋台のスイーツに吸い寄せられた『月夜見』を小脇に抱えて戻ってきたが、いまだに外交担当長が媚び諂っているみたいだった。
パーティー前だというのにお目当てのスイーツを満足気に頬張る実は女神な少女を傍に降ろし、俺はマキに耳打ちする。
「……なあ、お前は話しかけに行かないのか?」
「今話しかけに行って貴族の娘だとバレてしまうとマズいんですよ。添い寝くらいならしてあげますので、アタシの身分を隠すために協力してくれませんか? 男の人って女の子と同衾するだけでも喜ぶと聞きますし」
周りに聞こえないようにそう返してきたマキに、俺は笑いを堪えるだけでも必死だった。
コイツ、分不相応にも自分の幼児体系で男が喜ぶと勘違いしているらしい。
「……あと五歳成長してから出直してくれないか?」
──その日の夜。
この国の貴族や行商ギルドのお偉いさんなどでパーティーが賑わっていた。
全体的にガヤガヤしていて聞き取りづらいが、近くのテーブルには耳をすませば内容を聞き取れた。
「第七街道の工事は順調ですかな?」
「これはこれは、ザヴァイ伯爵ではありませぬか。トンネル工事が難航しておりましてね。いやはや、大変でございます」
「なんと! ……予算が足りなくば、ワシが増額するよう進言しよう。具体的にはこれくらい」
「……いつものやつでございますな?」
「うむ」
おっと、いけない現場かもしれない。
聞こえてしまったと知られれば暗殺されるかもしれないので聞かなかったフリをしよう。
明後日の方向を向き、今度こそ更なる友好関係構築に使えそうな話題が落ちていないかと耳を澄ます。
三人くらいの貴族だろうか。小声の割にはよく響き声でなにかしゃべっていた。
「……水の国のお偉方は本当に我が国のことは気に入っているらしい」
「当家でも聞きましたぞ。なんでも、領地単位で貿易すると関税を下げてくれると言っていたらしいではないか」
「いいことを聞きましたな。……しかし、なぜこのようなことを」
「さあ? 合併に向けた友好関係が目的かもしれんがのう。なんにせよ、ワシらは儲けさせてもらうまでじゃよ」
そんな、おそらく国の許可を得たものではないであろう密輸の話とか。
よく見れば遠くのテーブルでも皿の下に封筒を隠してトイレへ行くなど、この会場はそんなやり取りばかりであった。
「……なあ。この国のパーティーは貴族社会のよくないところの見本市か?」
同じテーブルを囲う仲間たちにこっそり聞いてみると。
「……アンタみたいな最低なことを言う人なら案外仲良くできるんじゃないかしら?」
数秒の沈黙の末、三人を代表するようにソフィアが毒を吐いた。
どうやらさっきマキにかけた言葉がマズかったらしい。
最初はマキに頬が腫れるまでビンタされ、騒ぎを聞きつけたソフィアと『月夜見』に蔑まれて今に至るのだ。
悪ふざけが過ぎたと反省しているものの、この国の貴族だということを隠したいらしいマキが気に病まないようにとおちょくったのがよくなかった。
一応、パーティー出席前に怪我したままではみっともないということで、ソフィアには治療魔法を掛けてもらったが。
「……念のために言っておくけど、今夜は枕を高くして眠れないと思いなさいよ」
とのことらしい。
甘い物で餌付けすれば『月夜見』くらいは釣れるだろうか。
なんにせよ、明日は馬車換算で一日ほどのところにある薔薇の都に行くのだ。安眠の妨害に対しては全力で抵抗するつもりだ。
「明日はこの国で随一の武闘派と名高いフロート辺境伯との会合があるんだ。お前らも早寝しろよ」
返り討ちにされたくなければさっさと寝ろ。
喉まで出かけた言葉を飲み込んで、代わりにそう言う。
料理はあらかた食べて満足したので夜風にあたりに行こうと思っていると、未だに怒り心頭と言った様子のマキに手を掴まれた。爪を立てるのはやめてほしいので向き直ると、食用マイマイを手に持ったマキがそれを俺の口に押し付けようとしてきた。
「それはいらない」
押し付けようとする彼女の手を力任せに退けると、今度は意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「おや、大の大人が好き嫌いなんてしませんよね? アタシより五歳も年上の人が好みなケンジローともあろう人が、そんなわけ」
なんということだろうか。
コイツは人にカタツムリを喰えと言うのか。
「そんなわけなかろう。だが、そいつは食べるとそこそこ良い量の経験値が入るそうじゃないか。前衛を担うパーティの要はお前なんだ。存分に食べるがいい」
さすがにカタツムリは勘弁願いたいので詭弁を垂れてみる。
しかしなぜだろう。まるで人が好き嫌いしているみたいな顔をしやがって。
「嬉しいことを言ってくれますね。さっきはあれだけ罵ってくれたのに」
おかしい。一言揶揄っただけなのに数十発もビンタされたのだと記憶しているのだが。
まるで俺が悪人だったとでも言いたげなマキは更に続ける。
「それはそうと、アタシは自分の分は頂きました。あなたもレベルが低いんですから、少しでも経験値は稼いだ方がいいですよ」
……。
…………。
「いらんわ! 人にカタツムリを喰えだとか、お前は海峡で人の心を落としてきたんじゃないのか⁉ 日頃俺の人間性が終わってるだの、罪悪感がパージ可能だの、否定しづらいようなことばかり口にするが、我が身を振り返ってみたらどうだ!」
これ以上長居すると身を滅ぼしそうなので、そう言い捨て。
「ああっ、逃げました! 逃げましたよあの男!」
そんな悲鳴を背に感じながら屋外へと逃亡した。
──夜半過ぎ。
俺に何かしようと考えていたらしいソフィアたちも、もう諦めて寝た頃だろう。
月が高く昇る頃、そう考えて宿泊施設へ戻ってきたのだが。
(……『月夜見』一人だけか。まったく、さてはアイツら、眠いからって見張り番を『月夜見』に押し付けたな)
リゾートホテルのような豪華な建物の玄関口で、壁に寄りかかってちょこんと座っている『月夜見』を見て、話しかけるかどうか悩んでいた。懐柔できるなら話しかけたいところだが。
物陰に隠れながらそんなことを企んでいると、こちらに気づいたらしい『月夜見』が手招きしてきた。とっ捕まえるつもりはないらしい。
罠だったらスキル使って逃げようかと考えながら近寄ると、安心したように空を見上げた。コイツ、本当に見張り番じゃなかったのか。
「……おかえり、ケンジロー。ソフィアたちは寝たから安心して戻るといい」
ということは、ただ単に夜風にあたりに来たということだろう。
もしくはコイツが嘘をついていて、ホテルに入ったら廊下の曲がり角で待ち伏せているかもしれない。
そうなると、ここは『月夜見』と一緒に星でも眺めるべきだろう。
「せっかく晴れてるんだ。一緒に星でもみよう」
隅にちょこんと座っているので、その隣に腰を下ろす。
さっきまでは暗闇で見えなかったが、『月夜見』は不安そうに空を見上げているようだった。
無理もないか。コイツにとってみれば、ここ半月くらいは激動の日々だったのだから。
どうフォローしようかと考えていると、普段より一回り小さい声で呟く声が聞こえた。
「……僕は、どう生きればいいんだろう」
おそらく、俺に聞こえないように注意を払って溢した言葉だったのだろうが、耳がいいので聞こえてしまった。
朝靄の街で知り合ってから今日にいたるまででもコイツの置かれる立場は二転三転していた。にもかかわらず、記憶を無くした過去ともまだ向き合えていないのだろう。人間か神か魔物か。どう生きるべきか悩んでいるはずだ。
「好きなことをして生きればいいんじゃないか?」
これは、中学時代に兄貴からかけられた言葉だ。
年の離れた兄貴は優秀で、ゲームばかりしていた俺とは違い生真面目で素直な優等生だった。中学高校をテスト成績一位の記録を崩さぬまま卒業し、国内最高峰の大学へと進学。そこでも優秀な成績を収め、今では夢を叶えて税理士として活躍している。
そんな兄貴と、俺は両親や周囲の大人から比較されながら育ってきた。
兄貴のことは嫌いじゃない。年上の人間と比べる大人が罪なのだ。それが分かっているからこそ、よくしてくれる兄貴とは仲が良かった。
好きなことをして生きる。
当時はまだ夢の途中だった兄貴が俺にかけてくれた言葉に、俺は初めて自分のために生きるという意志が生まれた。周囲の人間の評価などどうでもいい。やりたいようにやる。
その頃からテスト勉強にも前向きになったが、勉強を教えてくれたのも兄貴だったな。
俺にとって数少ない尊敬している人の言葉。それを、異世界でできた仲間にかけているというのは、中々感慨深いものだと思う。
「人か神か魔物か。そんな他人の視点で形成された生き方をしなくなっていい。お前は『月夜見』という一人の生物として生きればいい」
答えになっていないが、二転三転する立場に振り回されている今のコイツには必要な考え方かもしれない。
「僕として生きる、か。中々悪くない言葉だね」
七百年も生きてきた相手に余計なお世話ではないかと少し不安だったが杞憂に終わった。
力なく笑っているように聞こえる『月夜見』の声だが、先ほどよりは元気になったのではないだろうか。
「実はこの頃、無くしたはずの記憶が夢の中で少しずつ蘇り始めているんだ。七百年前からの記憶だから本当に少しずつだけど、朝起きるたびに僕が僕じゃなくなっていくような感覚に襲われる。もっとも、夢の中のことは起きて少ししたら朧気になってしまうんだけどね」
でも、君が読み解いてくれた僕の過去と照らし合わせたら、きっと大切で必要な思い出なんだろうね。
そんな風に言葉を続ける彼女に、後ろめたい気分になって顔をそむける。
……衝動的にあの拠点を崩落させなければ、今頃他の資料も回収できたと思う。真剣な顔で感謝を告げる彼女に、俺は罪悪感を覚えた。
「君のせいじゃないさ」
なっ、バレただと⁉
驚きのあまりバッと振り向くが、どうやら違うらしい。
「連れ出されたから朝起きて辛い思いをするのかもしれないけど、君達が連れ出してくれなければ僕は今も教団に悪用されていただろう。感謝こそすれど恨んでなんかいないよ。……君に浴びせられた暴言以外は」
「根に持ってるじゃねえか。……もし復讐なんて企んでみろ。身包み剥いで街に晒してくれるわ」
「い、言ってくれるじゃないか! 僕だって、記憶と一緒に少しずつスキルを思い出してきたんだからな! 今度僕をいじめたりしたら、天罰を下すからな!」
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
あの、神様、普通の家庭に転生させてって言いましたよね?なんか、森にいるんですけど.......。
▽空
ファンタジー
テンプレのトラックバーンで転生したよ......
どうしようΣ( ̄□ ̄;)
とりあえず、今世を楽しんでやる~!!!!!!!!!
R指定は念のためです。
マイペースに更新していきます。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました
杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」
王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。
第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。
確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。
唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。
もう味方はいない。
誰への義理もない。
ならば、もうどうにでもなればいい。
アレクシアはスッと背筋を伸ばした。
そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺!
◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。
◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。
◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。
◆全8話、最終話だけ少し長めです。
恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。
◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。
◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03)
◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます!
9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる