けん者

レオナルド今井

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凍らぬ氷の都編

華胥の幻影と魔法の意義

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 ──一方、少し遡って。
 集落の浄化と生存者の救出を行っていると、事態が大きく動き出した。

 なんと、弱った業龍が地上へ降りてきたのだ。

 この状況にいち早く気づいた魔物の子が指さす先を見て、私の心が絶望に染まっていくのを感じた。

「う、嘘」

 業龍は地上へ降りるや否や、犠牲者が多く出た建物を瓦礫ごと飲み込み始めたのだ。

 非業の死を遂げたものは魔物へと変態する可能性が通常より高くなる。だから、呪いの浄化と一緒に鎮魂魔法までかけて回ったのに、遺体を喰われたら元も子もない。

「はやく止めないと! このままじゃ──」

 生存者を背に庇う様に立つ魔物の子が何かを言いかけた瞬間、轟音と衝撃波に襲われた。

 衝撃そのものは一瞬だったが、まさかと思って目を開けたら地上へ降りた業龍へ携帯レールガンが撃ち込まれていた。

「あのバカ! 魔力足りないせいで衝撃の制御機構に魔力が届いてないじゃない!」

 この場にいないケンジローへ恨み言を口にする。こっちには戦闘能力がない一般の人だっているというのに。

 握りこぶしを作って怒っていると、先ほど射撃が飛んできた方へと業龍がブレスを吐いた。

 心なしかさっきより威力が高い気がするが、魔物の子に視線を向けると察してくれたのか答えるように口を開いた。

「業龍は怨恨によって力が増す。だからああやって人間や高度な知恵を持つ魔物を襲って恨みを抱かせ、その感情ごと喰らいつくすんだ。そうして得た力で再び人々を襲う」

 ぐうの音も出ないほど汚い生態に一瞬だが立ち眩みした。

 ついさっきまで業龍の敵意が外へ向いていたのはケンジローたちが暴れていたせいだったのかもしれない。それで、弱ったから回復しようとしたら攻撃されたというわけか。

「救いようのない生き物ね」

「……そうだね。こんな魔物、二度と生み出してはいけないよ」

 魔物のスターをしてこうまで言わせる業龍は、しかし私たちのことなど気にも留めていない様子だ。

 消耗しながらもしっかりと力を溜めてブレスを吐こうとしている。

「みんな聞いて! 私たちに注意が向いていない今のうちに集落の外に避難しましょう! 若い人は子供や怪我人を助けながら逃げる準備を始めること! 頃合いを見て一斉に避難を──」

 集落から離れてとにかく隣町まで逃げる。朝靄の街まで辿り着ければ、国から派遣された王国騎士団や街の守衛たちに守ってもらえる。過去には妖魔教団の幹部クラスさえ退けたこともあり戦闘力は王都に並ぶほど。とにかく、朝靄の街まで逃げるまでの辛抱だと考えていたまさにその瞬間、業龍の首の付け根のわずかな動きの違いに脳が最大級の警鐘を鳴らすと同時にブレスのエネルギーを溜めた口を真上へと向けて。

「伏せなさい!」

 次の瞬間に起こるであろう最悪の事態に備えて叫ぶように声を上げる。

 それと同時に、ここ数時間で自然回復した魔力と生命力を絞り切って魔法を発動した。

 誰が言うこと聞いてくれて誰が棒立ちしているかなんて意識している余裕などない。気づけたとしたら、せいぜい視界の上端でブレスが弾けて死の炎が雨のように降り始めたことくらいか。

 なりふり構っていられない。一瞬でも早く魔法による障壁を展開することだけにすべての意識を割いて魔力を放出する。

「守護神の御業のように!」

 間に合っていなければ集落の外で戦っているケンジローたちを含めて、ここら一体のほとんどの生命は命を落とすだろう。

 命を削って魔法を発動した反動で地面にへたり込みながら空を見上げる。光の柱が広がるようにしてドーム状のバリアとなって、炎の雨をかき消していく様子を確認し、安堵しながら意識を手放した──







 ──懐かしい声が聞こえる。優しくて温かい声。

『さあ──してごら──さい』

 上から聞こえるそんな声は、ボーっとした頭が明瞭になるにつれてしっかりと聞き取れるようになっていった。

「聞いているの、ソフィア。さあ、マネしてごらんなさい」

 声の主を見上げて、私の思考がフリーズした。

 私を見て不思議そうにする女性は。

「お母……さん……?」

 まだ故郷にいた幼い日の母だった。







「──ご、ごめんなさい。少し考え事をしていたの」

 しばし混乱したのち、しかし時間にしては数秒ほどであろう放心の末に我に戻った。

 これは夢だ。私もバカではない。むしろ賢いほうなので、この甘露で蠱惑的な情景を夢だと断定した。どうせならもっと溺れていたかったのにという気持ちが全くないわけではないが。

「まあ、お母さんだなんて! つい今朝までは『ママ』て呼んでいたのに。本を読んで覚えたのかしら。ソフィアは頭がいいから、まだまだ小さいのに大人みたいね」

 我が子の成長を喜ぶ母だが、申し訳ないことに今ここにいるのはこの光景から十年以上経った私だ。

 そんな私の事情など知る由もない母は私の頭をしつこく撫でまわしてくる。まあ、嫌ではないのでされるがままだが。

 むしろ心地が良い。夢とは知りながらではあるが、もう二度と見れない光景を存分に堪能しよう。

「たくさん勉強したわ。魔法のこと、貴族のこと、法律のこと、歴史のこと。でも、幾年も努力を重ねても守れない人、救いの手が届かない人がいるの」

 夢の中の幼い私からは出てくるはずのない言葉の数々。この頃の母に言ったって意味はないのに。それどころか、この心地のいい夢を壊してしまうかもしれないのに。

 それなのに、母は。

「頑張ったのね」

 気づけば私の視線と同じくらいの高さにあった母の顔は、幼い私を見ていた時と変わらぬ愛情を含んでいた。

 母に抱きしめられて、感情があふれ出るのを止められない。

 無意識のうちに頬を涙が伝っており、そんな私を母はひたすらあやしてくれる。

「助けられなかった。お母さんも、スターグリーク家の皆も、私を慕ってくれた市民も。ねえお母さん、私どうしたらよかったのかな」

 病に伏した母、呪われた家族や市民。みんな、私がもっとしっかりしていれば助けられたはずなのに。

「それは違うわ、ソフィア。お母さんも、養家のみんなも、命を落とした市民も、あなたがいてくれたから安心して天国へ行けたのよ。あなたに魔法を教えてあげられたこと、ずっとずっと誇りに思っているわ」

 都合のいい言い訳だ。私の母はこんなことは言わない。なぜなら、私が今見ているのは母ではなくて、私の記憶が生み出した母のような幻影なのだから。

 そんな幻影に何も気づかず溺れてしまえたらどれほど楽だろうか。

「いいことを思いついたわ! 湖にお散歩に行きましょう! お母さんのとっておきを伝授してあげるわ!」

 私の気持ちに気づいているのかわからないが、夢の中の母がそう言うと場面が切り替わった。







 ──次は、屋敷からそう遠くない、林の中にある湖が広がっていた。

 ここは国内有数の魔力発生地で、いるだけで魔力を素早く大量に回復できる場所だ。

「今のソフィアには少し難しいかもしれないけれど、頭の片隅にしまっておいてちょうだい」

 母はそういうと湖の真ん中から強い光を放つ魔力柱を作ると、それを中心にドーム状のバリアを張った。

 鉱山村で私が使った魔法と似て非なる魔法だ。私が使った魔法よりずっと堅牢で、そのうえ中にいるだけで力が湧いてくる。

「お母さん、この魔法はいったい」

 私の記憶にあるようなないような。

 魔法を教わっていた頃はまだ五歳にも満たない年齢だったので、ここでいろんな魔法を教わったところまでは覚えているが、その魔法がどんなものかまで全て知っているとは言い切れないのだ。

 もちろん、この頃からずっと魔法に人生を費やしてきて、今では人間が編み出して使っている魔法はすべて習得している。広く普及していない民間の魔法なんかもあるだろうが、母がいま使った魔法はいったいなんだろう。

 私の疑問をくみ取った母が優しい口調で説明してくれた。

「これはお母さんがこの家に嫁ぐ前、故郷で教わった魔法よ」

 言葉を紡ぐ母は、まるで遠い故郷を思うように空を見上げている。

「ここから南の海を渡って、さらに東へ進んだ国。かつてその国には、高名な賢者がいました」

 昔話を始めるように、母の口から物語が紡がれだした。







 ──かつて、大陸の国々はいたるところで戦争を繰り返していた。その中でも母の故郷は激戦区で、民間人が魔法に巻き込まれたり食料を奪われたりしていたそうだ。

 街には騎士団がいたが戦争に赴いている軍隊の数には遠く及ばず、ついに敵国の侵攻を許してしまう。

 国の軍隊が撤退したあと、故郷の民間人は壮絶な扱いを受けたという。

 子供は植民地教育を受けさせられ、若い女性は敵軍の男のみならず街にいる犯罪集団からも暴行を受けた。また、それ以外の大人は皆奴隷として搾取され、日夜肉体労働をさせられていた。

 そんなある日、首都の魔法学校を主席卒業した若い賢者が故郷に帰ってきた。もちろん、占領下におかれている故郷に帰ろうと思えば捕虜にされるか奴隷にされるかのどちらかだろうが、若い賢者は僅かに埃を被っただけで涼しい表情のまま街の門を跨いだ。若い賢者は、行く手を阻む敵軍の軍人を一人で倒して帰ってきたのだ。

 彼は街でも有名な魔法少年だったが、帰郷してすぐに悪事を働く軍人を容赦なく追い出し故郷を救ったのだった──

「お母さんがまだ幼いころ、学校から逃げた私を追いかけて暴行に及ぼうとした敵国の軍人もその賢者がやっつけてくれたのよ」

 それが母が魔法使いを目指すきっかけだったのだとか。

「そのあと、お母さんは賢者に弟子入りしたの。あの時の五年間は今でも忘れられないわ」

 弟子として賢者に仕え、数多くの魔法を教わったそうだ。

「数多の魔法を教えてくれた賢者が最後に授けてくれたのがさっきの魔法。神話に残る聖なる盾の特性を魔力で再現する術式を、上位の障壁魔法に織り込んだものなの」

 得意げに語る母の言葉に、魔法を熟知した今の私は驚きを隠せずにいた。

 ただでさえ大掛かりで精密な魔力操作を要するエオニア・プロクタシアに、神話装備の模倣術式を共存させる形で実現するなど人間にできることなのだろうか。

 考えるだけでも求められる精密さも私が知る魔法とは比較にならないだろう。仮にできたとしてその魔力消費は想像もつかないし、そもそもただでさえ強固なプロクタシアの上位魔法の改良版ともなれば使うべき場面がいつ来るのかさえわからない。

「そうなんだ……。私にもできるかな」

 私でも習得できるだろうか。

 最後に抱いてから久しい感覚に不安だけでなく賢者としての探究心も湧いてくる。

「できるわ。だって、ソフィアはお母さんの子なんだもの」

 そうして再び抱きしめられた。

 さすがに二度目は恥ずかしいからやめてほしいのだけれど、でも体は素直で自分の意思では動かせない。

 呆れまでされるがままにしていると、今度はそのまま頭を撫でられた。

「さあ、ソフィア。そろそろ起きる時間よ」

 あっ……。

 母の言葉に我に返って手を伸ばそうとしたが、触れない。

 なにせ、これは夢だから。幻影である母に触られないのは当然だ。その当然がこれほど切ないことを、さっきまでの私はどうして気づけなかったんだろう。

 もっといろんなことを話したかった。もっといろんなことを教わりたかった。もっと。

「親子として……暮らしたかった」

 母に手を触れようとしたままへたり込む。

 涙を流した経験がないとは言わないが、これほど号泣したのは久しぶりかもしれない。これが夢の中でよかった。

 涙を止められない私に消えかけの母はずっとそばにいてくれた。

 いや、母の幻影は幼いころの私のそばにいる。目覚めの時が近づいていてもう子供でもない私がいるべき場所ではないのだ。気づかぬ間に私の視点はあたりを俯瞰しており、それでも大事な言葉だけは鮮明に聞き取れた。

「ソフィア、最後に大事なことを教えるわ。魔法にとって大事なことは大切な人たちを未来に連れて行くことなのよ」

 そうして、私の視界は眩い光に覆われた。
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