けん者

レオナルド今井

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霧の都編

霧が晴れる頃

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『あれれ~? 随分と苦戦してるみたいね。援護が必要かしらぁ』

 人を嘲笑うような少女の声が聞こえたのは、拳銃を失った盗賊団のボスが殴り掛かろうとした瞬間だった。

 緊迫しており視線を向けられないが、妙に聞き覚えのあるその声は盗賊団のボスから更に後方、街の防壁沿いから聞こえた。

「ソフィア様⁉ なぜここにおられるのですか!」

 俺と同様に声の主が誰だか気づいた騎士は、マキを連れてこの場に駆け付けたソフィアにそう告げる。

「とにかく、ここは危険です! お逃げください!」

 そう続けた騎士に、しかしソフィアは余裕綽々としており、肩をすくめ溜息までつく始末だ。

「逃げるのはアンタ達よ。さっきから見ていたけど、アンタ達このサルへの対抗策がないじゃない」

 ふふん、と鼻を鳴らすソフィアに、俺や騎士だけでなく盗賊団のボスも呆気に取られて静まり返った。

 数秒の沈黙ののち、我に返り怒り心頭といった様子の盗賊団のボスが二丁目の拳銃をソフィアへ向ける。

「マズい!」

 慌てて銃を握る手に力を籠めるも、弾倉が空になっている狙撃銃は軽快な操作音を虚しく奏でるだけだった。

 俺が大急ぎでリロードする様子を見て拳銃を持つ手をわずかに動かしかけた盗賊団のボスだったが、先ほどの発砲でこちらをさほど脅威に思っていないらしく、依然として銃口をソフィアに向け続けている。

 仮に弾が残っていたとて重い銃で立射したところで次こそ当てられる自信がないのだが。先ほどのはまぐれであり、なので少しでもソフィアへ向いた注意を逸らそうと考えたのだが失敗に終わった。

 小手先だけの小技が刺さらず敵の警戒を向けられているソフィアはというと、一連のやりとりを見て肩を小刻みに震わせている。

 口元を手で押さえ、俯いてしまっているため彼女の感情はうかがえないが、小刻みだった震えがどんどん大きくなっていくことだけは目に見える。そして。

「うふふ。なにが『マズい!』よ。無防備な癖して人のこと見てマズいって、頭大丈夫かしら」

 ソフィアは我慢できない、といった様子で吹き出した。

 どうやら相当爆笑しているようだ。

「この状況で出てくるセリフがそれって、お前ついに気が触れたか?」

「まずそこ疑われるの心外なんですけど。アンタが倒れるの待ってからそのサル倒してやろうかしら」

 言いつつ、ソフィアはゆっくりと歩き出す。

 貴族の令嬢が危険を冒している状況で、黙っているにはいかないのであろう騎士が盗賊団のボスに斬りかかる。

「マキは私のそばで控えていてちょうだい」

 相も変わらず悠々と歩くソフィアは、突き出した左手に眩い光を集めている。

「……さて、バナーナ盗賊団のボスだってことらしいけど、そんな魔力構造の甘い耐性強化魔法なんかで私の相手ができるだなんて思い上がらないことね」

 段々と集まった光が激しくなり、ついにはその光が爆発を起こしたように辺りを閃光で覆われる。

 思わず片腕で目を庇うが、それでもなお隙間から瞼越しに光を感じる。

 そんな無詠唱で解き放たれた光の魔法は数秒ほど辺りを支配し続けた。

 強く目を瞑っていた俺だが、感じる光量が減ったようなので目を開けた。派手な魔法だったが周囲を見渡す限り目立った傷を負った者はいないようだ。

「おい、なにも状況が変わってねえじゃねえか」

 あれだけ人を小バカにしてくれたソフィアをここぞとばかりに貶してやると、顔を真っ赤にし青筋を立ててこちらに詰め寄ってきた。

「アンタやっぱ大馬鹿よ! 変わってないのは状況じゃなくてアンタのその節穴な目よ!」

「じゃあ何の魔法だったのか言ってみろ。人の視界数秒奪っておいてやったことが信号銃レベルだったら向こう十年は笑いものにしてやるよ」

「耐性弱化の魔法をかけたのよ! アンタたちがちっとも使えないから!」

 互いの吐息が顔に……は、身長差のおかげでかからないが、それくらい近い距離で怒鳴られた。物理的に耳が痛ぇ。

 あまりの騒がしさにソフィアの罵倒に怒りが沸かず、代わりに「今なら唇を奪えるのではないか」などとどうでもいい考えが脳裏をよぎる。

 もっとも、現代日本並みに法整備が進んだこの国でそんなことをすれば裁判になった際に負けるうえ、そもそも実行に移したくなるほど女性としての魅力を残念ながらソフィアからは感じられないが。

 あまりにも注視し過ぎたせいだろうか。見上げるように俺を睨む視線に怪訝そうな雰囲気が加わった。

「……なに? なんか失礼なこと考えてるでしょ。はっきり言いなさいよ」

 俺の考えが伝わったのか、ソフィアは腰に手を当て胸を張る。

 しかし悲しいかな。ソフィアに威厳を感じられないのは、その体躯の小ささによるところが大きいだろう。

「いや、別になんにも。ただ、ない胸張ってる暇があったらステータス強化魔法をかけてくれると助かるって考えていただけだ」

「ギルドを出る前にかけてあげたのがまだ残ってるはずだけど……。しょうがないから重ね掛けしてあげるわ」

 呆れ果てた様子で深いため息をつくと、ソフィアは再び魔力を練りはじめる。

 当然、盗賊団のボスが黙って様子を見ているわけがないと思い、ソフィアの後ろでずっとソワソワしているマキを手招きする。先立って盗賊団のボスに斬りかかってソフィアの隙をカバーしている騎士がいるのでそこへ加勢してほしいのだが。

「……」

 無視だと⁉

 今までの素直で明るい様子とのギャップに驚嘆する。

 代わりに向けられたのは、如何にもフラストレーションが溜まっていそうな視線だけだ。

「お、おい。マキ? 様子が変だぞ」

 というか、様子が変なのはなにもマキだけではない。敵であるはずの盗賊団のボスでさえ、騎士の攻撃を捌いているとはいえ積極的にソフィアの魔法を阻止しようとしていないのである。

 そんな違和感に答えるように、魔法の詠唱を終えたソフィアがボソッと溢す。

「ステータス操作系の魔法って重ね掛けすると体組織が暴走してショック死することもあるんだけど」

 ほとんど風にかき消されて聞こえないような声であったが、あまりのインパクトに聞き流すことはなかった。

「おいちょっと待て。今ショック死って聞こえたか? そんな危ない魔法を俺に使おうとしているのか⁉」

 不穏な呟きに恐怖を禁じ得ない。

 慌ててソフィアの肩を揺さぶって問いただそうとするが、されるがままに体を揺らされながら勝ち誇った様子でこちらを見上げてきた。

「あら、私の魔法にケチつけて、ステータス操作の魔法を要求したのはどこの誰だったかしらぁ」

 意地の悪い笑みを浮かべるソフィアの言葉を聞いていよいよ生きた心地がしない。

 嫌な汗が噴き出るのを感じながら、脳のまだ冷静な部分でどうして盗賊団のボスが積極的にソフィアを止めようとしなかったのか理解した。

「あんのエテ公! お前さては、仲間内で処刑されそうになってる奴を見て笑ってやがるな⁉」

「なんやと⁉ 人をお前みたいな陰湿罠男と同列に並べんなや!」

 騎士の太刀筋を逸らしながら、それだけは聞き捨てならんとばかりに反論された。よほど心外らしいが、反論内容を聞くにまるで俺が鬼畜生かなにかみたいじゃないか。誠に遺憾なので反論させてもらおう。

「知らんがな! 罠は踏み抜いたやつがわりぃんだよ! それをさも俺が悪いみてえに言いやがって。さすが、年端もいかない幼女にナンパしてた盗賊の組織のトップだな」

「開き直りやがって! ……って、ちょっと待てい。おい、うちの組にそない奴がおるってホンマか? 誰や。教育せなあかんからあとで教えてくれや!」

 騎士の攻撃をやり過ごした盗賊団のボスは、俺の言葉に目の色を変えて食いついた。無法者だらけの魔物の盗賊団も、さすがにロリコンはコンプラ違反なようだ。

 っと、敵の動揺を誘うことに成功したことを喜んでいる場合ではなかった。

 いよいよ魔法を発動しようとしているソフィアをどうにかしなければ。

「おいおいソフィア。冗談だろ?」

 命のかかわると自分で言ったのだ。仕返しだとしてもまさか本当に強化魔法を重ね掛けしてくるとは思えない。というか思いたくない。

「まあアンタは大丈夫でしょ。いつもキモいくらいしぶといし。……というか、手ぇ離しなさいよロリコン」

 そう言われて、ソフィアの肩に置いていた手を抓られた。

 急な痛みに慌てて手を離す。痛いじゃないかと反論しようと言葉を反芻し。

「おい待て誰がロリコンだ」

 到底無視できない直前の発言に突っ込んだ。

「話しかけるなロリコン!」

「だからロリコンじゃねえ!」

 自らの肩を抱いて後ずさるソフィアとマキを見て本気で叫ぶ。

 謂れのない誹謗中傷に猛抗議するが、虚しくも仲間二人の表情は変わらない。

 本気で身の危険を感じている様子のソフィアが、ゴミを見るような視線を向けたまま口を開く。

「だってアンタ、さっきから私のことばっか見てるじゃない。気づいてないと思った?」

「それはお前が場を引っ掻き回すからだろ⁉ しまいには不穏な発言まで投下しやがって! だいたい、俺はグラマラスで何しても許してくれる感じの緩いお姉さんが好みなんだよ! はっ、お前の自意識その断崖絶壁な胸のてっぺんまで浮上してんじゃねえのか⁉」

 まさに売り言葉に買い言葉。

 思ったことをそのまま吐き捨ててやると、ソフィアの様子が一変しユラユラと歩きながらこちらに詰め寄ってきた。

 言いたいことがあるなら言ってみろ。

 半ば口論に勝ったと実感してソフィアを見下していたまさにその瞬間、頬にしびれるような激痛が走った。

「ぐぼぉ!?」

 視界が大きく揺れた拍子に振り抜いた彼女の右手が見えて、強烈なビンタをもらったことに気づいた。

「な、なにすんだ……」

 突然の暴力に文句の一つも言おうとするが、ぷいっと顔をそらされた。

 なにか恨まれることでもしたのかと振り返ってみても、怒りこそすれど武力行使にでるようなことはしていないと思う。

 頬がじんじん痛むが、ソフィアの件は後回しだ。それよりも、マキの様子が普段と違うことへの対応が必要だろう。

 そう思って声をかけてみると、カッと目を見開いてこちらに駆け寄ってきた。

 あーあ、お前も寄ってくるのかよ。

 ソフィアに引っ叩かれたこともあって既に気が重い俺に、マキはお構いなく叫んだ。

「ズルいです! ズルいですよケンジロー!」

 ……

 …………

 ………………は?

「いやいやちょっと待て。なにが?」

 ド級のシリアス顔からの感情が爆発したような叫びとしては些か不釣り合いなセリフに困惑を隠せない。

 喧嘩別れ気味に別行動した件について批難される分には、ソフィアとの意見の食い違いに巻き込んでしまった以上仕方がないと考えていた。しかし、その件からいったいどう変化したらズルいと思われるのだろうか。目の輝かせ方が尋常じゃないことも踏まえて、いよいよマキが何を考えているのか予想できなくなってくる。

 そんな混乱する頭を抱えながら、とりあえず落ち着かせるためになだめようとすると、マキはより一層目をキラキラとさせながら、まるで憧れの人物を前にした少女のように続けた。

「仲間にすら誤解されながらも人知れず単独行動して、たった一人の手で戦場の士気を大きく変えてしまうとは! まるで童話に出てくる伝説のアーチャーのようなカッコよさじゃないですか! ズルいです! アタシたちを置いてなにをしていたのかと思いきや、そんなド派手な役を独り占めしていたなんて!」

 違った。

 カッチョいいことに憧れるガキンチョのような感性を刺激してしまっただけだった。

「アタシたちは仲間なんですよ⁉ こんなシチュエーションを独り占めするなんてよくないと思います! 埋め合わせとして、次のクエストはアタシが前線で無双できるものにしてください!」

「マキぃ! お前ついに本性現しやがったなぁ⁉」

 とんでもない厨二っぷり、もといガキっぽさを全開にしてワガママをぶつけてきやがった。

 自分も人のことを言えないとはいえ、どこか感性がズレてるソフィアと意気投合しているので何かネジが飛んでいるだろうとは思っていたのだ。しかし、まさか飛んでいたネジがこれだったとは予想外である。これは、戦場での扱いが難しそうだ。

「いったん落ち着け、ナーロッパバーサーカーモドキ。ここはひとつ、物理耐性が下がったらしい盗賊団のボスを討ち倒すという大手柄をお前に挙げさせよう」

 これ以上ダルがらみされては精神衛生上よろしくないので、かわいそうながら盗賊団のボスに擦り付けるとしよう。

「え、嫌ですけど?」

 即答で断られた。

「なんでだよ!」

「だってあの魔物、なんだか武器工房のおじさんみたいな臭いがするじゃないですか。どうせ目深に被ったフードの下はつるっ禿ですよ」

「やめてやれ。組織のボスってくらいだし、部下の不始末に日夜頭を悩ませてるんだよ」

 突拍子もなくディスられた盗賊団のボスに同情しつつも、しかし言われてみると加齢臭が気になる。

「ハゲとらんわ! 小僧も小僧で同情すんじゃねえ!」

 ほら見ろやっぱりキレられた。

 しかし、全力で否定するために体を大きく動かした盗賊団のボスは、朝露が乾ききっていなかった雑草に足を滑らせ転倒。

 その拍子にフードがオープン。見事なヘッドライトが日光を受けて輝いているではないか。

 あまりの光景に、ただ一人真面目に戦っていた騎士すらも呆然と立ち尽くし、空間は静寂に支配された。

「やっぱりハゲてるじゃないですか! これは言い逃れできませんよ!」

 ……ただし、決定的な証拠を押さえた検察が如く剣幕で突っかかるマキを除いて。

 ここまでくると、ただただ盗賊団のボスがかわいそうで仕方がない。

「おい、マキ。やめてやれ。男っていうは頭髪と引き換えに家族や仲間の幸せを築けるものなんだよ」

 このエテ公とて、決して平坦な人生ではなかったはずだ。

 マキの純粋さからくる無自覚な口撃をなんとかやめさせようとしていると、不意に左頬を後ろから撫でられた。

 更なる新手かと思い内心辟易しながら振り向くと、さきほどまで不機嫌そうだったソフィアがなぜか申し訳なさそうな様子でこちらを見ていた。

「……そ、その、ごめんなさい。イラっとさせられたからって顔を叩くのはよくなかったわね。反省してるわ」

 神妙な顔つきで謝られた。

 ……なんで?

 あまりの変わり身についていけないのだが。

 仲間の情緒が不安定すぎて身の上が心配である。

 そんな俺のことを知ってか知らずか、言葉を詰まらせながらもソフィアが謝罪を続ける。

「アンタって弱ってる敵がいたら追撃して甚振ることに快楽を見出しそうな人なのに、様子がおかしいもの。きっと私のせいよね」

「うん、違うよ? お前は俺のことを何だと思ってんの?」

 お前の中で俺はどれだけ残虐非道な人間になってるんだ。

 俺の反論を聞かずに話し続けるソフィアは、まだ少しだけおずおずとした表情のまま、俺の頬を撫で続ける。

「アンタ自身がそう思ってても、無自覚のまま頭がおかしくなることってよくあるのよ。でも、安心しなさい。私が一生かけてでも責任をもって治すから」

 拳を握りしめて宣言するソフィアを見て、ついに怒髪天を衝いた。

「お前の考えはよくわかった。とりあえず、そこの威厳のねえエテ公に代わって俺がこの場のレイドボスになってやる。体に風穴開けられてえ奴からかかってこい」

 銃を投げ捨て、持ち歩いていた投擲罠を両手で投げまくる。

 慌てて逃げるソフィアたちを追いかけまわしているうちに昼食時を迎えていた。
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