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ハムスターは飼えない
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ハムスターがすき。
ちいさくてふわふわなところも、
ずっと鼻がひくひく動いてるところも、
眠ると平べったくなるところも、
ぜんぶ可愛くて、愛おしくて好き。
でも私は、ハムスターは飼えない。
昔、小学生のころ、1匹のハムスターを飼っていました。
ジャンガリアンハムスターのジャンくん。
グレーの、つやつやした毛並みの、周りより少し大きな男の子。
ペットショップで500円で売られていたのを、クリスマスプレゼントとしてお父さんに買ってもらったのでした。
はじめて飼う小さな生き物を、
はじめの1年くらい、わたしは怖がっていました。
犬や猫と違ってあまり表情が無いし、目が悪いから高いところからでも平気で飛び降りようとするし、意外と足が早いし。行動が読めなくて、こわかった。
それに何より、噛むと結構痛いんです。
そんな私を見かねた母が、率先してジャンくんを可愛がってくれていました。そのおかげか、いつの間にかジャンくんは、滅多に噛まない穏やかな子に育ってくれました。
そんな母とジャンくんを見ているうちに恐怖心が薄れた私は、徐々にその小さな生き物と距離を縮めていきました。
2年も経つ頃には、1人でお世話できるくらい、ジャンくんを可愛がっていました。
事件が起こったのは、そんなある日。
夕方17時。
仕事から帰ってきた母がリビングで荷物を降ろすのが、2階の自室まで聞こえました。
いつもクタクタになって帰ってくる母を癒してあげたかった私は、
餌皿にすっぽり入ったジャンくんをお皿ごと持って、1階に降りました。
「ママおかえり、ジャンくんいまご飯食べ終わったよ。抱っこする?」
「ありがと、でも荷物とか片付けてからにしようかな。危ないからおうちに戻してあげて」
「えー、」
その瞬間。
餌皿が、ふっと軽くなりました。
あれ?と思ったときには、
手のひらの餌皿はからっぽになっていて、目の前の母の顔は、どんどん真っ青になっていきました。
私は忘れていたのです。
ハムスターの目が良くないことを。
だから、高いところからでも平気で飛び降りてしまうということを。
床でぐったりしたジャンくんを見て、私はやっと状況を理解しました。でも、声が出なかった。
小さな悲鳴をあげる母と、動けないわたし。
ーーーあ、どうしよう。わたし、ジャンくんのことをーーー、
どんどん血の気が引いていきました。
しかし数秒間の静けさのあと、ジャンくんは突然目を覚まし、何事も無かったかのように毛繕いを始めました。
よかった、とジャンくんをすくいあげようとしたとき。
バシっ。
頬に大きな衝撃が走りました。
目の前の母は、私をぶった手をそのままにして、涙目で私を睨んでいました。
「命なんだから、もっと気をつけなさい。それに、これでジャンくんが目を覚まさなかったら、あんたが心に傷を負うことになってたんだよ」
怒っているような、悲しんでいるような顔。
でも静かで、優しい声色でした。
「…はい……」
母に謝ることが正解なのかも分からず、私はただ、ちいさく返事をしました。
その後、病院で診てもらったジャンくんに、特に異常はありませんでした。
本当に幸運だったと、今でも思います。
でもそれから私は、またハムスターが怖い私に戻ってしまいました。
割れ物を扱うかのようにジャンくんに触れて、大事にすることの意味を、ずっと履き違え続けました。
彼はそれでも元気に動き回って、たくさん食べて、わたしたちに多くの幸せを与えて、
3歳のときに虹の橋を渡りました。
彼の最期を発見したのはわたしでした。
いつもと同じ、穏やかな優しい顔で、ぐっすり眠っているようでした。
ーーーしあわせだったな。かわいかったな。もっと、ちゃんと可愛がってあげられたら良かったな。
わたし、良い飼い主じゃなかったね。
ごめんね。
わたしはもう、ハムスターは飼えないーーー。
それから12年たち、21歳の大晦日。
年末年始は祖母の家で、親戚たちと団欒するのが恒例です。
その年は、後からやってきた中学生のいとこが、なにやら大きなケージを抱えていました。
「最近、ハムスター飼ったんだ。だっこしてみる?」
そう言って見せてくれたのは、ちいさなちいさなハムスターでした。
しろくて、ふわふわで、痩せっぽちな女の子。
あの子とは正反対のハムスターでした。
恐る恐る手に乗せると、やっぱり綿みたいに軽くて、ふわふわで、ずっと小刻みに揺れている、私のよく知っている生き物です。
小さくて暖かくて、幸せな気持ちになりました。
でも。
私はやっぱり、ハムスターはもう飼えない。
こんな、命がそのままふわふわを纏って走り回っているかのような、神聖な生き物は。
こんなに頼りなくて、予測不可能で、尊い生き物は。
「いてっ」
手のひらのその子は、がぶっと私の指を甘噛みして、すたこら逃げていきました。
「ねね、つぎわたしもだっこしたい!」
その子に虜になった女性陣が盛り上がってきたところで、私はその部屋を後にしました。
1階に降りると、男性陣は仕事の話で盛り上がっていました。
すると、私が降りて来たのを見た、5歳になるうちの愛犬が、神妙そうな面持ちで寄ってきます。
表情が豊かで、ずっしり頑丈で、人間みたいな感情が良く伝わる、私の妹。
せめてこの子には、精一杯愛を伝えられるように。後悔なく愛せるように。
この子が突然家に来た時、一人っ子の私は、はじめてお姉ちゃんになりました。
妹は浮気でも疑うかのように、さっきまで尊い温もりが乗っていた私の手のひらを、いつまでもくんくん嗅ぎ回っていました。
ちいさくてふわふわなところも、
ずっと鼻がひくひく動いてるところも、
眠ると平べったくなるところも、
ぜんぶ可愛くて、愛おしくて好き。
でも私は、ハムスターは飼えない。
昔、小学生のころ、1匹のハムスターを飼っていました。
ジャンガリアンハムスターのジャンくん。
グレーの、つやつやした毛並みの、周りより少し大きな男の子。
ペットショップで500円で売られていたのを、クリスマスプレゼントとしてお父さんに買ってもらったのでした。
はじめて飼う小さな生き物を、
はじめの1年くらい、わたしは怖がっていました。
犬や猫と違ってあまり表情が無いし、目が悪いから高いところからでも平気で飛び降りようとするし、意外と足が早いし。行動が読めなくて、こわかった。
それに何より、噛むと結構痛いんです。
そんな私を見かねた母が、率先してジャンくんを可愛がってくれていました。そのおかげか、いつの間にかジャンくんは、滅多に噛まない穏やかな子に育ってくれました。
そんな母とジャンくんを見ているうちに恐怖心が薄れた私は、徐々にその小さな生き物と距離を縮めていきました。
2年も経つ頃には、1人でお世話できるくらい、ジャンくんを可愛がっていました。
事件が起こったのは、そんなある日。
夕方17時。
仕事から帰ってきた母がリビングで荷物を降ろすのが、2階の自室まで聞こえました。
いつもクタクタになって帰ってくる母を癒してあげたかった私は、
餌皿にすっぽり入ったジャンくんをお皿ごと持って、1階に降りました。
「ママおかえり、ジャンくんいまご飯食べ終わったよ。抱っこする?」
「ありがと、でも荷物とか片付けてからにしようかな。危ないからおうちに戻してあげて」
「えー、」
その瞬間。
餌皿が、ふっと軽くなりました。
あれ?と思ったときには、
手のひらの餌皿はからっぽになっていて、目の前の母の顔は、どんどん真っ青になっていきました。
私は忘れていたのです。
ハムスターの目が良くないことを。
だから、高いところからでも平気で飛び降りてしまうということを。
床でぐったりしたジャンくんを見て、私はやっと状況を理解しました。でも、声が出なかった。
小さな悲鳴をあげる母と、動けないわたし。
ーーーあ、どうしよう。わたし、ジャンくんのことをーーー、
どんどん血の気が引いていきました。
しかし数秒間の静けさのあと、ジャンくんは突然目を覚まし、何事も無かったかのように毛繕いを始めました。
よかった、とジャンくんをすくいあげようとしたとき。
バシっ。
頬に大きな衝撃が走りました。
目の前の母は、私をぶった手をそのままにして、涙目で私を睨んでいました。
「命なんだから、もっと気をつけなさい。それに、これでジャンくんが目を覚まさなかったら、あんたが心に傷を負うことになってたんだよ」
怒っているような、悲しんでいるような顔。
でも静かで、優しい声色でした。
「…はい……」
母に謝ることが正解なのかも分からず、私はただ、ちいさく返事をしました。
その後、病院で診てもらったジャンくんに、特に異常はありませんでした。
本当に幸運だったと、今でも思います。
でもそれから私は、またハムスターが怖い私に戻ってしまいました。
割れ物を扱うかのようにジャンくんに触れて、大事にすることの意味を、ずっと履き違え続けました。
彼はそれでも元気に動き回って、たくさん食べて、わたしたちに多くの幸せを与えて、
3歳のときに虹の橋を渡りました。
彼の最期を発見したのはわたしでした。
いつもと同じ、穏やかな優しい顔で、ぐっすり眠っているようでした。
ーーーしあわせだったな。かわいかったな。もっと、ちゃんと可愛がってあげられたら良かったな。
わたし、良い飼い主じゃなかったね。
ごめんね。
わたしはもう、ハムスターは飼えないーーー。
それから12年たち、21歳の大晦日。
年末年始は祖母の家で、親戚たちと団欒するのが恒例です。
その年は、後からやってきた中学生のいとこが、なにやら大きなケージを抱えていました。
「最近、ハムスター飼ったんだ。だっこしてみる?」
そう言って見せてくれたのは、ちいさなちいさなハムスターでした。
しろくて、ふわふわで、痩せっぽちな女の子。
あの子とは正反対のハムスターでした。
恐る恐る手に乗せると、やっぱり綿みたいに軽くて、ふわふわで、ずっと小刻みに揺れている、私のよく知っている生き物です。
小さくて暖かくて、幸せな気持ちになりました。
でも。
私はやっぱり、ハムスターはもう飼えない。
こんな、命がそのままふわふわを纏って走り回っているかのような、神聖な生き物は。
こんなに頼りなくて、予測不可能で、尊い生き物は。
「いてっ」
手のひらのその子は、がぶっと私の指を甘噛みして、すたこら逃げていきました。
「ねね、つぎわたしもだっこしたい!」
その子に虜になった女性陣が盛り上がってきたところで、私はその部屋を後にしました。
1階に降りると、男性陣は仕事の話で盛り上がっていました。
すると、私が降りて来たのを見た、5歳になるうちの愛犬が、神妙そうな面持ちで寄ってきます。
表情が豊かで、ずっしり頑丈で、人間みたいな感情が良く伝わる、私の妹。
せめてこの子には、精一杯愛を伝えられるように。後悔なく愛せるように。
この子が突然家に来た時、一人っ子の私は、はじめてお姉ちゃんになりました。
妹は浮気でも疑うかのように、さっきまで尊い温もりが乗っていた私の手のひらを、いつまでもくんくん嗅ぎ回っていました。
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