上 下
82 / 105
ロシア海軍VS九七式改

戦闘機では・・・軍艦は撃沈できない・・・

しおりを挟む
 当時、まだ戦闘機に搭載できる魚雷は開発中であった。
まだ、試験的にも無理な時代であったのだ。
 爆撃機なら、なんとか搭載できたんだが・・・奉天飛行場には爆撃機は配備されていない。
なぜなら、爆撃機は生産量も少なく、とても満州派遣軍へ配備できるほどの余裕はなかったからである。
 自国へ侵攻してくる敵の軍艦への備えで、手が一杯だった日本軍なのだ。
九七式改は250キロ爆弾まで、なんとか吊り下げられたのだが・・・
 そうなると、爆撃員が乗れないのだ。
小柄な人間なら、3名まで乗り込める余裕はあるが・・・
 藤堂司令が、「250キロ爆弾でいいから頼んだぞ。」と、戦闘機隊へ依頼するのが、ギリだったのである。
もちろん、250キロの爆弾を搭載すれば・・・航続距離は短いし、速度も落ちるのだ。
 それで、偵察機が先行したのである。
「司令は、ああいったが・・・オレ達は爆弾投下訓練なぞ、やってないからな。」と、攻撃隊の先任士官がこぼす。
 そうなのだ、爆撃訓練は爆撃機の・・・「オレ達は戦闘機乗りだ。」が信条なのだ。
「しかし、軍人として指示には従わなければならん。」
 「軍艦奉天の危機だ。」「やらねば、ならん。」と、出撃していったのだ。
「くそっ、速度が300キロも・・・でないぞ。」「やっと、海岸線だぞ。」
 眼下に大連港が見えるからだ。
「ここまで、30分だ。」「なら、指示された現場までは・・・1時間はかかるだろう。」と、つぶやく。
 「こちら、爆撃隊。」「奉天どうぞ。」
「こちら、奉天だ。」「なんとか、まだ聞こえるぞ。」
 「おもったより、時間がかかりそうだ。」
「敵軍艦には護衛戦闘機は無いんだったな。」
 「うむ、偵察機からの返信はそうだ。」
「まあ、爆弾を廃棄すれば敵戦闘機へも対処できるから・・・」
 「こちら、奉天だ、かなり感度が悪い・・・ガ・ガ・・」
「了解だ、通信終わり。」
 なんとか重い爆弾を吊り下げて・・・海上を飛ぶ、九七式改の爆撃隊だった。

 そのころ、やっと準備が整って・・・大連港より、軍艦奉天の救援隊が出撃していったのだ。
どうしても、軍艦の出撃は時間がかかるからだ。
 石炭をくべて・・・ボイラーの水蒸気圧があがるのに・・・数時間からるからだ。
現在の軽油で動くジーゼル・エンジンではないからね。
 ガソリン・エンジンは大きさに限度があるが・・・ジーゼル・エンジンは大きさの制限はないからだ。
鹵獲した2隻のロシア海軍の戦艦は日本陸軍式の改修ができていないが・・・他に戦艦が無いからである。
 もちろん、日本海軍の戦艦が大連港には投錨してるんだが・・・
「海軍に助けを求めるくらいなら・・・まだ、米軍に負けた方がマシだ、なんてのが陸軍の根底にあるから・・・
海軍へ救援んを・・・なんて、言うヤツは日本陸軍には皆無なのである。
 海の字は、陸軍の辞書には無いのである。
先の大戦(大東亜戦争)で、海軍と陸軍の固執が無かったら・・・米軍なんぞに負けることは無かったからである。
 ミッドウェー海戦も負けてなかっただろう・・・
米軍は日本海軍の暗号は解読したんだが・・・日本陸軍の暗号は日本が敗北するまで・・・解読ができなかったのだ。
 それで、米軍は日本海軍の攻撃先がミッドウェーだとは判断ができなかっただろう・・・
暗号は陸軍が歴史もあり、なら当然に海軍も陸軍の暗号を使うからである。

 「おい、見えたぞ。」と、戦闘機隊の隊長が僚機へ・・・
「隊長、自分が先行します。」と、一番機が無線だ。
 「うむ、急降下には注意しろよ。」「ハイ。」
九七式改は機体強度がバツグンだ。
 それで、急降下制限速度が860キロだった。(亜音速だ。)
速度に注意ではなくて、海面に注意しろ、ってことなのだ。
 つい、うっかりで・・・海面へドボンだからだ。
それに、操縦桿は油圧が無いから・・・人力で操縦桿を引かねばならない。
 操縦桿を引くのを遅れると・・・海へジャボンだからである。
爆撃用の照準器へ交換して・・・
 急降下の体制に入る1番機だ。
「おい、いかん。」「戦闘機が爆弾を・・・」と、ロシア軍艦の観測員が吠える。
 「いかん、対空機銃だ。」と、指示を出す。
ロシア海軍の軍艦にも当然、対空機銃はあるのだ。
 イギリス製のルイス機関銃だ。
7ミリ口径で機銃の傑作で、ルイスガンといわれている。
 英軍以外にも・・・フランス、ドイツ、ソ連邦、イタリー、日本が使ったのだ。
まあ、ソ連製は粗悪だったそうだが・・・でも、射撃はできたのだ。
 「おい、軍艦の対空砲に用心だぞ。」と、隊長機から助言だ。
「任されよ。」と、1番機は反転して急降下へ・・・
 速度計が廻り・・・速度が・・・500キロ毎時をカンタンに越える。
風防や機内の桁がビリビリ震える。
 風圧がハンパ無いからだ。
それでも、スロット全開だ。
 速度が遅いと、敵の機銃にヤラれるからだ。
エンジン回転がレッドゾーンを越える・・・
 しかし、短時間なら耐えられるエンジンや機体なのである。
日本の戦闘機をなめてもらっては困るのだ。
 九七式改のエンジンを18気筒星形レシプロエンジンからジェット・エンジンへ交換しても機体の強度は十分なほどなのである。
 「キーーーーーーーーーン。」と、急降下音が戦艦へ鳴り響き・・・ロシア水兵が慌てふためいて・・・逃げ出した。
 でないと、爆発炎上で戦死が避けられないからだ。
「ブーーーー。」「ブーーーー。」と、危険速度を知らせるブザーは鳴りっぱなしだ。
 「投下。」
爆弾はロシア海軍の軍艦の砲塔めがけて・・・一直線に走る・・・
 穴が砲塔に開いた・・・と、思ったら・・・砲塔が上空へ・・・
思わず、玉屋~っと・・・花火じゃないんだが・・・
 そして、砲塔の下にある火薬庫へ誘爆して・・・ロシア海軍の軍艦(名前なんて・シラネー)は船体が真っ二つになって轟沈だ。
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

満州国馬賊討伐飛行隊

ゆみすけ
歴史・時代
 満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。 

大東亜戦争を回避する方法

ゆみすけ
歴史・時代
 大東亜戦争よ有利にの2期創作のつもりです。 時代は昭和20年ころです。 開戦を回避してからのラノベです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)

牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

処理中です...