上 下
1 / 60
ゴム動力の竹細工。

明治4年から・・・

しおりを挟む
 「これが、陸蒸気か。」と、斎藤少年が驚く。
ここは、横浜の浜だ。
 そう、海岸だが・・・そこの海岸に堤防というか道路というか・・・石を沈めて、堤防をつくった。
その堤防の上に、鉄の棒が2本ならべてある。
 その2本の鉄の棒を陸蒸気が2両の客車を引いて動いている。
速度は30キロくらいかな。
 陸蒸気とは汽車のことだ。
英国製のタンク機関車だ。
 新橋・横浜間の日本最初の鉄道が開通したのである。
馬車の文化は日本には無い。(江戸時代は駕籠だ。)
 馬に馬車を引かせることはなかったのだ。(牛車の文化だ。)
それが、馬車を通り越して・・・いきなり蒸気機関車だ。
 日本の近代化は蒸気機関車から始まったのだ。

 やがて、エジソンの発明した電球が・・・
そして、自動車が・・・はじめは、蒸気エンジンの自動車だ。
 それも、やがてガソリン・エンジンの自動車だ。
それと、共に道路も整備される。
 鉄道馬車が電車になり、船が大型の蒸気船になり。
近代化は軍隊の装備にも影響を与えたのだ。
 まずは、軍艦だ。 大砲も、江戸時代後期のアームストロング砲から近代的な旋回砲塔へ・・・
そして、明治政府が教育改革を教育勅語で近代化する。
 それに、科学的教材を取り入れたのだ。
米国で飛行機なる飛行機械が実験成功となり、飛行機熱が世界へ広まったのだ。
 学校の授業で飛行機の学習時間があったほどである。
それは、模型飛行機の工作だ。
 竹ヒゴと和紙とゴム紐で、カンタンな模型飛行機は造れるからだ。
学校の教材として、安価で工作もカンタン、そして飛ばして遊べるからである。
 
 斎藤君も学校の工作で模型飛行機なるモノは初めて造ったのだ。
教材は竹ヒゴと和紙、そしてゴム紐、プロペラは竹を小刀で削るのだ。
 そして、竹ヒゴを糸で結んで翼や尾翼を造るのだ。
糊で和紙を張る。
 竹ひごは蝋燭の火で、あぶり丸くして翼の端をつくるのだ。
プロペラは竹トンボのように竹の板を削るのだ。
 長いゴミ紐を胴体へに見立てた竹の棒へ針金で取り付ける。
そして、前後のバランスを翼の前3割ほどでとる。
 材料が粗削りなので、重量があるかもしれないが・・・あいにく、秤がないから・・・そこは、斎藤君では不明だ。
 小学生がつくるのだ。 そこは、ガキの工作である。
近所の河原で、試験飛行だ。
 飛ばないと、恥ずかしいから、自分だけだ。
ペラを手で廻して、ゴムを巻く。
 「そういえば、巻きすぎるとゴムが切れるんだった。」
当時の天然ゴムは粗悪品だ。 それなりなのである。
 昔の股引はゴムが、すぐに切れたらしい・・・
空へ向けて・・・模型飛行機を離す。
 上へ向かって・・・失速して、墜落だ。
角度が急すぎたのだ。
 再度の挑戦だ。
今度は、水平に離す・・・
 「飛んだ、ぞーっ。」
が、しかし右へ旋回して不時着だ。
 これには、訳があるのだ。
少しプロペラの向きに角度をつけるのだが・・・ガキだから、そこまでわかんないのだ。
 それに、翼にエルロンやラダー(舵)なんて、つけてないのだ。
つまり、造るときに見越してつくらないといけないのだ。
 まあ、補助舵として、小さな紙きれを付ける手もあるんだが・・・

 こうして、模型飛行機1号機は無残な結果だった・・・
しかし、少しは飛んだんだ。
 右に旋回して不時着だ。
ちなみに、車輪なんて附いてないのだ。
 なぜなら、重くなるからだ。
当時はプラスチックなんて、まだ無い時代だ。
 合成樹脂はアクリル素材があったくらいだ。
とても、ガキが買えるお値段ではない。
 それで、満足に飛ばなかったからか、沈んでいた斎藤少年だ。
「おい、これでも読んだらどうだ。」と、オヤジが少年誌を買ってきた。
 それには、模型飛行機の作り方が写真入りで解説が・・・
子供の科学という雑誌である。
 現在も、あるらしいが・・・
その雑誌には図解が多々載っていて、ノウハウが詳細に描かれていたのだ。
 小学校の授業で習う以上に細かくだ。(戦前は、模型飛行機工作の授業があったのだ。)
そして、実体設計図が付録だ。
 つまり、大きさが、まんまなのが実体設計図だ。
その形や長さに合わせればいいのだ。
 材料の竹ヒゴやら障子紙の実寸までが・・・

 「なになに、プロペラの取り付けの角度だと?」
「なんで、角度を付けるんだ。」
 子供の科学には、詳しく解説がなかった。
応用力学だから・・・小学生には重荷だからだ。
 回転モーメントといっても理解ができないからね・・・
オヤジが買ってくれた雑誌で、模型飛行機2号の製作のメドがたったのだった。
 現在はゲーム本かアニメ本ばかりだが・・・
昭和時代には科学雑誌が多々あったのだ。
 その雑誌には、ラジオの実体配線図なるカラー見出しが売りだったのだ。
そして、雑誌の巻末には通信販売の広告があったのだ。
 地方の部品が手に入らない読者向けに、パーツ販売の広告が載っていたのだ。
そこには、車輪からペラのワッシャーやら模型飛行機用のゴム紐などが、安価に販売していたのだ。
 もちろん、郵便送料も必要なんだが・・・少し貯めれば、毎月のこずかいで買えそうだ・・・
こうして、2号機は専門家が設計した図面で正確な工作ができたのである。
 通信販売で購入したのは・・・
 ① プロペラと金具。
 ② 主翼取り付け木型。
 ③ 車輪2個と脚金具
 ④ ゴム紐
の、以上4点だった。
 その部品は、半月くらいで届いたのだった。
 
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

零式輸送機、満州の空を飛ぶ。

ゆみすけ
歴史・時代
 ダクラスDC-3輸送機を米国からライセンスを買って製造した大日本帝国。 ソ連の侵攻を防ぐ防壁として建国した満州国。 しかし、南はシナの軍閥が・・・ソ連の脅威は深まるばかりだ。 開拓村も馬賊に襲われて・・・東北出身の開拓団は風前の灯だった・・・

満州国馬賊討伐飛行隊

ゆみすけ
歴史・時代
 満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。 

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

明日の海

山本五十六の孫
歴史・時代
4月7日、天一号作戦の下、大和は坊ノ岬沖海戦を行う。多数の爆撃や魚雷が大和を襲う。そして、一発の爆弾が弾薬庫に被弾し、大和は乗組員と共に轟沈する、はずだった。しかし大和は2015年、戦後70年の世へとタイムスリップしてしまう。大和は現代の艦艇、航空機、そして日本国に翻弄される。そしてそんな中、中国が尖閣諸島への攻撃を行い、その動乱に艦長の江熊たちと共に大和も巻き込まれていく。 世界最大の戦艦と呼ばれた戦艦と、艦長江熊をはじめとした乗組員が現代と戦う、逆ジパング的なストーリー←これを言って良かったのか 主な登場人物 艦長 江熊 副長兼砲雷長 尾崎 船務長 須田 航海長 嶋田 機関長 池田

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

処理中です...