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ゴム動力の竹細工。
明治4年から・・・
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「これが、陸蒸気か。」と、斎藤少年が驚く。
ここは、横浜の浜だ。
そう、海岸だが・・・そこの海岸に堤防というか道路というか・・・石を沈めて、堤防をつくった。
その堤防の上に、鉄の棒が2本ならべてある。
その2本の鉄の棒を陸蒸気が2両の客車を引いて動いている。
速度は30キロくらいかな。
陸蒸気とは汽車のことだ。
英国製のタンク機関車だ。
新橋・横浜間の日本最初の鉄道が開通したのである。
馬車の文化は日本には無い。(江戸時代は駕籠だ。)
馬に馬車を引かせることはなかったのだ。(牛車の文化だ。)
それが、馬車を通り越して・・・いきなり蒸気機関車だ。
日本の近代化は蒸気機関車から始まったのだ。
やがて、エジソンの発明した電球が・・・
そして、自動車が・・・はじめは、蒸気エンジンの自動車だ。
それも、やがてガソリン・エンジンの自動車だ。
それと、共に道路も整備される。
鉄道馬車が電車になり、船が大型の蒸気船になり。
近代化は軍隊の装備にも影響を与えたのだ。
まずは、軍艦だ。 大砲も、江戸時代後期のアームストロング砲から近代的な旋回砲塔へ・・・
そして、明治政府が教育改革を教育勅語で近代化する。
それに、科学的教材を取り入れたのだ。
米国で飛行機なる飛行機械が実験成功となり、飛行機熱が世界へ広まったのだ。
学校の授業で飛行機の学習時間があったほどである。
それは、模型飛行機の工作だ。
竹ヒゴと和紙とゴム紐で、カンタンな模型飛行機は造れるからだ。
学校の教材として、安価で工作もカンタン、そして飛ばして遊べるからである。
斎藤君も学校の工作で模型飛行機なるモノは初めて造ったのだ。
教材は竹ヒゴと和紙、そしてゴム紐、プロペラは竹を小刀で削るのだ。
そして、竹ヒゴを糸で結んで翼や尾翼を造るのだ。
糊で和紙を張る。
竹ひごは蝋燭の火で、あぶり丸くして翼の端をつくるのだ。
プロペラは竹トンボのように竹の板を削るのだ。
長いゴミ紐を胴体へに見立てた竹の棒へ針金で取り付ける。
そして、前後のバランスを翼の前3割ほどでとる。
材料が粗削りなので、重量があるかもしれないが・・・あいにく、秤がないから・・・そこは、斎藤君では不明だ。
小学生がつくるのだ。 そこは、ガキの工作である。
近所の河原で、試験飛行だ。
飛ばないと、恥ずかしいから、自分だけだ。
ペラを手で廻して、ゴムを巻く。
「そういえば、巻きすぎるとゴムが切れるんだった。」
当時の天然ゴムは粗悪品だ。 それなりなのである。
昔の股引はゴムが、すぐに切れたらしい・・・
空へ向けて・・・模型飛行機を離す。
上へ向かって・・・失速して、墜落だ。
角度が急すぎたのだ。
再度の挑戦だ。
今度は、水平に離す・・・
「飛んだ、ぞーっ。」
が、しかし右へ旋回して不時着だ。
これには、訳があるのだ。
少しプロペラの向きに角度をつけるのだが・・・ガキだから、そこまでわかんないのだ。
それに、翼にエルロンやラダー(舵)なんて、つけてないのだ。
つまり、造るときに見越してつくらないといけないのだ。
まあ、補助舵として、小さな紙きれを付ける手もあるんだが・・・
こうして、模型飛行機1号機は無残な結果だった・・・
しかし、少しは飛んだんだ。
右に旋回して不時着だ。
ちなみに、車輪なんて附いてないのだ。
なぜなら、重くなるからだ。
当時はプラスチックなんて、まだ無い時代だ。
合成樹脂はアクリル素材があったくらいだ。
とても、ガキが買えるお値段ではない。
それで、満足に飛ばなかったからか、沈んでいた斎藤少年だ。
「おい、これでも読んだらどうだ。」と、オヤジが少年誌を買ってきた。
それには、模型飛行機の作り方が写真入りで解説が・・・
子供の科学という雑誌である。
現在も、あるらしいが・・・
その雑誌には図解が多々載っていて、ノウハウが詳細に描かれていたのだ。
小学校の授業で習う以上に細かくだ。(戦前は、模型飛行機工作の授業があったのだ。)
そして、実体設計図が付録だ。
つまり、大きさが、まんまなのが実体設計図だ。
その形や長さに合わせればいいのだ。
材料の竹ヒゴやら障子紙の実寸までが・・・
「なになに、プロペラの取り付けの角度だと?」
「なんで、角度を付けるんだ。」
子供の科学には、詳しく解説がなかった。
応用力学だから・・・小学生には重荷だからだ。
回転モーメントといっても理解ができないからね・・・
オヤジが買ってくれた雑誌で、模型飛行機2号の製作のメドがたったのだった。
現在はゲーム本かアニメ本ばかりだが・・・
昭和時代には科学雑誌が多々あったのだ。
その雑誌には、ラジオの実体配線図なるカラー見出しが売りだったのだ。
そして、雑誌の巻末には通信販売の広告があったのだ。
地方の部品が手に入らない読者向けに、パーツ販売の広告が載っていたのだ。
そこには、車輪からペラのワッシャーやら模型飛行機用のゴム紐などが、安価に販売していたのだ。
もちろん、郵便送料も必要なんだが・・・少し貯めれば、毎月のこずかいで買えそうだ・・・
こうして、2号機は専門家が設計した図面で正確な工作ができたのである。
通信販売で購入したのは・・・
① プロペラと金具。
② 主翼取り付け木型。
③ 車輪2個と脚金具
④ ゴム紐
の、以上4点だった。
その部品は、半月くらいで届いたのだった。
ここは、横浜の浜だ。
そう、海岸だが・・・そこの海岸に堤防というか道路というか・・・石を沈めて、堤防をつくった。
その堤防の上に、鉄の棒が2本ならべてある。
その2本の鉄の棒を陸蒸気が2両の客車を引いて動いている。
速度は30キロくらいかな。
陸蒸気とは汽車のことだ。
英国製のタンク機関車だ。
新橋・横浜間の日本最初の鉄道が開通したのである。
馬車の文化は日本には無い。(江戸時代は駕籠だ。)
馬に馬車を引かせることはなかったのだ。(牛車の文化だ。)
それが、馬車を通り越して・・・いきなり蒸気機関車だ。
日本の近代化は蒸気機関車から始まったのだ。
やがて、エジソンの発明した電球が・・・
そして、自動車が・・・はじめは、蒸気エンジンの自動車だ。
それも、やがてガソリン・エンジンの自動車だ。
それと、共に道路も整備される。
鉄道馬車が電車になり、船が大型の蒸気船になり。
近代化は軍隊の装備にも影響を与えたのだ。
まずは、軍艦だ。 大砲も、江戸時代後期のアームストロング砲から近代的な旋回砲塔へ・・・
そして、明治政府が教育改革を教育勅語で近代化する。
それに、科学的教材を取り入れたのだ。
米国で飛行機なる飛行機械が実験成功となり、飛行機熱が世界へ広まったのだ。
学校の授業で飛行機の学習時間があったほどである。
それは、模型飛行機の工作だ。
竹ヒゴと和紙とゴム紐で、カンタンな模型飛行機は造れるからだ。
学校の教材として、安価で工作もカンタン、そして飛ばして遊べるからである。
斎藤君も学校の工作で模型飛行機なるモノは初めて造ったのだ。
教材は竹ヒゴと和紙、そしてゴム紐、プロペラは竹を小刀で削るのだ。
そして、竹ヒゴを糸で結んで翼や尾翼を造るのだ。
糊で和紙を張る。
竹ひごは蝋燭の火で、あぶり丸くして翼の端をつくるのだ。
プロペラは竹トンボのように竹の板を削るのだ。
長いゴミ紐を胴体へに見立てた竹の棒へ針金で取り付ける。
そして、前後のバランスを翼の前3割ほどでとる。
材料が粗削りなので、重量があるかもしれないが・・・あいにく、秤がないから・・・そこは、斎藤君では不明だ。
小学生がつくるのだ。 そこは、ガキの工作である。
近所の河原で、試験飛行だ。
飛ばないと、恥ずかしいから、自分だけだ。
ペラを手で廻して、ゴムを巻く。
「そういえば、巻きすぎるとゴムが切れるんだった。」
当時の天然ゴムは粗悪品だ。 それなりなのである。
昔の股引はゴムが、すぐに切れたらしい・・・
空へ向けて・・・模型飛行機を離す。
上へ向かって・・・失速して、墜落だ。
角度が急すぎたのだ。
再度の挑戦だ。
今度は、水平に離す・・・
「飛んだ、ぞーっ。」
が、しかし右へ旋回して不時着だ。
これには、訳があるのだ。
少しプロペラの向きに角度をつけるのだが・・・ガキだから、そこまでわかんないのだ。
それに、翼にエルロンやラダー(舵)なんて、つけてないのだ。
つまり、造るときに見越してつくらないといけないのだ。
まあ、補助舵として、小さな紙きれを付ける手もあるんだが・・・
こうして、模型飛行機1号機は無残な結果だった・・・
しかし、少しは飛んだんだ。
右に旋回して不時着だ。
ちなみに、車輪なんて附いてないのだ。
なぜなら、重くなるからだ。
当時はプラスチックなんて、まだ無い時代だ。
合成樹脂はアクリル素材があったくらいだ。
とても、ガキが買えるお値段ではない。
それで、満足に飛ばなかったからか、沈んでいた斎藤少年だ。
「おい、これでも読んだらどうだ。」と、オヤジが少年誌を買ってきた。
それには、模型飛行機の作り方が写真入りで解説が・・・
子供の科学という雑誌である。
現在も、あるらしいが・・・
その雑誌には図解が多々載っていて、ノウハウが詳細に描かれていたのだ。
小学校の授業で習う以上に細かくだ。(戦前は、模型飛行機工作の授業があったのだ。)
そして、実体設計図が付録だ。
つまり、大きさが、まんまなのが実体設計図だ。
その形や長さに合わせればいいのだ。
材料の竹ヒゴやら障子紙の実寸までが・・・
「なになに、プロペラの取り付けの角度だと?」
「なんで、角度を付けるんだ。」
子供の科学には、詳しく解説がなかった。
応用力学だから・・・小学生には重荷だからだ。
回転モーメントといっても理解ができないからね・・・
オヤジが買ってくれた雑誌で、模型飛行機2号の製作のメドがたったのだった。
現在はゲーム本かアニメ本ばかりだが・・・
昭和時代には科学雑誌が多々あったのだ。
その雑誌には、ラジオの実体配線図なるカラー見出しが売りだったのだ。
そして、雑誌の巻末には通信販売の広告があったのだ。
地方の部品が手に入らない読者向けに、パーツ販売の広告が載っていたのだ。
そこには、車輪からペラのワッシャーやら模型飛行機用のゴム紐などが、安価に販売していたのだ。
もちろん、郵便送料も必要なんだが・・・少し貯めれば、毎月のこずかいで買えそうだ・・・
こうして、2号機は専門家が設計した図面で正確な工作ができたのである。
通信販売で購入したのは・・・
① プロペラと金具。
② 主翼取り付け木型。
③ 車輪2個と脚金具
④ ゴム紐
の、以上4点だった。
その部品は、半月くらいで届いたのだった。
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