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どうして、植民地に・・・
英国の思惑。
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どうして、幕末に英国は日本を植民地にしなかったのか? まずは、薩英戦争だ。 生麦事件からだ。 生麦村の街道で英国人が薩摩の殿様の行列と横切ったのだ。 とうぜん、薩摩藩は英国人を切り捨てる。 日本では、問題はない。 しかし、幕府は不平等条約だ。 それで、薩摩藩と英国公使館は揉める。 そして、英国の砲艦外交となるのだ。 英国はアームストロング砲だ。 薩摩は、先こめ砲だ。 勝負にはならない。 薩摩の国は英国艦隊に艦砲射撃で、灰塵に帰したのだ。 しかし、薩摩藩は一矢報いている。 薩摩の砲弾が英国艦隊の司令官と副司令官を瞬殺だ。 これが、日本の将来を決めたのだ。 司令官をヤラれた英国艦隊は逃げ帰ったのだ。 その当時の大英帝国だ。 現在の米国より世界の覇権を握っていたのだ。 それが、日本のショボイ(失礼しました。)地方の藩に司令官をヤラれたのだ。 英国は、英国のヤツらは、日本侮りがたしだ。 そして、それから薩摩と英国は関係が深くなっていくのだ。 英国は薩摩藩の連中は使えると踏んだのだ。 著者は、1発の薩摩藩の砲弾が英国の植民地支配を防いだと思うのだ。 英国からチャイナは遠い。 なら、チャイナを支配するうえで、英国は日本をうまく使えば手下として使えるのでは・・・ だから、植民地にはしなかった。 国民が識字率が高く、平均して民度が高いからだ。 当時の英国より識字率は高かった。 掛け算の九九を国民全員が言える国は日本くらいだ。 まあ、余計な話だった・・・スンマセン。 話は日本の空母へ戻る。 空母へ帰還する方法だが・・ 「この電波探信儀の画面の真ん中に、機体をあわせるんだ。」 と技師が偵察員へ説明だ。 「さすれば、空母への着艦はオンの字だ。」 まあ、空母から飛び出したんだが・・・ 一応、空母の周りを旋回して、着艦の様子見だ。 地上での訓練はしたのだが、あれは地面だ。 海ではないのだ。 ここは、海の真ん中である。 「空母は米粒大にしか見えなぞ。」 「うむ、しかし、降りないと。」 伝声菅で言葉を交わす。 「いいか、方向を教えてくれよ。」 と操縦士だ。 偵察員は、「任されよ。」 「いくぞ。」 空母の艦尾が遠くに見える。 空母は30ノットで進行だ。 追撃戦闘機はフラップを下げて失速を防ぐ、速度は250キロくらいか。 その差は200キロくらいだ。 「ちょい、右上だ。」 「いかん、ちょい左下だ。」 「ちょい、右だ。」 なかなか、難しいのだ。 イラつく操縦士だが、ガマンだ。 でないと、海に墜落して鮫のエサだ。 「速度は、いいか?」 「着艦フックは下げたな。」 「あ、あ、間違いない。」 電波探信儀で、母艦までの距離がわかる。 「あと、2キロ、1,8キロ、・・・」 「見えるから、いいぞ。」 伝声菅で、伝える。 「尾翼を下げるぞ。」 「了解。」 座席につかまる。 着艦のショックはおおきいからだ。 「ドウン~ン。」 機体の脚が折れそうだ。 なんとか、着艦できた・・・・・
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