醜悪の町

九重智

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第二十四

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「それで、ずっと列車に轢かれつづけているわけかね」
 暗がりに一段と濃いシルエットがある。シルエットは丸樽のようで、随分と大きい。
「『先生』……?」
 と私は言った。
「さっきからずっと話しかけていたんだ」
「ああ、そう……」
 私は言葉を絞り出し、それから何か付け加えようとしたが、それ自体億劫でやめた。声がしわがれているのが自分でもわかる。しかしそれもどうということはない。話したい相手がいないのだから、声はなくともいい。
「君はあの日から毎日線路を渡ろうとする。そして列車に轢かれ、また轢かれた君を見つけた住民たちがぼろぼろになった身体をここに持ってくる。その繰り返しをしてからもう一か月経つよ」
「……」
「君も気づいているはずだよ。開放日には強いベクトルが必要なんだ。それこそ君がバーを見つけたみたいにね。しかし君はこの一か月間、プラットフォームのバーを見ることができたかい? いやもし見つけていれば君はこの町を脱出できている。君はもうベクトルを失ったんだよ」
「……」
「じゃあ君は何をしているのか。まあ、一種の自虐だろうね。人は生きる糧がなければ生きていけない。完全に糧がなくなったとき、たいてい自殺する。しかしここでは死ねない。それでも何度も轢かれることで君は死ねると思い込んでいる。そしてその思い込み、どうすれば死ねるかということが、君の糧になっているんだろう」
「……痣が全身を埋めれば、僕は死ねる」
「誰がそんなことを言った? 誰も言っていないだろう。それは君の思い込みだ。……なあ、君は『ミミズ』を失い、元の君にもどってきた。そうだろう?」
 私は丸樽型の影を睨んだ。『ミミズ』じゃない、『キヨ』を失ったのだ。『ミミズ』なんて、私は知らない。
「元の君は安全を望んでいた。誰彼から殴られず、老人たちの性交を見せつけられず、まずい料理を食べさせられない場所を。しかしいまの君はその安全をとっくに手に入れているんだよ。君はにしさんを三回殴り倒したことで、たぶんこの町の誰よりも暴力に長けている。料理は『ミミズ』との生活でマシな食べ方を思いついた。なにより、いまの君ははじめ来たような臭いを感じるかい?」
 私は鼻で空気を嗅いだ。列車のなかで私が眠れなかった異臭は、まったく感じない。
「いいかい、君はこの世界に慣れ、適応し、何だったら支配さえできる人間になったんだ。ここ以上にどこに行くんだい? ここでいいじゃないか。もう君を脅かすものはないし、この醜さに慣れた。もし別の町に行ってみなよ、君の痣はほかの町ではきっと受け入れられない。ここには鏡がないから気づいてないだろう? 君の躰はとっくに赤黒い痣でいっぱいだよ」
『先生』は私に近づいた。そうして耳元でこう付け加えた。「それに」
「『ミミズ』はね、自分を強く殴ってくれればそれでいいんだ。だからにしさんを気に入っているわけだけど、いまの君はにしさんよりも腕っぷしがたつ。この意味、わかるね?」
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