醜悪の町

九重智

文字の大きさ
上 下
23 / 26

第二十三話

しおりを挟む
 空は暗かった。朝も、昼も、夜も、この町では満遍なく影が落とされている。しかし暗いことが何も悪いわけじゃない。暗いと、目を凝らさない限り見たくないものは見なくていい。目を開けていても、目を閉じているのとおなじような視界でいられる。そうやってぼんやりと何も見なければ音も聴こえない。すべてを閉ざしたまま、時間をつぶせる。
 あれから、私は部屋を出て駅まで走った。もし『先生』の言ったとおり私が望み明日が開放日になるなら、私は町を出るつもりだった。たしかに、『キヨ』はここを選んだ。そして『キヨ』は、いや『ミミズ』は私を騙していた。しかしそれでも町を出る理由はあった。ここで私が町を出れば、この町は潰される。そのことだけを願って私は走った。
 私は無心で朝を待った。思い出したくないものは記憶の奥底に置き、この町が潰れること、安全な、騙しのない町に行くことだけを集中して考えつづけた。しかしふいに『ミミズ』のことが思い起こされるとき、私はベンチにその想起が終わるまで叩きつけた。うなじの痣に触れ、『ミミズ』は喘ぎ、私の腕のなかからするりと抜け出す。その一連のフラッシュは相応の痛みがなければ消えてくれない。
 私の額には痣ができた。たしかに『先生』の言う通り、どれだけ額から血を流してもすぐに止まり、醜い痣ができるだけで済む。だがしかし、痣は治ることはない。私の左手の指も未だあの風船のような膨らみを保っている。
 何度額を打ち付けたのかわからない。しかし、朝は来た。失意の底で見たはずなのに、プラットフォームへ注がれた陽光は何よりも美しく思えた。空気中の塵や埃が、ちらちらと輝き、空に吸い込まれるように上昇している。
私は思わず神に祈った。私は宗教者ではないし、何を祈ったのかはっきりとしない。それでも線路に降りたとき、『ミミズ』のことを一時忘れ、晴れやかな旅立ちの気持ちでいれた。
 線路をつたう。私は恐れなかった。列車を来ることを、まったく恐怖していないのだ。いや恐れるとか、恐怖とかではなくて、どこかしら私は列車が私の躰を轢き殺すことを望んでいたのかもしれない。『先生』の言では私は死ねない。しかしそうでなくても私は致命的な痛みを感じる。その痛みを無意識に求めていたのかもしれなかった。
 町が滅ぶか、致命的な痛みをもつか。あるのはふたつにひとつだった。どちらでも、私は構わない。あの長い長いトンネルを渡りながら、私は町の崩壊と、自身の躰の崩壊とを交互に妄想している。あのトンネルをくぐり抜ければ町は壊れ、その前に列車が来れば、私が壊れる。
 私はただこの悪夢のような映画を終わらせたかった。そのためには被写体か、カメラがなくなればいい。なくならなくとも、痛んでほしい。
 またあの汽笛が聴こえる。私はきっと笑っていた。いま思えば私はこのときはじめてちゃんと笑ったのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ピアノの家のふたりの姉妹

九重智
ライト文芸
【ふたりの親愛はピアノの連弾のように奏でられた。いざもう一人の弾き手を失うと、幸福の音色も、物足りない、隙間だらけのわびしさばかり残ってしまう。】 ピアノの響く家には、ふたりの姉妹がいた。仲睦ましい姉妹は互いに深い親愛を抱えていたが、姉の雪子の変化により、ふたりの関係は徐々に変わっていく。 (縦書き読み推奨です)

もしもしお時間いいですか?

ベアりんぐ
ライト文芸
 日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。  2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。 ※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

兄の悪戯

廣瀬純一
大衆娯楽
悪戯好きな兄が弟と妹に催眠術をかける話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

黒蜜先生のヤバい秘密

月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
 高校生の須藤語(すとう かたる)がいるクラスで、新任の教師が担当に就いた。新しい担任の名前は黒蜜凛(くろみつ りん)。アイドル並みの美貌を持つ彼女は、あっという間にクラスの人気者となる。  須藤はそんな黒蜜先生に小説を書いていることがバレてしまう。リアルの世界でファン第1号となった黒蜜先生。須藤は先生でありファンでもある彼女と、小説を介して良い関係を築きつつあった。  だが、その裏側で黒蜜先生の人気をよく思わない女子たちが、陰湿な嫌がらせをやりはじめる。解決策を模索する過程で、須藤は黒蜜先生のヤバい過去を知ることになる……。

処理中です...