醜悪の町

九重智

文字の大きさ
上 下
22 / 26

第二十二話

しおりを挟む
「あらあら、ずいぶんな有様じゃないか」
 遅れて入り、『先生』はそう言った。私はただぼんやりとキヨを抱きしめている。
「にしさんも、ヨッちゃんも半殺しじゃないか。ほらにしさんなんて歯がほとんど折れているし、殴られたときの血と嘔吐でびしょびしょじゃないか。まあ、でも大丈夫だ。ここは死なないんだ。傷は治りはしないけどそれで死にもしない。そういう世界なんだ。ほらヨッちゃんの痣なんて二年以上前なのにまったく変わらないだろう?」
 私には聴こえなかった。いや聴こえなかったというより聴こえていても何も届かなかった。腕のなかでキヨがぶるっと震えた。
「どうしてこんなことを? と君は思うだろうね。だが君は知らなかっただけなんだよ。俺らが今日を見計らって彼女を襲ったわけじゃない。いや襲ったと言っていいのだろうか。考えなかったか? 彼女はこの町に降りた。その時点で素質はあったんだよ。ある意味君よりよっぽどこの町にむいていた。君が彼女のために駅で列車を待っていた毎日、そのあいだに彼女は俺らとこういうことをしてたんだ」
 私は聴こうとしなかった。裸のキヨの腹部にはまだ粘質のものが残っている。それは私のシャツにうざったく絡みつき、布越しから濡れた感触がした。キヨのうなじには、私の知らない赤い痣があった。細長く、幾重にもうねり、僅かにもりあがったそれはミミズのように見える。私がそのミミズをなぞるとキヨは小さく喘いだ。喘ぎには、明白な快楽の気配があった。
「実のところね、君が列車に轢かれたのは事実だが、彼女が君のためにここに降りたというのは嘘なんだ。彼女は彼女の意思でここを降りた。まだ若いのに珍しいこともあるもんだ、この『醜の美』を解する感性があるなんて。彼女は『挨拶』を喜々としてやりきったよ。まあ実際には暴力に関しては抵抗があったみたいだが、そのうちするのもされるのも好きになっていった。ショッキングな行為を先にして、そのあと徐々に甘噛みみたいなものから慣れさせるんだ。そうするとだんだん最初のショッキングな暴行を過剰に恐れ、ある段階から懐かしむようになる。となると簡単さ、望むものを与えればいい」
 まだ私はキヨのうなじに触れている。そしてまだ、キヨは喘ぎをやめない。
「そもそもここに住んでいくとどうやら人は理性をなくすらしい。タガが外れるというか、いや組み替えられると言おうか。皆、ここのルールが身に浸透していくんだ。浸透して、以前に持ち合わせたものがパーになる。彼女ははやかったね。『挨拶』が済めばもうめちゃくちゃだ。彼女はにしさんを好んでいてね、それだから彼が頼むと一芝居打つことも承諾してくれたよ」
 キヨが私の耳元で何事か呟いている。それは懇願じみた囁きで、頭蓋のなかに投げた石のように反響した。
「ねえ、殴って、お願い」
『先生』は笑った。それも大仰な、私が聞いたなかでいちばんの大声だった。
「そうだ、名前をつけるのを忘れてた! 彼女の名前と、君の名前だ。そうだなあ、彼女は『ミミズ』なんてどうだろう。ほら、うなじのところにある火傷の痕がミミズみたいだろう! これはね煙草を押し付けて少しずつこんなかたちにしたのさ。ほらうちの煙草は細いのもあるだろう、あれで途切れ途切れにね。あ、それで君の名前は何がいい? 決めさせてあげるよ」
「……彼女の名は『キヨ』だ! 『ミミズ』じゃない!」
 私は叫んだ。叫ぶとなぜだか全身から込み上げるものがあった。涙が、目頭のついそこまできている。しかし私は泣くわけにはいかない。泣いてしまえばそれは敗北だ。『先生』の話は嘘かもしれない。キヨは操られているかもしれない。私が認めなければまだあの海の町は開かれている。
「じゃあ彼女に決めてもらおう。『ミミズ』と『キヨ』、君はどっちの名前が良い?」
『先生』はキヨに訊いた。彼女は、答えた。
「ミミズ……」
『キヨ』はそう言って私の腕のなかから離れた。するりと、まるで私の力が何もないかのように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ようこそ精神障害へ

まる1
ライト文芸
筆者が体験した精神障碍者自立支援施設での、あんなことやこんな事をフィクションを交えつつ、短編小説風に書いていきます。 ※なお筆者は精神、身体障害、難病もちなので偏見や差別はなく書いていこうと思ってます。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ピアノの家のふたりの姉妹

九重智
ライト文芸
【ふたりの親愛はピアノの連弾のように奏でられた。いざもう一人の弾き手を失うと、幸福の音色も、物足りない、隙間だらけのわびしさばかり残ってしまう。】 ピアノの響く家には、ふたりの姉妹がいた。仲睦ましい姉妹は互いに深い親愛を抱えていたが、姉の雪子の変化により、ふたりの関係は徐々に変わっていく。 (縦書き読み推奨です)

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

処理中です...