醜悪の町

九重智

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第二十二話

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「あらあら、ずいぶんな有様じゃないか」
 遅れて入り、『先生』はそう言った。私はただぼんやりとキヨを抱きしめている。
「にしさんも、ヨッちゃんも半殺しじゃないか。ほらにしさんなんて歯がほとんど折れているし、殴られたときの血と嘔吐でびしょびしょじゃないか。まあ、でも大丈夫だ。ここは死なないんだ。傷は治りはしないけどそれで死にもしない。そういう世界なんだ。ほらヨッちゃんの痣なんて二年以上前なのにまったく変わらないだろう?」
 私には聴こえなかった。いや聴こえなかったというより聴こえていても何も届かなかった。腕のなかでキヨがぶるっと震えた。
「どうしてこんなことを? と君は思うだろうね。だが君は知らなかっただけなんだよ。俺らが今日を見計らって彼女を襲ったわけじゃない。いや襲ったと言っていいのだろうか。考えなかったか? 彼女はこの町に降りた。その時点で素質はあったんだよ。ある意味君よりよっぽどこの町にむいていた。君が彼女のために駅で列車を待っていた毎日、そのあいだに彼女は俺らとこういうことをしてたんだ」
 私は聴こうとしなかった。裸のキヨの腹部にはまだ粘質のものが残っている。それは私のシャツにうざったく絡みつき、布越しから濡れた感触がした。キヨのうなじには、私の知らない赤い痣があった。細長く、幾重にもうねり、僅かにもりあがったそれはミミズのように見える。私がそのミミズをなぞるとキヨは小さく喘いだ。喘ぎには、明白な快楽の気配があった。
「実のところね、君が列車に轢かれたのは事実だが、彼女が君のためにここに降りたというのは嘘なんだ。彼女は彼女の意思でここを降りた。まだ若いのに珍しいこともあるもんだ、この『醜の美』を解する感性があるなんて。彼女は『挨拶』を喜々としてやりきったよ。まあ実際には暴力に関しては抵抗があったみたいだが、そのうちするのもされるのも好きになっていった。ショッキングな行為を先にして、そのあと徐々に甘噛みみたいなものから慣れさせるんだ。そうするとだんだん最初のショッキングな暴行を過剰に恐れ、ある段階から懐かしむようになる。となると簡単さ、望むものを与えればいい」
 まだ私はキヨのうなじに触れている。そしてまだ、キヨは喘ぎをやめない。
「そもそもここに住んでいくとどうやら人は理性をなくすらしい。タガが外れるというか、いや組み替えられると言おうか。皆、ここのルールが身に浸透していくんだ。浸透して、以前に持ち合わせたものがパーになる。彼女ははやかったね。『挨拶』が済めばもうめちゃくちゃだ。彼女はにしさんを好んでいてね、それだから彼が頼むと一芝居打つことも承諾してくれたよ」
 キヨが私の耳元で何事か呟いている。それは懇願じみた囁きで、頭蓋のなかに投げた石のように反響した。
「ねえ、殴って、お願い」
『先生』は笑った。それも大仰な、私が聞いたなかでいちばんの大声だった。
「そうだ、名前をつけるのを忘れてた! 彼女の名前と、君の名前だ。そうだなあ、彼女は『ミミズ』なんてどうだろう。ほら、うなじのところにある火傷の痕がミミズみたいだろう! これはね煙草を押し付けて少しずつこんなかたちにしたのさ。ほらうちの煙草は細いのもあるだろう、あれで途切れ途切れにね。あ、それで君の名前は何がいい? 決めさせてあげるよ」
「……彼女の名は『キヨ』だ! 『ミミズ』じゃない!」
 私は叫んだ。叫ぶとなぜだか全身から込み上げるものがあった。涙が、目頭のついそこまできている。しかし私は泣くわけにはいかない。泣いてしまえばそれは敗北だ。『先生』の話は嘘かもしれない。キヨは操られているかもしれない。私が認めなければまだあの海の町は開かれている。
「じゃあ彼女に決めてもらおう。『ミミズ』と『キヨ』、君はどっちの名前が良い?」
『先生』はキヨに訊いた。彼女は、答えた。
「ミミズ……」
『キヨ』はそう言って私の腕のなかから離れた。するりと、まるで私の力が何もないかのように。
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